第29話 悪魔はヒメを守り切れるのか
鋭い牙を見せ、地面を駆け、宙に跳ね、俺たちに迫るウサギ。異世界ではどうしてか凶暴なウサギの怪物がいることが多いが、まさかこの世界では魔物では無く聖獣と呼ばれる存在だったとは。ちなみに異世界怪物あるあるだと、一つ目の怪物は名前が無い、もしくは言ってはいけなくて、土下座を強要する魔法を使ってくるとかなんとか。
などと考えている場合ではない。ヒメに飛び掛かって来るウサギを手で払い、手で払い、手で払い、ええい、数が多い!!
まさに手に負えない状況であったが、不意に左右の地面が盛り上がり、壁のようになった。どうやらマリアと合体したメアリが魔法を使ったようだ。ウサギたちは次々に壁にぶつかるが、それを避けてこちらに向かう個体も何体かいた。メアリが「え、えーい!」と手を振ると、それらの個体が炎に包まれる。
「見るな」
俺はヒメの目を手で覆うが、彼女はそれを手で払った。
「見たくは無いが、この程度のことから目を反らすわけにはいかないのじゃ。戦いの凄惨さから逃げていては、私はずっと足手まといでしか無いのじゃ」
「……そうだな」
俺は払われた手で、ヒメの頭を撫でた。
「なっ……! な、なんじゃ急に!」
「気にするな」
ちょっと褒めたくなっただけだ。
「それより、壁の向こうの気配はどうなってる?」
「壁を避けている兎が多いのじゃが、壁に激突しているのもいるのじゃ」
「あの勢いだとそのうち破られるかもな」
背後は岩壁、左右は土壁。前方から殺到するウサギはメアリの放つ炎と、土の塊を飛ばす魔法によって次々と倒されていった。これなら耐えきれるかもしれない。
「悪魔殿っ! 上から来るのじゃ、気を付けるのじゃ!!」
ヒメがそう叫んだ直後、頭上から「キシャァァー!」みたいな鳴き声が聞こえた。
歯茎と牙を剥き出しにしたウサギが、上から降って来た。
「怖っ!!」
戦闘用出力の拳をウサギにぶつけ、撃退する。だがウサギは次々と上から襲い掛かり、壁に囲まれた籠城がむしろこちらの動きを妨げる枷となりつつあった。
「メアリ、壁を一旦吹き飛ばせ!」
壁に使われていた土が、メアリの魔法で周囲に勢い良く飛散した。視界が開け、ウサギたちに土が命中する。傷付いて地面に倒れたウサギたちは、起き上がる前にその大半が炎に焼かれた。のんびりしているので戦闘には向いていないという印象を持っていたが、メアリも決して戦えないわけでは無いのだと、足元にいるウサギを必死に蹴り飛ばしながら思った。
「だが、この調子ならどうにか……」
俺がそう口にした時、森の茂みから追加で大量のウサギが飛び出して来た。あ、死んだ。
「くそっ! ヒメ、地面に伏せて、身体を丸くしろ!」
「わ、分かったのじゃ!」
ヒメは言う通りに地面の上で小さく丸まった。ウサギがヒメの身体に飛び掛かる前に、俺はヒメの上に覆い被さり、ウサギを払い飛ばした。ウサギがかわいそうだとか、美少女の上に覆い被さるのって妙な気分になるとかそういうことを考えている場合ではない。もはやヒメの生死が掛かった状況であった。
襲い来るウサギの数は半端無く多いため、俺の身体に噛み付く個体も何匹かいた。だが、ヒメの身体に到達している個体はいないようだった。
「ヒメ! もし噛まれたら、すぐに声を上げろ!」
「分かったのじゃ! 悪魔殿は大丈夫なのか!?」
「大丈夫だ、心配するな!」
俺の疑似人体は、たとえ勇者となって力を増していたとしても、獣の噛み付きくらいでは傷一つ付かない。もしこの世界で銃弾のようなものに撃たれたとしても、無傷で済むだろう。
だが、痛覚は人間と同質だった。つまり傷は無くてもウサギが噛む力はしっかりと感じているのだ。ということは身体を何か所も刃物で挟まれているような感覚が伝わっているわけで、正直言ってクッソ痛ぇって痛い痛い超痛いマジで痛い死ぬ死ぬってこれ本当ヤバいってこれ泣きたい逃げたい超痛ぇ痛いわ痛い痛いってこのクソウサギ痛いんだって痛い痛いっての!!
もう逃げ出したい気分で頭がいっぱいなのだが、それでも俺は平気な振りをして、ウサギを倒し続ける。だって仕方ないじゃん、少女が俺の下で震えているんだよ!! 逃げられるわけないじゃん!!
あ、急に思い出したけど、防御用のフィールドを張る装置を異次元収納装置から出すの忘れてた。この状態なら2人分守れるんじゃないかな。よし、出すか。でもウサギが異次元収納装置の中に入っちゃったら危ないな……いや、背に腹は代えられないか……
そんな感じで俺が逡巡していると、メアリが何やら大きく構えた。
「も、もうこれしかありません!!」
彼女がそう言うと、周囲の土が盛り上がって壁になると共に、その表面に炎を纏わせ始めた。その炎の壁が地面を走り、水でゴミを洗い流すかのようにウサギたちを俺たちから遠ざける。そして壁に流されたウサギたちは一匹残らず炎に身を焼かれ、悶え苦しむ。
だが、一掃出来たわけでは無い。炎に焼かれなかったウサギ、そして炎に焼かれながらも起き上がったウサギが、俺たちに襲い掛かって来る。メアリが魔法で対抗するも、既に何か所も噛まれているためか、全てを撃退することは出来なかった。倒し切れなかったウサギはメアリに噛み付くか、メアリを通り過ぎて俺とヒメの方へ向かった。俺も必死で払い飛ばすものの、燃え盛ったウサギが1匹、背中に噛み付いてきた。熱い、熱い!! そんで痛い!! もうやだ帰る、ここのどこがハワイなんですかっ!! 地獄じゃないですかやだー!!
さらに森からウサギの増援が現れた。万事休す。残念、俺たちの冒険はここで終わってしまった……っと、忘れてた防御用フィールド張るやつ!! まだ間に合う!!
俺が異次元収納装置を呼び出そうとしたその瞬間、遠くから「キュイィィィェェェェエーーー!!!」という奇怪な雄叫びが聞こえた。それと同時に、ウサギたちは動きを一瞬止め、そして岩壁の方へと一斉に走って行った。どこかに洞窟への入口があるのだろうか、ウサギたちはそのまま姿を消してしまった。
残ったのは大量のウサギの死体と、満身創痍の俺とメアリ。そして、どうやら無傷のヒメ。
俺は立ち上がり、ヒメに「もういいぞ」と声を掛ける。
「お、終わったのか……悪魔殿、ケガは無いかっ!?」
「俺は良い。まずはメアリだ」
ヒメはウサギに噛まれ、体中が傷だらけになったメアリに駆け寄る。当然メイド服もボロボロで、身体の持ち主であるマリアには結構な災難である。寝てるアイツが悪いんだけど。
そんなメアリの身体にヒメが手を当てると、傷口から流れ出てメイド服を汚していた血が、次第に消えて行った。傷口も塞がり、メアリの皮膚はそもそもケガなどしていないような状態に戻った。
回復魔法。周囲にある自身の構成物質および体内の物質を用い、魂に保存されている情報に適合するよう肉体を修復する、という仕組みらしいが、実際に見てみると時間が巻き戻ったようにも見える。まぁ、メイド服は修復されてないからやっぱり時間は戻って無いのだろうが。所々破れた箇所から肌が見えるので、これはこれで趣がある……って、そんなこと考えてる状況では無いな。
それにしても、ヒメの回復魔法はかなり効力が強いようである。短時間であれだけの傷を完治させている辺り、治癒の魔法に関しては相当の才能があるのでは無いか。父親も卑怯な完全回復魔法使えてるし。
「調子はどうじゃ、メアリ」
「は、はい……まだちょっと……いいえ、どうしてか意識がとても……ぼんやり……」
「傷は全部治したはずじゃ。まさかあの兎、毒でも……」
ヒメは焦った様子で、再びメアリの身体に手を当てる。俺は周囲を見回し、ウサギが残っていないかを確認する。そして後方に目を向けると変な物体が地面にあった。
血まみれの死体だった。
「うおぉぃぅ!!?」
「どうしたのじゃ悪魔殿!?」
「何だこの死体!?」
「メ、メアリ!? 忘れておったのじゃ!!」
「メアリって……ああ、そういえば合体してるから元々の肉体は……」
よくよく思い出してみると、誰もメアリの本体を守ってなかった気がする。そうなるとウサギに噛まれ放題で、つまり、死ぬ。
「まだ辛うじて息があるのじゃ!! すぐに治すのじゃ!!」
ヒメが回復魔法を使うと、血がどんどん薄れていき、ウサギによってメイド服の大半を破かれた女性の柔肌が見え――
マリアの肉体を持ったメアリが、俺の目を手で覆った。
「何をするんだ」
「な、何を見ているんですか……」
声はマリアのものとはいえ、恥ずかしそうなのは良いぞ。
「見ちゃダメか」
「ダ、ダメです」
「だよな」
「悪魔殿、何か布か服のようなものを悪魔袋から出して欲しいのじゃ」
「服か……全身を覆うならコートみたいなものが良いな」
俺は異次元収納装置からコートを取り出し、ヒメに渡す。流石に全裸状態はまずいよね。
「気分はどうじゃ、メアリ」
「は、はい。大分良くなりました」
「なら一安心じゃな。では、そろそろ合体を解除してみるのじゃ」
「や、やってみます」
メアリが俺の目から手をどけると、視界にメアリの肉体が見えた。だが上からコートを被せられているので、肌はほとんど見えず。ちょっと残念だが、仕方ない。
「……ダメです、戻れません」
「ふむ……やっぱり自力では戻れぬか」
「どういうことだ?」
「何度も練習しているのじゃが、どうも自分たちの力では合体前の状態に戻れぬらしいのじゃ」
「……どうするんだ?」
「私がいるから大丈夫じゃ」
そう言うとヒメはメアリに手の平を向け、目を閉じた。ヒメの手はぼんやりと光を放ち、そして数秒後、不意にその光が弾けた。
メアリがぐらりと体勢を崩し、それをヒメが支えようとする。だがどうみても無理そうだったので、俺は駆け寄ってヒメを手伝った。
「ありがとうなのじゃ、悪魔殿」
「ああ。それより、何をしたんだ?」
「解呪の魔法じゃ。悪魔殿の持ってきてくれた本から勉強したのじゃ」
「解呪……ということは、合体の魔法の効果を消したわけか」
「その通りじゃ。これでマリアもメアリも元通りなのじゃ」
「ところで、ヒメは魔法の名前を言わないんだな」
「えっと……本当は言った方が良いと思うのじゃが、集中しているとそんな余裕が無くて……」
「言わなくていいんだ。それだけヒメが頑張っているということだからな」
俺はそう言って、空いた手でヒメの頭を撫でた。だって魔王にしろマリアにしろ、魔法の名前を声に出しているとふざけているように見えるんだよね! 声に出した方が気合が入るとかあるんだろうけどさ!
「悪魔殿は褒めるのが上手なのじゃ……」
ヒメは照れ臭そうに俯き、そう呟いた。褒めるのが上手だとは思わないが、もしそう感じたのなら周囲に変なのが多すぎる反動で俺が優しくなっているためだろう。どうかヒメだけは変な大人に成長しませんように。
「ふぁ~~、おはようございます……」
俺とヒメに支えられたメアリ……いや、今はもうマリアか。そのマリアが、呑気な声を出して起床した。
「どうなりましたか、王女様……って、何触っているんですか悪魔様!?」
マリアは即座に俺から離れ、警戒心を剥き出しにする。
「倒れそうになったマリアを悪魔殿が支えてくれたのじゃ。ちゃんとお礼を言わないとダメじゃぞ」
「……ありがとうございますわ」
不審の念を抱いた眼で、マリアが感謝を述べた。俺に優しいのはヒメだけかよ。
「す、すみませんお姉様。私のせいで、メイド服が……」
メアリも起き上がり、マリアに頭を下げる。全裸にコートか……成り行きとはいえ、変態の格好をさせてしまったのには少し罪悪感を感じた。
「貴女が頑張ったから、王女様も私も無事なのですわ。もっと自信を持ちなさい」
「は、はい……」
なんか急に良い先輩を演じ始めたぞ、この女。
「それより貴女こそ、身体の方は大丈夫ですの? 傷は残っていませんよね?」
マリアはメアリに近づき、岩壁の方へ移動させてコートの中を覗き始めた。
「傷は無いみたいですわね。相変わらず、柔らかい肌をしていますわね」
「あ、お姉様、その……恥ずかしいです……」
「……」
「何を見ているのじゃ、悪魔殿」
「ああ、スマン。男はどうしてもああいうのが気になって……」
「……いつか私も、マリアやメアリみたいな身体になるもん」
「楽しみにしとく」
「あっ、そうじゃ、悪魔殿の傷も治さないと」
「俺は傷を負ってない」
俺は背中を見せ、服が破れた箇所をヒメに確認させた。
「本当に傷が無いのじゃ……悪魔殿は凄いのじゃな」
「まあな」
「もしケガをすることがあったら、遠慮無く私に言うのじゃぞ。すぐに治すからのう」
「……」
たとえケガをしても、魂を持っていない俺にはヒメの回復魔法は効果が無い。ヒメが俺を助けることは、出来ない。
俺はまた、ヒメの頭を撫でた。少女の優しさに感謝し、彼女を悲しませないことを自分に戒めるために。
「……今日の悪魔殿は妙に優しいのじゃ」
「気のせいだ」
俺はヒメの頭を撫で続けながら、穏やかになった周囲を改めて見回し――
「……燃えてるな」
「うむ。よく燃えているのじゃ」
いつの間にか、周囲の森に炎が広がっていた。そりゃ、炎の魔法をぼかすか使いまくったからね。
「さて、どうするか」
「マリア、メアリ、すまぬのじゃが、もう一仕事じゃ」
「なんでしょうか王女さ――燃えてますわね!!」
「は、はい。森が燃えています」
「あの炎を消して欲しいのじゃ。土の魔法で消せるかのう?」
「私とメアリなら当然、出来ますわ!」
「は、はい。出来ると思います」
「ではお願いするのじゃ。森が全部焼けてしまっては、聖獣以外の魔物や動物が可哀想じゃからな」
マリアと全裸コート女じゃなかったメアリは土の魔法を使い、木々や雑草に広がった炎に土砂をかけて鎮火させていく。樹木は焦げるわ土は魔法で掘り返されまくるわで周囲は惨憺たる光景だが、それでも事態は収まりそうである。
「消火、完了しましたわ!」
「か、完了しました!」
マリアとメアリが妙なポーズでヒメに報告する。一生合体してた方が静かで良かったかな……
「ありがとうなのじゃ。あとは、姿を消した兎の行方じゃな」
「ウサギが動きを変える前に、妙な鳴き声が聞こえた。あれが群れの主の出した声なら、主に何かあったのかも知れない」
「もしかすると、洞窟の中に入った父上と兎の主が戦っているのかも知れぬのじゃ」
「可能性はあるな……だがアイツならどうにか出来るだろう」
その時。大きな爆発音が岩壁の後ろから響き渡った。驚いてしゃがみ込むマリア、身構えるメアリと俺とヒメ。ちょっと待て、どうして一番戦闘で役に立つはずの奴が一番ビビってんの!?
さらに2回目、3回目の爆発音が続き、地面が揺れる。そして爆発で吹き飛んだのであろう、木々の破片や、獣の肉片――恐らくは先ほどのウサギたちのもの――が、俺たちの頭上に降り注ぐ。
「もう、何なんですの!?」
「悪魔殿、この威力の攻撃を放つことが出来るのは……」
「ああ。お前の父親、魔王くらいだ」
「父上はやはり凄いのじゃな……」
ヒメは感心した様子で、岩壁を見つめる。その先にいる、強大な父親の姿を想像しているのだろう。だけど俺個人の気持ちとしては、ヒメにはウサギ相手に地面を揺るがす爆発系の魔法を使うような大人にはなって欲しくないよ。
やがて爆発も収まり、急に辺りが静寂に包まれる。次は何が起こるのかと警戒していると、森の茂みから物音がした。
「いや~、もう大変だったよ」
そこから現れたのは、血だの土だの煤だので汚れた、怖ろしい魔王の姿であった。
「うわっ、汚い!」
「悪魔さん、ひどくない?」
思わず本音を言ってしまった俺に、魔王は落ち込んだ声を返したのだった。
勇者カウンター、残り9801人以下。




