道程こそが行く末の鍵 / possession of allegiance その3
「おーい、レシュア、メイル。探したぞ。夕食にも来ないでどこ行ってたんだ」
風呂に入っていた俺達は自宅に帰る途中でキャジュに声をかけられた。例の一件のおかげで団体行動を制限されてしまったので、それならばと二人だけの世界を満喫していたのだった。
「飯はこれから行こうと思っているけど、なにかあったのか?」
「ああ、二人に急いで知らせたいことがあるんだ。そうだな、できることなら家の中で話をしたいのだが、二人の時間を横取りするのもなんだか悪い気がする。食堂に行くならそこで話そう。ついていっても構わないか?」
キャジュはどこか落ち着かない様子だった。俺達はそんな彼女の不安げな表情に言いようのない危機感を覚えて、夕飯を後回しにすることにした。
食堂に着くと、夜の八時を過ぎた堂内は閑散としていた。
適当な場所を決めて俺達とキャジュは向かい合って座る。いつも見せてくれている特徴的なおっとり顔は、目の前の女性からは消えてなくなっていた。
「いきなり押しかけてきてすまなかったな。どうしてもお前達に伝えておきたかったんだ」
「良い知らせではないみたいだな。もしかしてタデマルのことか?」
「ああ、あれか。全く関係ないことでもないのだが、とりあえず今から言うことを落ち着いて聞いてくれ。……昨日の防衛の後に回収した男がいただろう。名前は、そうだ、ライジュウだったな。で、そいつのことなんだが、妙なんだ。どうもやつは人間ではなさそうなんだ」
「人間じゃない? 中に違うものが入っていたのか?」
「まだ分からない。現時点ではっきりしているのは、ただの人間ではない可能性が非常に高いということだけだ」
マーマロッテのほうを見ると、こちらに向けて首を横に振ってきた。
「根拠はあるのか?」
「ああ。スクネがやつの顔を見て急に泣き出してしまったんだ」
「かなりの強面だったとか、そういうことじゃないんだよな。……『お前』は、回収の時に顔を見たんだろ? どんな感じだったんだ?」
人前でマーマロッテと呼べないことは、自分の未熟さを露呈しているみたいでなんだか嫌な気分だった。彼女とよく話し合ってそうすることに決めたのだが、意識されていると感じた時の彼女の顔は、決まってよそよそしいものになった。
「……ええと、普通、だったかな。怖くは、なかったと思うよ」
「私も一度だけ顔を合わせたがそうは見えなかった。けれどな、問題はこの先なんだ。よく聞いてくれ。スクネはな、やつの顔を見て『わるものがきた』って叫んだんだよ。なにか心当たりはないか?」
スクネが急に泣き出す。わるものがきた。
考えられることは、一つしかなかった。
「……地下都市アレフでスクネと初めて出会った時にその言葉を聞いたよ。都市の住民を殺したやつのことをそう呼んでいた。俺はてっきり機械兵がやったのかと思っていたが、もしそのライジュウとかいうやつがアレフを壊滅させたのだとしたら、……これは緊急事態だぞ!」
「……おいメイル、声が大きいぞ! もしやつがこの会話を聞いていたらどうするんだ!」
俺とマーマロッテは咄嗟に周囲を見渡した。怪しい男はいないようだった。
「でも、スクネちゃんが勘違いしてる可能性もあるんだよね?」
「やっぱりレシュアもそう思うか。そうなんだ。一応レインとライダーにも報告はしてある。ただな、タデマルがまるで言うことを聞いてくれない。ライジュウの拘束を断固として反対しているんだ。罪のない住民を閉じ込めるのは倫理に反する行為なのだそうだ。まずはお前自身の倫理を見直せと言ってやったら、癇癪を起こされてしまったよ」
隣から子供のような笑い声が小さく漏れた。
俺はそんなマーマロッテの愛くるしい様子をしばらく堪能していたかったが、質問を続けることにした。
「要するに、今は野放し状態というわけなんだな?」
「そのとおりだ。まあ、お前達に身の危険が及ぶことはないだろうが、住民にとって危機的状態であることは確かだ」
「やつは、カウザと関係があるのだろうか?」
「それなんだがな、ライジュウは私を見て変なことを喋ったんだ。その言葉の意味からして、たぶんやつは私を追いかけてここに来たのではないかと思っている」
「……なにを、喋ったんだ?」
「……たった一言『みいつけた』と呟いたんだ。なんだか気味が悪くてな、その時はレイン達も近くにいたから平気だったが、今になって思うとぞっとする出来事だった」
マーマロッテが俺の右腕にしがみついて恐怖を訴えてきた。
俺もなにかにすがりたい気分だった。
「人間じゃないと思った理由はなんなんだ? キャジュとは違うのか?」
「ああ。コルネリヤ型でないことは断言してもいい。となると考えられるのは人間を再構成したか、人間の形を一から作り出したかのどちらかになるだろう。だがあれをカウザの機械と呼ぶにはいささか自信がない。見たことのない型式だからな」
「確証が持てない以上やつを機械と断言できないし、かといって人間とも断言できない。破壊することと殺すことでは全く意味が変わってしまうからな。なにも起こっていない今は下手に動けないというわけか」
「とりあえず、今晩もタデマルを家に泊めて説得しようと思っている。丁度一人で心細かったからな。嫌がっても入れてやるつもりだ」
「そういえば、昨日はどうだったんだ? タデマルと一緒だったんだろ。こいつに聞いてもなにも教えてくれないんだよ」
「メイルが心配に思うようなことは起こらなかったから安心していいぞ。なんでもあいつは私みたいに乱暴な言葉を喋る女とは寝たくないのだそうだ。単純で可愛いやつだったさ。夜は相当ふてくされていたぞ」
それからもう一度話を整理して、俺達はライジュウを監視する人間が一人いたほうがよいのではないかという結論に達した。そこで監視役を誰に務めてもらうかについて彼女達は頭を悩ませていたが、俺にはある人物が頭に浮かんでいた。
三人でその人物の家を尋ねると、老人は目を輝かせてその依頼を受けてくれた。
「しかるにメイルよ、おぬしのお嫁さんはどちらのご令嬢だったかのう?」
マーマロッテをゲンマル爺さんに紹介すると、顔いっぱいに皺を作って彼女の手を握った。ありがとうと繰り返し感謝する老人の姿は、俺を育て上げた親としての幸せで満ち溢れていた。
込み上げてくるなにかがあった。人として生きることの意味を、この小さな老人が語りかけてきているようにも感じた。うまく表現できないが、そこに俺達の理想の未来があるように思われた。
「じゃあ、爺さん。明日からよろしく頼むな。キャジュに近づいてくるようだったら、手を出さずに彼女をレインのところに連れて行ってやってくれ」
「ふむ、任されたぞい!」
キャジュを自宅の倉庫まで送るとタデマルが外で待っていたので、俺達はそこで別れて夕食を摂り、家に帰った。夜の九時が過ぎていた。
さて、いざ二人きりになってみると、どういうわけかマーマロッテは珍しく大人しかった。いつもだと玄関を抜ければすぐに抱きつかれてあれがはじまるのだが、今日はそれが来る気配もない。
俺から来て欲しいのだろうか。逡巡していると、彼女は寂しそうに目を細めた。
「キャジュのことを考えていたら、なんだか悪い気がしちゃったんだ」
「お前らしいな。でもそれでいいと思うよ。俺達にとって大切なのは、身体の関係だけじゃないからな」
「だけじゃない、てところが、なんかいいね」
「……なあ、マーマロッテ」
「なに?」
「い、いや、なんでもない」
「どうしたの? すごく、気になるんだけど?」
「あの、なんていうかな、お前が側にいてくれて、かなり助かるというか、その、これからも、よろしくな」
「どうしたの? 急にあらたまっちゃって。変なメイル」
「……ちゃんと、守ってやるからな。悲しませたりは、しないからな」
「……うん。私、あなたがいないと、本当に壊れちゃうんだからね。ずっと側にいてくれなきゃ、死んじゃうんだからね……」
寝台に座る彼女の肩をそっと抱いた。俺の肩に寄り添った彼女の髪からは洗いたての匂いがした。衝動的に顔をうずめて柔らかな感触を楽しんでいると、くすぐったいと言われたので、大袈裟に顔を揺らしてもっとくすぐったくさせてやった。
半分嫌がっているような笑顔を見せてきた隙を突いて、俺はあの八重歯を全快で見せてやった。沈みかけていた彼女の表情からいつもの笑顔が戻った。
「あのな、実は一つ困ったことがあるんだ」
「どうしたの?」
「俺さ、あいつに言っちゃったんだ。今日お前とやるって」
「え?」
「ごめん。余計なことをしてしまった。お前にも恥をかかせてしまってすまないと思っている」
しばらく無言で俺の目を見つめていた。事情を話さない理由を考えているのだろうか。それとも、目の前にいる無神経に呆れてしまったのだろうか。
答えは、言葉ではなく行動で返ってきた。
強く抱きしめてきた彼女の胸は、その感情に合わせて小刻みに震えていた。
「……もう、無理しちゃ、駄目だよ」
「ごめん。本当に、ごめんな」
「私のことなら、大丈夫。全然気にしてないから」
「本当か?」
「なんだったら、明日みんなに喋って回ろっか。私達はしましたよー、て」
「どうしてそうなるんだよ」
「……だって、嬉しいじゃん。嬉しいことをみんなに話すのって、おかしい?」
「おかしくないけど、つうか、おかしいだろ。聞く側にしてみたら今後の対応にも困るだろうし」
「へへへ。やっぱしそうなるか」
「なるなる。絶対になる」
「……でも、ありがとうね。私のために言ってくれたんでしょ?」
「……まあ、そういうことに、なるのかな」
「私のほうこそごめんね。あんなに駄々こねてたのに」
「どうする? あいつに聞かれたら嘘をつくか?」
「ううん。その時は、正直に話す」
「また言い寄られるかもしれないぞ」
「……平気だよ。だって、あなたが側に、いてくれるんだもん」
彼女の固い意思は包み込んだ俺の胸の中で揺らぐことはなく、その日の夜もいつものように過ぎていった。繊細でありつつも逞しい彼女を傍らで感じながら、俺は眠れる夜に今日も感謝した。
目を閉じる前にやつの言葉が蘇ってきた。すやすやと寝息を立てる彼女を眺めていると、タデマルの言い分もあながち偽りではなさそうだと思った。
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