第1話 悪魔はただいまと言うのか
この世界の時間で14年前。
俺は知識を与える悪魔として、他の世界のアイデアや魔法を真似するのが大好きな魔王と契約した。
魔王とその愛人である姫様、そしてその周囲にいる魔族たち。彼らは俺の持ってきた本から多くの知識を得て、紆余曲折あったものの不死身の勇者を倒した。
さらに彼らは地上と魔界、人間と魔族双方の可能性を守るため、魔族の始祖である大魔王と人間の創造主である女神を滅ぼした。
そして世界は新たな段階に進み、契約が終了した俺は元の世界に戻った。
それで、物語は終わりのはずだった。
だがまさか、こんなことになろうとは――
にしても結果だけ語ると凄いことやった感あるけど、実際は俺も魔王も8畳のタタミの上でだらだらしてた時間が大半だった気がするな。魔王は姫様に膝枕されてたし、そんな奴が頂点にいる世界いやだな。
よし。仕事クビになるけど、やっぱ帰ろう。
何故か被ってしまった黒い帽子を早く脱ぎたいし、それに俺の許嫁を自称する変な女の子もいることだし!
「どうしたのじゃ、悪魔殿?」
少女が振り返って尋ねてきた。
年は13歳くらい。金色の長い髪も幼さが残る顔も、どことなく色素が薄い。麦わら帽子と白いワンピース、そして首にかけられた青い宝石のペンダントが、彼女をより儚げに見せている。だが表情や動作からは、儚さを打ち消すほどの快活さが感じられた。
「いや……」
その浮かれ気味の微笑みに、返せる言葉が無かった。父親である魔王の奔放さと母親である姫様の優しさを兼ね備えた、どこか懐かしく、抗いがたい笑顔だった。
まぁ懐かしいと言っても俺の体感時間では数週間前なんだけどさ。
「何か気になることがあったら遠慮なく言うのじゃ。悪魔殿がいた頃からずいぶん変わっとると思うからの~」
妙な語尾の少女は再び俺の前を進む。麦わら帽子の下で、長い金髪がさらさらと揺れていた。
砂浜に繋がる林道。その道を、俺と少女は海とは逆の方向に進む。木漏れ日の下、少女が先を行き、俺を道案内する。勝手知ったるという雰囲気から、ここが魔王たちが住んでいる場所の近くだと推察できた。そういえば、魔王の城と海はそれほど距離が無かったはずだ。ということは、魔王たちは今もあの魔王城に住んでいるのだろうか。
「魔王城に向かっているのか」
「ん? そうじゃよ。悪魔殿が父上や母上と過ごした、我らが魔王城に向かっているのじゃ」
金髪のじゃロリ少女が立ち止まり、こちらを向いて答えた。目が合うたびに、魔王と姫様の両方を思い出す顔。その顔を見ると、何故だか帰る気が失せていく。
なんだかんだ言って、会いたいのだろうな。
あの2人に。
「そういえば」
「なんじゃ?」
「どうして許嫁なんだ?」
「許嫁だからじゃよ?」
答えになってねぇ。
「父上が決めたことじゃから、父上に聞いてみるといいのじゃ」
「それでいいのか、お前は」
「私は嬉しいぞ。父上と母上が認めた男と結婚できるのじゃからな」
「会ったことも無い相手なのに?」
「父上と母上からたくさん話を聞いたから、顔見知りも同然なのじゃ。それに今は一緒に歩いているじゃろ?」
「……で、実際に会った感想は」
何聞いてるんだ俺。
「うーむ、父上と母上の言っていた通り、見た目は冴えない男なのじゃ」
「よし、魔王城に急ごう。殴らないといけない奴がいるからな」
「でも優しくて面白い男なのもよくわかるのじゃ。私は好きじゃよ」
そう答えた少女の笑顔に、思わずドキリとしてしまった。
うろたえるな、13歳くらいの子どもにいい年した男がうろたえるな。
「大好きじゃよ」
ぐはぁ。
だが俺のストライクゾーンは19歳くらいだから致命傷ではない。
「とにかく、その件については魔王本人に聞いてみる」
「そうじゃな」
そう言うと少女は前を向き、歩き出した。その後ろ姿を見つめていたら、少女の耳が赤くなっていることに気が付いてしまった。
「照れてるのか?」
「てれ、てれってなんてないから!」
ぐぼはぁぁ。
表情を見せないように前を向いたまま言ったことで俺にクリーンヒット。
君のような女の子には俺よりもっと素敵な男性と結婚して欲しいよ……
…………いやいや待て。俺まで婚約者の件を認めてどうする。頭が混乱しているようだ。
それとこの少女、どうも無理してキャラを作っている感じがする。追及するのは可哀相だからツッコまないけど。
「そ、そうじゃ! まだ私の名前を教えてなかったのじゃ」
少女は振り返り、ほのかに赤い顔で言った。
「名前……」
名前。この世界の固有名詞はとにかく発音が難しい。魔王と姫様を名前で呼ばなかったのも、名前の発音が名状しがたい化け物の鳴き声みたいな音だったからだ。
そんな冒涜的な音声が、目の前の美少女から発せられようとしていた。
「私の名前は……」
「ちょっと待った! 俺はこの世界の名前は……」
「ヒメじゃよ」
「……はい?」
「ヒメじゃよ?」
小首をかしげて可愛げに言い直す少女ことヒメ。なんか、慣れてくるとあざとく見えてきたわコイツ。
「ヒメ……か」
「悪魔殿の世界では『お姫様』という意味の言葉なんじゃろ?」
「ああ」
恐らく、俺が名前を呼べるようにその名にしたのだろう。あるいは単に俺の世界の言葉が好きだからか。
あのバカはテレフォンだのタイホーだの好きだったからなぁ……
どちらにしても、この子の名前はヒメなのだ。俺は少女の顔をじっと見つめ、再びその名を声に出した。
「ヒメ」
「……っ!」
何故か赤面して顔を背けるヒメ。お前は俺か。
「こ、この調子では父上と母上の元に悪魔殿を連れて行くという、私の大事な役目が進まぬのじゃ! 黙って付いてくるのじゃ、悪魔殿!」
「はいはい」
不憫なことに、この子にもバカの遺伝子が発現しているようだった。
「着いたのじゃー!」
林を抜けて開けた場所に出るなり、両手を挙げて喜ぶヒメ。ああ、バカの子だ。
ヒメに続いて林道を出ると、そこには城壁らしきものがあった。どうやら魔王城の城壁らしいが、俺がいた頃にはこんなものは無かった。この14年くらいの間に増改築したのだろう。アイツなら絶対やる。
「城の入り口はこっちなのじゃー」
ヒメは小走りで壁の左側に向かった。俺もその後を追うが、日差しが強いので正直めっちゃ暑い。しかも姫様から貰った真っ黒い帽子を被ったままだから、頭はどんどん熱くなっていく。いかん、早く日陰に入らないと魔王に会う前に熱中症で倒れる! 超格好悪い!
「早く来るのじゃ、悪魔殿~!」
元気ですねぇ子どもは!!
どうにか城の中に入った俺とヒメ。急いでたのでちらりとしか見えなかったが、城の正門から伸びる道の先には城下町らしきものがあった。あと門番らしき人影も見えたけど見なかったことにした。だって城主の娘を追いかける黒い帽子被った20代の男って絶対捕まるじゃん!
とにかく無事入ることの出来た城内は暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。以前は気付かなかったが、もしかしたらこの城には何かしら禍々しい気が漂っており、それが身体から熱を奪っているのかもしれない。
「城の中には空気を冷たくする魔術装置があるから涼しいんじゃよ」
はい、説明ありがとうございますヒメちゃん。ってかクーラーまでパクりましたか魔王様。そりゃ要らない本を山ほど置いて行ったから、クーラーのこと書いてある本くらいありますよね。
「この廊下をまっすぐ行くと、父上の玉座があるんじゃよ」
「そこは変わってないんだな」
俺は廊下を進み、ヒメは俺の少し後ろを付いて来る。どうやら、俺と魔王の再会を邪魔しないようにという配慮のようだ。変な子に見えるが、本当はしっかりとした子なのかもしれない。
そんなことを考えながら薄暗い廊下を歩いて行くと、大きな扉があった。これも昔のままだ。
勇者たちは何度もこの扉の先にいる魔王と対峙し、何度も卑劣な手段で倒された。それを思うと、やっぱりアイツってムカつくよね。
俺が扉の前で立ち止まると、大扉がゆっくりと開き、真っ暗な空間が目の前に広がった。廊下よりもさらに暗い大広間。不自然な闇の中に、あの男がいるに違いない。
そして、声が響いた。
「――我らが王」
視線の左側、フードを被った人影が小さな灯りを持って現れた。
「――金屑の王」
右側にも、同じ姿をした人影が灯りを持って現れた。
「――慈悲と非情の王」
「――破壊と創造の王」
「――異にして同」
「――同にして異」
「――穢れし輝き」
「――輝ける穢れ」
左、右と人影が交互に次々と現れ、8人の持つ灯りが俺の立つ場所から広間の一点に向けて、光の道を示す。
厳かな雰囲気の中、ついにその声が聞こえた。
「よくぞ戻って来た、我が真の同胞にして、異界の知恵者よ」
ぼんやりとした光を帯び、黒色のマントと不気味な角が生えた兜を身に付けた男が道の先に現れた。
「再び我と共に覇の道を征く覚悟があるのならば――我が元へ歩め」
俺はゆっくりと、その男に向かって歩く。決して、胸に込み上げるこの感情を悟られないように。一歩一歩、慎重に。
手が届くほど距離が近くなると、男は両手を広げ、俺を迎え入れようとした。
俺はそれに応えることにした。
まず角を引っ張って男の兜を脱がし、その辺に捨てた。
そんで、平手で男の頭を思いっきりバシッと叩いた。
「娘の前で恥ずかしいと思わないのかお前はっ!!」
俺の言葉を聞いたヒメおよびフードの8人が、拍手をしながら「さすが悪魔殿じゃ!」「その通りです!」「よくぞ言ってくれました!」「ですよねー」と騒ぎ始めた。
この城の奴らのこういうノリ、すげぇ疲れるんだよ!
「もう……相変わらずだね、悪魔さんは」
「お前もだろ」
「おかえりなさい」
「ああ」
俺と魔王の、14年、もしくは7週間ぶりの再会だった。




