第10話 魔王は勇者に頭を悩ませるのか
いつもの部屋のいつものタタミの上。夜も更け、ヒメはもちろん王妃やメイドも寝入っているであろう時間。三角柱の目覚まし時計こと勇者カウンターが乗ったテーブルを挟んで、俺と魔王はクリエイターが述べた勇者への対処について頭を悩ませていた。
「う~~~~~~ん……」
口をへの字に曲げ、いかにも悩んでいるような表情をしている魔王。実際は何考えているか知らんが。
この時間帯でも部屋の中は魔術による照明装置で明るさが保たれているため、魔王の表情ははっきりと分かる。さらに冷気魔法を利用した魔術装置が空調を整えているため、夏だというのに結構涼しい。その上、冷気魔法で食物を保存する「レイゾーコ」なる箱が部屋の隅に置いてあり、そこに入っている冷たい飲み物も飲める。お前ら魔法を使って人の世界の発明品を何でもかんでもパクってんじゃねぇよ!!
「ねぇ悪魔さん、本当に1万人も勇者倒さないとダメかなぁ?」
「さぁな。正直、この世界を作った奴の思考なんて理解できない」
「それじゃあ、ボクの意見なんだけどね」
「ああ」
「見なかったことにしない?」
「そうだな」
俺は勇者カウンターの数字面をテーブルの表面へと倒し、背筋を伸ばす。
「何か飲む? レイゾーコから取ってくるよ」
「悪いな。酒はあるか?」
「ごめん、お酒は無いんだ。冷たいお茶ならいっぱいあるよ」
「じゃあそれで」
魔王がレイゾーコからお茶の入った瓶を出した。テーブルの上に置いた2つのコップに中身を注ぎ、瓶を元の位置に戻す。
「助かる」
「いいって、いつもお世話になってるし」
のんびりとお茶を飲み、一息つく俺ら。
「……」
「……」
「……無視するってわけにはいかないよね?」
「……だろうな」
コップを片手にうな垂れる俺と魔王。
「それで悪魔さん、新しい勇者には子どももいる可能性があるんだよね」
「ああ。本当にいるかどうかは不明だがな」
「子どもは殺したくないんだよね……あまりいい気分じゃないのはもちろん、ほら、ボク一応子持ちだしさ、ヒメの顔を思い浮かべるとね……」
「分からないでも無いが……じゃあどうする?」
「子どもは成長して魔族や魔物を襲い始めたら殺すことにするよ」
さすが魔王、救済という考えが頭に無い。
「でもそれだと何十年もかかるんじゃないか?」
「時間制限は無いんでしょ?」
「らしいが……俺はどうすればいいんだ?」
「え? ずっとこの世界で暮らすんでしょ?」
「暮らさねぇよ。たまには元の世界に帰りたいしな」
「新しい勇者がいなくなる100年くらいは我慢して欲しいな」
「なるほど。帰ってもいいか?」
俺は立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待って! せめて本当にそれくらいかかるか目途が付くまでは待って!」
「まぁ、それはそうだな」
俺が再び座ると、魔王が安堵した表情で息を吐いた。前より冗談が通じなくなったというか、必死になったというか……少しは大人になったか、こいつも。
「とりあえず、今分かっていることを整理するね。まず勇者の残り人数はこの装置が正しければ、9981人だね」
「ああ。数字が正しいかどうかは実際に勇者が死ぬ時に数字を確認するなりして検証する必要があるな」
とは言ったものの、クリエイターは俺と魔王、それどころかこの世界全体を常時監視していても不思議は無い。そのため俺と魔王が検証している時だけ正確に数値を減少させ、それ以外の時はランダムに数値を減らしている可能性すら考えられる。
「この数字、ボクは正しいと思う。これが間違いだったら、この世界を作った人の言うことは何も信用できなくなるし」
「それはそうだな。まぁ、この世界を作った奴なら勇者の人数を1万人どころか10万人や100万人にすることすら出来るだろうし、深く考えるだけ無駄だろうな」
「やなこと言わないでよ悪魔さん……本当に勇者が10万人も現れたらさすがにボクも逃げるしかないよ」
「お前なら力の弱い勇者が何人いても敵じゃないだろ?」
魔王の強さ。時間停止にも近い動きが可能な超高速化の魔法に、あらゆる傷を一瞬で回復する魔法。広範囲を爆発で吹き飛ばす魔法や、相手を麻痺させる魔法。さらにそれらによって消費した魔力を回復する魔導石。大魔王と女神を倒した時には爆縮魔力結晶兵器とかいう大量破壊兵器まがいのものもあったが、今回は使う機会が無いだろう。
今回の勇者よりも遥かに強力な上に不死身でもあった前回の勇者は、魔王の魔法の前に無力であった。だから勇者が魔王と直接戦うのであれば、魔王が敗北することは無いだろう。
「確かにボクなら10万人殺せるかもしれないよ。でもさ、そんなに殺したらどうなると思う?」
「それは……」
10万人の人間の殺害。もし魔王がそれを行えば……
「すっげぇ魔王らしくなるな!」
「そうなんだけど、そんな魔王と仲良くなりたい人間なんていないでしょ?」
「ああ。虐殺者として人間の敵になるな」
「ボクの目的は地上の人間と友好的になって、魔族だけでは作れないものを手に入れることだよ。その目的を達成するためには、1万人の勇者だって簡単には殺せないよ」
「そりゃ1万人も殺せば充分人間の脅威だからな。そうなると、バレないように少しずつ殺すしかないか」
「ひとまず毒殺とか呪殺の研究を進めないとね……あと地上にいる魔族の情報網も強化しないといけないし……魔族の地上進出がやっと軌道に乗って来たところなのに、本当に面倒だよ……」
不機嫌そうに顔をしかめる魔王。ざまあと言いたいが、俺も付き合わされるわけだから全く喜べない。
「それでえっと、他に勇者について分かっているのは前の勇者と違って不死身じゃないし、強くも無いってことだよね。これ本当かな?」
「今のところ19人死んでいるらしいから、嘘では無いと思うぞ」
「そうだよね……今のところ勇者を名乗る人間によって大きな被害は受けてないし、力は強くないのかもしれない。だけど、勇者はどんどん強くなるはずだよね」
「この世界を作った奴はそう言っていた。そうなると、倒せる奴については早めに倒した方が良いだろう」
「魔族を襲うらしいから、被害が出る前に数は減らしておきたいよね。そうなると自然と戦略も決まってくるかな」
レイゾーコから再び瓶を取り出し、コップにお茶を注ぐ魔王。瓶を戻し、お茶をゆっくりと飲み干してから、座る姿勢を正した。
「まず、勇者についての情報をたくさん集める。魔族や魔物を攻撃する人間や、敵意を持ってる人間についての情報を集めて、勇者である可能性が高い人間を見極める」
「見極めてから、毒やら呪いやらで殺すわけか」
「都市部に住んでいる勇者についてはそれが一番良いと思うけど、魔族が簡単に近づけるような場所に住んでいるとは限らない。場合によってはボク自身が殺しに行く必要も出てくると思う」
今、殺しに行きます、ってやつか。
「魔物が多い場所は人間の数も少ないから、勇者を殺してもバレにくいと思う。そういう場所では昔から魔物と人間で生存圏争いをしてるから、死人が出ても不思議は無いし」
「だけど魔物側の被害も増えるんじゃないか?」
「だからこそ情報が必要だよね。強い勇者がどこにいるのかが分かれば、被害も抑えられる」
「今回の勇者との戦いは、情報をどれだけ集められるかが重要ってわけか」
「そうなるね。地上には他の魔王も勢力を伸ばしているから、彼らとも協力したい」
「他の魔王か……お前、大魔王と戦った時についでで殺してなかったっけ」
「新しい魔王になったから、今はみんな仲良しだよ。いずれ悪魔さんにも紹介するね」
絶対仲良しじゃねぇと思う!
「とにかく、今は情報をたくさん集めないとね。勇者がどれぐらいの早さで強くなるのか、それと何か特別な力を持っているのかどうか、そういうことも調べられたらいいね」
「ああ。地道にやるしかないだろう」
一応の方針が決まり、俺と魔王は肩の力を抜く。
「それにしても、1万人の勇者の中に王妃が入ってなくて良かったよ。もしかしたら、この世界を作った人って優しいのかな?」
「お前、仮に王妃が勇者になって襲ってきたらどうするんだ」
「殺されるしかないかな……王妃になら殺されても良いし。でも王妃が他の魔族を殺すのは止めたいし、うーん…………」
「いっそ、世界を全部滅ぼすか?」
「それも仕方ないかもね……王妃が誰かを殺す世界も誰かに殺される世界も絶対に嫌だから」
うん、やっぱこいつ危ないわ。クリエイターの判断は適切だったと言える。
「まぁ、王妃は勇者じゃないから深く考えるな。見知った人間を殺すなんて、想像するだけで気が重くなる」
「そうだね。知らない人を殺せばいいだけ気は楽……」
急に、魔王が口を噤んだ。何か、嫌なことに気付いたかのように。
「どうかしたのか?」
「王妃は勇者じゃない。だけど、王妃以外の人間は勇者かも知れない」
「ああ」
「孤児院には、人間の子どもたちがいる」
魔王の言葉に、背筋が凍るような感覚が脳へと走る。
ヒメの友人であるマナ。
あの穏やかな少女が、勇者である可能性は皆無ではない。
「難しいかもしれないけど、勇者になった人から勇者の魂……でいいのかな、それを分離する研究も進めた方が良いかもね。もしそれが出来たら、子どもから勇者の魂だけを切り離すことで将来殺さなくても良くなると思うし」
「ああ……」
マナが勇者となり、孤児院で子どもの世話をしてくれている魔族を、町の店でいつも会話をしている魔族を、広場でよくすれ違う魔族を、妹のように思っている魔王の娘を、殺さなければならなくなったら。
そしてそれを止めるために、魔王がマナを、娘の友人を殺さなければならなくなったら。
どうか、そんな最悪の自体だけは起こらないで欲しい。
勇者カウンター、残り9981人。




