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第23話 鮮血、落ちる腕

 先に動いたのは蒔絵だった。その場から後ろに跳んで神社を背にする。モカはゆっくりと歩いて蒔絵との間合いを詰めた。華奢な身体に大柄な鎌がなんとも不釣り合いだ。


 路地は突き当たりにある神社前で左右に分かれていて、そのぶん少しだけ広いスペースがあった。柄の長い鎌を振り回すモカにとっては好都合だが、速度で撹乱する蒔絵にとってもそれは同じだ。狭い路地ではどうしても限界があった。

 

「蒔絵ちゃんだっけ? 君も可愛いなぁ」


 モカが舌なめずりをしながら言った。


 蒔絵は無言のまま履いていた下駄を転がして素足になった。そして姿勢を低くして構える。


「怖い怖い、そんなに下から睨まれると、モカ、チビりそうになるじゃんか」


 言い終える前に一閃、モカの鎌が斜めに宙を斬った。


(──速いっ!!)


 蒔絵は目を見開いた。長い得物にも関わらず、その速度は蒔絵でも目で追うのがやっとだ。蒔絵は刃の軌道を読んで、さらに後ろへ跳んで距離とる。次の瞬間、蒔絵の左肩から血飛沫が舞った。


(避けたはずなのに当たった? 違う……これは……)


 蒔絵の白い腕を鮮血が伝う。

 

 肩口を大きく切り裂かれたが、頸動脈に届かなかったのは不幸中の幸いだった。


「すごーい。これ避けたの、蒔絵ちゃんが初めてだよ。モカ、感動〜」

「斬撃波……」

「あ、そう、それそれ。ザンゲキハ。あははっ、蒔絵ちゃん、頭もいいんだね」


 蒔絵は試すように左拳を握る。

 大丈夫だ。神経は切られていない。


 モカの斬撃波は、鎌の軌道がそのまま妖力の刃となって飛んでくる短・中距離攻撃だ。鎌による物理攻撃は軌道の波を生み出すための行動に過ぎない。斬撃波を交わすには軌道の予測と集中力、そして並外れた反射神経が必要になる──もちろん蒔絵には自信があった。

 

 途方もない速さだが、ついていけない程ではない。落ち着いて戦えば負ける気はしない。そもそも蒔絵は、鎌の速度よりも速く自分の身体を動かすことができるのだ。

 

 ただ……蒔絵は違和感を感じていた。

 

 先ほどランの頭を直撃した回し蹴りは、間違いなく致命傷になるものだった。踵の芯でこめかみを捉えたのだ。にも関わらず、ランに効いた様子はほとんどない。何か知らない妖術で身体を守っているのだろうか……。

  

 モカは竹槍を構えるように鎌を持つと、その先端を蒔絵の顔に近づける。


「蒔絵ちゃんってさぁ、今いくつなの?」

「それ、あなたに関係、ある?」

「あるある!! 子供ってさ、まだバラしたことないんだよね。この前の子は……うーんとね……確か14歳ぃ……だったかなぁ」

「……」

「大丈夫だよ、蒔絵ちゃん。モカ、痛くしないから。安心してバラされてね」


 モカはそう言って鎌を戻すと、柄の先をアスファルトに突き立てた。

 

「さーて、次のも避けられるかな?」


 モカは突きのようなモーションを連続で繰り出す。わひとつひとつの軌道を変え、あらゆる方向に鎌を突きまくる。その軌道が無数の斬撃波となり、蒔絵に襲いかかった。


 蒔絵の目にはすべてがスローモーションのように見える。繰り出された斬撃波の数は188。行動の選択肢が脳裏に浮かぶ。伏せる、後退する、空に逃げる……蒔絵の頭脳がフル回転する。


 軌道を読みきると同時に、蒔絵の身体が動く。前進──それが蒔絵の出した答えだった。

 斬撃波のわずかな隙間をすり抜け、蒔絵はモカに向かって跳ぶ。


「うそ、向かってきたっ!?」


 モカの鎌が一瞬だけ動きを止める。蒔絵はその瞬間を逃さない。鎌の先に跳び乗ると、刃を足場に宙へ舞う。


 お姉ちゃんに手を出す奴は誰であろうと許さない──蒔絵は宙返りしながら小さく呟く。


「妖術、風旋槍(ふうせんそう)──朝」


 朝の風が小さな渦を巻き、蒔絵の頬を撫でる。それは静かに下降して、地面に吸い込まれるように消えた。


 静寂からの反転。それは時間にしてわずか1秒。


 モカの足元がぼんやり白く光ると、無数の光の矢が一気に空へ向け放たれた。


 高圧風操術・風旋槍は、風を槍の形に圧縮し、地表から空に向かって突き上げる。風の矢は光を孕み、瞬く間に数百の矢となってモカを射抜いた。

 

 矢の数は術者の妖力に比例する。


 モカの身体は足元から放たれた無数の矢に覆われる。その数と速度はあまりにも圧倒的で、モカはただ白い光に包まれているように見えた。


 しかし、それでも蒔絵の違和感は消えない。確かに捉えたはずだが、手応えが希薄だ……。


 すると背後から声が聞こえた。


「めっちゃ痛いじゃん。可愛い顔してさ、蒔絵ちゃん、なかなかエグいことするんだね」 


 振り返ると、全身血まみれのモカが、鎌を突いて立っていた。


 頬や腕、足に至るまで無数の傷がついているものの、モカは平然とうすら笑いを浮かべている。


「今の術ってなぁに? 東のオリジナル? すっごいねぇ、モカ、初めて見ちゃった!」


 興奮気味に言いながら、モカは死神のように、鎌を斜めに構えた。

 

 刃が小刻みに震え、ピンク色の光を帯びる。


「えへへ、楽しいね、蒔絵ちゃん。とりあえず、片腕くらいは先に貰っておこうかな」


 蒔絵の背中に冷たい汗が流れる。


 地表からの『朝』が避けられた……。昨日の鎌狩りに使った『昼』はあくまで囮だったが、今の『朝』は本気で術を展開した。鎌狩りとは次元の違う強さだ。

 

 妖力を帯びたモカの鎌がピタリと動きを止めた。


 ──警戒、警戒、警戒。

 

 蒔絵はモカの動きに全神経を集中する。爪先の動き、肩の揺れ、息づかい──集中が深くなると、周囲の音も、彼女の言葉も、ほとんど聞こえなくなる。

 

「妖術、鎌影斬(れんえいざん)──三身(さんしん)


 モカは別人のような低い声で、鎌に囁く。そして鎌を大きく放り上げると、それは光りながら分裂して、三振りの鎌となり宙に浮いた。


 三振りの鎌は、まるで意思を持つように蒔絵を囲むよう高速回転しながら、その輪を狭めはじめる。


(具現術……)


 引いたら斬られる──蒔絵は即座に踏み込むが、高速で周回する鎌に弾き飛ばされる。


「蒔絵ちゃんはすばしっこいから、最初に足から貰おうかな」


 砂埃を巻きあげ、鎌が地面スレスレを周回する。速度が速くなる。風圧が強くなり、鎌の輪が蒔絵に向かってさらに収束する。


 鋭い刃が蒔絵の右足をかすめる。足首に、ふくらはぎに、太ももに、スッと細い線を刻む。そして血がたらりと滲んだかと思うと、大量の血が溢れだす。


 こいつはただの狂ったかまいたちじゃない、と蒔絵は思う。


 もし私が私と戦うなら、まず足を止めるだろう。ピンク頭はまさにそれをやっている。足首を切断されるのも時間の問題だ。足が動くうちに、この輪から抜け出さなくては……。


 利き足の右はまだ無傷だ──蒔絵は右足に妖力を集中させ空へと跳び上がる。死角は上しかない。今、モカの手に鎌はない。体術なら間違いなく勝てる。


「そう来ると思ってたよ、蒔絵ちゃん。モカ、頭いい〜」


 蒔絵と同時にモカも跳んでいた。蒔絵は回転をつけた蹴りを放つ。が、次の瞬間、空中から何かがぼとりと落下した。


「あはっ! 可愛い右腕、頂きました〜」


 蒔絵の右肩の辺りから鮮血が吹き出し、蒔絵は悲鳴を上げた。


「……」


 片膝をついた蒔絵の前に、ゆっくりとモカが近づく。落とされた蒔絵の右腕を拾い上げ、愛おしそうに頬ずりをすると得意げに笑った。


「ざーんねん! 狙いは良かったんだけどぉ、蒔絵ちゃん、4本目には気がつかなかったかなぁ?」


 肩で息をする蒔絵を覗き込むモカの右手には、小さな鎌が握られていた。

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