第27話 水禍の王は何を見ているのか
船着場から砂浜を歩くこと、数分。左には穏やかな海が広がり、右には鬱蒼と茂った森が見える。そして遥か前方に見えるのは、パラソルの下に置かれた椅子と丸机。そしてそこで本を読む、長い金髪の女性。遠くからでも分かるその穏やかさは、どこか近寄りがたい雰囲気すら感じさせる。
水禍の王。魔界に領地を持つ6人の王の1人にして、謎の多い女性。彼女は一体何を考えて王となり、何を考えて魔王を呼んだのか。その名の通り、見えない水の下で禍々しい思惑が渦巻いていなければ良いが……
「綺麗な人なのじゃ……もしかして、悪魔殿もああいう女性が好きなのか?」
「いや、俺はもっと話しかけやすい方が良いかな」
「それなら私の勝ちじゃな」
「何の勝負だよ」
ヒメとたわい無い話をしつつ、魔王やメイド2人と共に水禍の王に近づいて行く。1人で読書をしている麗人と、なんか騒がしくて頭の悪そうな5人。あっちからすれば俺たちは相当嫌な客なのでは無いかという疑念が湧いてきた。距離も近づいてきたので、少し黙る。
「なかなか賑やかなことですわね」
白いワンピースを着た水禍の王は机の上に本を置き、魔王に微笑みかけた。あ、これ怒ってる? もしかして怒ってる?
「読書の邪魔をしたなら、ごめんね。でも楽しいのがボクたちの所の特色だから」
「気楽そうで、羨ましいですわね」
言葉の端々にトゲがあるように思えるんだけど、やっぱこれ機嫌損ねてるのかな……いきなり流れが悪いぞ、どうするバカ1号。
「初めまして、水禍の王」
そう言ってバカ2号ことヒメがスカートの裾を摘まみ、片足を後ろに引きながら僅かに頭を下げ、水禍の王に笑みを向けた。
「貴女は……金屑の王の娘、ですね」
「はい。名はヒメと申します。お会いできて光栄です」
「こちらこそ。それと、無理に畏まる必要はありませんわ。普段は金屑の王と同じく、奔放な性格なのでしょう?」
「ええ、その通りです。ですが、礼を失するわけにも行きませんから」
「女の子なのですから、そのようなことを気にしなくても良いのに」
「背伸びをしたいだけなんです。お気に障ったのでしたら、謝罪いたします」
「とんでもない」
水禍の王は穏やかな笑みを見せ、ヒメを見据える。にしても、ヒメは父親と違ってちゃんとしてるなオイ! しっかりしろよ親父!
「ヒメ、というのは不思議な響きの名前ですわね」
「はい。悪魔殿の世界で『お姫様』を意味する言葉だそうです」
「そう……」
俺に視線を移す、水禍の王。不敵なその視線にたじろいでしまいそうになったが、彼女はすぐにヒメに視線を戻した。
「ここに来たということは、やっぱり海で遊びたいから、かしら」
「はい、その通りです」
「確か貴女たちは水着という、海で泳ぐための衣服を作ったそうですね」
「そうです。普通の服よりも素肌が見えてしまうので、少し恥ずかしいのですが」
「後で見せて下さい。私も少し、興味があるんです」
「ええ、喜んで」
ヒメが屈託の無い笑みで応えた。
「着替えるのであれば、あちらに小屋がありますわ。荷物もそちらに置いて、海を楽しんでくださいね」
「ありがとうございます、水禍の王。お言葉に甘えて、場所をお借りします」
そう言ってヒメは荷物を抱えたメイド2人を引き連れ、小屋の方へと歩いて行った。そして2人の王と1人の悪魔が、砂浜に残った。
「随分とヒメに優しいんだね」
「幼い少女を苛めるほど、私は悪趣味ではありませんわ」
「それだけじゃ無い気もするんだけど」
「そうですね……私があの子と同じくらいの年齢の時は、もっと窮屈でしたから」
何か嫌な思い出があるのか、水禍の王の表情が僅かに陰った。
「深くは聞かないよ。それで、ボクに調べて欲しいことがあるんだよね?」
「ええ。そちらの森なのですけれども」
水禍の王は海とは反対側の、暗い森の方を向いた。
「何やら凶暴な獣がいるようなのです。調査に向かわせた配下の者は、深い噛み傷を負って命からがら戻ってきました」
「凶暴な獣かぁ……この辺りの島に強い魔物がいるって話は聞いたことが無いんだけど、そうなると聖獣の類なのかな……」
魔王が聞いたことの無い名称を口にした。
「聖獣ってなんだ?」
「聖獣、それは女神の意思を守る為に戦う、神秘の動物たちのことだよ」
「うん、何言っているか全然分からねぇ」
「簡単に言えば女神が生み出した獣の中でも、特に力が強い獣のことなんだ。魔族や魔物と戦うために作られたんじゃないかって考えられてるけど、目撃した人も少ないし神秘に包まれている動物だよ」
「何でそんなのが魔界と繋がっている転送門の近くにいるんだ?」
「むしろ魔界に近いから、そういう強力な獣が潜んでいるんじゃないかな」
「魔族の動きを見張っている、というわけか。そうなると、これからもっと動きが活発になるんじゃないか?」
「もしそうなら、早く対処しないとハワイどころじゃないよね。凶暴な聖獣がいる島なんて、誰も来たくないだろうし」
「この島だけなら諦めても良いのですが、海を渡って他の島に現れる危険も否定できません。ですから金屑の王、貴方に助力を求めたのです」
「事情は分かったよ。とりあえず、ちょっと森の中を調べてから方針を考えるよ」
そう言って魔王は持っていた鞄を下ろし、そこから鞘に納められた剣を取り出した。旅行鞄に剣を入れてる奴初めて見たわ。というか、最初から帯刀してろよ。突然襲われたらどうするんだ。ああでもコイツ超高速化使えばすぐに鞄から出せるな。何でもありだと適当になるから困る。
「じゃあ、ちょっと見てくるから、悪魔さんは荷物を小屋の方に運んどいて」
「ああ……って、ああじゃねぇよ!?」
「行ってくるね~」
そう言って魔王は荷物を置いて、森の中に入って行った。自然な流れで人に荷物運びを任せやがって!!
「で、貴方はどうしますの?」
水禍の王が涼しげな顔で言った。
「……あっちの小屋に荷物を置いていいんだよな」
「ええ」
「置いて来る」
何が入っているのか分からない重たい鞄を持って、俺は小屋に向かってとぼとぼ歩いた。
荷物を置いて、俺は水着に着替える。そして水着姿のヒメたち3人と合流したが、「視線がいやらしいですわ!」という言いがかりにより、俺だけ水禍の王の所に残してヒメたちは3人で海へと繰り出した。俺も海で泳ぎたかったんだけど……良いけどさ、別に……
「元気が良くて、眩しいですわね」
海辺ではしゃぐ3人娘を見つめながら、水禍の王が言った。
「アンタは行かないのか?」
「水着という服もありませんし、若い娘に混ざって遊ぶような年齢でもありませんから」
「そういうもんかねぇ」
「貴方の世界ではどうなのです? 私ほどの年齢の者でも、あのように若い者と一緒に楽しむものなのですか?」
私ほどの年齢、と言われてもアンタみたいに何百年も生きてる奴は俺の世界にいないんだけど。それにマリアやメアリも俺の世界を基準にすると妖怪レベルの年齢だから、全然若くねぇし。
「外見の年齢で言えば、アンタは俺の世界では若い方だと思うぞ」
「そうなのでしょうか。自分ではそろそろ、女として生きられる時間も残り短いと感じているのですが」
「気分の問題じゃないか。まだ焦る必要は無いと、俺は思うんだが」
「焦る……そうですね、確かに私は焦っているのかもしれませんわね……」
「その焦りというのは……王になった理由と関係があるのか?」
「貴方もそれを気になさるのですね」
「そりゃあな。俺もあのバカも、女性というものが怖いらしい。理解出来ないことが多すぎてな」
「貴方たちの方がずっと強大な力を持っているのに?」
「力じゃどうにもならないことだってある。だからこそ、ある物事が自分たちの力でどうにか出来るのかどうか、しっかりと判断したい」
「……貴方は分かっていることより、分からないことの方が怖ろしいのですね」
「理解出来れば覚悟も出来るが、未知のものについてはどうやっても想像が追い付かない時がある」
「分からないものが怖ろしいものだとは限りません。もっと前向きに考えても良いのでは無いでしょうか?」
「確かにそうだろうな。でもまぁ、こればかりは生まれつきの性格が原因だからな……」
俺は頭を掻く。まったく、情けない悪魔である。
「でも、少しだけ分かった気がする」
「何がでしょうか?」
「アンタが王になった理由は、それほど怖ろしいものでは無い」
その言葉に、水禍の王は目をぱちくりとさせた。まるで、少女のように。
「どうして……そう思うのです?」
「何かを企んでいるというより、弱気になっているような感じがしてな。そうなると、王になった理由は何か他人に言いづらい理由なんじゃないか?」
「そうなの……でしょうね。別に隠すほどのことでは無いのかも知れませんが、口にするのは少し、恥ずかしいと感じているのです」
「恥ずかしい理由なのか?」
「どうなのでしょう。私自身はそう感じてしまっているのですが」
「言いたくないのならそれでも良いような気になってきたが、それこそアンタが俺に言ったように、前向きに考えて良いんじゃないか。もしかしたら、あのバカが協力出来ることかも知れないしな」
「そうですね……貴方に偉そうなことを言いましたが、私もやはり、分からないものは不安なのでしょう」
「悪い想像が浮かんでしまうのは、当たり前だからな。良い想像とどっちが勝るかは、物事によりけりだろうが」
「難しいものですね、心というものは」
「ああ」
……今更だけど、何を話しているんだろう、俺とこの人。
「いやぁ~、まいったまいった」
全然参ってる様子の無い声が、森の方から聞こえた。見ると、所々返り血が付いた魔王がのんびりとこちらに向かって来ていた。
「やはり、森の中に聖獣がいたのですか?」
「多分そうだと思うんだけど……森の奥は暗いし、相手も小さかったからよく分からなかったよ」
「小さい? 小動物ってことか」
「そうだと思うよ。素早かったし、数も多かった。鼠とか、そういうのだと思う」
「聖なるネズミか……」
英語で言えばホーリーマウス。何故だろう、何か想像してはいけない存在を感じた。
「とりあえず、今日はそろそろ夕方だし、明日の朝から本格的に調査してみるよ」
「ええ、お願いしますわ」
「それじゃあ、ボクもせっかくだから泳いで」
「待て」
俺は魔王のそばに寄り、耳打ちをする。「くすぐったいよ悪魔さん」という気持ち悪い言葉が聞こえたが無視だ無視。
「えっと、水禍の王」
「何でしょう」
「明日ちゃんと調査をするから、ちょっとお願いを聞いて欲しいんだ」
「……どんなお願いでしょうか」
「貴女が王になった理由を、恥ずかしがらずに教えてくれないかな」
「……はぁ」
水禍の王が溜息をつき、少し恨めしそうに俺を見た。いやいや、こういうのはほら、きっかけが必要だし、アンタも内心話したがってたみたいに思ったから。などと心の中で言い訳をしておく。
「分かりました。調査が終わったら、お教えします」
「助かるよ」
「ただし、恥ずかしがらずに言えるかは保証出来ませんわ」
「そこは別にどっちでも良いよ。それじゃあ、ボクは水着に着替えてくるよ」
「あ、俺も一緒に行く」
小屋に向かう魔王の後を追って、水禍の王から逃げる俺。背中に怖い視線をめっちゃ感じたが、振り向きたくないから小走りで離れる。
とにかく今だけは童心に帰って、海で楽しく遊ぶべきだからな!
その後、海で遊んでいた魔王の「そういえば、水中で火の魔法使ったらどうなるんだろう」という言葉をきっかけに激しいバトルが展開されたわけだが、水禍の王を含む女性4人にものすげぇ怒られたので語りたくありません。
……童心に帰りすぎたわ。
勇者カウンター、残り――
「……おい、魔王」
「どうしたの悪魔さん?」
「これを見ろ」
夜中、用意された寝床で俺は勇者カウンターの数値を確認していた。だが、その数値の減りが明らかにおかしかった。
「昼間に船の上で見たときは、9820だった」
「そうなると……今日、どこかで大きな戦いがあったのかな?」
「……お前が倒した聖獣の数は何匹くらいだ?」
「えっと……って、まさかそういうことなの?」
「そういうことなんだろうな。だとしたら、あの森は相当危険だ」
「軽く考えていたけど……これはしっかりと準備した方が良さそうだね」
「ああ。最悪、森を全部焼き払うことも考えるべきかも知れない」
「そこまではしたくないんだけどなぁ……」
勇者カウンター、残り9801人。




