第82話 彼らは少女の想いに応えることができるのか
いつもの部屋のいつものタタミの上。俺は天井を見上げながら、取り留めの無い思考を巡らせていた。
春。穏やかな午後。コタツはもう片付けられ、足の方は少し寒い。
勇者の残り人数、1人。順調、しかし不安。
1万もの勇者の断片を背負っている、最後の1人。
マナ。
彼女には、どんな影響が現れているのか。
一刻も早く、手を打たねばならないのではないか。
足の先。
魔王と王妃。
膝枕。
「んふ~……」
膝枕。ひざまくら。ヒザマクラ。
「ふひひ~」
「……やっぱ気になるわっ!!」
俺は起き上がって、魔王に苦言を呈することにした。
「なにが?」
「なんで呑気に膝枕されてるんだよ、お前はっ!」
「だって、やることないし~」
魔王は王妃の膝に頭を乗せたまま、無茶苦茶なことを言いやがった。
「お前さ……マナを救うためにやることがあるだろ?」
「何もせず、魔力と気力を養うのがボクに出来ることだよ」
また屁理屈か! いや、でもこれ事実っぽいな。マナを勇者の断片から解放するためには魔王の状態を万全にしておくべきだし、強力な勇者との連戦で疲れた魔王を癒すには膝枕という手段が最良なのも否定しづらい。
「本当に、お前に出来ることは他に無いのか?」
「出来ることはあるだろうけど、他の人でも出来ることは他の人に任せるよ。みんながみんな、自分が出来る最良の行動を取ることが大切だね」
なるほど、合理的な意見だ。人前で愛妻に膝枕されるのを最良の行動と言い張って無ければ、俺も納得してたぜ!
「とにかく、マナを救う準備は進んでいるんだな」
「うん。大きな儀式になるから、城の人たちだけじゃなくて大学校の学生さんたちの力も借りて進めているよ」
「どんな儀式を行うつもりなんだ?」
「複数の結界や魔法陣を使って、マナさんの魂と勇者の断片を引き離すんだ。拘束用の結界、魔力吸収用の結界、それに魂を分離するための魔法陣。この3つを使うんだよ」
膝枕されてるくせに、ちゃんと考えてるんだな、このバカ……
「それは地下室の魔法陣を増築して配置するのか?」
「地下室の魔法陣だとね、中心となるのが魔力吸収用で、しかも人間の魔力も吸収しちゃうからちょっと危ないんだよね。だから別の場所にもっとちゃんとしたのを準備しているんだ」
逆に言えば、現在のマナはちゃんとしていない魔法陣で拘束されているということか。少し、いや、相当気がかりだな。
「今準備しているのはね、拘束用の結界を中心にしたものなんだ。その拘束用結界は、大魔王様が女神を封じるのに使ったものを解析して作ったんだよ」
「対女神用の結界か……あの結界は女神だけを封じて、魔族の通行は阻害しないものだったな」
「うん。大魔王様が作った結界はやっぱり凄くて、同じものを作るのは無理だったけど、それでも勇者だけを閉じ込める結界は作ることが出来たんだ」
「だが、それで完全な拘束が可能なのか?」
「質としては確かに大魔王様の結界には劣るから、絶対では無いかもしれないね。だけど注ぎ込む魔力を多くすることで、結界の強度を増すことは出来ると思う」
「そうなると大量の魔力供給が必要になるわけだな」
「そのためにも、魔力吸収用の結界は重要だと言えるね」
魔力吸収用の結界。現在マナに使用しているのは人間としての魔力も奪ってしまうものだが、儀式に使用するのは勇者の魔力だけを奪うものであろう。それならば、どれだけ魔力を奪おうともマナの命には影響は無いと考えられる。
「その結界で吸収するのは勇者としての魔力だけだよな。勇者の魔力で大魔王の結界を強化するなんてこと、出来るのか?」
「そのままだと無理だね。だけど変換器を使って、勇者の魔力を魔族が使う魔力に近いものへと変えれば大丈夫だよ」
「変換器ってなんだ?」
「魔導車とかの魔術装置に使われている、魔力の属性を変化させる小型の魔術装置だよ」
聞いたことがあるような、無いような。あったとしても覚えてないわけだが。
「それを使えば、勇者の魔力を使って勇者を拘束できるわけか」
「吸収した魔力を全て変換するのは難しいから、拘束用の結界に使えるのは一部だけだと思うけどね。残りの魔力は魔導石や魔術装置に流して処理する予定だよ」
「吸収できる魔力が多すぎて、魔導石や魔術装置で処理しきれなかったらどうするんだ?」
「そうならないように吸収量は抑えるつもりだけど……必要になれば、魔術装置をどんどん繋いじゃえば良いと思う」
電化製品を大量に使用して、電力の使用量を無理矢理増やすようなものか。もっと格好良い例えが出来ないのか、俺!
「拘束用結界で動きを封じて、魔力吸収用結界で力を奪う。そうして本命の分離用魔法陣を使うわけだな」
「うん。理論上では本来の肉体にある魂以外を分離できるはずだよ。もちろん、十分に勇者の魔力を奪って無いと通用しないと思うけど」
「そうなると、やっぱり肝心なのは魔力をどれだけ奪えるかか……」
「まぁ、そうなんだけど……」
その反応に、俺は少し違和感を覚えた。魔王と俺の間で、何か認識のズレがあるような、そんな感覚がした。
「なぁ、魔王」
「よいしょ、っと」
魔王は不意に起き上がり、机を挟んで俺と向き合う。その目は、俺の顔からわずかに視線をずらしているように見える。
「ねぇ悪魔さん。たまには、城の外を散歩してみない?」
「は?」
「やっぱりお城の中にこもってばっかりだと、ボクも悪魔さんも気が滅入っちゃうからね」
これは、口実だ。2人きりで話したいことがあると、コイツは言っているのだ。
「……分かった。表に出ろ」
「なんかケンカでも始めそうな言い方なんだけど……」
「気のせいだ」
『2人とも、喧嘩はダメですからね』
王妃は手帳に書いた文字を俺たちに見せながら、優しく微笑む。王妃にも魔王の真意は分かっているのだろうが、そこに触れないのは流石と言ったところか。
「わかっているよ、王妃。ボクと悪魔さんは仲良しだしね~」
「たまには殴り合うのも良いと思うぞ」
「この重大な時に、無駄な体力は使いたくないんだけど……」
もっともである。今の俺たちには、ふざけている余裕は無いからな。
――クソが。
「それで、何か話があるんだろ?」
魔王城から海の方に続く、林の中の裏道。ここはそう、ヒメと初めて会った日に使用した林道だ。この季節に砂浜へ行く者もいないだろうし、人目につかない場所としては割と良い選択ではないだろうか。
「まぁね。もちろん、散歩したかったってのも嘘じゃないけど」
「気分転換が必要なほど、気がかりなことがあるってことか?」
「……痛い所を突くね、悪魔さん。やっぱり、悪魔さんはボクのことをよく分かっているよ」
「気持ち悪いこと言うな」
本当に気持ち悪いからな……
「えっとね……マナさんと勇者の断片を分離するための魔法陣のことなんだけどね」
「ああ」
「実は……今まで1回も、成功して無いんだよね」
「そうか……確かに、成功していたのなら俺に報告しているはずだよな」
「悪魔さんが持ってきてくれた魔法書を元に、魂を分離する魔法や魔術について研究して、勇者の軍勢に参加してた人たちを相手に何回も試したんだ。だけど、1回も成功できなかった」
「原因は掴めているのか?」
「多分なんだけど……勇者の断片は元々の魂と切り離せないくらい、深くくっ付いているんだと思う。1つの魂としてしか扱えないくらい、とても深く」
「ということは、分離するための魔法陣は効果が無い……ってわけか?」
「勇者の魔力が十分に小さければ……ううん、それでもダメかな。可能性が残っているとしたら、勇者の断片と元々の魂を明確に区別できる場合だと思う」
「それはどんな状態なんだ?」
「勇者の断片と元々の魂が、まったく別の性質を持っているような……たとえば元々の魂が魔族のものだったら、もしかしたら分離が出来るかもしれない」
「だが、マナは人間だ。人間の魂と勇者の断片は区別できないのか?」
「ある程度は区別できるけど、どこからがマナさんの魂で、どこからが勇者の断片かを分けるような境界線は見つからないと思う。だからもし成功したとしても、マナさんの魂の一部が勇者の断片に持って行かれるかもしれない」
「もしそうなったら……マナはどうなる?」
「わからない。命は助かるかもしれないし、助からないかもしれない。記憶や、身体の機能が失われるかもしれない。何も、わからないんだ」
魔王は空を見上げ、目を閉じた。
「ボクはさ、自分たちの可能性を疑ったことなんて無いつもりだよ。でもさ、だからと言って出来ないという可能性を否定できるほど、前向きじゃないんだよね」
「出来ないと、そう思うのか」
「可能性としては、そっちの方が高いってだけだよ。もちろん、諦めるつもりは無いからね」
「他に手は無いのか」
「……悪魔さんに、頼んでも良いかな」
「何をだ」
「もしも今回の儀式が失敗するようなら、悪魔さんに勇者の断片ごと、マナさんの魂を捕獲して欲しいんだ」
「……死ぬよりはマシだと、そう言いたいのか」
「悪魔さんの世界の技術ならさ、マナさんの魂と勇者の断片を分離できるんじゃないかな、って」
「可能かもしれない。だが、さっきお前が言ったように魂の一部が失われる可能性もある。それに、魂を戻すための肉体はどうするつもりだ」
「肉体は研究すれば、もしかしたら出来るかもしれない。可能性は低いけど、今回の儀式が成功する可能性よりは高いと思う」
「……そこまで、今回の儀式の成功率は低いのか」
「うん……なんて言うか、伝わってくるんだよね」
「何がだ」
「これはお前たちの領分じゃ無いっていう、誰かが決めた『定め』みたいなのがね。きっと、ボクが弱気になっているせいだと思うけど」
定め。それは誰が決めた? 勇者の断片を植え付けたのは、誰だった? 魔法というものを作ったのは、魂というものを作ったのは、一体誰だった?
奴らが、言っているのか。倒せと。魔王は勇者を倒す定めであり、救うという選択肢は与えられてないと。それが役割であり、運命であり、世界の在り方であるのだと。
自分たちが作った世界の枠組みを受け入れろと、そう言うのか。
畜生。
「マナは……今どうしている?」
「ここ数日、テレフォンでの連絡にも応答していないみたい。生きてはいるけど、話せる状態には無いと思う。勇者の断片が放つ魔力とそれを抑える魔法陣のせいで、相当消耗しているはずだから」
「会いに行っても……良いか?」
「多分、辛いだけだよ」
「それでも、俺は会わないといけない。『奴ら』がやったことを、ちゃんと見ておかないといけないんだ」
「そっか……」
魔王は俺の顔をちらりと見て、弱々しく微笑んだ。
「もしもさ、王妃やヒメ、孤児院の人たちが悲しむような結果になったらさ」
「俺が、殴っておく。勇者たちを生み出した奴を、思いっきり殴る。それがたとえ、この世界を作った奴だとしてもな」
「うん……ありがとう、悪魔さん」
「もちろん今回の儀式が上手く行っても、殴っておくけどな」
「乱暴だね。でも、うん。ありがとう」
ほんの少しだけ、魔王の表情が明るさを取り戻したように、感じた。
「とりあえずは、マナに会ってくる」
「うん。ごめんね、辛いことをやらせちゃって」
「いつもダラダラしてるわけだし、気にするな」
「そうだね」
俺は魔王に背を向け、城の方へと歩き出した。
創造者の不条理と、向き合うために。
マナのいる地下室の扉を開け、中の様子をうかがう。
彼女は、ベッドの上に横たわり、両手で耳を抑えていた。
「マナ……」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい嫌だ嫌だごめんなさいごめんなさい嫌だ嫌だ嫌だ」
俺の声は、聞こえていないだろう。もし手を握ったとしても、何も伝わらないだろう。
「嫌だ嫌だ殺したくないごめんなさい死にたくない死にたくない殺したくないごめんなさいごめんなさい嫌だ嫌だごめんなさいごめんなさい」
何を謝っているのか、誰に謝っているのか。マナの中にある1万もの断片は、彼女に何を強いているのか。その強圧の中、彼女はどうして耐えていられるのか。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい殺したくない殺したくない死にたくない殺したくない」
他者の死も自らの死も否定して、彼女は、戦っている。
俺や魔王よりもずっと、高潔で、とてもじゃないが手の届かないくらいに――
俺はそっと扉を閉め、地下室を後にした。
俺に出来ることなんて、何も無いから。
何も、無かったから。
夕暮れの中、城門の前に誰かがいた。
椅子に座っていたその少女は、俺の姿を見るなり立ち上がり、駆け寄って来た。
「おかえりなさいなのじゃ、悪魔殿」
ヒメは屈託の無い笑顔で、俺を出迎えてくれた。
「ああ……なんだ、どうした?」
「父上が言っていたのじゃ。悪魔殿が落ち込んで帰ってくるから、笑顔で出迎えて欲しいとな」
「そうか……」
余計なことを。いや、そうでも、無いか。
少しだけ、安らいだ気はするから。
「悪魔殿、ちょっとしゃがんで欲しいのじゃ」
「なんで?」
「いいから、なのじゃ」
俺は大人しくヒメの言葉に従い、片膝をついてしゃがみ込む。
すると、ヒメが俺の頭を撫で始めた。
「よしよし、なのじゃ」
「……何してんの?」
「悪魔殿も、たまには誰かに甘えていいのじゃよ?」
「いや……ああ、ええと……」
多少恥ずかしいせいだろうか。上手く、言葉が出てこない。
「父上と違って、悪魔殿は甘えるのが苦手じゃからな。もう少し私が大人だったら、悪魔殿も遠慮なく甘えてくれたと思うのじゃが」
「いやいや、甘えないって。甘えねぇよ?」
「大人でも誰かに甘えていいって、父上も母上も言っていたのじゃ。悪魔殿も、私に甘えて良いのじゃ」
「……そうだな。辛くなったら、遠慮なく甘える」
「嘘でも、そう言ってもらえると嬉しいのじゃ」
「……悪いな」
俺は立ち上がり、ヒメの顔を見る。笑顔は、崩れていない。
「マナは、どうだったのじゃ?」
「苦しそうだった。早く、助けてやらないとな」
「そうじゃな。悪魔殿と父上なら、きっと大丈夫なのじゃ」
「ああ」
「私は、信じているのじゃ」
「任せろ。何とかする」
俺はお返しとばかりにヒメの頭を撫で、彼女の横を通り過ぎようとする。
「……何とか、するさ」
その時、ヒメがぎゅっと、背後から俺に抱き着いた。
「なっ、何をしてるんだ、おま」
「それでもっ!!」
ヒメが、大声を発する。
「それでも私は、私は信じているからっ! 悪魔殿と父上が、大丈夫だって!!」
「ヒメ……」
「どんなに悪魔殿や父上が、難しいって思っていても、それでも大丈夫だって、助けてくれるって……!!」
ああ。
俺も魔王も、なんて、なんて情けないんだ。
少女たちが、こんなにも戦っているのに。
「ヒメ……俺は、嘘が下手だ」
「……知ってる」
「だから、絶対に大丈夫だなんて、言えやしない」
「うん……」
「だけど、諦めるつもりは無い。俺も魔王も、希望がある限りはやれることをやる。それだけは、約束だ」
「約束……だよ」
「……ああ」
太陽が沈む中、ヒメは俺をより強く抱きしめる。
そんな少女の想いに応えるため、俺は立ち続けなければならない。
可能性がある限り、それを探究しなければならない。
屈してしまえば、目を背けてしまえば、何一つ叶うことなんて無いから。
立ち向かうことでしか、人としての未来は手に入らないから。
俺はヒメの気が済むまで、ずっとそのまま、立ち続けた。
太陽が、沈み切ってしまうまで。
そして、その夜。
最後の戦いが、幕を開けた。
勇者カウンター、残り1人。




