番外編2 その朝
布団に寝かされたままの桜花は、まるで寝ているかのような穏やかな顔だった。いつもながら色白の、陶器のようなその肌は呼吸をしてないだけで、呼びかければ目を開けそうだ。
「桜花……」
すっと膝をつき、桜花の額に手を当てる。ぞっとするほど冷たい肌に、俺は思わず指を縮こませた。胸に言葉に尽くせない悲しみ……同時に憤りがこみ上げてくる。
「ううっ、ううっ」
桜花に取りすがり、背中を丸めて嗚咽を漏らすのは惣兵衛だ。色男で商売人らしからぬ人の好い男。けれど、頼りにならないのは見ての通りだ。
――――なんであんたがいて、桜花を守れねえんだよ。
心のなかで毒付きながら、冷めた目で見る。その視線に気が付いたのか、惣兵衛が顔を上げた。
「ゆ……ユメさん。一体何が起こったのか、わからないんだ。桜花は……本当に死んでしまったのか……私は……」
無力過ぎる、今にも俺に泣きつきそうな顔にムッとする。腹立ちまぎれに声を荒げようとすると、肩に太い手指がのしかかってきた。
「惣兵衛様。仰せの通り、菱元屋様にご伝達いたしました。それで……大変恐縮ではございますが、しばらく別の部屋にお移りいただきたく……お願いします」
手指の正体は、俺の苛立ちを察した親父だ。『市村』の店主、市村勘左衛門。肩に置いた手に力を込めながら、惣兵衛に丁寧だが有無も言わさぬ迫力で言い渡している。
「え……しかし……」
「じき、町方が来られます。従っていただきますよう」
――――町方だとっ?
何人かの金剛に引きずられるようにして、惣兵衛が出ていく。俺はそれが視界から消えるのを待って、振り返った。
「親父、町方を呼ぶって本気か? 俺がやるよ。俺が桜花を殺した犯人を……」
「待ちなさい、ユメ。これは菱元屋、惣兵衛様の父親のたっての願いなのだ。それに、私もその方が良いと思う」
親父は落ち着き払ってそんなことを言う。あんたにとっても、桜花は使い捨ての陰間だってことか?
「なんでだ? 俺の力を信じないのか? 大体どうしてそんなに落ち着き……」
「私も憤ってるよ。おまえよりもずっと……。それにおまえの力を信じないワケじゃない」
親父の険しい表情に、俺はハッとする。こんな顔、今まで見たことがない。いや、俺に見せたことがないだけか。小さな子供相手から始まる過酷な商売だ。仏の顔なんざ、実はほんのわずかな時だけなのかもしれない。
「ごめん……だけど、俺を信じるなら……」
「桜花はおまえにとっても大切な友達だ。それは誰もが知ってる。だから、おまえではなく、町方の力を借りようと思うのだよ。頭の良いおまえなら分かるだろう?」
俺はそれでも憮然として親父を睨んだ。けど、確かに感情的になってしまうのは仕方ない。それを差し引いても、正しく推理する自信はある。それを他人は認めないかもしれないが。
「とにかく、おまえも自分の部屋に戻りなさい」
「わかったよ……」
本心で納得したわけじゃない。けど親父の面子ってのもわかる。
――――役人が来たら、そいつに張り付いてやる。下手な調べしやがったら、容赦しないからな。
声にせず、そう誓って桜花の部屋を後にした。
自室に戻って、少しだけ窓を開け、そこに腰かける。俺のいつもの場所だ。
桜花の死をまだ信じられない。腹に溜る悲しみと怒りの塊がどんどんと重く大きくなっている。息を大きく吐かないと、苦しくて倒れそうだ。新しい空気を取り込むように、俺は窓の外に半身を乗り出した。
――――あ……あれは……。
窓からは遠めに黒門が見える。それこそが、俺達陰間と外界を隔てる門だ。その向こうにはどんな自由があるのか、俺はもう忘れてしまった。その外の世から、黒羽織に着流しの男が入って来た。
――――八丁堀か……。
岡っ引きを一人連れ、そいつがやってくる。親父が言ってた役人だろう。俺は障子窓に身を隠し、目だけでそいつを追う。
――――背の高い……なんだ、若いな。
俺はその男が妙に気になった。珍しそうに視線を動かす物見遊山の様は隠せないが、足取りは淀みなく美しい。恐らく剣の使い手だ。そんなもの、今の平和な世には役にも立たないが。
「よし……」
市村に入ってきたのを確かめてから、俺は立ち上がる。やってきた同心と相まみえるためにだ。どうしてだが胸騒ぎがした。こんな場面だ。そんなことは当たり前なのだが、嫌な感じじゃなかった。
――――何かが動き出した。
そんな予感が俺の胸を騒がしていた。
※番外編 その3「春の夢」をこの後公開します。
今しばらくお付き合いください!




