最終話 創造者はどこへ向かうのか
勇者との決戦から、約半日。
俺は魔王城の住人の目を盗み、太陽に照らされる海岸を訪れていた。
魔王をはじめとした城の連中は疲労困憊でぐったりとしており、こっそり城を出るのは簡単だった。まぁ、今日くらいは仕方の無いことだろう。
それを狙って、奴も俺を呼び出したのだろうから。
同調加速が発動し、世界が止まる。魔王は城にいるはずだから、奴の仕業だろう。高加速に耐えられる服を着てきた甲斐はあったようだ。
「まずは、おめでとうと言うべきかな」
俺と波打ち際の間に、15歳くらいの少年が突然現れた。
姿は偽り。中身はこの世界を創造した者であり、1万人の勇者なんてものを生み出した、厄介な存在。
クリエイター。高い技術力でもって異世界群を作り出した、元人間の人でなし。
「まさか、彼女の魂を救い出してしまうとはね。こちらの完全敗北だよ」
『何故、マナに勇者の断片を埋め込んだ』
「君や魔王の周辺にいる地上人の中で、彼女が最適だったからさ。幼い子どもではあの魔王は絶対に殺すことが出来ない。だが、ある程度の年齢であれば殺害も選択肢に入ると予想できたからね。殺すか生かすか、生かすならどうするか。そのような葛藤があった方が面白いと思ってね」
『糞が』
「そう言われても仕方ないかな。ただ、それだけの価値はあったような気もするよ」
『……楽しめたか?』
「どうだろうね……何かしらの感情が湧いた気はするのだけれど。人々が困難に立ち向かう姿というものは、やはり見応えがあるものだからね」
『1万人、いや巻き込まれた人間を加えればもっと大勢か。それだけの人々を玩具にして、その程度の感想か』
「大事なのは感情移入さ。共感の出来ない事物を見ても、あまり心は動かされないからね」
『なら、マナを見てどう思った。勇者の断片によって周囲の人々と切り離され、苦痛や不安と戦った彼女を見て、お前はどう思った』
「……」
クリエイターは、はにかんだ笑みを見せる。
だが、答えを返しはしなかった。
「とにかく、君たちは勝利した。そして君は、1万に分割した上で再結合した勇者の魂を手に入れた。魂の融合は可能なのか、という研究課題において、その魂はかなりの研究材料となるはずだよ」
『そんなものは上の奴らの事情だ。俺の知ったことじゃ無い』
「悪魔としての君の評価は上がると思うのだけれど」
『給料が増えたところで、今のところ使うあてが無いもんでな』
「なるほど。そうなると、君には無駄に苦労をかけたわけかな」
『いや。副賞が貰えれば、それでいい』
「副賞か……確か、私を殴ることだったね」
『ああ。一発でいい』
「気が済むまでいくらでも殴って良いのだけれど」
『どうせ、その身体は俺と会うために作った即席の疑似人体だろ? そんなものを何度殴っても、意味が無い』
「それでも、一度は殴るんだね」
『そうしないと、お前には伝わりそうに無いからな』
「分かった。殴るといい」
クリエイターは「どうぞ」と言わんばかりに、両手を広げる。俺は疑似人体を制御する人工知能に命じ、一歩だけ前に進む。
今、クリエイターは恐らく魔王の超高速化と同種の魔法を使用している。超高速化は自身を加速する一方で、他の物体からの作用や摩擦などを大きく軽減する特性がある。そうなると、クリエイターをぶん殴ったところで傷を負わせられない可能性が高い。
だがせめて、怒りが伝わるくらいの打撃は与えてやりたい。俺も、魔王たちこの世界の人々も、決してお前の所有物などでは無い。それを思い知らせる一撃を、叩き込んでやりたい。
俺は考える。超高速化による物理的作用の軽減を無効化する方法はあるのか。軽減出来ない程の威力ならどうだ。いや、魔王の超高速化よりも精度が高いと推測すると、疑似人体の最大出力でも足りないかもしれない。超高速化を、クリエイターの使う魔法を突破するにはさらに何か……
……効果があるかどうか分からないが、これしか無いか。
俺は、人工知能に命ずる。疑似人体はクリエイターへと近付き、構えを取る。
そして、その顔面に向かって、可能な限りの速度で右ストレートを放った。
クリエイターの顔面と衝突するであろう、右の拳の一点。俺はそこに、魔法無効化の機能を集中させていた。同調加速と能動的な魔法無効化機能の同時使用は、疑似人体の演算能力をもってしても容易なことでは無かった。しかし、それくらいの無茶をしなければクリエイターには届かない。それくらいの無茶をしても、届くかどうかわからない。
出来ることを全てやって、あとは、祈るだけだ。
届け、と。
拳は、クリエイターの顔面に衝突した。
その瞬間、空間が歪んだような気がした。そう感じた直後、世界が再始動する。
俺の足元から広がった衝撃波が、爆発のように砂を撒き散らす。俺の目の前にあったクリエイターの肉体が、塵のような大量の破片と化して風に消える。俺の一撃によって生じた疾風が、海上に円筒状の波を作りながら遥か彼方へと走って行く。
静寂と、荒れ果てた砂浜が残る。拳には確かに、何かを殴った感覚があった。
俺の目的は、どうやら達成されたようだ。
世界が再び静止し、同調加速が発動する。
「いいパンチだったよ。少しだけ、恐怖を覚えた気がするね」
背後からクリエイターの声がした。人工知能に命じて振り返ると、そこには何事も無かったのように微笑む少年の姿があった。
『お前なら、防げたんじゃないのか?』
「そのために必要なエネルギーと肉体を再構成するために必要なエネルギーを比べた結果、再構成の方が効率的だったんだ。攻撃を防いだら君の留飲も下がらないだろうしね」
『そうか』
「満足したかい?」
『満足したとは言えないが、これ以上は壁を殴るようなもんだ』
「そうだね。我々の本体とこの肉体が別物である以上、殴ることにさほど意味は無い」
『本当に、ムカつく奴だよ』
「そうだろうね」
クリエイターは笑い、そして、何故か神妙な表情をする。
「さっきの質問の答えだけど」
『ん?』
「彼女、君がマナと呼ぶ少女を見てどう思ったか。実は我々の中で、ちょっとした感情のようなものが生じた。だが、これを言語として表現するとしたら……」
クリエイターが言い淀む。人工知能と融合し、合理性も計算能力も人間より遥かに高い存在が、言葉を選んでいる。
そして、口にした。
「罪悪感、だろうね」
『罪悪感……だと?』
笑えない冗談であった。いや、冗談では無いのだろう。こいつらは玩具のように扱った存在に対し、罪を感じたのだ。
それはつまり、この世界の人間を、その人格を、認めたということだ。
「嫌な感情だよ。技術発展に寄与しない、全く無駄な感情だ」
『だが、それが答えなんじゃないか? 自分たちが創造したものとはいえ、心を持つ者を傷付けるべきじゃ無かったんだよ』
「そうなると君は、彼らに恵みだけを与えろと言うのか?」
『違う。余計な手を出すなと言いたいんだ』
「ふむ……」
クリエイターは考え込む仕草をする。何を考えているのか。それとも、考えているフリなのか。
「君の意見を聞きたい」
『何だ?』
「この世界に干渉しなければ、我々は感情を得る機会を少々失うこととなる。それを補填するにはどうすれば良い?」
『この世界じゃない、どこか遠くの世界に干渉すればいいだろ。別の異世界だろうが、俺たちが元々いた世界だろうが、どこでも好きな所にな』
「この世界でなければ、君は気にしないのかい?」
『ああ。遠い世界のことを気にするほど、真面目では無いんでね』
「なるほどね……」
うんうんと頷いた後、クリエイターは右手の人差し指を立てた。
「1つ。候補がある」
『何処だ』
「宇宙だよ。我々と君らが元々いた、あの世界の宇宙だ」
『宇宙……さんざん異世界でやりたい放題やって、いまさら宇宙か?』
「彼女、君がマナと呼ぶ少女が宇宙について学んでいるのを見て、僅かながら興味が湧いたのさ」
確かにマナは、宇宙について語っていた気がする。
それがまさか、世界を作った存在にまで影響を与えるとは。
「宇宙探査は労力に対して成果が少ないと考えられ、優先度は今も低い。だけど多少はリソースを割り当てるのも、博打としては悪く無い」
『お前らが博打かよ』
「人間性が残っている以上、博打は切り離せないものだよ。我々が人間性を語るなど、滑稽かもしれないけど」
『そうだな。お前らは人間じゃ無い。だけど、もしかしたら人間性は残っているのかもな』
「君に慰めの言葉を貰うなんて、我々も未熟ということだね」
『ああ。だから、宇宙でもどこでも行ってくれ。お前らが学ぶべきことは、この世界の外に沢山ある』
「返す言葉も無いね。未知に対応するためには、未知に立ち向かわなければならない。学びとは、危険を冒すことでもあるのだろうね」
『分かっているなら、さっさと行け。もう、この世界に用は無いだろう』
「君と話すのは、私としてはそれなりに楽しいのだけれど、仕方ないね。機会があれば、また会おう」
『二度と会いたくは無いな』
「だったらそうならないように、努力すればいいさ」
そして、世界が動き出す。
クリエイターの姿は跡形も無く消えており、陽光の眩しい砂浜で俺は1人、佇む。
「……はぁ」
溜息を吐く。なんかもうね、疲れた。多分、クリエイターを殴った悪魔って俺が初めてじゃない? もしかして俺って凄いのか? それとも凄いバカなのか?
俺はクリエイターを殴った拳を見る。そこには僅かながら、血と皮膚の欠片のようなものが付着していた。
「……」
俺は異次元収納装置を起動し、左手で試料採取用の容器を取り出した。そして付属している試料採取用の微小ドローンを作動させ、右手に付いている欠片を採取させる。
クリエイターの肉体を構成していたこれらに、奴らの情報が含まれているとは限らない。だが、もしかしたら分かることがあるかもしれない。可能性がある以上、捨てるわけにはいかないだろう。
ドローンに試料採取を行わせながら、俺は波が静まった海を見つめる。
元の世界。そこにいた時、俺は周りの様々なものが空虚に見え、それでも自分だけは確かなものだと思っていた。
この世界。クリエイターが創造した、作り物の世界。それなのに周りのものには現実感があり、逆に自分の方が紛い物であるように思えた。
偽物のような本物。本物のような偽物。いや、きっと本当の意味で偽物と呼べるものは無いのだろう。たとえ全く同じものとして作られたとしても、時間がそれらに差異を与え、別々の本物としてしまうに違いない。
異世界の人間は、俺の世界にいる人間の模造品である。だが日常を過ごす中で、彼らは唯一無二の人格、俺の世界の人間と同等の心を持つことが出来る。
クリエイターの敗因は、そこなのだろう。創作物だろうと模造品だろうと、充分に価値を持ち得る。奴は、創作物が創造者の思惑を超える可能性をもっと深く考えるべきだったのだ。
この世界を、尊重すべきだったのだ。
試料の採取が終わり、俺は採取用の容器を異次元収納装置に戻す。
そして、海に背を向けて歩き出した。
この世界は俺にとって、元の世界と対等の価値があるのかもしれない。だったら、どちらにいても構わないのだろう。
とりあえずは、バカが沢山いるあの城に戻るとしよう。
俺を受け入れ、俺が受け入れた人々のいる、あの城。
その中にある、落ち着けるあの場所。
いつもの部屋の、いつものタタミの上へ。




