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陰間由夢乃丞と八丁堀  作者: 紫紺
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参 その2


 録治の部屋で綺麗に洗われたガラス鉢を見た時、俺は何か引っかかった。だが、着飾ったユメが現れたことで霧散してしまった。

 事件も解決して、ユメが八丁堀にやってきた。もうすっかり忘れていたんだ。


『例の陰間殺し……菱元屋の連れ子か。あれ、島流しになったそうだぞ』

『え……本当でございますか? 何故……島流しなんて減刑……』

『さあなあ。私もご沙汰についてはよくわからないが、江戸には戻ってこれないだろう。ま、これで全てケリが付いた。ご苦労だったな』


 御立与力殿から聞かされた結末に、俺は納得いかなかった。


 ――――誰かが罪を軽くしようと画策したのか? まさか……。


 そこで思い出したが、あの金魚鉢。俺は俺なりの推理を、冴えてもいない頭で考えた。

 まず、太一郎は録治に信用されていたと言ったが、それは本当だろうか。録治は桜花の身請けが決まって、もちろん喜んだだろう。だけど、それ以上に身請け先のことを案じていたんじゃないのか。


 菱元屋にいる後家や連れ子を録治は知っていただろうし、桜花に辛く当たらないか気になったんじゃないかな。

 だからこそ自分から太一郎に近づき、そこで野郎が惣兵衛たちを憎んでいることに気づいた。元陰間なら、人の気持ちの表裏なんか手に取るようにわかったはずだ。


 端から信用してない義弟にもらった薬だ。録治が薬の安全を調べるために金魚の泳いでいる鉢に入れても不思議じゃない。問題はその後だ。

 死んじまった金魚を見れば、太一郎に怒って突っ返すか、市村の店主に言って奉行所に訴えるのが筋だろう。

 だが、録治は誰にも言わず、こっそり金魚を処分した。つまり、最初から録治は薬を毒だと知っていて、桜花に飲ませたことになる。


 なぜか。それは、桜花を渡したくなかったからだ。もちろん一人で死なすつもりはなかった。自らも毒を飲み、無理心中は完結された。




 俺にも考えられたことだ。ユメもどこかでそのことに気づいて、御館様にご注進したのだ。太一郎が罪人であることは間違いないが、殺しは防げるものだったと。

 だからって死罪を免れていいのかどうか、俺には判断付きかねるところだが。


 俺はでも、ここで考えるのを止めた。ユメが言わないなら、問いただすつもりもなかった。何より、真相は誰にも証明できないことだ。

 わかっているのは、あの義弟が三人を殺すつもりで毒を渡したことだけだ。市村勘左衛門から話を聞いた後もそれは同じ。金魚は偶然寿命を迎えた。それだって十分ありえる。

 なのに今、ユメは何を思ってか自ら吐露している。俺は聞いてやるしかない。


「俺は忠親様に会うまでは、人を好きになるってことがよくわかってなかった。だから、録治の気持ちも、桜花の気持ちもわからなかったんだ」

「桜花の気持ち? 惣兵衛を好いていたんだろう?」


 ユメはゆっくりと首を振る。今度は横にだ。


「そう思ってた。でも、いろんなことを思い出すと、本当は違ったんじゃないかと思えてきて」

「どういうことだよ」

「桜花が本当に好きだったのは、録治だったんじゃないかって」

「なんだと……二人は相思相愛だったっていうのか?」

「もちろんそれを確かめ合うことはしなかったと思う。それはあの界隈では大罪にあたるんだ」

「だが、桜花は惣兵衛のところに行くのを喜んでいたんだろう?」


 おまえがそう言ったんだ。指折り数えていたって。ユメは詰め寄る俺を見ることなく、話しつづけた。


「そうだと思ってた。あの頃は間違いなく。俺は嘘を言ったつもりはないよ。

 でも……別の考えも浮かんできたんだ。桜花は桜花で、自分が大店に身請けできれば、録治の地位は上がって金ももらえる。もしかしたら、自分があの世界から録治を救えるかもしれない。そう考えたんじゃないかって」


 陰間の修行で一番辛いのは、夜のお相手をできるようにすること。まだ客を取る前、そのいろはを教えるのは元陰間である金剛の役目だ。

 すなわち陰間にとって、最初の男は金剛ということになる。桜花の最初の男である録治。ユメが言う通り、特別な存在になっても不思議はない。


 ユメを預かることになって俺も少しは学んだ。ただ勘左衛門によると、ユメはそれも特別だった。御館様は自分以外がユメに触れることを許さなかった。


「だけど、客を取るようになったら大事な商品だ。二度と触ることすらなかったはず。そんなことがバレでもしたら、両方が悲惨なめに合うからね」


 心に伏した思い。それを抱えたまま、桜花は身請けを受けようとしていた。憎からずは思っていただろう。惣兵衛のもとへ。


「本当のところは、何もわからないんだよ。それこそ市村に居るころは、そんなはずないと思ってたんだ。身請けすると決めてたのに直前に尻込みなんかしない。考え過ぎだって。

 桜花の持ち物を調べてみたけど、はっきりと指し示すものは何もなかったしね。ただの想像でしかないと考えてた。でもね……忠親様のところに来て、俺はまた迷い出した」


 そこで一息つくと、ユメは俺の顔を見上げた。黒目がちな宝玉のような瞳を潤ませ、俺を見つめている。


「人を好きになって、俺は初めて知った。その人と離れ離れになることの切なさ、身を斬られるような辛さ。俺、忠親様が与謝野と戦ってる時のこと……今思い出しても震えてくる……」

「ユメ……おまえ……」

「それで……別の筋書きが頭をもたげてきた。桜花も録治も、このまま自分の気持ちに嘘をついて、別れてしまうのが耐えられなかったんじゃないかって。録治は騙されたんじゃない。わかってて、桜花に薬を渡した。そして、桜花も、知っていて飲んだ」


 桜花は苦しまず、眠るように命を落とした。だが、録治は違った。苦しみ暴れ、死に至る。それはあいつが自分に課した罰だったのか。


「本当に桜花は知っていたのかな」

「言わなくても、気付いたと思うよ……桜花なら。惣兵衛が誤って飲まないように自分だけ服用したとすれば、あの朝の様子も頷ける。

 だけど、今でもこれは俺の想像だ。妄想って言っていいかもしれない。心のどこかで、桜花はあんな卑劣な奴に殺されたんじゃなくて、録治と心を決めて自ら死を選んだ。そう思いたいのかも」


 惣兵衛が『市村』に来たあの最後の日。桜花はユメの部屋を訪ねたという。まだ身請けの日まで数日あるというのに、まるでもう明日にも会えなくなるかのようだった。


「あの時は、身請けの日が決まって緊張してるだけだと思ったんだよ……」


 力なくそう付け加えた。





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