第11話 魔王と王妃は語学学習してたのか
いつもの部屋のいつものタタミの上で、俺と魔王と王妃はテーブルに向かって読書に励んでいる。まぁ、王妃が読んでいるのはマンガなんだけど。魔王が読んでいるのもマンガだけど。俺が読んでるのもマンガ。働けよ俺ら。
現在のところ、新しい勇者の情報はあまり入っていない。多くの勇者がまだ本格的に活動していないのか、それとも勇者が多くいるであろう地上の都市に魔王軍の情報網が行き渡ってないのか。恐らく両方だろう。しばらくは状況が変化するのを待つしかないのかもしれない。
俺は漫画を真剣に読んでいる王妃と魔王に目を向ける。思えば、この3人でこうやってのんびりだらだらする時間は初日以来かも知れない。魔王も王妃もそれぞれの仕事で忙しく、そうでなくとも学校のある時間以外はヒメがおり、メイド2人もよく乱入してくる。ヒメはともかく、メイドはやかましくて困るわけだが、目の保養にはなるので我慢は出来る。おっぱいは百難隠すからな!
そんなわけで、貴重となってしまったこの時間は静かに過ごすこととする。どうせ魔王が変なことを思い付いて、それに適当な相槌を入れる展開が待っているだろうからな。
俺はマンガのページをめくる。セリフの吹き出しの中に、「姫」という言葉が見えた。
「そういえば」
「どうしたの悪魔さん。何か変なことでも思い付いたの?」
うん。今日はお前じゃなくて俺のターンだったようです。
「ヒメやメイド2人の名前って、俺の世界の言葉だよな」
「そうだよ」
王妃もマンガから視線を俺に移し、うんうんと頷いていた。
「どうやって勉強したんだ?」
「もちろん、悪魔さんが置いて行った本やマンガから勉強したんだよ」
「確かにそうだが……何か引っかかるんだよ」
ヒメ、マリア、メアリ、マナ。俺は頭の中で、その名を声に出してみた。
「そうか、発音だ」
「発音?」
「どうやって本だけで発音まで勉強したんだよ」
本には通常、どのように発音するかまでは書いていない。俺たちの使用している翻訳機も基本的に意味を訳すだけで、対応する言葉が無い場合などを除いては発音を伝えたりはしない。そのため俺が前にこの世界にいた時ですら、魔王たちが言葉の発音を学ぶことは困難であった。それなのに俺がいなくて翻訳機も存在しない期間に、こいつらは俺の世界の発音を学んでいた。一体、どうやって。
「ふふふ……そこに気付くとは、流石悪魔さん」
魔王が不敵な笑みを浮かべる。なんだ、もしかして文字の発音を調べる魔法とか使えるようになったのか?
「実は悪魔さんの世界の文字をどう読むのかは、悪魔さんがいた頃に調べておいたんだよ」
「マジか」
「王妃が」
「お前じゃないのかよ」
王妃の方を向くと、手帳に書いた『なかなか面白かったです』という言葉が見えた。文系ガールここに極まれり。
「俺がいた頃に調べたってことは、翻訳機を使ったわけだよな」
「そうだね」
「どうやったんだ?」
「悪魔さんの世界の文字ってさ、1文字だけ翻訳しようとすると読み方が出て来るんだよね」
翻訳機はその異世界の言葉で意訳できない言葉については、確かに読み方を伝える。そして1文字だと意訳できない俺の世界の言葉というと……
「そうか、ひらがなとカタカナは翻訳機で発音が分かるのか」
「そういうこと。王妃が最初にそれに気付いて、フィラギャナとキャタカーナの読み方を表にまとめたんだ。おかげで読み方がしっかり習得出来たよ!」
なるほど。習得できてないことが良く分かった。
「ガンズィーは1文字でもボクたちの世界の言葉に翻訳されちゃうけど、フィラギャナやキャタカーナに直せるから読めるようになったよ」
恐らく漢字のことだろう。なんというか、正しい発音の名前を与えられて良かったな、ヒメ……
「それでも、ッとかョは発音が難しかったけどね」
「ごめん、今なんて言った?」
「ッとかョ」
それ単独で発音する文字じゃないと思う。
「ひらがなとカタカナから発音を学んだのは分かった。でも俺の世界の言葉は、マンガ1冊読むにしても相当な勉強をしないと難しいと思うんだが」
「悪魔さんがいた頃から、悪魔さんの世界の言葉とボクたちの世界の言葉の対応表を作ってたからね。簡単な言葉しか出てこない本なら、14年前から翻訳機無しで読めたよ」
「すげぇ」
「王妃が」
「それ王妃が凄いだけだよね?」
「悪魔さんが元の世界に帰ってからもマンガみたいに絵と文字が一緒に書いてある本を参考にしたり、色んな本を見比べて新しい言葉を覚えて行ったんだよ」
「王妃が?」
「王妃が」
全部王妃のおかげじゃねーか!!
話題の中心であるところの王妃は、俺と魔王のやりとりを聞きながら穏やかに微笑んでいた。しかしその儚げな見た目の中に隠された才覚は、正直恐ろしさすら感じる。本を通じて魔王は戦いに勝つための知恵を得たわけだが、王妃は王妃で生活を豊かにするための知恵を得たのだと言える。そして語学という武器を持って大量の本に向かい、より多くの知識を獲得して魔王や他の者たちと共有してきたのだろう。
大魔王と女神が消え、力による争いが少なくなったであろう14年間。その期間は魔王よりもむしろ王妃の方がこの世界にとって重要な存在であったのかもしれない。マンガによる文化に対する影響はもちろんのこと、俺の世界の本に書いてある知識をこの世界の言葉に直し、この世界に存在しなかったアイデアを魔王や他の魔族に伝えることは様々なものを作り出すきっかけとなったはずだ。
たとえ翻訳機や俺が存在しなくとも、王妃がいれば魔王はこの世界を良くすることが出来るだろう。ってことはアレか、俺いなくてもいいんじゃないかなー。お払い箱なのかなー。
「でも悪魔さんが貸してくれた翻訳機で確認してみたら、結構間違ってた所も多くてね」
「たとえば?」
「ミミズって飲み物じゃなかったんだね……」
「水しか合ってねぇよ」
「悪魔さんの世界の言葉が難しすぎるんだよ! 花が鼻だったり目が芽だったり皮が川だったりガンズィーが無かったらどうやって判別してたの!?」
「それは俺にも分からん」
「ガンズィーだって、ずっとロだと思ったものが口だったりして、直さなきゃいけない所たくさんあるんだよ! 悪魔さんが帰って来なかったら、きっと間違ったまま伝え続けてたよ!」
そうなってたら「ロは災いの元」とかいう言葉が使われたのだろうか。何故だろう、妙に俺の現状にしっくりくる言葉だ。
「ボクたちは王妃を中心にして悪魔さんの世界の言葉や本を解読しようとしたけど、やっぱり正しい知識を得るには悪魔さんがいないとダメみたい。それだけ悪魔さんの世界とボクたちの世界に差があるってことかな」
「かも知れないな。正直、そんな中でよく頑張ったと思うぞ」
「だよね」
「王妃が」
「王妃が」
俺と魔王がほぼ同時に王妃の方を向く。すると王妃は笑いをこらえるように、手帳で顔を隠してしまった。
「かわいいよね」
「ああ」
勇者カウンター、残り9979人。




