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風の還る場所  作者: 爽風
2/2

1.母の死

「10時56分ご臨終です。」


カチ


池田先生の無機質な声と、生命維持装置のスイッチの切られる音が灰色の病室に響く。

こんなスイッチひとつで、簡単に終わらされてしまったママの命。

否、もう自力で呼吸すらできなかったママは、生かされていたに過ぎない。

空気や薬や栄養を流し込まれ、

機械で生かされていたのだ。


だから、よかったのかもしれない。

これで。

もうこれ以上苦しい思いをしなくて済むのだから。


あたしはママのベッドに一歩近づいた。

酸素マスクを外されたママの顔は頬がこけ、

張りのなくなった肌は紙みたいに白くて、

あたしの全然知らない人みたいだった。


子宮がんと診断されて4年。

それが長かったのか、短かったのかわからない。

ただ命が徐々に削られていく様は果てしなく残酷だった。

抗がん剤で病気の進行を抑えることしかできないと、

診断された時の絶望は

まるで死刑宣告にも等しい。

やがて抗がん剤がモルヒネに変わり、夢と現実のあいだを彷徨い、

うわごとを繰り返す日々。


それが、終わったのだ。


これで。


全部。



悲しいのかどうかよくわからなかった。

ただ、終わったという静かな安堵感しかなかった。


「ママ、お疲れ様…」


掠れたあたしの声が病室の床に落ちた。



ママ、月瀬絵里、の葬儀はしめやかに行われた。

11月の冷たい雨が降る寒い日だった。


ママの葬儀に参列した人はほとんどいない。

ご近所の山村さんご夫妻と

ママの主治医だった池田先生。

そしてあたしの会社の社長と同僚が駆けつけてくれた。


25年前にイタリアで行きずりの恋をして

あたしを妊娠したママは実家から勘当されていたから、ママの身内は一人も参列しなかった。

ママの実家は田舎の旧家でどこの馬の骨ともしれない外国人の子供を妊娠したママを家の恥として許さなかったのだ。

あたしは24年間ママの身内にあったことはない。

父がいないこと、親戚がいないこと、そのことを寂しいと思ったことがないといったら嘘になるけれど、でもそれ以上にママはあたしに愛情を注いでくれた。

結婚もせず、ただ必死に育ててくれたママにさみしいなんて言えなかった。


父親がいないことに加えてハーフの彫りの深い顔立ちは恰好の噂話のネタだった。

「ガイジン」とからかわれる事も、父親がいないことに陰口を言われることにも、いい加減慣れてしまったけれど、それがどんどんあたしをかたくなにさせていると思う。

堀の深い顔が、日本人女子としては高めの背が、コンプレックスで嫌いだった。

派手な顔はともすれば軽いと思われがちで、男の子に告白されることも多かったけれど、

それ以上に女の子の蔑んだ視線のほうが多かった。

父親のいないハーフ、ふしだらの結果みたいに言われるのは慣れっこだったけれど、それが傷つかないわけじゃなくて、それが、どんどんあたしの人付き合いを下手にさせた。


そんなあたしも高校を卒業し、地元の小さな教育出版社に事務員として入社して今年で6年目。

優しい社長と先輩達のおかげで、ママの看病をしながらも仕事を辞めずにいられたことに本当に感謝している。

お葬式にも参列してくれた社長や先輩は「気を落とさずにね」と肩を叩いてくれた。

そんな時でも、あたしは「大丈夫です。」頭を下げるしかできなかった。



大好きだった白いユリの花に囲まれてママは逝った。

花に埋もれたママは久しぶりに化粧をしていて、小さい頃すり切れるまで読んでもらった絵本の「眠れる森の美女」みたいだと思った。


ママ、

今ママはお姫様みたいに綺麗よ。


ねえ、ママ、

あなたは幸せでしたか?


ママに心の中で問いかけるけれど、

答えは当然ながら帰ってこなかった。

柩の蓋が締められる瞬間、

ママは笑った気がした。



その日の午後、

ママは骨になって還ってきた。


そうして私は独りになった。

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