第12.22話 魔王と悪魔はケンカするのか
夢を追うということは、素晴らしいことのように聞こえる。しかしその過程では多くのものが失われ、夢が潰えれば損失だけが起こり、夢を叶えたとしても犠牲となったものに見合うだけの価値がその夢にあるとは限らない。
それでも人は夢を追う。きっとそのような者にとって、夢を追うことは生きることと同義なのだ。夢を諦めれば、自分が自分ではなくなる。他の何を犠牲にしたとしても、自分が自分として存在する、自己を持つ存在でありたいのだ。その考えは決して、理解出来ないものなどでは無い。
それを分かっているはずなのに、何故だろうか、俺は――
「……自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
自分の中に湧き上がった苛立ちを隠せずに、俺は魔王に言った。
「何って……」
不死身の勇者を倒し、戦いの終わった魔王城の大広間。だが玉座の前に立つ俺と魔王の間には、剣呑な空気が漂っている。
「女神と大魔王。地上の世界を作った創造主と、魔界の統治者。その両方を倒すと、お前は確かにそう言ったな」
「うん。人間の神である女神様と、魔族の始祖である大魔王様。地上と魔界、それぞれの世界における至高の存在である2人を、ボクは倒したい」
「……何様のつもりだ?」
「……何を怒っているの、悪魔さん?」
少し萎縮した様子で、魔王が問い返した。コイツは、本気で理解していないのか。
「お前は、神を倒したいと言ってるんだぞ。しかも敵対する神だけじゃない、自分たちの神も、その手で倒したいと」
「うん……そうだね。そういうことになるよ」
「正気か?」
「たぶん」
ふざけているのか、もしくは本当に狂っているのか。そうでなければ……
「何が気に入らないの、悪魔さん?」
「俺の与えた知識で増長したバカが、身の丈に合わない野望を抱いているのがだよ」
その言葉を聞いた魔王は、顎に手を当て考える仕草をした。
「増長……そうだね、確かにボクは増長して、途方も無い夢を抱いているのかもしれない。だけど」
そう言葉を切った魔王は、俺の目をしっかりと見つめた。そして、言葉を続ける。
「決して、叶わない夢では無いと思う」
ハッキリとした声で、魔王は言い切った。
「……無茶だ」
「どうして?」
「存在の大きさが違いすぎる。魔力はお前と比較するまでも無い」
「でも大魔王様を倒すために生まれた勇者は、さっき倒せたよ?」
「大魔王と勇者が戦う時は、女神が全力で勇者を助けるつもりだったんだろう。あの程度の力しかない勇者だけで、大魔王を倒せるはずもない」
「もしかして悪魔さん……大魔王様や女神様の強さがどのくらいか、かなり分かっているの?」
「……」
言うべきか。そもそも言って良いものなのか。
「悪魔さん、知識をボクにくれるって契約、まだ終了してないよね?」
「……以前にこの世界を訪れた他の悪魔が、大魔王と女神の魔力を測定している。最も、お互いがお互いを抑え込んでいる状態だったから、実際は測定結果よりさらに強い魔力を持っていると考えるべきだが」
「だから、ボクの力じゃ大魔王様や女神様に勝てないってこと?」
「ああ」
「魔法や魔術装置を駆使しても?」
「ほぼ不可能だ」
「ほぼ?」
魔王の目に期待の色が宿る。どうやら、言葉の選択を誤ったようだ。
「つまり、不可能では無いんだよね?」
「……」
「悪魔さん」
「不可能……では無いな。大魔王や女神を超える魔力を発生する手段があれば、確かに可能だ。だけど、そんなものがこの世界にあるとは限らない」
「あるかも知れないよ?」
大魔王と女神を倒すことを俺に咎められていた時と比べ、遥かに明るい表情で魔王は言った。俺と魔王の間に漂っていた空気も、多少はその緊張を緩めていた。
だが、それでも俺の苛立ちが完全に治まったわけでは無かった。
「そもそも、なんで大魔王と女神を倒す必要がある?」
「まず大魔王様だけど、勇者がいなくなった今、大魔王様が地上を征服しちゃう可能性があるよね」
「可能性があるというか、予想される展開だな」
「そうすると、人間たちがいっぱい死んじゃうし、街や国も破壊される。それは人間と交易してるボクたちには都合が悪いよね」
「……女神を倒す理由は?」
「大魔王様がいなければ、女神様は魔族を滅ぼそうとするね。これは絶対に防がないと」
「つまり人間と魔族、両方を救うためには大魔王と女神の両方を倒す必要があると」
「そういうことだね」
「それでお前は、2人の神を倒して平和な世界を作りたいと」
「……まぁ、そうだね」
「嘘だな」
俺は反射的に答えていた。コイツは、目的のためなら人々の命を平気で奪う。そういう魔族であることは、勇者との戦いの中で十分に分かっていた。
「嘘ってほどじゃないんだけど……でもうん、嘘だね」
「こっちはお前からの質問に正直に答えているんだぞ? お前も腹を割ったらどうだ?」
「腹を割ったら痛いよ」
冗談かと思ったが、「腹を割る」という慣用句がこの世界には無いのかも知れない。どちらでもいいことだが。
「それで、本当の目的は?」
「人間と魔族、地上と魔界、両方の可能性を守るためだよ」
「……」
言葉の意味が分からず、俺の思考が一瞬停止する。魔王からは呆けたように見えただろうか。
「ほら、やっぱりこうなった」
「意味が分からないんだが……」
「説明するのも難しいんだよね……この考え方はボクの一族、父上や祖父様から代々受け継がれて来たものなんだけど……」
「一から説明しろ。ちゃんと聞いてやる」
「本当?」
「手短にな」
「うん。実はこの話、悪魔さんとも関係がちょっとあるんだけど」
「どういう……いや、まずは話せ」
長い話になりそうだが、魔王の目的を知るためには致し方ない。
「えっと……ボクがまだ子どもの頃、父上がある古文書を見せてくれたんだ。それは変な素材で出来ていて、祖父様が悪魔からもらったものだって、父上は言ってた」
「……」
またパンフレットの話か。この魔王の一族は悪魔の営業パンフレットにどこまで執着してるんだよ、オイ。
「父上は、祖父様から受け継いだ話をボクにしてくれた。その話は、祖父様が悪魔に会って、その力にすごく驚いたって話だった」
うん、それも前に爺様から聞いた。魔王一味にとってどれだけ衝撃的だったんだよ、その時の悪魔は。
「それで、祖父様は悪魔に尋ねたんだって。どうやってそれほどの力を手に入れたのか、って」
「……で?」
「悪魔はこう答えたんだ。可能性の探究を続けた成果だ、って」
「……可能性の探究、か」
「その言葉を、祖父様も父上もとても大事にしてきたんだ。祖父様は可能性を求めて魔法を研究し、父上も可能性を求めて魔術の研究をした。自分たちが強く、豊かになれる可能性を探し続ける。それがボクの受け継いだ、一族の理念なんだ」
「なるほど……」
爺様が語ってくれた歴代の魔王の業績。そして目の前にいる魔王の、これまでの破天荒とも言うべき方策や開発の数々。全ては、可能性の探究なのだ。
「分かってくれた?」
「少しはな。お前が守りたいのは人間や魔族の命じゃなくて、それぞれが持っている可能性なわけだな」
「そういうことだね。もし大魔王様が地上を征服したら、今の人間たちや地上の生物が持っている可能性が失われる。美味しい食材や良質な糸、それに人間たちの楽しそうな文化。豊かに暮らすために役立ちそうなものはたくさんあるけど、大魔王様はその価値も理解せずに全て壊すだろうね」
「確かに美味いメシが喰えなくなるのは辛いな」
「女神様が勝った場合も同じで、魔族の持つ魔法や魔術の知識はもちろん、鉱山で働く人手や魔界にしかない動植物も失われる。たとえボクたちがなんとか生き残ったとしても、かなりの損失だよね」
「ふむ……」
魔王の目的は大体把握できた。魔王の語ったことは恐らく真実であり、コイツは結局の所、自分が面白楽しく生きていたいがために大魔王と女神を倒そうとしているのだ。だがそれは、共感の出来る理由であった。
それでも、俺はまだ賛同する気になれなかった。
「失敗したらどうする?」
「死ぬだけだね」
「お前はそれでいい」
「え」
「だけど、姫様やお前の部下たちは?」
「うーん……大魔王様や女神様に捕まらない場所へ避難させてあげたいけど……」
「大魔王から逃げられるのか?」
ロールプレイングゲームなら無理。
「どうだろうね……正直、分からないよ」
「それなのに、お前は戦いたいのか?」
「うん。たとえ他の誰が止めようとも、ボクは大魔王様と女神様を倒したい」
「姫様を犠牲にしても?」
「させないよ。させないために、戦って勝つんだ」
魔王は力強い表情で答えた。ちょっとだけ、男らしいと思ってしまった。
「それとボクの部下たちだけど、大魔王様を倒すことに賛成すると思うんだよね」
「何故だ?」
「ボクの部下って、他の魔王やその配下からはバカにされてるからね。弱い魔族が集まってるって。それを見返す機会を、みんな待ってると思うよ」
「大魔王を倒せば見返せるのか?」
「だって大魔王様には誰もかなわないってのは魔族の常識だよ? それを覆せたら絶対見返せるよ」
「そういうもんか……」
下剋上で見返すって、戦国時代かよ魔界は。
「それでどう、悪魔さん。契約の延長、してくれる?」
「……大魔王の魂と、女神の魂。成功した場合はその両方をくれるのか?」
「うん」
それは恐ろしい成果である。世界を創造するほどの、神の領域にある魂を2つ。勇者の魂でも十分な成果であるのに、その数十倍以上の成果を得られるということ。成功の可能性が限りなくゼロに近いとはいえ、おいし過ぎる話である。
問題は、失敗した場合だ。
「失敗した場合は?」
「ボクの魂をあげるよ」
失敗した場合、俺は勇者と魔王の魂を持ち帰れる。つまり成功しようが失敗しようが、契約をした方が俺には得なのだ。
得、なのだが……
「……」
「どうしたの悪魔さん。大魔王様と女神様を倒せても、倒せなくても、契約した方が悪魔さんは得なはずだよ?」
「お前はそれでいいのか?」
「いいよ。長生きするのが大事なんじゃなくて、自分の好きなように生きることが大事なんだから」
「……確かにそうなんだが」
「何を迷っているの?」
「……何を迷っているんだろうな」
自分は何故、大魔王と女神を倒すことに躊躇しているのか。俺自身、それが分からなかった。
仮に成功したとして、神のいなくなったこの世界はどうなる? 恐らく、何も変わらない。この世界が大魔王や女神の魔力で保たれていないことは既に調査済みだ。2人の始祖が消えようとも、世界は続く。成功した場合は何も問題が無いのだ。
では失敗した場合は? 片方を倒していた場合は、その神が生んだ種族と世界が滅ぶ。だが、契約をしない場合でも人間は滅ぼされるだろう。人間の側に立つなら、やはり契約をすべきだ。ならば、魔族の側に立った場合は?
魔族。思い浮かぶのは、魔王、人間であるがそのすぐ隣にいる姫様、爺様、料理長、いつも勇者襲撃を伝えに来る奴、酒場のヒゲマスター、たまに見かける凛とした顔の女性魔族、陽気な巨人、その他にも、色々。
――そして、魔王の後ろに見えた光景。
「……ははっ」
くだらなかった。自分が失敗を恐れていた理由が、とてもくだらなかった。
「どうしたの、悪魔さん?」
「いや、くだらない理由で迷っていたなって、そう思ってな」
「……?」
魔王が首を傾げる。そりゃそうだ。俺だって、自分がそんな風になっていたなんて、思ってもいなかった。
「条件が2つある」
俺は指を2本立てた。
「なになに?」
「1つ。契約期間は1年だ。その間に、大魔王と女神を倒すだけの力を手に入れていること。手に入れてない場合は、倒すのを諦めてもらう」
「1年か……かなり短いね。でも、うん。頑張るよ」
「そして2つ目。契約期間内に報酬である大魔王と女神の魂が渡せなかった場合でも……」
「でも?」
「お前の魂なんて、いらねぇ」
「……え?」
「契約は1年、その代わり失敗しても魂は奪わない。そして、その間に倒せる手段が見つかっていなかった場合、お前は夢を諦める。それが条件だ」
「なんで……魂がいるんじゃないの?」
「いるさ。だけど、ほら」
俺は魔王の後ろを指差す。魔王がその方向を振り向くと、そいつらが一斉に反応した。
扉に隠れて、廊下から俺と魔王のやり取りをそっと伺っていた姫様や料理長、魔王の部下たち。心配そうな顔をした、バカ集団。
「お前がいなくなると、姫様たちが寂しがるだろ」
「うん……そうだね」
ちょっと涙声になっている魔王。顔を伏せ、腕で鼻の辺りを抑え出した。やべっ、泣いてるよコイツ。感動して泣いてるよコイツ!
「悪魔さんってさ」
「うん?」
「いい人だよね」
「バカか」
「うん、ボクは、バカだね」
「そうだよ、バカだよ、お前は」
「うん……」
契約は成立した。それは魔王の夢を叶えるための契約であり、同時に夢を諦め仲間と生きる契約でもある。
自分のために生きるか、他人のために生きるか。どちらが正解というわけでは無い。正しさは人それぞれだ。
ただ、2つが両立することはあり得る。他人の幸福が自分の快楽となり、他人の不幸が自分の苦痛となる。もちろん、その他人とやらに愛着を抱いていればの話だが。
それにしてもまさか、自分がそうなってしまうとは。
こういうことを避けるために、女性にも手を出さなかったのに。
それでも1年という期間は十分に、十分すぎる程に、長すぎたのだろう。
まったく、本当に。
どうしようもないな、俺は。




