第84話 彼らは不条理を否定できるのか(前編)
「魔力吸収用の結界、もっと強度上げて!!」
魔王は部下たちに向けて大声で命令し、超高速化を発動する。そして再生する勇者の四肢を剣で切断し、超高速化を解除する。
勇者は即座に両手足の再生を行うが、完全に戻るまでには多少の時間があった。その間に魔王は魔導石を使って魔力を回復し、勇者が立ち上がる前に再び超高速化を発動した。
『なぁ、魔王』
「なに?」
俺の方を振り返らず、勇者の方を見たまま魔王が応えた。
『何か、打開策は考えているのか』
「やっぱり、可能な限り魔力を削るしか無いと思う。その後じゃないと、何も出来ないよ」
『……マナを切り刻んででも、そうすべきなのか』
「さっきさ、マナさんは間違いなく、ボクよりもヒメを優先して狙った。勇者の断片の中で、マナさんは確かに生きているんだと思う。だけど、そのせいでヒメが危険に晒されるなら」
魔王は勇者に近づき、その右腕を剣で切り落とす。
「ボクは、マナさんを止めなきゃいけない。たとえ、マナさんがどんなに苦しんだとしても」
『それは、本当に正しいのか』
「ヒメが傷付くよりかは、ずっと良い。少なくとも、ボクはそう思っている」
勇者の左腕が、切り落とされる。
「ボクはヒメや王妃が傷付くくらいなら、マナさんがどんな酷い目にあっても良いと思っている。守りたい人たちを守るためなら、他の勇者たちと同じように殺しちゃうのも、仕方ないと思っている」
『マナだって、守るべき存在じゃないのか』
「守りたいよ。だけどさ……」
魔王は、勇者の右脚と左脚を続けて切断した。
「……ボクはやっぱり、弱いよ」
超高速化が解かれ、世界が動き出す。
「父上!! マナを、マナを助けて欲しいのじゃ!!」
俺に目を塞がれたままのヒメが、魔王に向かって懇願する。だが魔王はそれを無視するように、その後も再生する勇者の身体を超高速化で斬り続けた。
一方的な斬撃。だがそれは娘を守るために強いられた、不自由でもあった。不条理を前に、人が選べる行動はあまりにも少ない。どうしても、受け入れなければならないこともある。
これが、そうだと言うのか。
「……母上?」
ヒメの声に、俺は魔王に向けていた視線を自身の左前方へと移す。
マリアとメアリを付き従えた王妃が、悲し気な表情で魔王を見ていた。
「魔王様! 王妃様がお話ししたいそうですわっ!!」
マリアが大声で魔王に呼びかける。
「ごめん! 今は――」
魔王が、言葉を詰まらす。王妃の表情を見たためだろうか。そこから、何かを感じ取ったからだろうか。
「勇者が……勇者を止めないと!」
「それなら、私たちが代わりますわ」
マリアがそう言うと、メアリが彼女の背後に立った。メアリはマリアの背中に手を当て、マリアは深く呼吸をする。
「「奥義、ダブリュン!」」
2人の声が重なり、メアリの身体が力を失って倒れそうになる。マリアはそれを支え、近くにいた女性の従者にメアリの身体を預けた。
「1分だけでしたら、どうにかいたしますわ!」
メアリの力を借りたマリアが、不敵な笑みで言った。
「うん……わかった! 1分だけ、お願い!」
「御意ですわ!」
マリアが勇者に向かって駆け出す。振り返ると、魔王も王妃に向かって走り出しており、勇者はその隙に両手足を再生させていた。
立ち上がる勇者。その胴体に、マリアの蹴りが炸裂する。勇者は実験場の奥へと飛ばされ、マリアは迎撃の構えを取る。
「少し失礼いたしますわ、マナ様!」
相当な距離を蹴り飛ばされた勇者だったが、疾走によってすぐにこちらへと戻って来た。しかしマリアがその前に立ちはだかり、数回の殴打の後、地面へと抑えつける。
マリアはメアリの力も足し合わせた全力で、勇者を食い止めている。それでも本人の言葉通りで1分、恐らくはそれより短い時間しか持たせられない。その僅かな時間に、王妃は何を伝えようというのか。
俺は魔王と王妃の方を向く。魔王は顔を伏せつつ、言葉を発した。
「王妃……えっとね、ボクは、マナさんを助けたいと思ってた。でも、もしかしたら難しいかもしれない」
魔王は俺に言ったのと同じように、マナに対する諦めの予感を口にする。王妃に対して、それを誤魔化すことはしたく無いのだろう。
「もしもマナさんが、ヒメや王妃を傷付けるのなら。それをボクが止められないのなら。そうなったらボクは、ボクはマナさんを――」
その時。
乾いた音が周囲に響き、多くの者が魔王と王妃を見た。
王妃が――何も言わず、魔王を甘やかし、もしかしたら魔王城で最も弱いかも知れない――そんな女性が。
そんな女性が、目に涙を浮かべながら。
魔王を、平手打ちしていた。
「王妃……?」
唖然とした表情で、魔王が王妃の顔を見る。今にも泣きそうな王妃は、魔王をしばし見つめ、そして、その身体を強く抱きしめた。
「……」
魔王が、無言で彼女の背を撫でる。王妃は何も言葉にしていない。だが、彼女が何を伝えようとしているのか、それを見ていた全ての者が理解したに違いなかった。
「わかったよ。王妃」
魔王が、ほんの少しだけ表情を和らげる。
「少しくらいヒメや君が傷付いても、我慢する。本当に、本当にどうしようも無くなるまで、絶対に諦めない」
魔王が王妃の背から手を離すと、王妃も魔王から離れる。
そして、彼女は涙をこぼしながら微笑んだ。
「ありがとう。ボクはやっぱり、君がいないとダメなんだね」
魔王は王妃に微笑みを返し、小さな声で「行ってきます」と呟いた。王妃が頷くと、魔王は彼女に背を向け、勇者へと歩き出す。
「マリア! もう大丈夫だよ!!」
「遅いですわ!!」
勇者を取り押さえていたマリアは、逃げるように勇者から離れる。勇者を包む霊気は魔力の塊であり、それに触れ続けることは危険なことだったのかもしれない。だが、その献身が稼いだ時間によって魔王と王妃は心を通わせることが出来た。マリアは従者として、賞賛に値する仕事をやり遂げたのだ。
そして、世界が静止する。超高速化を使用した魔王は、ゆっくりと前に進んで行く。
「悪魔さん」
不意に、魔王が足を止めて俺を呼んだ。
「ボクはね、守りたい人たちを守るためなら、知らない人が何千人、何万人死んでも良いと思ってる」
その考えは、決して正義では無い。だがその悪徳は、生きる者すべてが持つ、とても人間らしい感情であるように思えた。
「でも、だからこそ、守りたい人を絶対に見捨てちゃいけなかったんだ」
魔王の表情は何か吹っ切れた様子で、晴れやかにすら見える。
己の矜持を見つけ、覚悟を決めた。そんな王の姿が、そこにはあった。
『それで、お前はどうするつもりだ』
「ヒメに手伝ってもらうよ。ちょっと、ううん、かなり苦しい思いをさせちゃうけど」
『やっぱり、ヒメが最後の希望か』
「良い表現だね。悪魔さんの言う通り、ヒメに頼るしか無いと思う。魂に関する魔法ではボクより才能があるし、勇者の中のマナさんはボクよりヒメに反応している。魂を分離させる儀式は、あの子がやった方が良い」
『それをお前が手伝う形になるのか』
「うん。ボクは勇者の魔力を減らすことに全力を尽くすよ。それで悪魔さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
『何だ』
「悪魔さんってさ、昔は超高速化について来れてなかったよね。その状態に戻ることって、出来るかな?」
同調加速の機能を停止しろということか。可能ではあるが……
『何を企んでいるんだ』
「企んでいるわけじゃ無いよ。ただ、これから超高速化をボクの限界まで連続使用するから、それに悪魔さんを付き合わせたく無いんだ」
『超高速化の連続使用か……そのための魔力は確保できるのか?』
「勇者から吸収できる魔力だけで充分だよ。超高速化を使って勇者への攻撃、魔力吸収用の結界の修復と増設、みんなへの指示伝達を行えば、もっと効率的に勇者の魔力を奪えると思う。吸収した魔力の放出先にもなれるしね」
『だが、それは相当疲れるんじゃないか』
「体感時間で少なくとも数時間、長ければ数日間動くことになるかもしれない。もちろんきついんだけど、ヒメの負担を減らすためにはやらないとなんだよね」
『分かった。俺はそんなのに付き合う気は無いから、超高速化に同調する機能は停止しておく』
「うん。頼むね」
『それで、俺は何をすればいい?』
「ヒメのそばにいてあげて。勇者の断片に触れることは、とても怖いことだから」
『ああ。それくらいなら、お安い御用だ』
「ありがとね。ヒメを、お願いするよ」
『任せろ』
魔王は再び歩き出し、立ち上がろうとする勇者を地面に倒して、剣を振り上げる。
俺は、同調加速の機能を停止した。
「ヒメ」
俺はヒメの目から手を離し、しゃがんでから彼女の顔を見つめる。
「魔王から伝言がある」
「な、なんじゃ」
涙を手の甲で拭いながら、ヒメは俺の顔を見ようとする。
「お前に、マナを救って欲しいそうだ」
「……え?」
「マナの魂と勇者の断片を分離する儀式を、お前が行うんだ」
「私が……」
呆然とした様子で、ヒメが呟く。
「出来るか?」
「……」
ヒメは黙り込み、そして少しの後、こう答えた。
「……無理じゃ」
それが、彼女の答えだった。




