第20話 悪魔はマリアの過去を知ってしまうのか
「俺と契約を結ぶ?」
劫火の王が口にした、俺との契約。悪魔の契約は原則1名を対象としており、劫火の王と契約を結ぶためには魔王との契約を破棄しなければならない。しかも今回の俺と魔王の契約は通常の契約では無いため、俺の一存で破棄することは出来ない。
よって、劫火の王の提案を受け入れることは無理な相談だった。だが、断る前に色々と聞き出しておきたい所でもある。
「俺にそんな価値があると思うか?」
「金屑の王は貴様がこの世界に持ち込んだ書物によって知識を得た。それも、大魔王様を倒せるほどの知識だ。それを求めるのは自然なことでは無いか?」
「あの魔王が大魔王を倒せたのは、アイツ自身がその方法を見つけたからだ。俺の持ってきた本だけでは、それほどの力は得られない」
「それでも多くの知識を得られることは確かなのだろう。金屑の王の力を削げる可能性も考えれば、黄金の山を差し出してでも契約を結ぶ価値はある」
「黄金には興味無いんだが」
「ならば女か。国中から集めても良い。それとも生け贄を所望か?」
「どっちもいらん。残念だが、アイツとの契約を守らなきゃならないんだ」
「……そうか」
劫火の王は少しだけ落胆した様子を見せたが、すぐに視線を戦場の方へ向けた。どうも、契約が結べることをそれほど期待していたわけでも無い様だ。
「あの男のどの辺りが気に入っている?」
「は?」
「余程の愛着があるのだろう。そうでも無ければ、金屑の王が自らの娘を差し出すとは思えん」
「ごめん、ちょっと何言っているか分からない」
「金屑の王との契約は、貴様にとって特別なものなのだろう。それこそ、個人的な感情の入った……」
「待て。そういうの無い、無いから。仕事上、仕方なくだから」
「ふむ……ならば、そういうことにしておこう」
そう言って、劫火の王は微笑した。そういえばこの人、マリアの文通相手なんだよな。ということは、この人の思考って結構アレなんじゃないか……?
「貴様が金屑の王との契約を破棄できぬのは分かった。だが、我々とて知識は欲しい。相応の対価を支払う代わりに、我々に書物を提供することは可能か?」
「あの魔王が許可すれば良いとは思うが……恐らく得られる知識は役に立たないものだと思うぞ」
「構わない。戦いに活かせぬ知識でも、そこから得られるものはあるはずだ。それに本を読み安らぐ時間も価値のあるものだと思うのでな」
「なるほどな……それで、どういう本が欲しいんだ? 軍事や戦略について書かれた本か? それとも俺の世界の兵器に関する本か?」
「そのような本を金屑の王が許可するはずは無い。実用的な書物では無く、物語などが書かれた本あたりが妥当であろう」
「確かに、その辺りなら魔王も許可するだろうな」
「だからそうだな……たとえば、貴様の世界のマンガ、とかいう書物はどうだろうか」
「………………はい?」
「マンガだ。最近は若き女性を中心に、そのような絵の多い物語が流行しているようだ。私も見せてもらったことがあるが、確かに読みやすい。文字だけの書物より我々のような戦士には向いているかもしれん」
「あー……はい」
なるほど理解した。
やっぱりアンタも、マリアやメアリと同じタイプかよっ!
どうしてこうなった。多分王妃のせいなんだけど。
「私もマンガについては少し学ばなければならないと思っている。この世界の者が書いたものではないマンガであれば、より多くのことが学べるだろう」
「えーと……あ、今気付いたんだが、俺の世界の本は当然、俺の世界の言葉で書いてある。それを翻訳するための指輪は契約が無いと貸せないから、つまり本を渡してもアンタは読むことは出来ない」
「金屑の王に翻訳も担ってもらうさ。相応の代金を払う必要があるだろうが、そのくらいは許容しよう」
そんなにマンガ読みたいんですかアンタは!
「……分かった。あとで魔王と相談する」
「頼むぞ」
「ああ」
劫火の王が満足げな笑みを浮かべた。もっと硬派で魔王然とした魔族だと思っていたが、考えてみればあのマリアと文通している時点で性格的には一癖あることは自明なのだ。というか、マリアに出会ったせいで毒された可能性すらある。もしかしてあのメイドは魔界に生まれたことが消えない罪なんじゃないかい?
それにしても、何でただのメイドが魔王の1人と文通しているのか。かなり謎である。
「ところでジュリエット、少し聞きたいことがあるんだが」
「何だ」
俺の首元からちょっとだけ離れた位置に、剣の刃が光っていた。
「すみません、劫火の王。貴女の持っている剣に喉を掻っ切られそうで怖いんですけど」
「貴様、あの金屑の王よりも強いのだろう? 我が剣で容易く傷が付くとは思えんのだが」
「多分その通りだと思うのですが、気分的に怖いんです、ハイ」
「そうか。ならば気にしなければ良い。それで、何が聞きたい」
首に刃物が当たりそうな状況で話すって、俺が人質で劫火の王が犯人みたいだな! 警察に助けを呼びたいが、この世界にそんなものはない。
「マリアとはどこで出会ったんだ?」
「……その話か」
劫火の王は剣を下げ、ため息を吐いた。犯人から解放されました。
「あの女……マリアからはどれだけ聞いている?」
「確か、戦士訓練所で同期だったとかいう話をしてたな。他に聞いたのは何か事情があってマリアはこっちの魔王の領地に来た、ということくらいか」
魔王とマリアが列車内で話していた内容からは、そのくらいのことしか分からなかった。だってマリア、訓練で汚れながらも笑うジュリエットの横顔があまりに美しくうんぬんとか、そういう話ばかりしてたし!
「そうか……あの女とは訓練所で共に鍛錬の日々を過ごした。今の姿からは想像も出来ぬだろうが、体術においては私に匹敵するものがあり、魔力も私に次いで強かった。お互いの力を認め合い、いずれは共に優秀な戦士になるはずだった」
「それなら、どうしてマリアは劫火の王の領地を出て行ったんだ?」
俺の質問に、劫火の王の目が少しだけ寂しげな色を見せた、ような気がした。
「あの女の父親……我が領地の貴族であったのだが」
「ちょっと待った。貴族? ってことは、マリアは貴族令嬢なのか?」
「そういうことになる。それが使用人に落ちるとは、因果なものだ」
「一体、何があったんだ?」
「あの女の父親が、我が父に代わって王になろうと計略を巡らせていたのだ。それを知った我が父は、あの女の一族に攻撃を仕掛け、そして勝利した。あの女の両親はもちろん、親族も皆、戦いの結果命を奪われた」
「それでマリアは領地を逃げ出したわけか……」
思った以上に重い過去だわ!
「マリアが逃げられたのは、誰かが手引きしたからか? たとえば、アンタとか」
「いいや。あの女は、追っ手を全て倒して逃げ切った。しかも、命を奪わずにだ。王の座を狙った父親より、ずっと戦士としての才覚があったのだと私は思う。それだけに我が父があの女の居場所を奪ったこと、そして私自身が、あの女を助けてやれなかったことを悔やむ時もあった」
「だけど今は、再び友人として付き合えているわけだ」
「数年前、手紙が届いた。金屑の王の配下がわざわざ我に直接届けたのは、あの女の署名がある手紙だった。生きているか死んでいるか分からなかった者からの手紙が金屑の王を経由して来るとは、一体何の罠かと身構えてしまったのだが、その手紙はあの女の直筆で、しかも平穏な生活を金屑の王の下で送っているという内容だった。今まで連絡を寄こさなかったことを謝る一方で、私が新たな王となったことを祝福する言葉もあった。一族を殺した者の娘を、あの女はまだ友人だと思っていたのだ」
「ええ話や……」
「思えば、今になってあの女が手紙を送って来たのは私の立場を気にする必要が無くなったからかも知れない。かつて王に叛逆した者の娘から手紙が届けば、私自身が王に叛意を抱いていると疑われかねない。だから私が王にならなければ、あの女と再び会うことも無かっただろう」
「ええ話やぁ……」
「……」
再び、俺の首元近くに剣の刃が光った。
「いや、ふざけているわけでは無いんだが、あのマリアがそこまで深く物事を考えているとは思えなくてな……」
「ああ見えて、あの女は他者よりもずっと辛い日々を乗り越えて来た強者だ。道化のように騒がしく生きているのは、その過去を他者に気遣われないためだと私は考えている。以前はあそこまで五月蠅くは無かったからな。苦悩も苦痛も己の胸の内に秘め、平然を装う強さがあの女にはあるのだろう」
「それは本当に強さなのか?」
「あの女にとってはそうなのだろう。だがその強さは、弱さを隠すための強さに過ぎん。全く、性格については問題だらけの女だ」
「それはア……」
危ない。ここで「アンタも同じだろ」とか言ったら喉を刃で斬られていた。傷は付かないと思うけど気分的に死ぬからやだ。
などと考えていると、不意に周囲の時間が静止した。そして戦場の方から、返り血で真っ赤に染まった魔王が歩いてきた。
「いやー、酷い目に遭ったよ」
超高速化と同調加速が解除され、魔王の声が聞こえた。周囲にいる傭兵がぎょっとした様子で見ているが、血生臭い殺人鬼が急に目の前に現れたらそりゃびびる。ホラー映画かよ。
「金屑の王……貴様、人間を殺すのは嫌いではなかったのか?」
「もちろん嫌なんだけどさ、だってさ、みんな凄い怖い顔で向かってくるんだもん! 思わず剣を振り上げちゃったら、思った以上に斬れちゃって、血がドバーッ! って感じで出て、ビックリしておろおろしてたら別の人が来て、慌てて斬ったらまた血がドバドバでもう大変だったよ!」
お前、魔王だよね?
「なんであんなに必死で襲ってくるのかな、もう」
「それが分からないから、お前は戦士では無いのだ。命を捨てる覚悟が無ければ、命を守ることも出来ない。それが戦場の理であることを、人間どもは分かっているのだ」
「そんな面倒なことになるなら、戦争なんてしなきゃいいのに」
「戦わなければ相手に殺されるだけだ。そして皆、己自身が勝利する幻想に囚われている。戦争とは恐怖を誤魔化す熱狂に過ぎん」
「それならどうして、君は戦争が好きなの?」
「戦争が好きなのではない。戦場が好きなのだ。自らの力を感じ、更なる強さを得るためには相応の相手が必要だ。戦場にはそれがある」
「模擬戦とかだけじゃダメなの?」
「死の恐怖に立ち向かわなければ、真の強さなど得られん。戦場の恐怖に打ち勝つことが、真の強さに繋がる」
「そうかなぁ」
「現に貴様は、恐怖に負けて人間どもを殺してしまったではないか。貴様が真に強ければ、殺さずに済む方法もあっただろうに」
「あー……確かにそうかも知れないね。うん、ボクもまだまだなんだね」
「当たり前だ。我々はまだ未熟だ。だからこそ、強くなるべきなのだ」
「そうだね、ありがとう」
魔王が屈託の無い笑みを浮かべた。血塗れの殺人魔王が笑っているのって気持ち悪いし相当怖いしでちょっと生理的に受け付けないんですけどぉ。
「いいから貴様は早く血を洗い流してこい。まだ戦いは続いているのだからな」
「そうだね。じゃあ洗ってくるよ」
そう言って魔王は陣地の奥に駆けていく。魔王が去った直後、劫火の王に配下がテレフォンを差し出す。
「私だ。準備は出来たか。そうか、ならば撃滅せよ。勇者どもらしき者がいたら、無理をせず後退せよ。せっかく金屑の王がいるのだ。勇者どもを一か所に集め、私と奴で一気に叩く。当然だが、連絡を怠らず戦況に変化があったら即座に報告せよ。以上だ」
劫火の王はテレフォンを配下に返し、不敵に笑う。
「さて、勇者どもはどれほどの強さか、期待したい所だ」
「あー、スマン」
「どうした、悪魔よ」
「ちょっとトイレ」
「……厠はあっちだ。行ってこい」
「はい」
俺は劫火の王が顎で示した方向に向かい、人目の少ない所で異次元収納装置を呼び出す。そして、勇者カウンターの数値を確認した。
「……確かに勇者が集まっているみたいだな」
勇者カウンター、残り9906人。




