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町の中心より少し陸側の通りに、カルロが手配してくれた家はあった。玄関に薪を下ろして鍵を開くと、カルロが暗い屋内に遠慮なく踏み込んで南側の鎧戸を開いた。ベニヤミーノはトランクを運びこんで、あたりを見回す。こじんまりとしているが、明るい。隣室との仕切りになっている北側の壁に、脛から肩の高さぐらいまでつるりとした薄黄色の陶板が貼られて、小さなガラス窓から差し込む外の光を増幅していた。
薪を取りいれにカルロが玄関に戻ると、エルマが仕切りの壁の端に縦に3個並べて取り付けられた鋳物の蓋を不思議そうに眺めていた。
「それ、煙突掃除用だ、こっちへ来てみな」
北側の部屋の、玄関と反対の側に裏口があった。カルロはそこを開いて外の光と空気を入れると、戸口のきわに膝をついた。間仕切りの壁の、こちらは裏側ということで雑多な石張りになっているが、その下部に暖炉の焚口が設けられている。
「ここで火をつけると、両方の部屋が暖まる。さて、煙突が詰まってなければいいんだが」
エルマと、その後ろからベニヤミーノが覗き込むなか、カルロは焚口に細めの薪を積み上げて、燧を打った。
「よう、壁のどこかに空気穴があるはずだ、閉じてくれ」
火の点きが悪く、カルロは再度試みてから頼んだ。北の部屋の鎧戸を開いて明るくしてから壁を詳しく検分し、ベニヤミーノとエルマが一つづつ、空気穴を見つけた。両方を閉じると、やっと薪はけぶり始めた。
「火がついた。どちらかを開けるんだ」
カルロは焚口に外套の裾で風を送って消えないようにしながら求めた。
「どちらでもいいのか?」
とベニヤミーノが聞き返した。
「いや、家によって違うからな、試すしかない」
ベニヤミーノとエルマは目を見交わした。ベニヤミーノが、
「じゃあ、真ん中の」
と宣言し、自分の前の空気穴を開いてみた。
「変化なし。違う方を頼む」
カルロの声に、ベニヤミーノは穴を閉ざして、エルマにむかってうなずいた。エルマが背伸びして壁の端の空気穴を開けると、
「ああ、こっちだ、煙突は問題ないな」
とカルロの満足そうな声がした。焚口では、やっと赤い炎が上がって、パチパチとはぜる音がきこえはじめた。
「火を消した後も、その穴を閉じれば暖かいのが長く持つようになっている」
とカルロは膝のあたりで手をはたきながら、二人に教えた。
エルマはもちろん、ベニヤミーノも生活に必要な道具を携えては来なかった。とりあえずは買い出しということで、カルロとベニヤミーノは手押し車を押してでかけ、エルマは火の番と薪を受け取るために居残った。
この機会に、あちこち様子をみようと、彼女は北の部屋の隅にある急な階段を登った。しかし階段のてっぺんは天井板で蓋がされている。押すと重かったのでそこまでにして、降りてきたが、ふとみると一張羅が蜘蛛の巣と埃だらけだった。エルマは気兼ねなくスカートの裾を掴んで、バタバタと振り落とした。
暖炉に薪を追加して、今度は裏口の並びにある流しをしげしげと見る。この家でエルマが驚いたことは、井戸がなく、水道の蛇口から水がでることだった。小さな町だが、全ての家庭に十分なほどの地下水がなく、山の中から引くしかなかったのだ。カルロが話した、水を使うのにお金がいるという件も、井戸があった「お店」の生活では考えられないことだった。流しとその横の料理をする台の上にあたる壁は薄い棚になっていた。一番下の段に縁が真っ黒に錆びた小さな鏡がはめ込まれている。エルマが首をのばすと、青ざめた顔が映り、ぎくりとしたが、自分の影にすぎなかった。
部屋の角の料理用のかまどは、ありふれたつくりで、「お店」の厨房よりずっと小さい。前の住人の残した燃えかすが積み重なっている。掃除の道具はないかと、戸棚をあけてみると、朽ちかけたようなモップが出て来たが、これで掃除するとかえってごみが散らばりそうだった。
エルマが頭をひねっていると、
「こんにちは」
と女の声がした。玄関をおそるおそる開けると、大柄な中年の女が、
「薪持ってきたよ、あんた、引っ越してきた家の子?」
と尋ねた。エルマがうなずくと、女は振り返って牛車の荷台の男に手を振った。男は荷台に大量に積まれた薪の束を端へ移動させ、女の方が駆け寄って受け取り、地面に下ろす。エルマは手伝うべきなのかわかりかねて、躊躇ったが、女が下ろしやすいように、降ろされた薪の束を動かして場所をあけた。
「あら、ありがとね」
女はエルマを労ってくれた。
エルマには、ベニヤミーノから薪屋に渡すように預かった紙幣があった。エルマがポケットから出して渡すと、お釣りの硬貨を返された。エルマは困惑して女を見上げた。
「お釣りだよ、おっかさんに渡しな」
「いない、です」
女は怪訝そうにエルマをみた。
「だったら誰でも家の人にさ」
女は御者席によじ登って、牛に鞭を入れた。
「そいじゃあ、また」
片手をあげてみせると、薪店の牛車はゆっくりと去って行った。荷台の男が軽く頭を下げたので、エルマも薪の山のなかでお辞儀した。一度部屋に戻り、硬貨を流しの上の棚に一列に並べてエルマはほっと息をついた。
それから薪の束を一つずつ提げて、よたよたと家の裏に運び始めた。「お店」で下の男たちがやっていたように、裏口から壁に沿って並べていく。合間には暖炉に薪をくべる。そうしていくらも運び終えないうちに、
「おお、大層な薪だ」
とベニヤミーノの声がした。買い物から戻ったのだ。
「これくらい一月で焚いてしまうぜ」
とカルロはたしなめる。ベニヤミーノは
「なかなか生きていくってのは厳しいね」
と笑って、手押し車の荷物のてっぺんにあったランプとオイルを家に運びこんだ。カルロは頭を振って、丸めた毛布の束を抱えあげる。山のような買い物というのは、干した草を詰めた布団がほとんどを占めていた。
ベニヤミーノが、ランプオイルを北側の部屋の戸棚に片付けていたところに、エルマが
「旦那様」
と呼びかけた。
「薪を持ってきた人が、お金を家の人に渡しなと言いましたです」
棚に並べておいた硬貨を、エルマはベニヤミーノに渡した。
「ああ、ありがとう」
彼が財布に硬貨を入れる間エルマは身を固くして様子を伺っていたが、
「お前」
と、呼びかけられてひるんだ様子を見せた。ベニヤミーノの言葉は、
「腹は減らないかい?朝もそんなに食べていなかったろ」
と続き、エルマは身体の力を抜いた。




