第22話 悪魔は勇者の正体に気付くのか
戦場の乾いた風が、雄叫びと共に頬を打ち付ける。幾人もの男たちが剣やメイスをぶつけ合っているが、その衝突音は戦士たちの声に比べればささやかなものだった。己の命を守り、敵の命を奪うための意志は、手にしている武器よりもずっと強い響きで、世界に存在を示している。
「良い空気だ」
劫火の王が満足気に笑った。こちらとしてはこんな物騒な所からはさっさと逃げ出したいわけなのだが、こっそり逃げたら魔王が超高速化使って追いかけてくるのが分かるのでやめておく。魔王からは逃げられない。
それに勇者についての情報をここで得ておかなければ、今後の戦いが非常に辛くなるだろう。ここで逃げるのはあのクリエイターから逃げることと同義であり、その選択をするくらいなら血と死に塗れる方がマシだった。
「それで、これからどうするの?」
右手に長いビリビリ、左手に短いビリビリを持った魔王が、両手のそれらを上に向けながら言った。頭が愉快な人かな?
「まずは勇者以外の人間どもを撤退させる。そのために……ハンッ!!」
劫火の王の剣が、突撃してきた戦士のオッサンを一刀の元に斬り捨てた。
「全く、力の差が分からぬ馬鹿は面倒だ」
転がった死体はもうピクリともしない。悪魔という仕事上、異世界で死体を見ることは少なくなかった。この世界に来る前も飢餓や疫病、戦闘で死んだ人間を見て来たわけだが、どうにも未だに死体を見ると気分が悪くなる。これは悪魔として情けないと嘆くべきか、それとも正常な感覚を保てていることに安堵すべきか。
悪魔という仕事のせいで精神的に病んでしまう者や異世界での記憶を消去することを選ぶ者もおり、異世界生活における精神的安定は重大な課題である。この世界では部屋でゴロゴロしている時間が長いので、他の異世界に比べれば相当楽なわけだが。
「さて、あの若者はどうだ」
劫火の王が前方にいる、まだ少年らしさの残る顔付きの戦士に向かって歩いていく。怯え気味に剣を構えていた若者は、その切っ先が届く距離に劫火の王が来るよりも早く、声上げて剣を振り下ろした。その剣は劫火の王の剣に跳ね上げられ、どこかへ飛んで行ってしまう。
武器を失い、今にも泣きそうな顔で後ずさる若者に、劫火の王が剣を突き付ける。そして、大声を上げた。
「聞け、戦士たちよっ!!」
目の前の若者に言ったのではない、この戦場にいる全ての者に向けて、彼女は呼び掛けたのだ。
「我は烈火団の団長であるっ!! これより、我々烈火団に挑む者全てを我と3人の強者が戮殺するっ!」
「魔王様、聞きました!? 私、強者と言われましたわ!」
「うん、ちょっと静かにしてて」
劫火の王の後方でふざけてる強者。
「だが、今この場にて我々と戦う意志が無い者を殺すつもりは無いっ! 知恵ある者、命が惜しい者、次の戦いにて我らを打ち倒す意志のある者、その者たちはこの戦場より立ち去り、屈辱を晴らす機会を待つが良いっ!! しかしこの場にて我々の命を奪おうと考える愚か者、己の命を捨てることを選んだ者は、容赦無くその命を斬り捨てる! 撤退せよ、この声が聞こえぬ者にも我が言葉を伝えよ! そして残った者は、悉く死の運命を受け入れるが良いっ!」
周囲にいる全ての戦士が目の前の敵では無く、劫火の王を見ていた。赤の髪、炎の髪。美しくも、明らかな暴威を感じさせる姿。戦乙女。死の天使。きっと、そんな言葉が似あうのだろう。その正体が魔族の王であるとしても。
「美しいですわ……」
うっとりしているマリア。あーもー緊張感が薄れるわーコイツ。
劫火の王の言葉が終わるとともに、周囲にいる幾人もの戦士――装備や位置から、恐らくは劫火の王の配下――が、武器を構えたまま後退を始める。それに応じるように、相手の戦士たちもゆっくりと後退を始めた。劫火の王こと烈火団団長がどれほどの名声や悪名を轟かせているのかは知らないが、敵の意思を変えるだけの力をその言葉は持っていたようだ。
「さて、若き戦士よ」
目の前で震える若者に視線を向け、劫火の王が語り掛ける。
「立ち去れ。そして、後方にいる者たちにも我が言葉を伝えろ。その命に見合う武功を立てられる日まで、決して命を散らすな」
若者は戸惑いながらも後ろに向かって数歩歩き、そして背を向け走り出した。この情けなくも見える青年が、後に無双剣聖と呼ばれる偉大なる剣士になることをこの時の俺たちは知らなかった。とかだったら良いのにね。
劫火の王の配下たる烈火団団員は既に俺たち4人よりも後方に撤退し、そして敵もその多くが後退を始めていた。俺たちの周囲に残るのは、未だに闘志を失っていない様子の者たち。
「どうした。戦うか、逃げるか、どちらか選べ」
その者たちに向かって、劫火の王が選択を迫る。
「選べっ!!」
人間の戦士数人が、ほぼ同時に劫火の王へと攻撃を仕掛ける。炎をまとって薙ぎ払われた剣が、彼らをまとめて吹き飛ばす。腹部から血を流す者、炎に焼かれ悶え苦しむ者、地面に打ち付けられて動けない者。魔王の前では、ただの人間など無力なのだ。やっぱ他の魔王は違うなっ!
その攻撃が合図となって、敵軍の動きが加速した。撤退するものは速度を上げ、戦いの意志を持つ者は劫火の王へと近付く。烈火団が魔族で構成されているという噂が広まっているのなら、魔族を倒すという意志が植え付けられた勇者たちはこちらに向かってくる可能性が高い。その動きを見逃さないようにしなければ。
俺は人差し指で鼻当てを押し、サングラス型もといメガネ型の計測装置の位置を正す。
「今の悪魔さんの仕草、なんか知的で面白いね!」
うるせぇバカなんだよ知的で面白いって。ってかこれからみんな揃って殺し合いだぞしっかりしろ緊張感持て中途半端にハゲろ。
劫火の王はゆっくりと前進を始め、そこに人間たちが襲い掛かる。だが、全身が炎に巻かれるか胴体に深い傷を負わされ、彼らは次々と戦闘不能となる。
一方、こっちの魔王の方にも何人か敵が迫っていた。が、遠距離用の長いビリビリから飛ばされた電撃が敵を撃ち、彼らは憐れにも地面に倒れた。麻痺させるだけなので、死なないだけ幸運と言えるか。でも俺はさっきからメガネ越しに死体を確認してるからもう気分悪いったらありゃしないんですけど!!
「どうせなら、何人か勇者を捕虜にしたいね」
「死体!?」
「大丈夫、悪魔さん?」
「いや、悪い。死体の見過ぎで気分が悪くなってきてな」
「まだそんなに死んでいる人はいないと思うよ。手当てしないと死んじゃう人は多いけど」
「そうか……いや、他人とは言え人が死ぬのには慣れて無くてな」
「別に気にしなくても良いよ。誰かが死ぬのが嫌なのはボクも同じだし」
魔王らしくない言葉であるが、そのような平常時の感覚を戦場で保っていてくれることに、幾分か気が休まった。
「じゃあ、誰を捕えようかな」
「今から焼却を行うっ!! 貴様ら、巻き込まれるなよっ!」
「え?」
先を進む劫火の王が謎の言葉を発したので、俺と魔王は彼女を見た。計測装置が示すのは、魔力の激しい動き。つまり、強力な魔法。
「焼却ってことは……広範囲の炎魔法かっ!」
「えぇ~」
魔王が困った感じの声を上げる。直後、劫火の王の周囲から全方位に向けて、火炎の壁が猛烈な勢いで広がって行った。
「マジか!?」
「フーバッハ!!」
魔王が奇妙な言葉を発すと、半球状のバリアらしきものが広がった。確か、炎だの冷気だのを防御する魔法だったはずだ。これなら劫火の王の攻撃に巻き込まれない……はず。
「ちょっと待ってくださいましっ!?」
フーバッハの範囲外で、マリアが声を上げた。
「あ、ごめんマリア。なんかこれ2人用みたい」
「頑張れば3人は入れますわよねっ!?」
「マリアはマリアで頑張って防御してね。失敗したら回復するから、安心して」
「あの、魔王様。もしかして私のことお嫌いですか……?」
「嫌いってわけじゃないんだけど、ほら、君なら防げると思って」
「何なんですの! 私の普段の勤務態度に不満でもあるのですか!!」
「それはちょっとあるけど、どうせ直らないんだから気にしなくて良いよ」
「くっ! 仕方ありませんわねっ!!」
火炎の壁が迫り、マリアはその場に身をかがめる。そして彼女の周囲から炎が発せられた。自身を中心とした、前後左右と上部への火炎魔法。だが炎は広がること無く、彼女の周囲に留まっている。
そして炎が俺と魔王、マリアを通過する。俺と魔王は無傷。マリアを見ると、自身を覆っていた炎のバリアを解除し、安堵の息を漏らすところであった。
「すごいね、マリア。魔力が強いのは知ってたけど、劫火の王の攻撃を無傷で防ぐなんて」
「ですがジュリエットの力も昔より強くなっていますわ……恐らくは今の攻撃も本気では無いのでしょうね。本当に、ジュリエットは流石ですわ……」
さすがジュリエット。略してさすジュリ。
「あ、そういえば……」
魔王がビリビリで麻痺させた人間の方を見た。燃えてた。
「どうしよう、回復魔法で傷を治して上げた方が良いかな」
「まず炎を消さないとダメだろ。それから回復だ」
「炎ってどうやって消せばいいの?」
「さっきマリアがやってただろうが。土をかけて……いや、あの熱量だと蒸し焼きになるか?」
「そうなるとまず回復させて土をかけて……いや土をかけながら回復? どうすればいいの?」
「…………駄目だ魔王。手遅れだ」
計測装置が、命の終わりを知らせていた。
「あー……悪いことしちゃったね」
「そんな一言で済ますな。それに劫火の王の言う通り逃げていれば、死なずに済んだ」
「そうだよね……あの人が自分で選んだ結果なんだよね……」
落ち込んだ様子の声で魔王が言った。俺はその焼死体に視線を合わせ、魂の最期を見届ける。計測装置は、魂が行くべき場所――恐らくはクリエイターによって作られた、魂を集配する異世界――に転移する様子を可視化する。だが――
「……ん?」
「どうしたの、悪魔さん?」
「あの人間の魂……妙だな」
メガネ型計測装置が可視化している魂は、通常の魂に奇妙な瘤のような物が出来ているものであった。ほぼ球体であるはずの魂に付いた、邪魔な何か。
考えられる可能性は、1つ。
「あれが勇者の正体か……」
人間の魂に寄生する、小さな魂。魂に干渉し、その魔力の出力を高めると共に精神にも作用する、機械の付属品のようなもの。そんな冒涜こそが、勇者なのだ。
「魔王、あの人間の魂を捕獲しても良いか?」
「別にいいけど……そんなに変なの?」
「ああ。まったく、吐き気がする」
俺は異次元収納装置からボール型の捕獲器を取り出し、急いで焼死体に投げ付ける。対象に当てないと捕獲できないタイプは遊んでいるようにしか見えないのが難点だ!
疑似人体の精妙なコントロールによって捕獲器が魂に命中し、魂は光の糸となって捕獲器に吸い込まれていく。だが瘤の部分、つまり勇者の部分だけは捕獲器の干渉を受けず、その場に残った。
「この捕獲器じゃダメか。なら……」
俺が別の捕獲器を取り出す前に、勇者の部分はどこかへと消え去った。恐らく、他の捕獲器でも捕えることは出来なかっただろう。クリエイターは勇者の魂が勝利報酬だと言っていた。ならば、断片であろうと勝負の途中で手に入れることは出来ない仕組みになっているはずだ。
そうなると、あの勇者の断片とでも言うべき部分はどこに行くのか。クリエイターがどこかに保管するのか? それとも何か別の……いや、まだ結論を出すには早すぎる。
「どうなったの、悪魔さん?」
「その人間の魂は捕まえた。だが、勇者となった原因の部分は取り逃がした」
「何だかよくわからないけど、もうその人は勇者じゃないってこと?」
「……そうだな」
俺はボール型の捕獲器の所まで歩いて、それを拾い上げる。そして、中身を解放した。
「魂を逃がしてあげるの?」
「ああ。ただの人間の魂には興味無いからな」
解放した魂はしばらく宙に漂った後、消え失せた。この世界か別の世界で生まれ変わるのかもしれない。新しい魂の材料となるのかもしれない。それは分からないが、せめて勇者のような理不尽な役回りを引き受けないで済む存在になって欲しい。
「さて、と。勇者について多少分かったが、まだまだ分からないことが多い」
「そうなると、もっと勇者と戦わないとダメかな」
「そういうことになるな」
「じゃあ劫火の王と一緒にこのまま前進した方が良いね」
「ああ」
俺と魔王は、先を行く劫火の王の背中を見た。
遠くに、小さな後ろ姿とそれを取り囲む多数の人影が見えた。あと、そこに向かっているメイドの姿も。
「ずいぶん遠くに行っちゃってるね……」
「……走るぞ」
異次元収納装置に捕獲器を戻しつつ、俺は勇者カウンターの数値を確認する。そして魔王と一緒に、乗り遅れたバスを追いかける会社員の如く戦場へと走った。
勇者カウンター、残り9881人。




