第81話 鋼の勇者は朽ち果てるのか
「あの勇者を殺せる魔法が準備できたってこと?」
水禍の王が発した「殺します」という言葉に対し、魔王は少し懐疑的な目付きをして問い返す。
「そのつもりで調整を行いました。効果があれば死ぬでしょうし、効果が無ければ無傷でしょう。私が準備したものは、そのようなものですわ」
「極端だね……一体、どんな魔法なの?」
「魔法、と言うよりかは魔術的な加工と言うべきでしょうか」
そう言って、水禍の王は海面から水の球を浮き上がらせた。海の水よりも僅かに濁っただけの、一見変哲もない水。それが彼女の準備した、必殺の劇薬。
「毒か何か?」
「その認識でおおむね合っています。ただし、この水に含まれているのは毒では無く、目に見えない程に小さな生物ですわ」
「目に見えない生物?」
魔王が首を傾げる。水禍の王が言っているのは微生物や細菌のことだと思うが、魔王にはピンとこないらしい。ってか、15年以上俺の世界の本を読んどいて細菌を知らないって治世者としてどうなんだよ!? 感染症対策とか凄い重要だぞ!!
「川や海、土、さらには生きる者の体内にすら、目に見えない微小な生物は存在しているのです。それらはもっと大きな生物に捕食されるものも多いのですが、中には他の生物の中で、毒を生み出すものもいるのです」
「つまり、その水の中にいるのは毒を出す小さな生物ってこと?」
「ええ、その通りですわ。それを私の魔術で強化、調整したものです」
「具体的にはどんな生物なの?」
「中心となるのは、増殖しながら肉体の機能を弱める毒を出す小さな生物です。体内に入れば、全身の肉や血に素早く広がっていくはずですわ」
「それって、全身で毒が出続けるってこと?」
「ええ」
「それってかなり怖いんだけど……」
若干引き気味に魔王が感想を言った。まぁ、そりゃ怖いよな……
「ええ、恐ろしいものですわね。ですが、あの勇者を倒すためには必要な手段ですわ」
「あの……水禍の王、ちょっと気になったんだけど……」
「なんでしょうか?」
「君が王の座に就く前に、他の有力者が病気になったりしたのって、もしかして……」
微笑む水禍の王の目に、俺は禍々しいものを感じた。怖い、怖いよぅ!!
「余計な詮索はしない方が、男性としては魅力的だと思いますわ」
「う、うん……」
魔王はそう言って気まずそうに目を逸らした。下手に追及して、食事に病原菌とか紛れ込まされたらヤバいから仕方ないな! 魔法で毒は回復できても、病原菌を除去できるかは分からないし。
「そ、それでその生物に、どんな魔術を施したのですか……?」
ビビりながら尋ねる魔王くん。
「増殖機能や毒を出す機能を高めた他、別の小さな生物と連携するような調整も行いましたわ。毒を出す生物を4種類、それらを補助する生物を5種類。9種類の小さな生物が、この水の中でお互いを殺し合わないように蠢いています」
毒水よりも恐ろしい、もはや細菌兵器と呼べるシロモノである。魔法の力ってやべぇ。
「毒を出す生物以外は、どんな生物がいるの?」
「たとえば、相手の魔力を吸収する小さな生物ですわね。その生物から魔力を受け取ることにより、毒を出す生物の力も増すようになっていますわ」
「なるほどね。霊木の王がやったのと同じことをするわけだね」
「ええ。他には、保護の魔法を発生する生物もいます。生物の体内には、小さな生物を攻撃する機構が備わっていますから」
「そんなのあるんだ……」
免疫機能ってやつだな。医学については魔王よりも水禍の王の方が詳しいのかもしれない。というか、俺の世界の本をもっと広く読めや。王妃あたりは読んでると思うから、城に帰ったら王妃から教えてもらえ。
「それら以外には体内での攻撃を引き寄せる囮となる生物、毒を出さない代わりに増殖の速度が速い生物、小さな生物間での魔力のやり取りを助ける生物がいます。これらの生物により、毒を出す生物は相手の体内で増殖しやすくなることでしょう」
「へ、へぇ……なんかよくわからないけど、すごいんだね……」
魔王はぜんぜん理解していない様子だった。バカだからしょうがないよな、うん。
「貴方なら、お分かりになりますよね?」
水禍の王が俺を見て言った。だだだ、大丈夫、分かってるよ、現代人だもん!
「要は、その、本来は別々の生存戦略で増殖している生物を、魔術の力で協力させるようにした……んだよな?」
「その通りです。流石は悪魔ですね」
水禍の王が満足げに微笑む。どうにか面目を保てたようでホッとするわ……
「あの勇者の体内でこれらの生物が増殖できるかは分かりませんが、増殖して全身を巡ってしまえば、確実に死ぬことでしょう」
「問題はどうやってその水を飲ませるかだけど……」
「暴風の王の協力が必要でしょう。彼女に一旦、こちらへ戻って来てもらうことは可能ですか?」
「うん。任せて」
そう言って、魔王は超高速化を発動する。そして鋼の勇者と戦っていた暴風の王を抱き上げ、水禍の王の近くまで運んだ後、自身は暴風の王の代わりに鋼の勇者の前に立った。
「あれ? なんか移動してる!?」
超高速化が解除され、暴風の王が驚いた様子で周囲を見回す。
「金屑の王の力です。貴女に頼みたいことがあったので」
「私に頼みたいこと? なになに、面白いこと?」
「あの勇者の動きを止めて欲しいのです。その間に、あの勇者を殺すための水を飲ませます」
「そんなの作ってたんだね~。わかった、やってみる」
暴風の王は宙を浮きながら、鋼の勇者へと向かっていく。鋼の勇者は魔王への攻撃に集中しており、水禍の王へ注意を払っている様子は無い。
「金屑くん、おつかれさま~」
鉄人号の残骸で鋼の勇者の攻撃を防いでいた魔王に、暴風の王は緊張感の無い調子で声をかける。そして襲い掛かってきた勇者の拳を、鉄人号の右腕で防ぐ。
「ここは私に任せて、水禍の王のところに戻って大丈夫だよ~」
「本当に大丈夫?」
「水禍の王の攻撃が終わったら逃げるつもりでしょ? だったら私も、もう少し頑張らないとね」
「うん、ありがとう。水禍の王が勇者にやられないよう、ちゃんと守るからね」
「男の子だね~。私が危なくなった時も、しっかり助けてくれると嬉しいかな」
「さっきは助けてあげられなかったから、次は頑張るよ」
「お願いするよ~」
暴風の王が鉄人号の右脚で鋼の勇者を蹴り飛ばし、それと同時に魔王がこちらに向かって走り出す。鋼の勇者は即座に暴風の王へと再接近するが、彼女は鉄人号の両腕を振り下ろして勇者に防御態勢を取らせる。
「今だよ、水禍の王!」
暴風の王の声に応じ、水禍の王は浮かべていた水の一部を鋼の勇者へ向けて飛ばした。その量は、全体の3分の1ほど。
「あれ? 一気に全部使わないの?」
戻って来た魔王が、水禍の王に尋ねる。
「確実にあの勇者の体内へ浸透させるためには、小分けにすべきでしょう。確実に命中させられるとも限りませんし」
「慎重だね。でも、それが正解だと思う」
微生物の含まれた水が、鋼の勇者の顔面に衝突する。勇者がそれを回避できなかったのは、恐らく足の方にも暴風の王の魔法が発生しているからだろう。両足を空気によって拘束されていては、その恐ろしい筋力も発揮しようが無い。
「眼、鼻、口。入口は多いですが、問題はどこまで深く入り込めるかですわね」
指を細かく動かしながら、水禍の王が言った。その動作は水を精妙に操り、相手の体内により多く、より深く水を送り込むためのものだろう。
鋼の勇者はおとなしく耐えていたが、突然、両手足から白い霊気を発し、鉄人号の腕を押し返した。そして地面を踏みしめて、暴風の王へと飛び掛かる。
同調加速。魔王が超高速化を使用し、暴風の王を鋼の勇者の後方に移動させる。そして水禍の王の隣まで戻ってから、超高速化を解除する。
鋼の勇者は誰もいない地面に攻撃を命中させ、その背中を鉄人号の右脚が蹴り飛ばした。
「それで水禍の王、効果はどれくらいで出るのかな?」
「多少時間はかかると思います。効果を高めるためにもあと2回、水を送り込みます」
「暴風の王! あと2回やるって!!」
「わかった! がんばる!」
暴風の王が鋼の勇者を抑え、水禍の王が残った水の半分を飛ばす。その水も鋼の勇者の顔に当たり、水禍の王の操作により体内へと深く、染み込んでいく。
「それにしても、敵ながらあの勇者の力強さは素晴らしいものですね。もしも勇者で無ければ、恋に落ちていたかもしれません」
「ふぁえ!?」
魔王がすっとんきょーな声を上げる。
「ですが言葉も心も通わない相手なんて、恋をするに値しませんわね。それはただの、害虫でしかありませんから」
恋を語る口が、冷徹な評価を下す。彼女にとって勇者とは王として倒すべき敵では無く、己にとって邪魔な存在でしか無いのだろう。どれほど強い勇者と戦おうとも、彼女が名誉を感じることは無いのかもしれない。
「そろそろ、効果が現れ始めたみたいですわね」
だから彼女は、吐血する鋼の勇者をつまらなさそうに見つめているのだ。
「うわっ!? 怖い!」
暴風の王が声を上げて、飛び下がる。鋼の勇者はそれを追撃しようとして転倒し、地面に倒れた。
「くれぐれも血には触れないでくださいね、暴風の王! それに触れれば、貴女の身体にも毒を出す生物が入り込んでしまうかもしれません!」
「わ、わかった! 気を付ける!」
距離を保ちつつ、暴風の王は鋼の勇者を注視する。水禍の王は残りの水全てを勇者の顔面へと飛ばし、ダメ押しとも言える攻撃を行う。
「肺か喉に毒が蔓延したようですね。心臓にまで至っていれば、すぐに全身が毒に侵されるでしょう」
「う、うん。よかった、よかった」
魔王は恐怖を感じている様子で愛想笑いを浮かべる。そして俺の方にこっそり近寄り、小声で話しかけてきた。
「……ねぇ、悪魔さん。あとで、小さな生物について書いてある悪魔さんの世界の本を教えてくれないかな?」
「王妃ならもう読んでると思うから、教えてもらえ」
病原菌の怖さを魔王が実感してくれたようで何よりである。実際に見てみなければ分からないことは、世の中にたくさんあるってことだな。
「よし、それじゃあそろそろ撤退するよ! 暴風の王、戻って来て!」
「わかった~! でもその前に、鉄人号の恨みを喰らえっ!!」
暴風の王は鉄人号の四肢を、倒れる勇者へ向けて次々に撃ち込む。体内にダメージがあっても皮膚や骨格の強度は保たれているのか、鋼の勇者の身体に傷が入ることは無かった。
「ボクもやっておこうかな」
そう言って、魔王は超高速化を発動する。そして鋼の勇者の周囲に落とし穴の魔法陣、ドロヌーを描いてから、超高速化を解除する。
「えい、っと」
鋼の勇者が、鉄人号の腕と共に地中へと沈む。それを見届け、暴風の王と魔王は舟の方へと戻って来た。
「水禍の王、お願い」
4人は小舟に乗り、水禍の王が海の水を操って舟を動かす。鋼の勇者がドロヌーから抜け出す様子は無く、舟は静かに島から離れていく。
「悪魔さん、勇者の魔力はどうなっているかな?」
「ああ……」
メガネ型計測装置で、俺は勇者の魔力を確認する。魔力の放出量はだいぶ弱まっており、今も減少し続けていた。やがて見えない程に小さくなり、周囲の魔力に紛れていく。
「多分……倒したと思う」
「やったね~。やっぱり、私たちなら倒せるんだね」
「暴風の王が勇者の魔力を削いでくれたおかげですわね」
「それよりも、水禍の王の魔法がすごかったんだよ~! あれって、私にもできるのかな?」
「無理だと思いますわ。それに貴女には貴女の、得意な魔法があるでしょう」
戦いを終え、談笑する女子2人。俺はその2人に見えないよう、こっそりと異次元収納装置を起動して、勇者カウンターを取り出す。
「どう?」
魔王が覗き込んできたので、俺は勇者カウンターの数値を見せる。
「……いよいよ、最後の戦いだね」
最後の戦い。それは今までのように敵を倒す戦いでは無い。
それは、少女を救う戦い。残り1人の勇者を、勇者などでは無い、ただの人間に戻すための戦い。
「大丈夫。ボクたちなら、きっとどうにかなる」
「ああ」
俺は、頷いた。成功の確信は無い。それでも、成功を信じなければ戦うことすら出来ない。信じて踏み出さなければ、失敗しかない。
だから。
「まずは、さっさと帰ろう。帰って、出来ることをやろう」
「うん、そうだね。出来ることを少しずつ、しっかりとやらないとね」
出来ることを積み重ねた、その先に。
どうか、救いがあるように。
勇者カウンター、残り1人。




