50話 幼女にTSしたけど、ニートだし……どうしよう 1.1-1.8/2
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その存在が確認されてからはずっと、外出時にはパーカーとズボンで姿を隠しつつ歩き回っていた「彼」。
つい1時間ほど前に隣の家の、飛川家の妻との立ち話をしていたときまではその格好だったが、それを経てからずっと家の中にいた「彼女」――もとい「彼」は、彼女たちが着飾りたいと思っていた通りの服装になっている。
「安全のために用意した車でそのまま帰宅する」という予定を変えたらしく……衝動的な予定の変更は彼らしくもないが、きっとそれはこの先のことを思っての感傷にでも浸っていたのだろうと推測できる……ともかくも彼の体格、少女とも呼べないほどに小さい彼の足では結構な運動量だったはずの数十分を経て戻ってきた彼は、先ほど会っていた少女からの贈りものであるマフラーを大切そうになびかせつつ別の贈りもの……紙袋の中の本だと報告を受けている、それを重そうに振りながら歩いて家へ戻った。
しかし「彼」は、家の中で休んでいただろう彼は――「彼女」としてドアを開け、出てきた。
このときばかりは、普段は顔色ひとつ変えることもなく……いや、保護している子供たちと戯れているときや「彼」の病室を訪れる前後には相当に破顔していたが……「彼女」としての姿をした彼を眺め、「孫にしたい理想の彼」と言う幼くも大切な存在を見てしまった壮年の男と女。
男は愛娘や孫を見るときよりも、他の誰を相手しているときよりもふやけた顔になり、女に至ってはその姿を目に入れてからはしばらく静かに震えていた。
薄い色のシャツの上にカーディガンを羽織り……羽織りものはともかくとしてシャツはどうみても女性もの、子供向けでありながらも清楚なもので、下にはいつもの細身のズボンではなくスカート。
2人して声を上げてしまうほど驚くくらいには、普段の彼からは想像できない格好をしていたから。
男と女が彼――響を監視し始めてから今まで1回たりともこのような出で立ちをしたことはなかっただけに、その破壊力はすさまじいものだった。
しかもあれだけ外では隠したがっていた髪の毛……その美しい、彼女らの故郷でもそんな色合いのものは見たことがないような髪を出して、特に結ったりすることもなくただストレートに下ろしているだけの、美しい髪を出している。
その髪と服とで、彼と彼女の感情は激しく動いた。
ついでに何人もの兵士たちが同時に彼を見たが、やはり誰しもが驚きに思わずという感じでスコープから目を離して顔を上げ、互いに信じられないという顔を確かめ合い、軽口を叩こうとして……理性を保っていた彼からの一喝で慌てて監視に戻った。
そして今、彼女の格好をした彼――響は「彼女たちの物にしたい響という少女」は、憎き組織の手下と対峙している。
が、憎いというのは彼女たちの感傷であって響にとってはそうではなく、むしろ仲の良い……信頼できる相手であるのは周知されているし、なによりもその表情を見たらはっきりとわかるもの。
それはこれまでの報告で何度となく来ていて……もっとも彼は相対している2人のうちの女性の方には少々以上の苦手意識を持っているようではあるのだが、それは「女性との縁が少なかった彼の男性としての人生」によるものだと解釈された。
だから突発的な事態が起きようとも、響と対峙している2人は負傷させずに捕獲するようにという指示まで出していた。
ともかく彼、響はそのうちの1人――名前は萩村茂紀、「ねこみみ病」対策本部などという実に馬鹿げた部署に、芸能事務所という隠れ蓑を背にした宿敵の犬どもに所属している彼に話しかけている。
聞くところによると、響は彼に、萩村という男に対しては、接触機会こそ少ないものの頻度としては友人に対する物と同等以上で笑顔を見せるという。
元の年齢も近く、なによりも元の性別が同じだからであろうとは既に出ている結論だが、それでも監視員にとっては警戒すべき相手として映っている。
もちろん響の精神的な健康のためには彼との交流を妨げてはならないのではあるが、それはともかくとして一応は女性の体を持つことになっている響に近づく成人男性だ、それに訓練も受けている人間でもあるし警戒は怠ることができないのだから。
そのうちに萩村を押しのけるようにして響に近づいたのは、もう1人の女性。
萩村とほぼ同じ役割を持つ、今井ちおりだ。
彼女の専門は何でも屋、そしてスカウト――「両方の」だが、彼女の方はたいした脅威とは映っていない。
所詮は新卒で仕事を得られず望んではいない形で入り、巻き込まれた形で萩村の手伝いもしているという彼女。
少女の枠を未だに出ていない小娘であり、なによりもごく一般的な女性としか形容のしようがない人間。
たとえ万が一があったとしても「響」にとっては、元男性の響にとっては悪いことではないだろうし、なによりもそれを望んでいる人員……派閥が存在する。
もっとも彼にとっては、先日に大胆にも告白という物を――そのあまりの幼さと稚拙さと甘酸っぱさに悶絶し、狂わんばかりにその音声を繰り返し再生していた者が複数いたらしいが――彼のためにした彼女らがふさわしいと思う者が大半とのアンケート結果だ。
少女たちからの告白を受けた響の、その見た目に反してあまりにも紳士的で理想的な返事だったことがトドメだったようだが。
ギャップというものは、かくも人の心を射止める。
それも男性から少女になった彼だからこその魅力。
ともかくも肉体年齢的には彼女たち……ややこしいため中学生たちと呼ぼう……の方が相応しい一方で、精神年齢的にはどう考えてもあの知性からして同年代の、社会経験を積んだそこらの同世代よりもひとつ以上に飛び抜けている響というアイドル。
今そこで響の美しくて貴重で宝物である髪を雑に触っているため一斉に殺意が注がれることとなっている今井や、あるいは広報としてのマスコットとして活躍させられている岩本ひかり、島子みさきなどの方が相応しいだろうか?
いずれにしても相手を選ぶのは響自身なのであるから、それを連日カップリングというものを議論している者たちには冷たい目が注がれているが、しかしながら響を監視している誰もが……なんとなくでも、相応しい相手を吟味しているのは確か。
これらの一般人の域を出ないただの小娘どもよりももっと相応しい……知性的にも容姿的にも、そして属する世界的にも……相手はごまんといるのだから、さっさとそちらと引き合わせたいというのが全員の一致を見ているのだが、今のところは彼自身の自由意志を尊重している――らしい。
なぜなら響もまた、彼らの一員――それも、仲間となったのなら間違いなく上に立つ存在なのだから。
響自身は知らないままに多くの人間が……すでに彼の未来というものを楽しみにしているというのはあまりにも情報が非対称だが、現時点では仕方のないこと。
……響の将来の相手はともかくとして話はまとまったらしく、動きが見えたため馬鹿げた話をしようとしていた監視員たちも一斉にその動向を注視する。
響は「ねこみみ病」などという無意味な――いや、これは彼自身が選んだことなのだから無意味とは失礼か……ならば彼の所属する正当な国家というものにその身を委ねることに、合意したらしい。
病院を辞してからは何週間もかけて熱心にゴミを出していた様子、それと今出てきた彼がリュックサックと紙袋ひとつだけ……直前で渡されたというマフラーも身につけているか、彼らしい……しか持たずに車に乗り込んだところを見ると、本気で身辺整理をし、覚悟をして家を出たのだろう。
――彼の両親が■■■■で亡くなってから心的外傷後ストレス障害、PTSDというものに精神と肉体を侵されて以降は長く独りでいたという過去を持つ彼が、意を決して変わったのだ。
それ自体は祝福せねばならない。
永く独りでいて……誰からの支援も得られずにいた彼が。
突然に両親の……あまりの姿を見せられたというPTSDを抱えている以上、誰か……医師、親戚、教師など、彼の身近にいた誰かが半ば強引にでもしなければならなかったはずの支援というものを一切に受けられていなかった彼が……今の姿になり、自力で悟り、そしてそれを振り切って未来を選んだのだから。
彼を一方的に知る全員が、彼の門出自体は祝福している。
彼の意志に対しては祝福、している。
しかし。
「……やれやれ。 やはりというか分かっていた結末ではあるのだが……それでも君はそちら側へと行ってしまったのだな」
「今さらかい? 随分前からこうなるとはわかっていただろうが、爺」
スコープ越しではなく、眼帯を取ったその目で直接に――百メートル単位で離れている彼らを見てため息をつく男性、イワンと名乗った彼と、彼のぼやきを聞き流す……彼女の方は双眼鏡越しに眺めている、マリアと名乗った彼女。
彼らは高層ビルの1室から、彼らの部下とは別行動。
数人は手元に置いていて今し方一喝されたところだが……響の旅立ちを見守り、警戒していた。
「それはもちろんだがな。 だがな響、君の性格からしてそうなるとは思っていた。 思っていはしたのだが、いざこうして目の当たりにすると……そうだな。 息子が、いや、孫が……いやいやそれも違うか。 『その程度のものなどよりも』大切な存在が間違ったところへ行ってしまった。 そう感じてならない。 とても残念だよ」
「いい加減にその目越しに話しかけるのを止めろ爺。 なにが君だ……耳障りだぞ。 鳥肌が立つ」
全員が車に乗り込み終わり、走り始めてからようやくに諦めたのか眼帯を付け直した……爺と呼ばれたイワンがマリアに振り向く。
「良いではないか。 偶にはこういう感傷というものも。 なにせあの子のことなのだからな」
「……それもそうだな」
「だろう?」
彼女も双眼鏡と……自らの体を後ろのソファへと投げ出しつつため息をつく。
「ま、仕方ないものさ。 人の性分というものは……よほど特別なことがない限りにはそうそう変わるものではないからな。 彼の性質というものは、この冬でよく知ることもできたから、納得はしているさ」
「ふむ、お前が言うと説得力があるな」
彼もまたその隣に腰を下ろし、透明無色の液体をグラスに入れ、ぐいっと煽る。
「今日は彼の門出だ、その軽口も見逃してやろう。 ……それに、だ。 変わらないのなら、変わらせるまでさ。 だろう?」
「あぁ、もちろんだな。 既に布石は……当に、打っておるしな」
「人員は?」
「買収済みの者と引き寄せた者。 それに潜らせた者ですでに充分すぎるほどだろう。 やり過ぎても勘づかれるし、の。 彼に危害を加えぬ内には何もせんようにしておる。 情報だけは抜かせてもらうがな」
「そうか」
「ああ。 特に響の私生活については」
「最重要だな」
「だろう」
彼女からふいと差し出された手にそのグラスが手渡され、彼女もまたそれを煽り、真上を……なにもないはずの天井を、ただの無機質な電灯しかないはずのそこをじっと見つめつつ、話しかける。
「――変わらないのならば、変えるまでのこと。 ただ、それだけなのだよ。 ……なぁ? お前もそうだろう?」
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「……えぇ、そうね」
そう落胆した声を上げたのは、ある少女。
彼女の周りは――彼ならば「どろんとした」と表現するだろう彼女のその目以外は霞がかっていると表現されるだろうか、それとも彼が思っていたようにアナログ放送で言う砂嵐、あるいはすり切れたビデオデッキを再生したかのような、そんなもやのようなもので包まれている。
彼女はただ独り、なにもない虚空に向かいぶつぶつとつぶやき続ける。
「……まさか◆◆◆◆◆◆」
「◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆まさかまさかまさかまさかまさかまさか……ずーっと、ず――っと待っていたのに」
彼女の目がいっそうと濁る。
「響お兄ちゃん。 こんなにも待っていたのに、それでも私に会いに来てくれなかったばかりか、私から遠く、遠くに離れて行っちゃうつもりなの?」
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「それは少し……響お兄ちゃんだから分かってたよ。 だけど、だからこそ、ちょっぴりだけど」
だんだんと彼女の目でさえもざらざらとしてきて、やがては声だけが聞こえるようになる。
「――例えそれが分かっていたとしても。 やっぱりヤなものはヤ、キライなものはキライ。 だって◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆だもん」
かつて彼から……響から。
小学生の頃「受験勉強について行けない」からと両親にねだって彼を招き、彼に勉強を教えてもらうという至福に浸っていたはずの――飛川さつきと呼ばれる少女は。
そうしていつまでも……ざらざらと、ぶつぶつと、唱え続けていた。




