第23話 彼女の人生は価値あるものだったのか
俺と魔王が劫火の王に追いついた時には、戦場は既に焼け野原と言える有様であった。
地面に転がっている人間の戦士たちや彼らの装備が、慎ましくも力強く生えていたであろう雑草と共に炎に焦がされ、燻ぶった火は今も僅かに煙を出している。そんな炎の臭いが俺の鼻に染み付いて、むせてしまいそうだった。
「どうした。戦わないのか」
残った20名程度の人間たちに向けて、劫火の王が剣を向ける。周囲を見る限り、それ以外の生存者は皆逃げ出してしまったようだ。残った人間たちを見ると、装備が軽い者が多いように思えた。傭兵というより、冒険者に近い風体。もしかしたら、魔族である劫火の王と烈火団を討伐するために慣れない戦場に来た勇者なのかも知れない。
「逃げもせず、戦いもせず。ならば、炎に焼かれ己が道を見出すが良い」
劫火の王が剣を持っていない左手を振り払い、炎の烈風を人間たちに浴びせる。烈火、劫火。名の通り、彼女は化身なのだ。恐らく彼女の攻撃が通じないであろう俺ですら、その姿には一抹の恐怖を感じた。きっと、人間たちからすれば絶望的な相手に違いない。
炎が人間たちを焼き、全てが終わる。全身を火に焼かれ――
「ほう……来た甲斐があったな」
劫火の王がほくそ笑んだ。人間たちを焦がすはずの火が、急速に消えて行っている。それどころか、まるでそこだけ冬であるかのように人間たちの吐く息が白くなっている。
「凄いね。冷気の魔法で劫火の王の火を消したんだ。相当な魔法の使い手がいるよ」
前方の光景を見て、魔王が感心したように言った。
「今の見て思いついたんだけど、冷気の魔法を出して炎を消す魔術装置とか良いんじゃないかな?」
お前絶対、消火器についての記述がある本読んでるよね?
「冷気の魔法……悔しいですわ、私もあれが使えればもっとジュリエットに可愛がって貰えますのに……!」
憎らしそうにマリアが言った。君はそんなに劫火の王に燃やされるのが大好きかよ。
「次だ。どこまで凌ぎ切れるか見せてもらうぞ、守り手よ」
薙ぎ払われる左手と猛火、散開する人間たち。炎に包まれた人々に向かい、杖を向ける女性。そして、炎が消え失せる。
「おっと」
「甘いですわ!」
炎を回避した人間の一部が、魔王とマリアに攻撃を仕掛けて来た。魔王は男の斬撃をかわして近距離用のビリビリで麻痺させ、マリアは相手の懐に一瞬で潜り込んでの拳一撃でノックダウンさせてた。ゴリラパワー系女子!
約20人の内、劫火の王と相対しているのが10人近く。劫火の王より後方にいる魔王とマリア、俺の3人を取り囲んでいるのは残り6人。これは、乱戦になるか。
「ぎゃっ!」
急に魔王が変な声を出して転倒した。よく見ると、麻痺している男が魔王のズボンの裾を掴んでいた。凄い執念というかズボンの裾掴まれて転ぶ魔王ってただのマヌケじゃねーか!
「いてて、油断したね。えい」
魔王が男に向かって近距離用ビリビリを追加で打ち込んだ。その隙を狙って、別の男が飛びかかって来る。
「うわっ、怖い!」
そう言って敵の剣をかわした魔王。こんな魔王やだ。やっぱり劫火の王に寝返っちゃおうかなぁ。
などとくだらない事を考えていた俺の前で、魔王を攻撃したはずの剣が麻痺している男の背中を貫いた。
「え……」
呆然とする魔王。魔王を攻撃した男は味方の体から剣を引き抜き、気に留める様子も無く再び魔王に斬りかかった。
「なんで……!」
魔王はビリビリでその男を麻痺させる。魔王を斬り付けようと全身を前のめりにしながら、男が地面に倒れる。
「なんで、そんなに簡単に……」
動揺した様子で声を漏らす魔王。勇者の役割である魔族討伐のための、人間性の喪失。きっと彼らは魔を打ち倒すためであれば、他人の家に侵入し家具に隠された金品を奪うことすら厭わない。戦えない仲間の命など、価値が無いのだ。
一方で、劫火の王が放つ炎を消し去る女性は味方を守っている。だが、それは他者の死を恐れての行為か? 合理的な戦力保持のための行動に過ぎないのではないのか?
恐怖の無い不屈。思考停止した使命。それこそが、以前の勇者との共通点。この世界における勇者の特性であり、きっと魔王が最も嫌悪する心の在り様なのだろう。
魔王の表情が、苦虫を噛みつぶしたような不快感を露わにしているその顔が、俺にそれを伝えていた。
「何をぼーっとしているんですの、お二方!」
マリアはそう言って、敵をこっちに向けて投げ飛ばして来た。危ないからゴリラパワーは禁止しろ!
敵が落下した位置は俺の近く。いかん、攻撃される。
俺は身構えたが、起き上がった敵は俺に目もくれず、魔王に掴みかかる。それを魔王が無言で麻痺させた。
「……」
無視された。違う、そういうことじゃない。優先順位が低い、もしくは攻撃対象ですら無い。
奴らは判別出来るのだ。魔族とそうでないものを。適切な対象を攻撃するための機能。そう、機能なのだ。この世界の舞台装置としての、合理的な機能。女神もクリエイターどもも、自分たちが望む方向へと世界を変えるために人間を勇者という装置へ改ざんした。悪魔である俺たちが欺瞞によって魂を奪う一方で、神を気取る連中が魂を平然と穢していく。
クソが、クソが。奴らも、俺も、どちらも異世界に関わるべきでない人でなしの悪だ。そもそも俺が魔王と契約しなかったら、奴らが勇者を量産することも無かったんじゃないか。奴らを邪悪とするなら、それを引き出した俺たち悪魔もまた、邪悪な存在じゃないのか。
「……どうしたの、悪魔さん」
魔王が、柔らかく微笑んでいた。うん、ちょっとキモい。
「いや、俺がお前と契約しなければ、人間たちが勇者になることも無かったんじゃないかって……」
キモかったので思わず本音を漏らしてしまった、俺。
「もしそうだったらボクは死んでいたし、きっと沢山の魔族が殺されてた。たとえ悪魔さんがボクを助けてくれたことで勇者が現れたんだとしても、悪魔さんと出会わなかったらもっと酷いことになってた」
「だが……」
「ボクは、悪魔さんと契約して良かったと思う。あの村の地下で王妃を見つけたのと同じくらい、悪魔さんと契約したことはボクにとって幸運な出来事だと思っている。悪魔さんがいたから、広がった可能性がある。それはきっと、ボクにとって人間の命や心より大切なものなんだと思う」
「……可能性は、命より重いのか?」
「それは分からないけど、ボクは魔族の王として魔族の可能性を守らないといけない。そのためなら、人間を1万人くらい殺すのも仕方ないと思う。人間はいっぱいいるしね」
「……全く、覚悟が決まってるな」
「あんまり難しく考えない方が良いと思うよ。きっと、ボクたちの正解と誰かの正解は違うから」
「当り前だが、そうだな、俺はお前に賭けたようなもんだったな」
「うん。退屈させないからね!」
魔王が右手の親指を立てる。魔族の間で流行ってるのそれ?
「分かった。お前が良いというなら、多分良いんだろう」
「うん。多分だけどね」
異世界での善悪を判断するのは悪魔でも神を気取った奴らでも無い。異世界に生きる人々なのだ。だったら、その中のバカ1人の価値観に付き合うのも、悪くない。
「お二人とも、少しは働いてくださります!?」
声の方向を見ると、マリアの周囲で人間たちが倒れていた。1人で相手にしてくれてたんだね、お疲れ様です。
「任せちゃってごめんねマリア。とりあえず、後は劫火の王の方かな」
俺たちは劫火の王へ視線を向ける。彼女は笑みを浮かべながら、火炎と冷気の攻防を続けていた。劫火の王の付近には何人かの死体があり、守り手の顔には疲労の色が見える。戦いの終結はすぐそこに見えていた。
「よくぞここまで耐えた。だが、私と戦うにはやはり力が不足しているな」
劫火の王が持つ剣を中心として、炎が螺旋を描く。
「さらばだ。燃え尽きよ」
振るわれた剣から、荒れ狂う炎の風が放たれる。残った人間たちが炎に包まれ、それはもう冷気で消されることは無かった。ただ1人、最も後ろにいた若い男を除いて。
「1人生き残ったか」
その男は焼け死ぬ仲間たちを虚ろな目で見つつ、じっと剣を構えていた。心を失ったようにも、絶望して全てを諦めてしまったようにも見える表情。それが、急に歪み始める。
そして、咆哮が轟いた。
絶叫とも呼べる雄叫びは、怒りや悲しみや恐怖やそれ以外の何もかもが、彼の臓腑の底から頭部に向かって吐き出されているようだった。勇者の断片によって失われつつある人間性が必死に抵抗するかのような、希望を求める声。
そんな彼の前で、仲間たちは無残にその命を終えた。
救いなど、無かった。
「……終わりにしよう」
劫火の王が剣を構え、その男に近づいて行く。魂が肉体から離れつつある、勇者の死体を通り過ぎて。
「……何だこれは」
「どうしたの悪魔さん?」
「これはやっぱり……そういうことなのか」
「どういうこと?」
メガネ型計測装置が示すのは、魂と魔力の奇妙な同期。死んだ勇者たちの魂が消えて行くのと共に、最後に残った男の魔力が急激に高まっている。まるで、死んだ仲間の力をその身に宿すように。敗れ去った者の無念を受け継ぐように。
「あの男の魔力が強くなっている。恐らく、他の勇者の魂から断片が移動している」
「えっと、それってつまりあの人に他の勇者が合体しているの?」
「そういうことになるな……もしかしたら、手強いかも知れない」
「ジュリエット、油断しないでください!」
マリアの声に、劫火の王がちらりと振り向く。その瞬間、男が劫火の王に斬りかかった。
「遅い」
剣に一瞬で炎を纏わせ、劫火の王が男の剣を振り払う。男は炎に焼かれながら飛ばされ、手に持った剣も折れてしまっていた。もはや守り手による冷気が無いため、剣士である男は炎から逃れることは出来ないはずだった。
しかし、男を焼いていた炎は急激に小さくなり、男が白い息を吐く頃には全身の火が消えていた。
「……そうか、そういうことか、勇者よ」
その様子を見た劫火の王は、そう静かに呟いた。そして僅かに俯いた後、堪え切れなくなったように笑い声を上げた。
「ハッハッハ!! 面白い、面白いぞっ!! 死した仲間の力を受け継ぐか! 貴様らにとって、死とは力を集中させるための通過点に過ぎぬということかっ!! 貴様らはもはや人では無い、化け物、化け物では無いかっ!! 我ら魔族を殺すためにそこまでおぞましい存在になるというのか! 憐れだ、全く以って憐れだっ!!」
笑う彼女の目は、何故だろうか、僅かに寂しげな色が見えた。
「良いだろう。殺してみろ」
男が、駆け出す。劫火の王は火球を飛ばし、それが命中して男は炎に包まれる。だがそれに構うこと無く、男は走りながら死んだ仲間の剣を拾い、劫火の王へと剣を振りかぶる。
次の瞬間、炎が巻き上がった。
後に残ったのは剣を振り上げた劫火の王と、2つに崩れ落ちた黒い消し炭だけだった。
「うわ……おっかないなぁ……」
魔王が若干引き気味の声で言った。劫火の王は恐ろしい火力の火炎を剣に纏わせ、男を下から上に斬り裂きながら、その肉体を焼失させたのだ。人体を一瞬で炭にするとは信じられない火力だが、それを放った本人は熱くないのかどうかちょっと気になる。
「終わったぞ、金屑の王」
一仕事終えたという様子で微笑む、劫火の王。お世辞抜きで、凛々しいと言える表情だった。
「お疲れ様。凄い魔法だったね」
「我が火炎に耐えられる剣があっての技だがな」
「その剣を作るのって大変だったんだよ。文献を探して材料と製法を突き止めるのだけでも1年くらいかかったし」
「それについては感謝している。初代の金屑の王が初代の劫火の王に渡したという失われた魔剣、それと同じものを扱えるのだからな」
そんなに歴史と関連した逸品だったのその剣!?
「気に入って貰えて良かったよ。でも材料が足りないから、くれぐれも折ったりしないようにね」
「折れる心配はあるまい。とは言え、刃こぼれくらいはあるかも知れん。その時は貴様に修復を依頼する」
「ちゃんとお金払ってくれれば、喜んで引き受けるよ」
「もう、せっかく無事に戦いが終わったというのに、なんて無粋な話をしていらっしゃるんですの」
マリアが不機嫌そうに会話に混ざって来た。思い返してみれば、マリアはメイド服で戦場を切り抜けたんだよな。凄いゴリラだ。
「貴様もご苦労だった。随分と活躍したようだな」
「当然ですわ。私を誰だと思ってまして?」
胸を張るゴリラ。ゴリラでもその胸は良いと思うよ。
「さて、ひとまず陣地まで戻り――」
そう言って振り向いたマリアが突然、両手を広げて劫火の王を庇った。そしてその鳩尾に、1本の矢が刺さる。
「あ……」
放心したような顔で声を漏らす劫火の王。だがすぐに憤怒の表情となり、崩れるマリアを抱き留めて片膝をついた。
「……良かった、傷は無いようですわね」
「何が……何が良いものかッ!!」
炎が彼女たちの周囲で巻き起こる。劫火の王の目がマリアに矢を放った射手を捉え、その怒りを発露するが如くに、炎の風があらゆる方向に吹き荒れた。
「フーバッハ!」
魔王が即座に防御魔法を使い、俺と魔王は炎から身を守る。だが逃げようとした射手も、魔王が麻痺させた男も、マリアが気絶させた勇者も、皆その炎に焼かれてしまった。射手が冷気魔法で炎を消す可能性もあったが、その力を使えなかったのかそれとも間に合わなかったのか、射手は炎に全身を焼かれながら地面に倒れ、そして息を引き取った。
敵を焼滅させた劫火の王は、必死にマリアへと声を掛ける。
「しっかりしろ、貴様がその程度の傷で死ぬものかっ!」
「傷だけなら……死ななかったかも知れませんわね」
その言葉に何か気付いたのか、劫火の王がマリアに刺さった矢を引き抜く。
「毒か……!」
「こればかりは……強気に出れませんわね」
「諦めるなっ! まだ十分間に合う!」
「良いのですわ、ジュリエット……私は、最期になりたかった自分になれた……」
「何を……言っている」
「私は、強くなりたかったのですわ……大切な人を守れるくらい、強く……もう二度と、自分だけ逃げ出したりしないように……」
「……お前は逃げ出したんじゃない、生き延びた、勝利したのだっ!」
「それでも、守りたかったですわ……たとえ自分の命を犠牲にしてでも…………だけどやっと、その願いが叶いました……私の人生は今、価値のあるものになったのですわ……」
「価値あるものになっただと……? ふざけるなっ、死によって価値が生まれる命など無いっ!! 己の命を守れぬ者が犠牲によって他者を守ったとしても、そんなものは強さなどとは言えぬっ!! 生きて、生きて、生きて……その中で価値も強さも示すことが出来るっ! 死んでしまったら、価値も強さも消え失せる、無意味になるっ!!」
「それでも貴女が生きてさえくれれば……きっと貴女が私の価値を……示して、くれますから……」
「貴様の価値は貴様が示せ、生きて示せっ!! そうしなければ私はお前を二度と、強い者だと認められなくなる! 大馬鹿者として、心に刻んで生きなければならなくなる……!」
「私はその程度で……良いのかもしれませんわ……貴女のような強い人には……届きませんから……」
「届く、お前なら届く! だから……諦めるな……」
「……貴女に、ちゃんと伝えないといけないことがありましたわ」
「何だ……」
「……大好きです。昔も、今も」
「…………ああ、私も――」
「マダイ」
魔王がマリアに向けて何やら魔法を放った。マダイってえっと……ああ、身体の傷を毒とか麻痺とかの状態異常も含めて回復する最強回復魔法か。つまりマリア治った。
「ちょっと魔王様!? 良いところでしたのにどうして邪魔するのです!?」
立ち上がって、元気に抗議を行うマリア。
「だって本当に死にそうだったよ? それにこれ以上は劫火の王が恥ずかしくなっちゃうと思って」
「後のことは後で考えれば良いのですわっ! どうせ魔王様なら、死んでもどうにかしてくださるでしょ!?」
「流石に死んだ人はどうにもならないよ。だからあんまり無茶しないで欲しいかな……ほら、君が死んだら王妃もヒメも、メアリも悲しむし」
「私は死にませんわっ! ジュリエットが好きですから!」
「……おい、金屑の王」
「はい」
劫火の王が低い声で、魔王を呼んだ。すっげぇ怖いんですけど。
「お前のその回復魔法は……例えば胴体が真っ二つになっても治療できるのか……?」
「うーんと、多分大丈夫だと思うけど、念のため少しはくっついてる部分を残しといた方が良いかな」
「分かった。8割方斬ってみよう」
劫火の王が立ち上がり、剣を抜いた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいジュリエット。さっきまで死にかけてた、貴女のことが大好きな私を斬るなんてそんな……」
「……」
殺気に感づいたのか、全速力で逃げ出すマリア。それを無言で追いかける劫火の王。バカが感染してるよ、どうすんだよこの事態!
「さて、それじゃあボクらは帰ろうか」
「帰っていいのか? あの2人は?」
「きっと仲良く帰って来るよ。そういう2人だって、何となく分かるし」
「…………そうだな」
思い当たる節が1つあるのが、マジで気に食わない。でも別に俺らは仲良くねーし!
「でもその前に、死んじゃった勇者たちに祈っておくね。彼らの魂が、安らかな所に行けることを願ってね」
そう言って、魔王は腹部の前で手を組み、俯いた。俺は祈らない。この世界には、祈るべき神がいないから。
「じゃ、帰ろうか」
祈りが終わり、魔王が劫火の王の陣地へと歩き出す。まったく、スイッチの切り替えが素早い奴だ。
俺は呆れながら、その背中に付いて行く。さっさと帰って、のんびりと休みたい。それが命ある者の特権なのだから。
俺はメガネ型計測装置を外し、異次元収納装置にしまう。裸眼で見る戦場は、寂しいだけだった。それがきっと、あらゆる戦いの結末なのだろう。
それでも俺たちは、戦わないといけない。のんびりと休むために。
価値を失わない、ために。
勇者カウンター、残り9850人。




