第12.21話 勇者に終わりは訪れるのか
「よく来たね、勇者」
魔王城の大広間に勇者らしき人影が現れるのを、俺はモニター越しに見る。明らかに憔悴した動作で、剣を握ったその人影は玉座に座る魔王の方向へと歩いて行く。
「まさか女神様に選ばれた君が罪に問われるとは――」
魔王の言葉を聞く耳など持たないのだろう、人影は一気に駆け出し、そして、頭から床に転倒した。
「残念だけど、君を自由にさせるつもりは無いよ」
倒れた人影の両手両足には、いつの間にか金属製の枷がはめられていた。恐らく、魔王が高速化の魔法を使い装着させたのだろう。
天井の方を向く、倒れた人影の横顔。やつれてはいたが、間違いなくそれは勇者だった。
魔王は玉座から立ち上がり、勇者を囲むように描かれた魔法陣の前まで歩いて行く。そこで魔王はしゃがみ込み、魔法陣の外縁に手を当てた。
「さて、と」
魔法陣が緑色の光を仄かに発し、その光が倒れる勇者の全身を包み込む。魔王が仕掛けたこの魔法陣には、勇者の魔力を奪い取る魔術が施されている。両手足を拘束し、魔力まで奪ってしまえば、勇者に抵抗されることを考えずにこの後の処置を行うことが出来る。
「そろそろ出番だよ、悪魔さん!」
モニター越しに聞こえた合図を受け、俺は大広間への扉へと向かう。廊下の中では魔王の部下たちが忙しなく動いていたが、俺の移動を邪魔しないよう脇に避けるなどし、中には立ち止まって見送る者すらいた。これが勇者との戦いの終わりであることを、魔王の部下たちも重々承知しているのだ。失敗することは、こいつらの期待を裏切ることにもなる。
責任重大だな。そう思いながら俺は大広間への扉を開ける。もちろん、俺自身失敗する気など微塵も無かったが。
大広間には魔法陣の中央に倒れる勇者と、片膝を立ててそれを見つめる魔王の姿があった。
「来たね。早くやろう」
顔を上げた魔王が、俺を見て微笑む。だがその笑顔から、俺は僅かながら寂しさの色を感じ取る。
「ああ」
俺は魔王の隣まで歩み、ペン型の機器を服のポケットから取り出した。ペンで囲んだ範囲に存在する魂を束縛し、移動を防ぐ拘束器具。魔王の描いた魔法陣の外縁と重なるように、俺はこのペンで拘束範囲を設定していた。
ペンのスイッチを入れると、緑に光る魔法陣の外側が黄色く、ぼんやりと光る。光の粒子が周囲を舞い、次の瞬間には魔法陣の外縁付近から突き出した無数の棘に勇者の身体が貫かれていた。黄色く透き通ったその光の棘が、俺の設定した範囲に魂を縛り付ける。この棘を勇者から抜かない限りは、たとえ女神であっても勇者の魂を回収することは出来ない。
「すごいね……」
魔王が驚嘆した様子で呟いた。お前の使う魔法の方が相当凄いと思うが、言わないでおく。
「これで勇者の魂はここから動けない。これが効いたということは、お前の言うとおり女神の加護は消えているようだな」
「そう……」
期待通りのはずなのに、何故か魔王は複雑な表情をした。
「何か気になることでもあるのか?」
「そうじゃないんだけどね。気にしないで」
魔王はそう言うが、やはり気にはなってしまう。しかし、今は勇者から魂を奪うことが最優先だ。
「さて、ここからどうする? 魂が捕獲出来るか試してみるか?」
「念には念を入れておきたいんだよね。ちょっと待ってて」
言われたまま待っていると、魔王の部下が4人、大きな鉱石を両腕で抱えながら現れた。
「魔王様、とりあえずは4つ」
「うん。ボクの近くに置いといて」
部下たちは魔王の周囲に鉱石を下ろし、廊下へと戻って行った。
「魔導石か」
「そうだよ。勇者の魔力を吸い取って、この特大の魔導石に移すんだ。流石のボクでも、勇者の魔力全てを自分の身体に収めることは出来ないからね」
「もう魔力は奪ったんじゃないのか?」
「勇者が魔法に使う分はね。これから吸い取るのは勇者の魂や肉体を保持するための魔力、言ってみれば命そのものだね」
「生命力を奪うのか……それで魂を剥き出しの状態にする、ということか」
「そういうこと」
魔王は右手を魔法陣に向け、左手を魔導石に当てる。そして勇者を見据えながら、魔王は深呼吸をした。
「勇者」
不意に、魔王が勇者に呼びかける。
「最後に、聞きたいことがある」
勇者に語りかける魔王の顔は、やはり寂しさを帯びていた。もしやこの男は、勇者に対して憐れみを抱いているのではないか。そのような考えを、俺は抱き始めていた。
「君は、自分が間違っていると考えたことはあるか?」
魔王の質問。勇者は答えない。
「君が女神様から何を言われたのか、ボクには分からない。だけど、ボクを倒すことにここまで執着する必要なんて、無かったんじゃないのか?」
勇者は、答えない。
「そうでなくても、君はもっと他人を大事にすべきだったんじゃないのか? 君の仲間だった3人だけじゃない。君を支援してくれた王家や、君が死ぬ度に甦らせてくれた教会の人々。その人たちの言葉に耳を傾け、ボクを剣で斬り殺すこと以外のことをもっと考えていたなら、こんなことにはならなかったかも知れないよ」
勇者は、魔王の残酷な言葉に、何も答えない。
「君がそんな風になってしまった原因が女神様にあるのだとしたら、女神様がそのように君を作り上げたのだとしたら、ボクは、君が憐れでならない」
何も、答えない。
「……何も知らないボクが何を言った所で、どうしようも無いよね」
勇者を包む緑色の光が、明るさを増して行く。
「もう、終わりにしよう」
緑色の光が勇者から魔王の右手へ、右手から身体を伝わって左手へ、左手から魔導石へと流れていく。勇者は苦悶の表情を浮かべていたが、声は微塵も漏らしていない。
しばらくの間それが続いた後、魔王は左手を別の魔導石に当てた。傍目には分からないが、魔導石の容量一杯に魔力が溜まってしまったのだろう。それからも3つ目の魔導石、4つ目の魔導石と魔王は左手を移動させて行った。
「凄いね……まだ魔力が残っている」
「4つじゃ足りないのか?」
「足りないみたいだね。この膨大な魔力、ボク以外の魔王なら倒されていただろうね」
「お前は例外か」
「悪魔さんがついてたからね」
お世辞なのか本音なのか分からないが、俺はその言葉を聞き流すことにした。それから少しして、魔王の部下たちが追加の魔導石を3つ持ってきた。
「城内にある特型の魔導石はこれで全部です。後は大型や中型を掻き集めて使うしか無いでしょう」
「新型の魔導石が完成してたら良かったのにね」
魔王と部下がそんなやり取りをする間も、勇者から魔導石へと魔力は流れ続ける。かつて女神の祝福を受け人々に希望を与えていたはずの男は今、串刺しにされながらその生命をじわじわと奪われている。だがもはや、それを嘆く者もいない。俺をこの世界に縛り付ける不死身の存在は、孤独に朽ちようとしている。
憐れには思わない。ただ、目の前の惨状が見苦しいだけだった。
5つ目、6つ目と魔王が左手を当てる魔導石を変えるが、勇者からの魔力の流れは止まらない。そして魔王が7つ目の魔導石に手を移した、その数秒後。
勇者から流れる緑の光が、その明るさを急速に弱めて行った。
「どうにかなったね……」
「終わったのか?」
その答えが魔王から発せられるよりも早く、串刺しにされた透明な球体が火球のように揺らめきながら、ゆっくりと勇者の身体から浮き上がって来た。
「あれが……勇者の魂なのかな?」
「ああ。拘束の影響で可視化しているな」
速度は非常に遅いが、勇者の魂は微かに上昇している。魂が戻るべき場所、つまり女神の元に向かっているのだろう。
そんなことは、させない。
俺は異次元収納装置から、金色に輝く大型の筒を取り出す。俺が持っている魂の捕獲器の内、2番目に容量の大きい種類。神々の領域にでも達していない限り、この捕獲器に収まらない魂を持つことは不可能である。
捕獲器を起動し、勇者の魂に対象を設定する。筒の先端が開き、勇者の魂が幾筋もの曲線となってそこへ吸い込まれる。まるで解けた糸を巻き取るように、捕獲器が神に選ばれた男の魂を飲み込んで行く。その光景は数々の魔法を使う者にとっても息を呑むものであるのか、魔王は唖然とした様子で見つめていた。
1分程の後、勇者の魂は全て捕獲器の中に収まり、その先端も閉じる。後に残ったのは、抜け殻となった勇者の遺体だけだった。
それで、終わりだった。
「終わったね、悪魔さん」
「ああ」
勇者の遺体を眺めながら、俺と魔王は玉座の前に並び立つ。
「これで俺も元の世界に帰れるわけだな」
「……ねぇ、悪魔さん。そのことなんだけど」
「分かっている」
予想はついている。魔王の目標は、勇者などでは無い。
「お前の本当の目的は、何だ?」
「気付いてたの……ううん、それは気付いちゃうよね。悪魔さんだもん」
「言え」
「……怖い顔しないでよ。ボクの本当の狙いは、女神様を倒すこと」
予想外では無かった。充分、考えられる狙いだった。
「そして」
だが、続いて発せられた魔王の言葉。それだけは、全く予想していなかった。
「大魔王様を、倒すこと」




