エピローグ
「雨じゃなくて良かったのじゃ」
「むしろ、暑いくらいだな」
勇者との戦いから3日後。俺とヒメは、噴水のある広場の隅でベンチに腰掛けていた。
天気は快晴。時刻は午後3時過ぎ。陽気は多少、汗ばむくらい。
「マナのために、何か持ってきた方が良かったかのう?」
「お祝いはまた後でやるんだろ。その時に渡した方がいい」
「それもそうじゃな」
マナが快復したという知らせを受けた俺たちは、魔王城で後日行う正式なお祝いの前に彼女と会うことにした。
まぁ、会いたいと言ったのはヒメで、俺は城で寝てるつもりだったんだけど。どういうわけか無理矢理連れてこられたわけです。
「なぁ、やっぱり俺はいなくても良いんじゃないか?」
「ダメなのじゃ。私と悪魔殿のラブラブっぷりをマナに見てもらうのじゃ」
「ラブラブって……そんな言葉いつ覚えた」
「悪魔殿の世界では『相思相愛』のような意味だったはずじゃな?」
「大体そんな感じだが……ラブラブなのか俺ら?」
「ラブラブじゃろ?」
「う~ん……」
首を傾げる俺に、ヒメが抱き着いてくる。
「ラブラブじゃろ~」
「ええい、離れろ暑い。お前に愛は早すぎる」
「愛に年齢は関係無いのじゃ」
「残念だが、俺は18歳未満の女には興味が無い」
「私もそのうち18歳になるのじゃ。だから、ラブの先取りなのじゃ」
「意味わかんないから離れてくれませんかね。周りの視線が気になる」
城下町の人々は露骨に俺たちから目を逸らしている。「2人の時間を邪魔する気はありませんよ」と雰囲気で伝えてきている気がして、居心地がすんげぇ悪い。
「そもそも、病み上がりのマナに俺の嫌がる顔を見せる意図がわからん」
「私と悪魔殿が楽しくしているのを見れば、マナの気も楽になるじゃろ?」
「そういうもんか……?」
確かにマナのことだから、魔王城や城下町の人々に迷惑をかけたことを気にしている可能性はある。そんな気持ちを和らげるために、俺たちがふざけた姿を見せるのも悪くない……のかなぁ。
「それにマナだってまだまだ不安なことはあるはずじゃろ? それに全部答えられるのは悪魔殿だけじゃからな」
「なるほど……言われてみればそうだな」
「悪魔殿とラブラブしたいのは本当じゃが、やっぱりマナの元気を取り戻すことが一番じゃよ」
「まぁ、そうだな」
俺はヒメの頭を撫でる。さらさらとした金色の髪の感触が、こそばゆい。
ヒメは「えへへ」と、甘えた声を出した。
「ラブラブですね、おふたり」
「お前も知ってるのかよ、ラブラブ」
いつの間にか、マナが俺たちの前に立っていた。
数日前まで苦しんでいたとは思えないくらいの、にこやかな表情であった。
「マナ!」
ヒメは俺から離れ、マナに抱き着く。お前らの方がラブラブだよ、うん。
「元気みたいじゃな」
「うん。ヒメちゃんたちのおかげだよ」
「無理は禁物じゃぞ」
「ゆっくり休ませてもらったから、心配ないよ」
「それは何よりなのじゃ。それじゃあ、ここに座ってゆっくりお話しするのじゃ」
マナは勧められるままベンチの左端に座り、ヒメは俺とマナの間に座った。
「体調に問題は無いんだな?」
「はい。診てくれたお医者様も、良好だって言ってました」
「そうか。そりゃ良かった」
「本当に大丈夫なんじゃな? もしも気になる事があったら、遠慮せず悪魔殿に聞いた方がいいのじゃ」
「そういえば……お医者様の話だと、私の魔力が強くなっているみたいです。これって、まだ勇者の影響が残っている……わけじゃないですよね?」
微笑みの中に僅かな不安をにじませながら、マナが尋ねる。
「それは無いな。勇者の魂は完全に回収した。もし魔力が強くなっているとしたら、それは勇者の力に長期間抵抗したことによる成長だろう」
「お医者様もそう言ってました。悪魔さんが同じことを言うのだから、間違いないんでしょうね」
「もうお前は勇者に怯える必要は無い。昔と同じように、みんなと気兼ねなく暮らせば良い」
「そうですね……この数か月、本当に皆さんにはご迷惑をお掛けしました」
「気にすることは無いのじゃ。マナは何も、悪いことはしていないのじゃからな」
「ヒメの言う通りだな。むしろ、酷い目にあったのはお前の方だろう」
「でもそれは、仕方の無いことだって、そう思ってます」
「仕方の無いことでも、嫌なことは嫌なのじゃ。それは正直に言っていいのじゃぞ」
「……そうだね。やっぱり、独りで苦しむのは辛かったかな、って」
「これからはどんどん、私に相談していいのじゃぞ」
「うん……」
風が、頭上で日差しを遮っている枝葉を揺らした。
「あの時は……ありがとうね、ヒメちゃん」
「いつのことじゃ?」
「私を、勇者から引っ張ってくれたとき」
「……実はあの時、私は諦めそうになっていたのじゃ。でも悪魔殿が支えてくれて、マナが応えてくれた。私の力だけじゃ、きっとどうにもならなかったのじゃ」
「だけど、ヒメちゃんの力があったから、私は帰って来れたんだよ。だから、ありがとうね」
「それならこちらこそ、ありがとうなのじゃ。私が笑っていられるのも、マナが応えてくれたおかげなのじゃ」
向かい合って、手を取り合う少女たち。
「もちろん、悪魔殿のおかげでもあるのじゃ。悪魔殿、ありがとうなのじゃ!」
「悪魔さん、ありがとうございます」
2人は俺の方を向いて、屈託の無い顔で礼を述べる。
「あ、ああ」
なんだかくすぐったくなってきた。少女たちの穏やかな時間を取り戻せたのは何よりだが、やはり俺はこの場に相応しくない。
「さて、と。実は私、今日は忙しいんです」
マナはそう言ってベンチから立ち上がり、俺とヒメの前に立った。
「何か用事があるのか?」
「孤児院の方で、お祝い会があるんです。魔王様と王妃様からいっぱい予算を頂けたので、盛大に行うんですよ」
「そいつは良かった」
「私も行っていいか!?」
「今日は孤児院のみんなとだけなので、ヒメちゃんはダメです」
「なんじゃと!?」
驚くヒメと、悪戯っぽく笑うマナ。
「それじゃあヒメちゃん、悪魔さん、後は2人でごゆっくり」
そう言って、マナは駆け足で去って行く。
「ちょっと待て!? 何だその意味深な言葉はっ!」
「さよならなのじゃ~!」
ヒメは座ったまま、マナの姿が見えなくなるまで右手を振り続けた。
再び2人きりになると、ヒメは振っていた右手を止め、俺の左手に重ねてきた。
「悪魔殿」
「なんだ」
「本当に、ありがとうなのじゃ」
「……ああ」
噴水の音が、やけに大きく聞こえた。
「……帰るか」
「そうじゃな」
立ち上がろうとした俺の手をヒメが握り、俺たちは一緒にベンチから離れた。
そして並んで、城への帰路を歩き出す。
「そういえば悪魔殿、そろそろ私の誕生日なのじゃが」
「ああ」
初耳だった。
「誕生日の贈り物は、もう決めているのかのう?」
「いや」
だって今知ったばかりだもん。
「それなら、えっと、欲しいものが、あるんじゃが」
「なんだ?」
「その……悪魔殿の世界で言うところの……キ、キス……というものを」
「却下だ」
俺が足を速めると、ヒメは「ま、待ってなのじゃ」と言いながら俺の手を引っ張った。
「14歳なのじゃぞ! もう、大人のキスを、そ、その、してもいいんじゃ、ないかなって……」
「俺は18歳未満には興味無いと言っただろう」
「じゃ、じゃあ……18歳になったら、してくれる……?」
「……考えておく」
「……わかった。それなら、今年の贈り物は『私が18歳になるまで悪魔殿が一緒にいてくれること』にするのじゃ」
「いやいやいや待て待て待て」
俺は立ち止まり、ヒメの顔を見る。
頬が、赤かった。
「そんなプレゼントありえねぇだろ」
「悪魔殿は約束をしないと、どこかへ行ってしまいそうで怖いのじゃ。だから、約束をするのじゃ」
「そんな約束しなくても、俺は――」
俺はいなくならないと、断言できるだろうか。
「……分かった」
「やったのじゃ」
「ただし、他にも何か、形のある物をプレゼントするからな。ぬいぐるみとか、なんかそんなのを」
「うん。それでいい」
ヒメの笑顔が何だか恥ずかしく、俺は顔を背けるように再び歩き出した。
「楽しみなのじゃ~」
「期待するなよ」
「待ち遠しいことがあるだけで、充分なくらい嬉しいのじゃよ」
ヒメは本当に楽しそうに、そう言った。
未来は、不条理なだけじゃない。
思い描いた幸せが、そのまま叶うことだってある。
そんな日常の中で、俺はこれからも驚かされながら、生きていくのだろう。
少女に、手を握られながら。
第2部、完




