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陰間由夢乃丞と八丁堀  作者: 紫紺
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その2


 そこで佐之助は一呼吸置いた。こいつ、こんなに長く話すことが出来るんだ。俺は佐之助の別の一面を見た気がした。


「もちろんそうは言っても、貴殿にだって世間体がある。八丁堀の同心も大事なお役目だ。だから、それを失ってもユメを受け入れるかは、正直わからなかった。私はずっと不安だった」


 俺は返す言葉がなかった。ユメの気持ちは、俺が一番よく知っていたんだ。

 だが、俺はそれをまんま受け入れることを恐れた。ユメのためというのは言い訳だ。俺の方が、自分の行く末を案じたんだ。佐之助の言うことは間違っていない。


「けれどあの日、それは懸念に過ぎなかったとわかった。あんなに、幸せそうに笑っているユメを、私は初めて見た。そうだな、年も押し迫って。雪の積もった朝だった」


 俺はごくりと唾を飲む。あの朝、中庭には雪が積もっていた。それでもユメは朝稽古の支度をして庭に出て行った。俺は渋々布団を畳んで、様子を見に行ったんだ。


「雪はもうやんでいて、朝日が白い雪に反射していた。ユメは市村でいたときと同じように、雪の中ではしゃいでいた。

 でも、その笑みは、あの頃とも、今までとも全く違っていた。この世に生まれてきたことを感謝しているような、心の底からの喜び。それを体現していた」


 朝稽古と言っても、ほとんど雪合戦のようなものだった。十一郎爺が提案したのだ。雪つぶてを投げ合って、敏捷性を競う。つまりは遊びだが。

 ユメは本当に楽しそうに、庭中を走りまわっていた。俺も腕さえよければ、参加したくなるほど、そこには平和で幸せそのものの美しい情景が広がっていた。


「もう、私がここにいる必要はないと、そう思った」

「佐之助。何言ってる」


 俺は驚いて顔を上げる。


「まさか、おまえここを出るって言うんじゃないだろうな。おまえはユメの数少ない理解者。家族みたいなもんじゃないか。俺も……そう思ってる」


 俺にとっての十一郎やおまつと同じだ。お互いを思いやり長く共に暮らしてきた。

 佐之助はお役目としてユメに仕えていたわけじゃない。だからこそ、水谷家に戻らずここに来る選択をした。ユメだって何の疑いもなく、おまえを連れてここに来たのに。なにを今更……。


「勘違いするな。思っただけだ」

「え、あ、そう」


 いや、そうだろうとも。なんか複雑な心境。


「十一郎殿に仕事を教えてもらって、私も充実しているのだ。貴殿が嫌でも、十一郎殿のご尽力に応えないわけにはいかん。もちろん、ユメのことも。あんたが裏切るようなことがあれば……」


 そして再び、俺に冷たーい視線を浴びせてくる。ほんとに、なんだろうなこいつは。面倒くさ過ぎる。

 確かに、十一郎爺からは、覚えも早いし実直で申し分ないと聞いているが。はああ、出来れば爺よ、長生きしてくれ。


「俺は裏切らんよ。だが、もしそんなことがあったら、好きにしたらいい。甘んじて受けるよ。ま、その前にユメに殺されそうだけどな」

「ふふ、それもそうだ。ははっ」

「な、なんだよっ。気持ちワリイな」


 突然笑い出した佐之助。こいつが笑うとこなんか拝んだこともない。でも、なんだか俺も楽しくなった。一緒になって笑い出してしまう。


「なに、なんだよ二人して。頭、おかしくなったのか?」


 羽根つきをやめ、ユメ達が怪訝な顔をして俺たちを見ている。一緒にいるのは道場の友達たちだ。みな、若く溌剌としている。なかには恋人や妹を連れてるのもいて、華やかさを加えていた。




「さあさあ、お雑煮が出来ましたよ。皆さん、おいでなさいな」


 縁側に出汁のいい匂いが漂ってくる。おまつの元気な声とともにお雑煮が運び込まれてきた。一斉に歓声が上がり、縁側に人だかりができる。

 各々、椀と箸を取り、その場は一瞬にして寺子屋みたいな無邪気な笑みに溢れた。今までどこにいたのか、猫の三毛も姿を見せ、おまつから鰹節をもらっている。


「忠親様」


 俺の分と自分の分を手に取り、ユメが隣に座った。


「食べさせてやろうか」

「馬鹿野郎。もう一人で食えるわ」


 そう言って俺は椀と箸を取り、餅を口に運んだ。さすが、おまつの雑煮はうまい。

 そこかしこで感嘆と舌鼓、笑い声が聞こえる。隣で餅をぱくつくユメも頬がほころんでいた。


「美味しい……俺、生きてて良かった」

「大げさな奴だな。でも、俺も良かったよ。おまえと一緒に雑煮が食えて」


 あいつだけに聞こえるよう、俺はユメの耳元で言った。あいつは俺を見上げる。切れ長の双眸に宝玉のような光が宿っている。少し潤んで見えるのは気のせいか。

 そうだな。生きてて良かったというのは、おまえにとって大げさでも何でもない。俺もそれはよくわかっているつもりだ。


「うん、本当に」


 ユメは俺に笑って見せた。輝くような笑みだ。思わず触れたくなるのを、俺はようやく踏みとどまる。

 ユメはそうと知ってか、そっと身を寄せてきた。俺の体が熱くなったのは、雑煮のせいだけじゃないだろう。

 これから先のことは、正直どうなっていくのか俺にはわからない。もちろん佐之助に言った通り、おまえを裏切るつもりはない。散々悩みぬいて、結局自分の思うままに従ったんだ。俺も、おまえも。

 それを後悔しないよう、俺はおまえと歩いていきたい。おまえとなら、たとえそれがいばらの道でも、案外楽しいんじゃねえかと思えるしな。


 八丁堀、火浦家の庭で繰り広げられる賑やかな正月の風景。冬のお天道様もまるでそれを祝うように、優しい日差しを届けていてくれる。こんな正月が毎年来るよう頑張らないとな。

 俺はユメの隣で雑煮をほおばりながら、そんなことを誓ったりした。

 







最後までお読みいただきありがとうございました。


このあと番外編が続きますので、よろしければお立ち寄りください。

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