最終話 前編 異世界とは何か
ある日、人類は人工的に生成したワームホールの先に別の宇宙を観測した。
その宇宙はあまりにも微小で、あまりにも脆弱だった。総エネルギー量も重力定数も、人類の生きる宇宙に比べあまりに小さいものだった。
弱々しい宇宙。
だがその弱さ故に、その宇宙は地球上に対し約100倍の速さで時間が進んでいた。
もしもその宇宙で電子計算機を運用することが出来れば、約100倍の速度で演算が行える。人類はその可能性に着目し、弱々しい宇宙の開拓を開始した。
ワームホール経由で質量を転送すれば崩壊し、制御可能な状態で転送出来る素粒子は光子のみという困難の中、開拓は不可能に近い難事であった。
それでも人類は数十年かけて、その宇宙に多様な物質と機械を再現した。
後に第1異世界と呼ばれるその宇宙は、宇宙そのものの特性を利用した超高速の電子計算により、人類の科学技術を大きく推し進めた。
第1異世界の開拓が進むにつれ、異世界での生活を望む者も現れるようになった。肉体そのものを行き来させることは不可能であるが、電子的に複製した人格であれば地球と異世界の間を送受信できる。異世界で100年過ごそうとも地球上では1年しか経過しないため、それは効率的な不老不死とも言えた。
異世界での知的活動や創作活動を求める者も年月と共に増え、人類はその需要に応えるために第1異世界と近接し、同種の特性を持つ宇宙を第2異世界や第3異世界として開拓して行った。
人類は開拓可能な異世界を求め続けた。異世界の数は無数にあり、人類の生きる宇宙から転送される質量は崩壊しつつも大量のエネルギーを発生させていた。
全ては順調に進んでいた。
そして人類は、何者かによって既に開拓されていた異世界を発見する。
海があり、陸があり、空がある。生態系が存在し、植物や動物に溢れた世界。
そのような異世界が次々と見つかり、中には小説や映画、漫画やゲームといった創作物の舞台と酷似した世界も存在した。
そしてそれら開拓済みの異世界の一部において、人類は自分たちに酷似した知的生命体すらも確認した。
何も無いはずの微小な異世界において、人類は初めて未知なる知性体と遭遇したのである。
人類は異世界の知的生命体を調査し、幾つかの事実に行き着いた。
ひとつ。それぞれの異世界に生きる知的生命体は多少の形態の違いはあるが人類を基礎とした肉体を持ち、その文化様式には明らかに人類の影響が見られるという事実。そのため、知的生命体は何者かによって造られた人類の模造品であると結論せざるを得なかった。
ひとつ。知的生命体は肉体や精神の原型となる情報が保存された動力機関を持ち、その動力機関を用いて多様な物理現象を発生させることが可能だという事実。ただしその動力機関が失われた場合、知的生命体は自身を保持できずに崩壊するということも明らかになった。
ひとつ。どの異世界の知的生命体も、自分たちの世界にやって来た人類のことをそれぞれの言語において「悪魔」を意味する言葉で呼んだという事実。その共通性は知的生命体を創造した何者かによる意図的なものだと考えられた。
人類は知的生命体を異世界の「人間」として扱い、彼らや彼らの生きる環境を造り出した、人類以上の科学技術を持つ何者かを「クリエイター」と呼称した。そして異世界の人間が持つ動力機関を「魂」と名付け、魂の力によって発生する現象を「魔法」とした。
そして人類はクリエイターの正体と技術を知るため、彼らの技術の結晶とも言える魂を収集する方針を固めた。だがそれは同時に、異世界の人間を殺害することでもあった。
模倣品として造られた命とはいえ、果たして人類と同等の思考や感情を持つ生命体を人類の都合で乱獲して良いのか。
異世界の人間に対する倫理について、人類は地球上よりも100倍の時間的猶予がある世界でしばしの間、議論を交わした。
そうして出た結論が、契約による権利の尊重であった。
人類は異世界の人間と契約した上で、その契約内容の要件が満たされた場合のみ魂を得ることを決定した。また人類は異世界の人間に対し、知識の提供以上の物理的干渉を可能な限り行わないことも決められた。
この取り決めにより、魂の授受は異世界の人間の自己決定によって行われるものとなり、人類の主体的な行動で行われるものでは無くなった。
そのような論理が一応は成り立つこととなった。
魂を獲得するための、欺瞞に満ちた理屈。
それはまさに、悪魔と呼ぶべきものだった。
このような人類の選択が予測されていたからこそ、異世界の人間は人類を悪魔と呼ぶように造られていたのだろう。
全ては、クリエイターの手の内にあったのかも知れない。
それに気付きながらも、人類は歩みを止めなかった。
人類は異世界の人間と契約し知識を与え、報酬として魂を得る職業を定める。
皮肉も込め、その職業の通称は「悪魔」とされた。
悪魔は強大な魂を持つ者、つまり強い魔力を持つ者によって召喚され、その者と契約を行う。契約の相手は悪魔から知識を得る対価として自分の魂か、もしくは自身と同等以上の魂を悪魔に渡す。
知恵や力を求める異世界の人間によって、研究に値する魂は悪魔の手に渡って行った。
人類は悪魔と呼ばれながら自らの先を行くものを追う。
異世界に生きる人々は望みのために悪魔に魂を売り払う。
クリエイターと呼ばれる者は神を気取ってそれらを眺めていることだろう。
救い難い世界。だが今日も、心ある者は誰も彼もが進んでいく。
己も他者も犠牲にして、先を目指す。
明日が良い日であることを信じて。未来が幸福であることを信じて。
異世界という、あまりにも儚い宇宙を舞台にして。
そこに人の夢が、ある限り。




