第2話 ヒメとメイドはどうしておかしいのか
石造りの室内に置かれた、不自然な8畳のタタミ。俺がこの世界に持ってきて、魔王や姫様と一緒にアホな時間を過ごした「いつもの」タタミ。
その上に座っているのは俺と魔王、そしてあの頃は産まれてすらいなかったヒメ。いつもと違ういつもの部屋は、俺がほんの少しこの世界を離れている間に経過した時間の長さを感じさせた。
「それで、聞きたいことは色々とあるんだが……」
「うん」
テーブルの向かい側で魔王がにこやかに頷く。先程の玉座では黒いマントを羽織っていたが、今は上質には見えるが派手には見えない程度の服を着ている。金髪で20歳前後の容貌と合わせて、魔王というより街の若者Aといった感じだ。相変わらず、威厳を感じさせない男である。
「えーと、聞きたいことはあるんだが……」
「なに?」
俺はちらりと、ヒメの方を見る。聞きたいことはあるが、ヒメの前で話すべき内容では無いので、さてどうするか。
「悪魔殿、もしかして私が邪魔なのかにゃ?」
「なんだその語尾」
ヒメが不安げに言ったため、席を外してくれと言いづらい雰囲気になった。
っていうか、にゃ、ってなんだよ……なんなんだよ……
「うーん、確かにヒメがいると話しにくいこともあるのにゃ」
「何故お前までその語尾になる」
「気は進まないけど、あの2人に迎えに来てもらおうかにゃ」
「あの2人……?」
魔王は金属製の棒――魔法で遠い場所と通話が出来るこの世界の通信機、通称「テレフォン」――を取り出し耳に当て、小声で「ああ、うん」やら「お願い」やらの言葉を通話先に伝えた。相手側の音が聞こえなかったが、改良の成果なのか。前は相手の声が大音量で聞こえたりしてマジで使いづらかった気がするし。
「もうすぐヒメのお迎えが来るよ。あと、王妃も来るって」
「王妃……姫様のことか」
「うん。ヒメが生まれたし、今はみんな王妃って呼んでるよ」
「私はもっと悪魔殿とお話がしたいのじゃ~」
「あとでゆっくり話をする時間を作ってあげるから、我慢してね」
「むぅ……仕方ないのじゃ」
父と娘のやり取り。見た目的には兄と妹であるが、ヒメを見る魔王の眼差しは父親特有の優しさがあるように思えた。
多分気のせいだけど。
「ところで、あの2人って誰のことだ?」
「えっとね、ヒメの世話とかで忙しくなるから王妃の手伝いをする女性の使用人を雇ったんだけど」
「メイドだな」
「あー……やっぱり悪魔さんの世界だとメイドっていうんだね……」
心なしか魔王の表情が暗い。調子に乗っていることがむしろ普通である魔王が、何故かメイドの話で大人しくなっている。
「あの2人といると楽しいのじゃ。でも今は悪魔殿といる方が楽しいんじゃよ」
「ヒメが楽しいのなら良いんだけどね……」
話がよく見えない。魔王はメイドに何か苦手意識でもあるのだろうか。もしかしたら美人メイドを期待したらオバサンがやって来たとかそういう話か。ざまぁ。
などとくだらない想像をしていたら、部屋の入口の方で「とうっ!」という女性の声がした。
視線を向けるとメイド服を着た女が空中で3回転を決めて着地する姿が見えた。
着地したその女はスカートの裾を両手でつまみ上げ、深々とお辞儀をする。
「はじめまして悪魔様。私はメイド、そして魂の名は、マリア!」
マリアと名乗る女が顔を上げる。長くさらさらとした黒髪に、凛とした顔立ち。年齢は20歳前半といった所で、つい視線が胸元に行ってしまうような体付きをしていた。
外見はお世辞抜きで美人。内面はお世辞抜きで問題があるんじゃなかろうか!
「悪魔様にお会いできるとは光栄の至り、思えば王妃様によって私の人生は大きく変わったわけですがそもそも王妃様があのような素晴らしいものを作られるのも元を辿れば悪魔様がいたからなわけでしてということは今の私があるのも悪魔様のおかげと言えるわけでして、ですが私はやはり王妃様が第一残念ながら悪魔様は二番手いや顔的には失礼ながらさらに下の」
「おい魔王、この女クビにしてくれ」
「ごめん悪魔さん……王妃とヒメのお気に入りだから無理なんだ……」
「なんなんですか貴方がたは! 私に何か問題があるとでも言うのですか!?」
ぷんすかといった感じで腰に手を当てて怒りを表現するマリア。
なんだこの、なんだ?
「こんなにお喋りなマリアは久しぶりなのじゃよ」
ああ、普段はもう少し静かなのね。多分あんまり変わらねぇと思うけど。
「そういえば、もう1人は……」
俺がそう言うのとほぼ同時に、廊下の方で「あっ」という女性の声と誰かが転んだ音がした。
うん、嫌な予感しかしない。
「すびません、転んでしまいました……」
お茶のポットとカップが乗った盆を持ち、よろよろとした動きで第二のメイドが入ってきた。長い黒髪を2本の三つ編みでまとめた、胸がデカくて眼鏡をかけた若い女性。マリアよりも少し若く見えるが、マリアよりも胸がデカい。長い黒髪にメイド服という姿がマリアと共通しているが、何か理由があるのだろうか。あと胸がデカい。
「いつものことだから気にしてないよ……」
魔王が力無く言った。そうか、いつも転んでいるのか。色んな意味で大丈夫なのかよこのメイド。
「ありがとうございます……ではテーブルに置きますね」
そう言って、第二のメイドはタタミの側面に足をぶつけ、「ひゃうん!」という声を上げてずっこけた。
「……」
「……」
俺と魔王は言葉を失い、沈黙する。そしてポットとカップの乗ったお盆は、メイドが転びながらもそっとテーブルの上に置いたため、不自然なほど無事であった。
「いつ見てもメアリのお盆さばきは凄いのじゃ」
「ありがとう……ございます」
床かタタミにぶつけた肘をさすりながら、メアリと呼ばれたメイドがゆっくりと立ち上がる。
「あ、ご紹介が遅れました、私はあの、メアリと呼んでもらっています。お姉様共々、よろしくお願いいたします」
「改めてよろしくお願いしますわ、悪魔様」
スカートを両手でつまみ上げるメイドっぽい仕草でお辞儀をする2人のメイド。
色々と寒気がしてきた。もはやここは危険地帯だ。
「なぁ魔王……ヒメもこの2人も、なんか言動がおかしくないか?」
「そうなんだけど……これは悪魔さんにも原因があるんだよ……」
「は?」
「悪魔さんが置いて行ってくれた本の中に、マンガっていう、絵と台詞で物語を描いた本がたくさんあったでしょ?」
「…………」
魔王と契約していた間、俺は魔王が興味を示すことを危惧し、マンガについては渡さないようにしていた。だがこの世界を離れる直前、俺は餞別として魔王城の地下に保管された本の山にマンガを含む大量の古本を追加した。異次元収納装置の中で誰にも読まれず永遠に放置されるよりは、誰かに読んでもらった方が本にとっても幸せだと考えたためで、後ろめたさ感じずに本が処分出来てラッキーとか考えたためでは決して無い。
なんにせよ、戦いが終わった世界において本の形式が1つ増えた所で何の問題も無いと、あの時の俺は判断したのだ。
「マンガの話ですね! 私はこう見えてマンガへの拘りは相当ですわよ!」
「あの、私もマンガは好きです。私みたいによく転ぶ人は眼鏡と三つ編みが似合うって、マンガから教わりました」
「私もマンガはよく読むのじゃよ。お姫様らしい喋り方はマンガで覚えたのじゃ」
そして今、後悔している。
「魔王」
「なに……?」
「ごめん……」
「いいよ……ボクもマンガは面白いと思うし。でもまさか物語がここまで人の心に影響を与えるなんて、想像すらしていなかったよ……」
「それでまさかと思うが姫様……じゃなくて、王妃も言動がおかしくなってはいないよな」
「王妃は変わりないんだけど……むしろ一番の原因かもしれないね」
「どういうことだ?」
「王妃が悪魔さんの置いて行ったマンガを参考にして新しいマンガをどんどん描いて、魔界中に広めたんだよ」
不意に、2人のメイドが部屋の入口の両側に移動し、頭を垂れた。
そして10代の少女の姿をした世界の破壊者が、その姿を現した。




