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 カルロの家から、町までは森の中を30分近く歩かなくてはならない。馬車や牛車が時折通るので道幅はそれなりだが、足もとがぬかるんでいる。ベニヤミーノはカルロの妹のヴァレリアについて歩きながら、他愛ない話を続けていた。


「カルロが、自分でお粥を作るのかい?」


「それくらいはするわよ、パン焼くよりは全然簡単だもん。燕麦か蕎麦をやらかくなるまで煮るだけでしょ、味つけも塩入れれば十分だし」


「それはあれだろう?白いというより茶色い、粒ツブの粥だね」


「うん、そうね。東の国にもある?」


「燕麦の粥は食べるよ。でも蕎麦は、馴染みがない。ねえ君、粥を作る蕎麦とお茶にする蕎麦は違うのかい?」


「え?お茶のほうは煎ってあるのよ、それでお粥なんて無理でしょ」


「そうなのかい?ともかく、私は知らなかった。教えてもらえて助かったよ」


「もしかして、お粥つくったこと、ない?」


「ご明察」


ベニヤミーノの言葉に、ヴァレリアは戸惑った。


「なんて?」


「そのとおり、ということだよ。幸い、ラメッラが町なかに家を借りてくれたからね、私のほうはパンに不自由することはないさ」


「ジャンナの隣の家よね」


「ああ、君たちの親戚なんだってね」


「前に住んでた人が《参事会》に行っちゃったから、空家になったの。ジャンナは薬師だから、怪我したら隣に駆け込めばいいわよ」


「それは安心だ」


「あ、ここ分かれ道があるでしょ、この先に友達が住んでる」


 ヴァレリアの言葉は、彼女の思考と共に素早く飛び出してくる。そこには気取りもてらいもなく、ベニヤミーノは自分も兄妹の一員とみなされているように感じた。


 町の通りで、ベニヤミーノは


「さて、私は蕎麦茶を買おう」


と言った。


「もう道はわかるよね?あたしは買い物ないから、このまま帰るね」


ヴァレリアはそう告げて、ベニヤミーノに手を振った。


「道案内ありがとう」


「しゃべりながら歩くと楽だからね、気にしないで。じゃあまた、明日。さよなら」


ヴァレリアは軽く言って、帰って行った。


 森の中を歩いていた間に、夕暮れが近づいていた。ベニヤミーノも、夕日に急かされるように、食料品店で蕎麦茶を買った。それから、雑貨店ではなく、港の際まで足を伸ばして、船具の店を覗いた。日暮れで、店は閉まる直前だったが、店員の男は

「気にしなくていい、引っ越ししたてじやあ、不自由だろう」

と言ってくれた。

「引っ越ししたてと、見てわかりますか」

ベニヤミーノが、我が身を見回して尋ねると男は笑った。

「地の人間は顔見知りでなけりや、親戚だからさ」

彼は細いロープを重さで量ってから、それに合う滑車を見繕ってくれた。こういうロープはこのあたりで作るられるのかとベニヤミーノが尋ねると、南の地方から来るのだという答えだった。

「ラメッラじゃ、ロープを作る気かね」

店員は冗談を言い、ベニヤミーノは頭を振って答えた。

「材料の産地相手じや勝負になるまいよ」

「まあ、何でもいいさ、しっかりやってくれ。新しい商売は回り回ってうちの儲けにつながるんだ、あてにしてるぜ」

彼は笑ってベニヤミーノの肩をパンとはたいた。


 店を出ると、もう日が落ちていた。夜になると、一層風が強くに感じる。町の家の多くは鎧戸を閉じていたし、そうでなくても木に囲まれているのでて、灯りが戸外に漏れ出ることもなく、寂しい景色だった。ベニヤミーノはロープの束を腕に通して、手を外套のポケットに入れ、足もとに気をつけて家に戻った。ちょうど昼間エルマがしたように、肘でハンドルを下げて家に入る。玄関にはオイルランプが置かれ、油煙の匂いに混じって、魚の焼かれる匂いがした。


「ああ、寒かった」


と思わずベニヤミーノは口に出した。暖炉のほんのりとした温もりをありがたく感じながら、北の部屋に入る。エルマが竈からぱっと振り返った。


「あ、旦那様」


ベニヤミーノはロープの束を貯蔵室の前の床に適当におき、竈に歩み寄って手を暖めた。エルマが後ずさって場所を譲る。


「魚だね」


鍋の中を見てベニヤミーノは何気なく言った。エルマはそれをきっかけにエプロンの端を掴んで話し始めた。


「旦那様、あの、買い物に、お金を持って行きましたが、魚を売る人がお金をくれなかったです、それでお金がない、です」


ベニヤミーノは彼女の言葉の意味を考えるのに、瞬きするほどの時間を要した。


「それはきっと、お釣りのことだな、魚売りがお釣りをくれなかったのかい?」


「はい…」


ベニヤミーノは鍋の魚を見た。昨日買った魚の値段を思い出して頭の中で比べてみる。


「これだけ買ってお釣りをくれないのはおかしいようだな」


ここでは他所者はすぐにわかるらしい。その上、小娘だからと、暴利をむさぼられたのかもしれない。ベニヤミーノは懸念を覚えた。しかし、他の要因も考えられる。

「よっぽどいい魚なのかもしれない。1匹いくらだった?」


エルマは首をふった。


「わかりません」


「120銭貨だったろう。二匹買ってお釣りが貰えなかったということは、1匹60」


そう説明しかけて、ベニヤミーノはエルマの困惑した表情から、彼女にはおそらく割り算ができないのだと思い至った。ところが、エルマは、


「二匹ではない、です」


と言って竈の上に下げた魚を示した。5匹ばかりある。その上外にも同じくらい干したと言う。


「それだけ買ったならお釣りがなくても当然だろう」


ベニヤミーノは安心した。


「もう夕食に出来そうかい?」


と尋ねると、エルマはまだ深刻な表情のまま 


「はい」


とうなずく。


 そして、ベニヤミーノのトランクの上に並べられたのは、魚と葱のほかに、蕎麦粉と卵を混ぜて焼いた平たい粉焼だったが、ちぎれてばらばらになっていた。鍋に酷くこびりついて、剥がすのにエルマが苦心した結果である。


「パンがないですから、粉焼です。それが、破れた、です」


エルマは沈痛な面持ちで告げたが、ベニヤミーノは気にしなかった。


「食べれば同じだろう」


彼が平然と破れた粉焼と魚を食べ始めたので、エルマは安堵の息をついた。しかし、途中で彼が急にフォークを置いて立ち上がった。エルマは動きを止めた。しかし、彼はエルマを気にせず、壁に吊るした外套の所に行くと、ポケットを探ってお茶の包を取り出した。


「お茶を買ったのを忘れていた。食事の後で淹れてくれるかい」


ベニヤミーノは魚の皿の横にお茶を置いた。エルマは緊張を緩め、口の中の魚を飲み下して


「はい」


と答えた。

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