5粒目:あげないわよ! 絶対にあげないんだからね!
なんだか逆らえない剣幕。
正座して姿勢を正す。
「まず、この炊飯器は圧力IH。圧力IHって何の略かわかる?」
「圧力インターハイ。だから高級品なのかなって」
インターハイは高校スポーツの頂点。
そこからの連想だと悪くない推測だと思う。
しかしカコさんは、さらなる大きな溜息をついた。
「はあぁ……よくそれでこの炊飯器を買おうって気になったわね」
「違うんですか?」
「IHはインダクションヒーティングの略。日本語で言うと電磁誘導加熱のことよ」
顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
「そんなの知らなくても世の中渡っていけます!」
カコさんがふっと冷笑を浮かべた。
「世渡りはできるかもしれないけど、美味しい御飯にはありつけないわね」
この挑発じみた態度はなんなんだ。
そりゃ高い方が美味しいくらいのイメージは湧くけどさ。
「御飯なんてどの炊飯器で炊いたって、そんなに味が変わるものじゃないでしょう」
ダンッ、と激しい炸裂音。
カコさんが両手を座卓に叩きつけた。
「炊飯器の開発者達に謝りなさい!」
なんだなんだ。
ボク、そんなに怒らせるようなこと言った?
カコさんは胸に手を当てて目を瞑り、深呼吸を繰り返す。
そしてゆっくりと穏やかな口調で問いかけてきた。
「まず、マイコン式とIH式の違いはわかる?」
「まったくわかりません」
「簡単に言うとマイコン式はヒーターで釜底を温めて御飯を炊く方式。IH式は釜全体に熱を通して御飯を炊く方式。IH式の方が大火力で御飯を炊けるから美味しいってわけ」
「それで圧力IH式は?」
「釜内に圧力を掛ける方式でIH式よりも更に高温調理が可能なの。それによってお米の芯まで糊化が促進されて、もちもちした食感の御飯が炊けるってわけ。あと炊きあがりに要する時間も短くできる。しかも普通米でもそれなりに美味しく炊ける」
「はあ……」
カコさんはどこかの家電メーカーの回し者だろうか。
もしくは家電ショップの販売員か。
そうとしか思えないほど、つらつら説明を続けていく。
「でも圧力IHは水加減がシビア。パッキンなどメンテナンスの手間も必要。部品点数が多いから手入れも面倒。だからIHと圧力IHのどちらを選ぶかは、買う人の性格が重要になるの」
味と手入れの差を考えてってことか。
……でも、あれ?
「マイコン式はダメなんですか?」
「一合くらいしか炊かず、毎回食べきるならそれもありなんだけど……そう言えば、さっき『そこまで味が違うものじゃない』って言ったよね」
「はい」
「実際にどんなものか食べ比べてもらおうじゃない」
カコさんがキッチンへ。
戻ってきて、座卓に箸と御飯のつがれた茶碗……だけ?
「どうぞ。これがマイコン式の御飯」
「『どうぞ』って……御飯だけで食べろというんですか!」
「そうじゃないと違いがわからないでしょ?」
やけに余裕ぶった笑み。
なんなんだ?
とにかく食べてみよう。
御飯を箸にとって口に入れる。
もぐもぐ……うっ!
「不味い……」
しかも鼻の奥をくすぐる変な匂いまでする……。
「炊きたてならまだマシなんだけどね。保温しちゃうとはっきり差が出るの」
「こんな御飯食べたくない……」
「これが薫クンの選ぼうとしていた炊飯器よ。わたしの奪った炊飯器の後にね。覚悟して選ぶならいいんだけどさ」
あの生協で肩を掴んだの不機嫌そうな顔って。
「つまり、カコさんは止めるために家まで呼んでくれた?」
「それだけじゃないけどさ」
「えっ?」
カコさんが首を振る。
「ううん。そういうこと」
「はあ……」
よくわからないので生返事。
お詫びを兼ねてって意味だろうか。
しかしカコさんはボクの返事を無視するかのように、プチプチにくるまれたダンボール箱を抱きしめるや頬ずりし始めた。
「だらしないマイコン式に比べて、本日買った炊飯器は炊飯器オブ炊飯器。釜は南部鉄器でカマドの炊きあがりを追求したものだし、炊き加減も七通りに調整できるし、業界ナンバーワンの早さで炊きあげてくれるし。ああ、もう想像しただけで……」
その顔は思い切り緩み、よだれまでも垂らしている。
もう美人が台無し。
お嬢様ゆえなんだろうけど、ボクの持っているお嬢様のイメージがどんどん崩れていく。
でも、この様子を見てると、ボクまで興味が湧いてくる。
「そこまで美味しいのなら、是非食べさせていただきたいんですけど」
「言われなくてもこれから炊くよ。ちょっと待ってて」
そのつもりだったのか。
まさか家に呼んだのは、お詫びでも炊飯器チョイスを止めたのでもなく、単に自慢したかったとかじゃないでしょうね?
カコさんが紐、そしてプチプチにハサミを入れて梱包を解く。
箱を開けて中から炊飯器を取り出すと、うやうやしげに座卓へ置いた。
「ああ、なんて神々しいフォルム。これがようやくあたしの物になったのね」
カコさんは再びにへら~とだらしない笑みを浮かべる。
もう台無しどころか、正直言って病んでる人に見える。
何がこの人をここまで炊飯器に駆り立てるのだろう。
「満足するのはボクが帰ってからにしてほしいんですけど」
「あげないわよ! 絶対にあげないんだからね!」
カコさんは優しくいたわる様に炊飯器を抱きしめてキッチンに向かう。
まあ、こんな人に買われたなら、この炊飯器も本望だろう。
さようなら、一瞬だけボクのモノになりかけた炊飯器。
「キッチンに来なさい。美味しい御飯の炊き方教えてあげるから」
そしてボクは一体何をやってるのだろう。




