第24.405話 悪魔は決断するのか
『もしかしたら、もう二度と言えないかも知れないから』
小声でそう言ってから、魔王は超高速化で消える。勇者の両脚が鮮血と共に失われ、魔王は勇者から相当離れた場所に立っていた。
『今のうちに、言っておくね』
俺への言葉を勇者に邪魔されないための移動なのだろう。一体、アイツは何を言おうとしているのか。
『悪魔さん』
僅かな沈黙の後、意を決したかのように魔王は言いやがった。
『今まで、ありがとう』
感謝の言葉を、言いやがった。
直後、魔王がまたしても消える。既に両脚が戻っている勇者の頭部が消え、しかしすぐに修復が始まった。これはもはや再生では無い。勇者と女神に有機的な命など感じられない。
だが、それに立ち向かう男は間違いなく、生きている。
生きようとしているのだ。
「……気に喰わねぇな」
魔王が口にした言葉。それは別れの言葉でもあった。自分がこの戦いに負けることを受け入れているかのような。
だが、俺は気付いた。この2年間、あのバカと一緒にいたから、気付かないはずが無かった。
魔王に、覚悟など無い。感謝と別れの言葉を述べるその声には、死への不安と俺への懇願が現れていた。死にたくない、助けてくれと、魔王は俺に伝えていた。
そして恐らく、魔王は言葉の裏に込めたその感情に俺が気付き、協力を行うと予想している。
良く言えば利用。気持ち悪く言えば、信頼。
そんなもの、どっちだって気分が悪い。
「本当に、本当に気に喰わねぇ!!」
右手で頭を掻きむしりながら、俺は観念して歩き出す。
「自己保全フィールド、モード通常で展開」
俺の身体、正確には異世界用の疑似人体がうろ覚えな命令を解釈し、防御機構を発動させた。自己保全フィールドは疑似人体を破損させうる外因、人体と極度に温度差のある物質や高速で運動する質量などに抗力を発生させる。それは通常のモードであっても、魔法など異世界特有の現象ほぼ全てに耐えうる高い防御性を持つ。相手が神々と呼ぶべき存在であっても、攻撃は通らないはずだ。
「……展開範囲、50%拡大!」
だが、念には念を入れておく。範囲を拡大すれば自己保全フィールドが勇者と女神の攻撃に作用する時間が増大する。5割増しは臆病と言えるほどに慎重な値だろう。
自身の守りを万全にしながら、俺は勇者と魔王の戦う場に少しずつ近づいて行った。悪魔は通常、知識を与えること以外に異世界への過度な干渉を行うことが許されていない。目の前で誰が何人殺されようと、無視しなければならない。この疑似人体が破壊される事態であっても、反撃を行うことは出来ない。
ただし、例外はある。明らかな敵意を持って他の異世界に干渉出来る存在、つまり悪魔の生命や財産を脅かすことが可能な存在については「必要最低限の」防衛が許可されている。
そしてどのような防衛手段が「必要最低限」であるのかは、現場の判断に左右される。
俺の、判断に。
勇者の攻撃を超高速化で避けながらその両腕を斬り落とした魔王。休む間もなく、両腕を復活させ魔王に斬り込む勇者。切断と修復。僅かな勝機に賭けた魔王の、必死の抵抗。俺が来ることを予想しつつも己の最善を尽くし続ける、その矜持。
この魔王という男は、すぐ他人を頼るくせに自分でも物事を進めずにはいられない。他人に任せることも無ければ、自分だけで解決する気も無い。目的達成の流れに他人を引っ張りながら飛び込む、考えようによってはとても迷惑な存在なのだ。
だが、だからこそ見捨てる気にはなれなかった。戦い続ける魔王に背を向けてしまっては、必ず後悔が残る。
俺は、俺を嫌いになりたくない。だから進んで行く。
魔王と勇者の戦う、その真っ只中へ。
「悪魔さんっ!?」
魔王が俺に気付き、驚きの声を上げた。お前、俺が来ること予想してただろうになんで驚いてるんだよ。あれか、俺が丸腰に見えるからか。
「悪魔……そういうことですか」
声と共に、勇者の背後に女神の幻影が現れる。近くで見ると流石に神々しい……おばさんだ。
「悪魔よ。貴方が魔王に力を与え、勇者を別の世界に封じていた。違いますか?」
「まぁ、違わないな」
「ならば、貴方も滅ぶべき存在です」
勇者が俺に向かって駆け出すと同時に、勇者の右腕が吹き飛ぶ。魔王が超高速化で切断したのだろうが、やはり無意味だ。一瞬で元通りになった右腕と剣が、勢い良く俺に振り下ろされる。
「悪魔さんっ!」
魔王が声を上げる。女神がほくそ笑む。
勇者の剣が、俺を斬ることなく空気に跳ね返される。
「えっ!?」
「何……!?」
勇者は一歩足を引いてから、今度は斜めから斬りかかる。だがそれも弾き返される。横薙ぎ。弾かれる。斬り上げ。弾かれる。突き刺し。弾かれる。
「強力な結界を張っているようですね。しかし、私と勇者に破れぬ結界などこの世界には無いのです」
天に掲げられる勇者の剣。恐らく膨大な魔力を込めた斬撃を繰り出すつもりだろう。
「砕けなさい」
大魔王の結界を破壊する程の、強力な一撃が振り下ろされる。だが目の眩む閃光と共に、その剣は遥か上空へと弾き飛ばされた。その余波で、勇者の右手が引き千切れていた。
「そんな馬鹿な……こんなこと、在り得ません! 在り得るはずが無いっ!」
狼狽え出した女神。自己保全フィールドが発生する抗力は、勇者と女神が行使することの出来る威力を完全に上回っている。全ての攻撃はそれ以上の力で弾かれ、俺の身体に当たることは無い。もちろん抗力を発生させるためには相応のエネルギーが必要なわけだが、その残量にはまだまだ余裕がある。
つまり女神ごときでは、俺を倒すことなど出来ないのだ。
俺は右手付近に異次元収納装置の取り出し口を出現させた。自己保全フィールドと異次元収納装置の併用は疑似人体の演算処理に大きな負荷をかけ、エネルギーの消費も激しい。だが、勝つためには仕方のないことだ。
俺は異次元収納装置に右手を入れ、ある物を掴む。途端に、警告が頭の中を走る。禁止、不可、危険、さまざまな文言が脳内を駆け抜け、その物体の使用を止めようとした。
「現在、別宇宙への干渉を行った対象からの攻撃を受けており、また対象に明確な敵意が確認される。よって、必要最低限の自己防衛を行うべきと判断される」
俺が述べた適当な文言を、異次元収納装置が都合良く翻訳する。すると警告が注意に変わり、危険性、責任、影響、配慮といった言葉の含まれる小難しい文章が物体使用のデメリットを伝えた。そして使用に関しての自己責任を了承するか否か、選択を迫って来る。
もちろん、受け入れる。後のことは、知らん!
俺は掴んだその物体を、異次元収納装置から引き出す。それは、一振りの刀。装飾文様の描かれた鞘に収まった、1メートル程度の刃。
必要最低限の防衛手段にして、最強の白兵戦用兵器。
「魔王っ!!」
俺は事態が飲み込めず呆然としている様子の魔王に声をかける。女神と勇者は既に剣と右手を戻し、攻撃を仕掛けてきている。猶予があるとはいえ、無視し続けることは出来ない。
「えっと……悪魔さん、どうしたの?」
「どうしたのじゃねぇよバカッ!! 女神と勇者を倒すんだろ!?」
「ああ、うん、そうだね。悪魔さんが思った以上に凄かったんで、ちょっとびっくりしてて」
「いいか、もう何が起こっても驚くな! 驚いた隙に、勇者に斬り殺されるぞ!」
「うん、その通りだね。わかった、もう驚かない」
「だったら、これを使え!」
俺は魔王に向かって刀を放り投げる。自己保全フィールドの作用で軌道が多少不自然になったが、魔王は上手く受け取ってくれた。
「これは……剣?」
「その剣なら女神の武具をぶった斬れる!! 多分だが!」
「多分って……ちょっと曖昧だよ、悪魔さん」
「斬れなくても驚くな! 斬れても驚くな! どうなるかなんて、断言出来るもんじゃないからな!」
「確かにね。何事もやってみなきゃ分からないよね」
そう言って魔王は鞘から刀を引き抜く。美しいまでの銀色の刀身。魔界の柔い光を照り返し、白銀の刃紋が浮き出ている。しかし反り返る刃の周囲は、心なしか大気が歪んでいるようにも見える。
「綺麗な剣だね……」
「刃に触れるなよ! 切れ味が尋常じゃない!」
「分かったよ、それじゃあ……」
魔王が鞘を地面に捨て、両手で刃を構える。勇者は俺への無駄な斬撃を止め、矛先を魔王へと変える。
迎え撃つ魔王と、斬りかかる勇者。激突する魔王の刀と勇者の剣、悪魔の兵器と女神の神具。
その結果――
勇者の剣はまるで豆腐のように刃を通し、真っ二つに分かれた。
魔王に渡した兵器。それは刀の意匠をしているが、刀身によって切断するものでは無い。
女神自身でもある勇者の剣を斬ったのは、刀身の周囲に張られた無数の単分子ワイヤー。電子制御されたワイヤー群は触れた物体に合わせ振動数を変化させることで、異世界にあるほぼ全ての物体を最適に切断する。
人類の工学技術を刀剣の形に収めた、趣味と外連味と浪漫の固まり。
俺の故郷、日本の技術が生み出した逸品。
製品名「異世界群用振動式中型切断装置MU6A5」
通称、『村正』である。




