第24.406話 どいつもこいつもバカなのか
勇者の持つ剣を切断した村正は、勢い余って勇者の盾、そして勇者の鎧へとその刃を走らせた。魔王が慌てて村正を引くと、勇者の盾の一部が地面へと落ちる。
「何が……何が起きたというのですっ!?」
事態を飲み込めないのだろう、女神の幻影が慌てた様子で叫んだ。遅れて、勇者の鎧に入った切れ込みから血が噴き出す。
「効いてるぞ魔王! 続けろ!」
「えっ、あっ、う、うん、うんうん!」
魔王も同様に目の前の現象に戸惑っていたようだが、俺の言葉で攻撃を再開した。修復されつつあった勇者の剣を再び断ち、盾を分断し、右足を切断する。勇者はバランスを崩しそうになるも、復元された右足で踏みとどまる。
魔王は村正で斬り続けた。何度切断されようと修復される勇者の装備と、その向こうにある勇者の肉体を。もはや超高速化は必要無い。魔力を使わずとも、女神の神具ごと勇者を切り裂ける。一方の女神は、修復の度に魔力を消費しているはずだ。
形勢は逆転した。女神と勇者は魔力が尽きるまで、魔王に斬られ続ける。物理的な攻撃は村正に断たれ、魔法による攻撃も大魔王の魔法を打ち消すことの出来た魔王に通じるはずは無い。女神と勇者に、勝ち目は無い。
勝敗は決した。この世界で使うべきでない武器を俺に引き出させた魔王の勝利であり、悪魔の武器に為す術のない女神と勇者の敗北である。
そして村正を貸してしまった俺も、魔王に負けたのだ。
「こんなことは……間違っているっ!!」
女神が大声でそう言って、俺の方を向いた。その眼は、非難の色に染まっている。
「この世界の神である私が、貴方ごとき悪魔の力に傷付くなど、そんな、そんな間違ったことが許されるはずが無い!」
無茶苦茶なことを言う女神の言葉に、俺は頭を掻く。このおばさん、分かってないんだろうな。
「何て言うか……別に間違ったことは何ひとつ起きてねぇんだけどな」
「何を言うのですっ! 私の化身である神具を破壊する刃など、摂理から外れた外法の極みでは無いですかっ!!」
「いや、むしろ摂理に従っているからこそ、その剣はアンタを斬れるんだ」
「世迷い言を……!」
「世迷い言じゃない。俺たち悪魔は、摂理に逆らえないことを知っている。だから摂理に従った上で、自分たちに何が出来るかを追究した。そこの魔王に言わせるなら、『可能性の探究』ってやつだ」
「それ、悪魔さんとは別の悪魔が言った言葉だけどね」
勇者を切り刻みながら魔王が笑う。もう勝った気でいやがるなコイツは。
「今、アンタと勇者を斬っている剣もその探究の結果だ。その切れ味は摂理によって保証されていると言えるな」
「ならば、神が悪魔に負けることが摂理とでも言うのですかっ!?」
「神とか悪魔とか関係無いんだよ。摂理の下、出来ることは出来るし、出来ないことは出来ない。それだけだ」
「この世界の秩序を司る私こそが摂理そのものであるはずです! 私が許さない事象など、この世に起こるべきでは無いのです!」
激昂する女神に、俺は溜め息をついてしまう。
「アンタは自分が間違っている可能性を考えたことがあるか? 自分よりも強大で優れた存在、他の世界、未知の法則。そういうものについて想像したことがあるのか?」
「何を言っているのです? そのようなことに何の意味があると言うのですか?」
「この世界は無数にある異世界の1つに過ぎないし、この世界の大魔王も女神も異世界全体から見れば小さな存在なんだよ。その可能性に気付こうともしなかったってことは……」
一言で言えば、アレだ。
「バカなんだよ、アンタは」
「なっ……!?」
女神が絶句する。そりゃそうだな。
「バカだから俺に悪魔の兵器を使わせる口実を作っちまった。バカだから勇者の魂を一度奪われてしまった。もう少し、色々と考えた方が良かったんじゃないか?」
「神であるこの私を愚弄するのですか……!」
うん、やっぱダメだこの人。
「魔王、さっさとブッ倒してしまえ。こういう奴は遅かれ早かれいつか誰かに倒される。それが今日、お前に倒されるってだけの話だ」
「わかってるけど、さすがに女神様の魔力を枯渇させるのは時間かかるよ~」
「あー、多分だけどその村正、超高速化と一緒に使えるぞ」
「え、本当!? すごすぎない?」
「念のため、加減しろよ」
「わかった、試してみるよ」
魔王がそう言った瞬間、勇者とその装備に数十の線が走る。勇者の形をした物が細切れの肉片と金属片になり、地面に落ちた。
女神の絶叫。その叫びと共に、勇者が復元される。
「もっかい!」
一瞬の後、勇者と装備が再びバラバラの破片と化し、女神の悲鳴がさらに響き渡る。その本体を金属の武具に変えようとも、微塵に砕けてしまえば相応の苦痛を感じるのだろう。
それでも女神は勇者と武具を元に戻し、声を上げた。
「勇者よ、諦めてはなりませんっ! 剣を振るうのです、邪悪なる者たちを、我が剣で滅ぼすのです!」
諦めないその姿勢には感心すべきなのかも知れない。だが、無駄な足掻きだ。女神の言葉に応じて剣を振り上げた勇者も、すぐに無数の肉片となった。精神力だけでは、この状況を覆すことなど出来はしない。
「こんなこと……こんなことは……」
女神の表情が焦燥に歪む。繰り返される裁断によって、もはや精神すら擦り切れ始めているのだろう。復元の速度も、明らかに遅くなっている。
そろそろ、終わらせるべきだ。
俺は自己保全フィールドを解除し、異次元収納装置を作動させる。取り出すのは魂を捕獲する容器の中でも最大級の、真鍮色をした捕獲器。それを地面に置き、魂を捕えるための準備を開始する。
「悪魔さん、そろそろ斬るのやめて大丈夫かな?」
横目でその様子を見ていたのだろう、勇者を斬り続けることに飽きた様子で魔王が尋ねてくる。
「もう少し待て」
最大級の捕獲器であるが故に、作動までには時間がかかる。それまでは女神たちを斬り続けてくれた方が安全だ。
作動までの時間。軽々と村正を振り回す魔王。感情を失った顔で何度も生と死を往復する勇者。すすり泣く女神の幻影。勝利を目前にしながらも、気分はあまり良いものでは無かった。
魂を奪うということは、命を奪うことと大差は無い。相手に同情してしまえば、こちらも傷付かざるを得ない。
だから、早く終わらせたかった。
作動準備が整う。俺は即座に捕獲器を作動させた。
「魔王、少し下がれ!」
超高速化を使った魔王が、一瞬で俺の横に移動する。そして勇者とその武具から透明な球体が合計5つ、抜け出て来た。
「やめて……」
女神の懇願。
もう、遅い。
勇者の魂と、4つに分かれた女神の魂。捕獲器に開いた穴に向かって、それらが光の糸となって流れて込む。魂の糸が奪われるにつれ、女神の幻影は薄くなり、立ちすくむ勇者の身体は醜く腐敗して行く。身に付けている武具も、土くれのように崩れていく。
勇者と女神の不死は、魂と魔力によって成されたまがい物に過ぎない。幾度も死と破壊を誤魔化してきた彼らの本体は、魂が無ければ形を保つことすら出来ない。全ては、崩れる。
魂の全てが奪い取られた後、勇者と女神だったものは何ひとつ残っていなかった。砂埃に混じって、風に巻き上げられ、何もかも何処かへと散ってしまった。
それで、終わりだった。
「いや~、これで全部終わったね~」
魔王が身体を伸ばしながら言った。刃物を持ったまんまそんな動きするな、危ないだろ!
「大魔王と女神。地上と魔界の頂点を倒して、もうこの世界にはお前より強い奴なんていないわけだな」
「うん……そうだね」
魔王は地面に放ってあった村正の鞘へ向かって歩いて行く。
「そうなると、後は……」
「後は?」
「俺を殺せば完了か?」
沈黙。いつもならば、すぐに軽く笑い飛ばすような言葉に、魔王は何も答えない。
魔王の手には村正。俺の自己保全フィールドは解除されている。この疑似人体を破壊することは、一応可能であろう。
「どうなんだ?」
「……全く考えなかった、ってわけじゃないけどね」
魔王はしゃがみ込み、村正の鞘を拾う。そして、刀身をその鞘に納めた。
「もし悪魔さんが嫌なやつで、ボクに協力してくれなかったら倒すつもりだった」
「ああ」
「でも、悪魔さんはとっても協力的だったし、それにボクの力じゃ勝てないほど強いんじゃないかってことも、なんとなく気付いちゃった」
「そうか」
「それに何より、一緒にいて楽しかったんだよね」
「……」
魔王は立ち上がり、鞘に納めた村正を持ってこちらへと歩いて来る。
「悪魔さんを倒す理由なんて、何ひとつ無いんだよ」
村正を俺の前に差し出しながら、魔王が微笑んだ。
「……分かった」
村正を受け取り、俺は微笑む魔王の顔をしばし見据える。
そして、苦笑してしまう。
「どうしたの悪魔さん?」
「いや、お前、バカなんだなぁ、って」
「えっ!? いきなり何言ってるの悪魔さん!?」
「まぁ、俺もバカだけどな」
「うん」
「うんじゃねぇよ」
「ごめん」
「ああ」
「それで、なんだっけ?」
「何でもいいだろ、もう」
「あっ、わかった! 照れ隠しだ!」
俺は魔王の脳天を思いっきりぶん殴った。
「痛いよ悪魔さーん」
「知るかっ! さっさと帰るぞ!」
「そうだね、帰ろう。みんな待ってる。早く姫に会いたいしね」
俺と魔王は荒野を歩き出した。
帰るべき場所に、帰るために。




