第8話 創造者に感情は必要なのか
「この辺りのはずだが……」
力場の異常を検知した疑似人体に従い、俺は波打ち際までやって来た。藍色の空が頭上に広がる海岸。夕日は残念ながら海とは反対側に沈み、しかし早くも星がいくつか天空に見えた。
恒星。いや、本当に恒星なのだろうか。そもそもこの世界が球体なのかそれとも平面的なのか、はたまたドーナツのような形をしているのかすら俺は知らない。この異世界が作られたものである以上、どのような形であっても不思議は無い。宇宙のような場所に見える星々が俺の生まれた世界とは全く違うものであっても、何も問題は無い。
俺の世界でもこの異世界でも、物理法則は基本的に共通している。だが物理定数が完全に一致しているわけでは無く、簡単に言えば異世界というのは「脆い」世界らしい。だから簡単に世界の形が変わり、簡単に世界の形を操作できる。そのために必要な力の制御が出来ればの話だが。
俺たちはある程度、それが出来る。だが奴らは、もっと出来る。
頭の中で警告が、視覚的でも聴覚的でもなく、第六感の違和感として知らせてくる。この場所に奴らがいる。奴らに会え、奴らと話せ。奴らから聞き出せ、奴らから盗み出せ。奴らとの遭遇を想定して製造された疑似人体が、脅迫のように俺を内側から突き動かす。
そんな中で俺自身の心に表れるのは、恐怖か、期待か。仮に敵対されたとしても、今ここにある俺と疑似人体が消滅するだけだ。俺の世界にある本物の肉体には影響が無く、しいて言えばこの世界での1週間分の記憶が消えるだけだ。だが、奴らが悪魔である俺だけでなく、この世界自体を不要なものとした場合は?
その場合は、全て終わる。この世界も、ただの夢だったと思うしかない。
それはとても、寂しいことかも知れない。
時が止まった。
同調加速が作動する。
音の消えた世界。波の止まった世界。風の無い世界。
突然、数メートルほど離れた場所に少年の姿が現れた。
「やあ」
手を挙げて挨拶をする少年。年齢は14歳か15歳か――いや、違う。違わない?
髪の色は黒か? いや、紫にも見える? 思考がまとまらない。シャツは白だな。ズボンはデニム生地? この世界の人間ではあり得ない。当り前だ。
「君にはどう見える」
少年が両手を広げ、身体を見せびらかす。余裕に満ちた笑顔。肌は色白。髪は青めの黒。身長は低くは無いが、顔は童顔と言える。
「これでいいかな?」
少年の姿が定まると、不思議と思考が落ち着いてきた。だが、今のは何だ? 俺の思考に合わせて姿形を変えたとでも言うのか? そうなると、相手はこちらの思考を読んでいるのか?
「あまり深く考えないでくれ。その身体から発せられているノイズに合わせて素体を微調整しただけだ。君が違和感を覚える姿では、上手く話が出来ない可能性があったからね」
『そういう都合か。だが、第一印象としては最悪だ』
「印象はどうでもいいさ。友好的にしろ敵対的にしろ、正確な会話が出来ることが重要だ」
そう言って、少年は椅子に座った。よく見ると、魔王と同じように口が動いている。どうやら超高速化と同様の魔法を使用しているようだ。魂を造り出した者が魔法を使えたとしても、別段不思議は無いが……
……ちょっと待て、椅子? いつからあった?
「さて、まずは何から聞きたい?」
『業務上、聞きたいことは多いが……』
机の上で両肘を立て、手を組んでいる少年。もう、気にするのも馬鹿らしい。目の前の存在はそれが可能だというだけだ。
『お前たちは……何者だ』
「クリエイター。君たちはそう呼んでいるね。安直だけど、正しい名前だ。我々が何者なのかは、君たちも目星が付いているんだろう?」
『人間、いや、元人間というべきか』
「そうだね。君と同じだ」
ふふっ、と笑みをこぼす少年。
『……そうだな。電子化した人格と疑似人体。俺も人間とは言い難いか』
「だけど、我々はもっと人間を辞めてしまった。情報化された複数の人格を人工知能を介して繋ぎ合わせ、もはや個人でありながら集団であり、機能でありながら意志を持つ。自分自身をどう表現すべきか、自分たちにもわからない」
『聞いていたのとほとんど同じ答えだな』
目の前の存在が語ることが真実かどうかは不明だが、過去にクリエイターと悪魔が接触した際の記録においてもクリエイターは元人類であると語っていた。
クリエイターと悪魔の遭遇。過去に何度かあったそれら全てが交流候補異世界、つまりこの世界同様に悪魔の影響が強くなりつつある異世界においての出来事であった。俺の疑似人体に超高速化や他の魔法に対抗する機能が備わっているのも、クリエイターと接触する可能性がある以上は万全の体制を整えておきたいという意図があってのことだ。
だが実際に相対して分かる。
無駄だ。
同じテーブルに着くことは出来ても、対等な話など不可能だ。どれほど偽りの肉体に技術の粋を詰め込んでも、相手の方が遥かに高度であり、無茶苦茶だ。
「我々の正体なんてくだらないものさ。地球外の知的生命体を期待していた者たちには悪いけどね」
『こんなあからさまなファンタジー世界を作っている時点で、正体はバレバレだろ』
「その通りだね。だが、我々にとってこのような世界を作ることにも一応の意味があるのさ」
半透明の立体地図らしきものが、少年の目の前に浮かんでいる。それはこの世界の地図だろうか。
『お前たちの目的は何だ?』
「科学技術の発展が第一目標さ。そしてそのための第二目標が、感情を失わないことだ」
『感情?』
その答えはこの世界を再訪する前に読んだ資料には書かれていないものだった。クリエイターの目的は技術の追求と実践。感情という要素は言及すらされていない。
「我々がこの世界のような異世界を作るのは、様々な感情が湧き上がるからさ。創造している時はもちろん、その後をその世界の住人に任せ、その成り行きを見ている時も。特に争いがある世界が良い。人間の根源的な攻撃性、恐怖、それらを忘れてしまうのは我々にとって危険だからね」
『大魔王と女神、わざわざ対立する存在を置いたのも、争わせるためか』
「この世界ではそうだね。その2人とも、君に魂を奪われてしまったが」
『それで……俺を消すつもりか?』
「まさか。悪魔に魂を奪われることは想定されていた。ただ、2人がほぼ同時に魂を奪われることは想定していなかったよ。その点で、君とあの魔王は我々を越えたと言えるね」
『それはどうも』
「もう少し喜んでも良いと思うよ。君ほどの悪魔は、なかなかいない」
『買い被りすぎだ』
ティーカップに口を付けながら、少年の目が俺をじっと見つめている。値踏みしているようで、あまり居心地の良いものでは無い。
『感情を失いたくないのは何故だ?』
「我々の判断に多様性を、ゆらぎを持たせるためさ」
『それはお前たちの第一目標、技術の発展に必要なのか?』
「感情が無い方が技術発達の効率としては上がるかも知れない。だけど我々の想定しない事象や未知なるものに対処するためには、感情による価値観の多様化が求められる」
『もう少し分かりやすく説明できないか。俺はバカだし』
「知ってるよ」
クスクス、と少年が笑った。そうだ、この少年は少しだけ魔王に似ている。恐らくはそのような印象を与えるように操作しているのだろう。ムカつく!
「たとえば、地球に巨大隕石が衝突する、という妄想があったとして、それは考慮すべきものかな?」
『考慮する必要は無いだろう。ただ、少し不安には思うけどな』
「そう、その確率は限りなく低く、合理的に考えればその対策など必要は無い。だけど感情を持つ者は、どうしてもその限りなく低い確率について考えてしまう。そして時には、そういうものが役立つことがある」
『普通に考えれば起きないことについて考えることが重要だということか?』
「そういうことさ。我々は神では無いから、知らないことが多すぎる。だから未知のものに対する評価が正しいとは限らない。感情を失わないことは我々の多様性を維持し、共通する脆弱性を持たない上で重要なんだ。たとえ地球が隕石に破壊されても、月に移住していれば人類は存続する可能性があるように」
『月への移住は進んでねぇぞ』
「たとえばの話だから、細かいことは気にしないで欲しいな」
少年が椅子から降りると、机も椅子も消え去った。
「とにかく、我々は異世界を開拓し、そこで起こる事象を見て感情を存続させてきた。君たちが本を読むように、我々は開拓した異世界を見るんだ」
『そうなると、お前たちにとって異世界は娯楽に過ぎないのか』
「完成してしまったものについては、その通りだね。神でない我々は愛によって世界を作ったのではない、己が楽しむために世界を作ったのさ。その世界で起こる喜劇も悲劇も平和も戦争も誕生も死滅も、全ては我々の生きる糧なのさ」
『悪趣味だな』
「水槽の中の環境を整え、泳ぐ魚の様子を見るようなものさ。それほど悪趣味では無いと思うけど」
『争いがある世界が良いと、さっき言っていただろ。その辺りが悪趣味なんだよ』
「君は戦いが嫌いかい? 本でもマンガでも、映画でも良い。君が好きな作品の中で、殺し合いを行うものは無いか?」
『……だが、この世界の人間は生きている』
「そうだね。そう言える君だからこそ、我々は興味を抱いているわけだ」
『何か……企んでいるわけだな』
「その通りさ」
少年が右手を伸ばすと、手の平の上に奇妙な三角柱が現れた。金属というより透明なプラスチックで出来ているように見える、角を丸く削られた怪しい物体。
「君たちには、新しい勇者と戦って欲しいんだ」
面倒臭い戦いが、また始まる。




