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女中はエプロンを外したお仕着せに、自前の帽子とケープという、使用人の外出でよくある身なりだ。《お店》と隣の似たような規模の商店の間の細い路地を早足に抜け、広い通りを歩いてゆく。エルマは包を胸にかかえて小走りに後を追った。土を付き固めた道は、両端を人が歩き、真ん中を荷牛車が重たげに進む。《お店》から出る機会がほとんどなかったエルマには物珍しく、あたりの光景に視線を奪われては、慌てて前をゆく女中の背中に向き直るのを繰り返した。
やがて交差点で曲がると、広い通りに入った。今度はエルマは石畳を歩きながら、次々と来る馬車に見とれることになった。馬車に乗れる身分は限られているので、どれも小綺麗なものばかりだ。蹄鉄の規則的な音、御者の掛け声と小気味よく鞭を鳴らす音がする。通りを進んだ先に、最近作られた、芝生の円形広場が現れた。広場の中心は石像と植え込み、といっても、木は枝にまだ固い芽が見え始めたばかりの裸木で、彩りに欠ける。広場を囲んで通りは湾曲し、中が見えるガラス窓を誇らしく取り付けた新しい店ばかり並んでいる。
エルマの前をゆく女中は、ケープの前合わせを手で抑え、首を伸ばしてそんな店の窓を羨ましそうに覗き込んだ。本当に買い物できる裕福な人々は店にすぐ沿うように歩いているのに対して、使用人など貧しい人は遠巻きにしか見られない。ましてエルマの背丈では、精々店内に昼間でも明かりが輝いていることくらいしか見てとれなかった。それでもその豪華さにエルマも目をひかれ、女中と同じように背伸びしてお店をながめた。
そのとき一台の馬車が急に店の方へ進路を寄せた。エルマはあやうく踏みとどまって接触を避けたが、馬車の後部に取り付けた台の上から、従僕が拳を振って叱責してみせる。エルマは身を縮めた。
その馬車はとある店のまえに停止した。店の中から、光沢のあるドレスの婦人が現れ、女中に手をとらせて乗り込んだ。店の者が片膝をついて見送る。エルマの横で、女中が感心したような声をあげた。
「見た?今のお方、すごいドレス、あれ金襴だよ」
エルマはうなずいたが、無論、女中は答えを求めているわけではなく、彼女に目もくれずに歩きだす。
わざわざ広場をぐるりと一周して目を楽しませた女中は少し戻って、広場に繋がった一本の道へ進んた。こちらが本来めざしていた方向だ。さきほどの広い道と異なり、車同士がすれ違うときには十分速度を落とさなくてはならない幅だ。下がれとか通せとか、あちこちで怒鳴り合うような男女の声が飛び交って、なかなか進めない。女中はじれて、エルマの腕を掴むと、狭い路地に入り込んた。
車が入れない路地はぬかるんでいて、ごみが積み重ねられていたり、急に木戸で行き止まりになったりする。そうでなくとも、女中があたりの様子を伺って、進みかけた道を戻ることも何度かあった。エルマには、どこへ向かっているのかまったくわからなくなった。
歩くにつれ、次第に高い建物がなくなり、レンガの塀のむこうから庭木の枝葉がのぞく静かな小路にはいった。つきあたりには寺院の裏門があった。襤褸を重ね着した老婆が、ブツブツつぶやきながら足を引きずり身体をゆらして出てくる。女中は気にも止めずに老婆とすれちがったが、エルマはこっそりと振り返ってみた。
寺院の建物に沿って歩いて表門を出ると、風にのって火を焚く匂いがした。食べ物の気配にエルマのお腹が空腹を訴える。女中がちらりとエルマをみた。普段のエルマなら、干し物の後、昼食の片付けをして、残り物を腹におさめていたはずだが、今日は食べる暇もなく連れて来られたので、空腹だったのだ。
寺院の前の蝋燭や花輪を商う店のうちで、店頭に炉を据えて、片腕のない男が粉と水を練っただけの菓子を焼いていた。女中は小銭で菓子を買って、まだ温かいのを
「ほら」
とエルマにあたえた。
「ありがと」
お礼もそこそこに、エルマは菓子に噛りついた。女中は男と天候の話などしながら、自分も菓子を口に運び、手の汚れを軽く払ってすたすたと歩きだす。エルマが追いつくと、その顔をのぞき込んで、
「そういや、あんた、旦那様の子?支配人の子?」
と問いかけた。
「違います、どちらも」
エルマは、こう聞かれたらちゃんと否定するように、何度も女中頭に言い含められていた。
「お菓子買ってやったろう、本当のこと言いな」
「本当に違いますです」
「じゃあさ、おっかさんはどしたの?」
痩せた髭の男が、幼い子にすがりつくように胸に抱きしめながら、寺院へ向かって行くのとすれ違った。エルマは口を開いた。
「あたしを《お店》に置いて、どこへ行ったか知んないです」
「やっぱりそうだ」
女中は心得顔をした。
「奥様のが、生まれた家だけに強いもんで、旦那様が他所でこさえた子を追出すんだ」
「父ちゃんは病気で死んだです」
「へーえ」
エルマの主張は聞き流された。




