第34話 彼女の眠りは安息なのか
「……」
大学の敷地内にある、野外の実験場。大勢のギャラリーに見守られ、俺と魔王は怪しげな魔法陣を挟んで向かい合っていた。
「この怪しい魔法陣を踏めと?」
「うん」
何も企んでいないかのような自然な表情で魔王が言った。
「……」
「……」
俺が魔王の両肩を掴んだのと、魔王が俺の両肩を掴んだのは、ほぼ同時だった。
「お前が踏め」
「悪魔さん魔法効かないんでしょ? だったら踏んでも大丈夫だよね?」
「だから逆に踏めないんだよ! 俺に踏ませようとしているってことは単純じゃない、何か厄介な効果なんだろ!?」
「そんなことないよ~安心して踏んで大丈夫だよ~」
絶対に信用できない類の言葉を出してやがるよコイツ!!
肩を掴み合う俺たちの真下にある魔法陣。今のところ何事も無いため、恐らくは踏み入れることにより発動する魔法だろう。しかし、俺に魔法を発動してもそれは無効化される。
そこから考えるに、踏んだ者を対象にするのでは無く周囲に影響をもたらす魔法で、その効果範囲は魔法陣の内側のみだろう。魔法陣が描かれた地面か、もしくはその上空に効果を発揮するような魔法を考えると……
「あっ、そういう魔法かっ!?」
「流石悪魔さん、もう魔法の正体に気付いたようだね」
お互いに肩を掴む力を強める俺と魔王。仮にこの魔法陣が上方の空気を変化させるものだとしたら、既にお互いの両腕が魔法陣の上で伸ばされている俺と魔王に効果が無いのはいささか不自然だ。圧力センサーがあるならともかく、魔法である以上は対象の高さが少し上であっても感知して良いはずである。そして地面の魔法陣をよく見ると、僅かに揺らいでいるように見えた。まるで、地面が液状になっているかのように。
「落とし穴ってことか」
「そういうことだね。魔法陣の範囲だけ、地面が泥みたいになっているんだ。その分、魔法陣の外は何故か地面が固くなっちゃうみたいなんだけど、落とし穴の範囲が広がらないから逆に助かるよね」
恐らくは周囲の土から水分を吸い取って魔法陣の下の地面を泥状にする魔法……土の吸水効果を高めて沼を作るとは、応用次第で乾燥剤とか作れるんじゃなかろうか。
「でもこれ、落ちたら魔法陣が崩れて効果が無くなるんじゃないか?」
そして、中途半端に地面に埋まる。ださい。
「大丈夫、一度発動すれば30分くらいは効果が持続するんだ。本当は魔法陣を踏んだ人の魔力で発動するんだけど、今回は悪魔さんが入るからボクが魔力で発動を」
「落ちるのはお前だ」
俺は力を強め、魔王を魔法陣の方へと引き寄せる。
「うわっと」
魔王が体勢を崩しかけたその瞬間、世界の喧騒が消えた。間違いない。魔王が超高速化を使い、それに対応して同調加速が発動したのだ。
「よいしょっと」
姿勢を下げ、肩を掴む俺の手から逃れる魔王。一応、こっちも対応して力を込めれば逃がさずに済んだかもしれないが、何かの間違いで超高速化を解除した後にその力が伝わると怖いので自重した。だって数千倍だか数万倍だかの握力で掴むわけだから魔王の両肩が握り潰れそうなんだもん。グロし!
魔王は俺の後ろに回り込んだ。どうやら、背中を押して落とそうという魂胆らしい。避けても良いんだけど、今日着てる服はパンツ以外この世界のものだから同調加速の速度で動くと破けそうなんだよな……どうしよう。
「せーの」
魔王の掛け声に合わせて俺は回避行動を取り、魔王の背後へと逆に回り込んだ。服? 王妃に謝れば良いだけだ! 悪いのは魔王だしな!
「あっ!? 悪魔さん動いちゃダメだって!」
うるせーバカ! 人を冗談で落とし穴に落とすためだけに時間停止みたいな魔法を使う奴なんて、聞いたこと無いんだよ! 本気の時にだけ使え!!
俺は魔王が振り返るより早く、その脇腹付近に両手を持って行った。掴むほどの力は入れないが、どうやっても逃れることの出来ない手の形による拘束。魔王が引き剥がそうとしたらそれに拮抗する力を人工知能経由で出せばいいわけだから、魔王の内臓がぶっ潰れるような事故は起きないだろう。起きてもまぁ、コイツなら回復できるだろうしな!
「ねぇ悪魔さん、動けないんだけど」
『そうだな』
俺はゆっくりと前進し、魔法陣の真上へと魔王を運んでいく。大魔王を翻弄した最強魔法である超高速化と、俺たち悪魔がテクノロジーの粋を集めて実現した同調加速。その2つをぶつけ合ってやることが落とし穴へ相手を落とす戦いとは、まるで俺たちがアホのようである。
「ちょっと待って悪魔さん! 離さないでね、絶対に離さないでね!!」
『そろそろ重いから離すぞ』
「待って、今対抗策考えてるから!」
じゃ、離す。俺が両手を魔王から離すと、魔王は地面の中にめり込んで行った。おお、面白れぇ。
「うわっ!」
魔王が声を上げた瞬間、世界の喧騒が戻った。超高速化が解除されたようだが、俺が同調加速で動いたことによる影響で周囲の空気は暴風となり、俺の着ていたパンツ以外の服が吹き飛んだ。見物人が沢山いる中で突然パンツ一丁になるの超恥ずかしいんですけど!
そして魔法陣の描かれた地面に飲み込まれていく魔王の右手が、俺の左足首を掴んでいた。
「うぉい!?」
それに引きずられて俺は転倒し、そして魔王と一緒に魔法の泥沼に沈んで行く。
「くっ、グボボボ……」
あっ、この沼、深い!! 少なくとも2メートル以上はあるぞ!? どうすんだ!?
「ベビベェビョ!」
魔王が何やらベビベビ言うと、魔王の身体が少しずつ上昇していった。さては、空中に浮く魔法を使ったな。俺も魔王の腕を掴んで、その浮力を利用する。そして、どうにか魔法陣の沼から脱出した。
「もう、酷いよ悪魔さん」
「酷いのはお前だよ、いや本当に」
泥まみれになった魔王と、泥まみれでほぼ全裸の俺。周囲から歓声と笑いが入り混じった声が聞こえるわけだが、言っとくけど俺ら超危険なことやってたからな! もうちょっと俺が速度出してたら衝撃波で……いや、言っても分からないだろうな……
「もうイタズラで超高速化使うのやめないか……」
「ちょっと反省したよ……」
憔悴した男2人は、そろって溜息を吐いた。
水汲み場から持ってきた水を使って、学生たちが水の魔法で俺の身体から泥を洗い流す。衆人環視の中で裸になった後は衆人環視の中で身体洗われてるわけね、俺。とんだ羞恥プレイだよ!
「大丈夫ですか、悪魔さん」
「ああ大丈夫……って、マナか」
俺に声を掛けたのは、孤児院で生活している人間の少女、マナ。ヒメとも仲が良いらしく、この城下町にいて魔王軍に勤めていない者としては、恐らく唯一の顔見知りだろう。
「みんなビックリしてましたよ。急に悪魔さんが裸になっていて、その……」
ほんの少しだけ頬を紅潮させながら、マナは俺の顔を水魔法で洗い流す。喋れないんですけど。
「どうして服を破いちゃったんですか?」
水の放射が顔から胴へと下がった。よし、喋れる。
「魔王の奴が強力な魔法を使って、それに対抗したら服が耐えられなかったんだ」
「そうなんですね。あの時の風もそのせいなんですか?」
「そうだな。アイツが無駄に強い魔法を使わなかったらこんな目には……」
「悪魔さん! 石鹸も使います!?」
男子学生がにこやかな顔で石鹸を見せる。楽しそうに男の身体を洗わないで下さい。
「いや、後で城の風呂でしっかりと洗う。このくらいでいい」
「ちぇ」
男子学生がつまらなそうな声を出した。そんなに俺の身体を石鹸で洗いたいんすか君は!?
「それじゃあ、乾かしますね」
マナと他数人が、風の魔法を俺に吹きかける。ドライヤーのようなものだが、残念ながら温風は出ないようだ。まだ夏の陽気も十分残ってるから良いけど。
「そういえばマナ」
「はい?」
「最近、調子はどうだ?」
「あまり変わりは無いですね。夏休みも、孤児院にいる年下の子たちと遊んだり手伝いをしたり、いつも通りでした」
「……何か、変わったことは無いか?」
「そうですね……ちょっと、変な夢を見てる気がするんです」
「夢?」
「よく覚えてないんですけどね。誰かの声が聞こえているような……そんな夢です」
「……」
声。それがもし、彼女の外から聞こえているものなら――
「そろそろ乾いたと思うんですけど、どうでしょうか」
マナが笑顔を見せる。その屈託が微塵も無い表情を見てると、疑念は気のせいだと、そう感じてしまう。
どうか、その通りであって欲しい。
「そっちも終わったかな、悪魔さん」
泥を落として服を着替えた魔王が、俺の所にやって来た。俺にも服をよこせ。上半身丸出しは恥ずかしいんだよ。
「全く、効果を説明するのなら他に方法がいくらでもあっただろう」
「体験してもらった方が悪魔さんも良い発想が浮かぶと思ったんだ」
殺意が増しただけです。
「それでどうかな、ドロヌーは」
「ドロヌー……さっきの魔法陣の名前か」
どうせ語源は「泥沼」だろうな!!
「あれを色々な所に設置すれば、防衛面ではかなりの効果が期待できるよ!」
「そうだな。あれは確かに、引っかかると辛い」
魔法陣の上に落ち葉などをかければ十分に隠れるだろうし、地雷のようなものだろう。撤去し忘れて後で大変なことになるのが容易に想像できるな!
「それに加えて、ドロヌーは印刷できるようにしたんだ!」
「……印刷?」
「これこれ」
そう言って魔王は学生から大判の巻物を受け取り、それを広げた。一辺が両腕を伸ばした長さと同じくらいの紙に、魔法陣が書いてあった。
「印刷工房で作ったこの紙に魔力を込めると、紙が溶けて地面にドロヌーの魔法陣が出来るんだよ」
「ということは、誰でも素早く設置できるわけか」
落とし穴を作ろうとすればそれなりに時間がかかるだろうが、この魔法陣なら魔力を込めるだけなので数秒で済むのだろう。そうなると数百個単位で設置できてもおかしくないわけで、もしかして相当強力なんじゃないかこの魔法陣。
「これがあれば敵が攻めて来ても、すぐに対策が取れるってわけだね」
「ああ」
間違えて自分が設置した魔法陣を自分で踏んで大変なことになる気がするが、そんなバカは魔王軍の中でも9割くらいだろう。大丈夫だ。
「試しにこの紙でもやってみようか」
そう言って魔王は地面に魔法陣の書かれた紙を広げ、「えーい」と魔力を込めた。すると、紙が消えて地面に魔法陣が転写された。
「どうかな?」
魔王がそう言って振り返ると同時に、俺の蹴りが魔王の背中を直撃した。
魔王は、沼に沈んだ。
数時間後、俺と魔王は王妃の前に正座させられていた。
「もう少し大人としての自覚を持ってください」という言葉に何の反論も出来ませんでしたぁ!
勇者カウンター、残り9450人。




