第74話 焼け残るものは何か
焼け爛れる。焼き払われる。焼き尽くされる。
炎が、戦場に満ちていた。
劫火の王が率いる兵たちの放つ、無数の炎。炎に身を焼かれながらも剣を振るい、攻撃魔法を打ち返す狂気の勇者たち。
炎を使っているのは兵士たちのはずなのに、まるで勇者たちの方が火炎の化身であるかのように見えた。理性も命も、勇者という化物には不要なのだろう。彼らはそのように、成り果ててしまったのだ。
どうしてこの世界の勇者は皆、人間性を失ってしまうのだろうか。敵を倒すことよりも、高位の存在の意思に従うことよりも、もっと何か、何か大切なものがあったのではないか。それともそれを捨ててしまったからこそ、勇者という役割を果たせるのだろうか。
焦げていく肉体を刃物で斬られ、勇者たちは次々に死に絶える。死体を見ても吐き気より虚しさが勝り、どうにか両脚で立っていられるのは救いなのだろうか。それとも、俺も勇者と同じようにどこか壊れているのだろうか。
「もっと形が残らないくらい強い火力で焼いた方が良いんじゃないかな?」
魔王の言葉に、お前頭おかしいの? とツッコミを入れたくなった。人が、たくさん、死んでるんやぞ!
「お前……頭おかしいの?」
あ、ツッコんじゃった。
「おかしくないよ! 中途半端に死体が残ると、戦う意欲がどんどん減っちゃうんだよ!? 忘れちゃうくらいキレイさっぱり消し去った方が絶対にいいよ!」
「そうか……そうなのか?」
「そうだよ」
「お前はどう思う?」
「私に話を振らないでくださります!? お二人と話していると、戦場で気にしてはいけないことまで気になってしまいますわっ!」
戦闘が始まる前は結構呑気にしていたはずのマリアが、語気を荒らげて言った。
「あれ? もしかしてマリア、緊張してるの?」
「当然ですわ! 貴方たちと違って、私や他の者は文字通り命懸けなのですわよ!!」
一緒に行動している伝令隊の皆様もうんうんと頷いた。俺や魔王と違い、この人たちは命を危険に晒しているのだ。それを考えると、たとえマリアのようなゴリラでも神経を尖らせるのは当然である。
ただ、個人的にはマリアって変な補正が働いて死なない系のゴリラな気がするんだよね。戦場でメイド服着てるバカだし。でも当たり所が悪ければ普通に死ぬのか? どうなんだ?
「その顔を見る限り、悪魔様は分かってくれたみたいですわね」
「ごめん、今、お前が死ぬかどうか考えてるから話しかけないでくれ」
「何を仰っているのです!? ああもうなんなんですか貴方たちはっ!!」
悪魔とクソ魔王。
「っと、来ましたわね!」
突然、マリアは腰の近くにぶら下げていた金属の棒、テレフォンを手に取った。それを顔に近づけ、大声で通信相手に応答する。
「はいマリアですけども!! ええはい、分かりましたわ!」
そう言って、マリアは駆け出す。どうやら足止めが必要な勇者が現れたようだ。勇者の数が減り、断片が集中しつつあると考えれば、これから次々と強力な勇者が発生するだろう。そうなると、忙しくなるのはマリアだけでは無いはずだ。
「金屑の王! 左27で救助要請です!」
「左27ってどこ?」
魔王は伝令さんの所で地図らしきものを確認する。救助要請ってことは、一刻を争う状況だろ? さっさと行かないとヤバいって!!
とか思っていたら、周囲の時間が静止した。魔王の超高速化に反応した、同調加速。魔王は珍しく駆け足で俺の視界から消え、やがて同調加速の解除によって、時間が動き出す。
しばらくすると時間が再び止まり、返り血に染まった魔王が走って戻って来た。
「うわぁぁぁ!!??」
時間が動き出し、伝令さんが慌てふためく。目の前の男が消えたと思ったら、いつの間にか血塗れの姿で戻っているんだから、そりゃ大いにビビるわな。同調加速で魔王の姿を確認してなかったら、俺も変なもの漏らしてたかもしれない。
「いや~、魔力の消費を抑えるためとはいえ、やっぱ超高速化を使いながら走ると疲れるね」
魔王が走っていたのは、超高速化の使用時間を短縮するためのようだ。普段は十分に魔導石の備えがあるため急ぐ必要は無いのだろうが、ここまでの大規模戦だと魔力消費を考慮しなければならないというわけか。
「疲れるのはともかく、なんで血が大量に付いているんだ?」
「えっとね、大怪我してる人を治そうとしたら、なんか勇者たちが邪魔してきて」
「ふむ」
「3人ほど殺しちゃった」
敵の命、軽いなぁ……
「だけどケガしてた人は元気になったし、みんな助かったって言ってくれて嬉しかったよ。いいことをすると気持ちが良いね」
いいことか? いいことなのか?
「それより悪魔さん、勇者たちの魔力をちゃんと」
「金屑の王! 右31から救助要請です!!」
「ああ、もう!」
ちょっとイラついた様子で魔王は超高速化を使い、走り出す。話の途中で残された俺は、メガネ型の計測装置を使って勇者たちの魔力を視る。魔王が言いたかったのは多分、魔力の様子を調べておけってことだろうからな。
戦場は勇者の魔力と魔族側の魔力が混じり合っており、なんというか、魔力の濃度が高いこと以外はよく分からなかった。もうちょっと戦況が落ち着くまでは測定しても仕方ないかもしれない。
俺は魔力測定モードを解除する。ほどなくして、時間停止と共に魔王が戻って来た。
「ただいま! 悪魔さん、勇者たちの魔力見てくれた?」
「ああ。だが、今のところ何か分かるような状態じゃない」
「でも何が起こるかわからないから、引き続き」
「金屑の王! 左22です!」
「はいはい!」
超高速化を使いながら駆け足で魔王が往く。その後、超高速化を使いながらノロノロと魔王が来る。
「もう、本当に走り疲れるよ!」
「お前、帰りは走って無かっただろ」
「それはちょっと、その、休憩したくて」
「金屑の王!」
「もう!」
超高速化発動。
「あ、どこ行くか聞いて無かった!」
超高速化解除。
「左30です!」
「わかった!」
再び超高速化発動。同調加速のせいで周囲の時間が止まったり動いたりを繰り返すため、ちょっと気持ちが悪くなってきた。勇者の死体もたくさん転がっているし、我慢しないで吐いて良いかな?
俺に吐き気を催させながら、その後も魔王は超高速化を使用した救助を何度も行った。時折、疾走するマリアが俺の視界を横切ることもあり、戦況は思った以上に混沌としているようだった。
仮に魔王やマリアがいなかったら、劫火の王の軍は相当な被害を受けていたのではないか。そう考えると、劫火の王とその配下のみんなは俺たちに感謝すべきだな。俺は何もしてないけど。
「だいぶ落ち着いてきたね」
20回以上の救助活動を行った魔王が、地面に座り込んだ状態で言った。魔王が走った距離は少なく見積もっても10キロメートル以上。おつかれさまです。
「戦況はどんな感じなのかな?」
「現在、敵の総数は100人を切っていると思われます。我が軍は既に負傷者と新兵を後方へ撤退させ、確実な包囲攻撃で勇者を撃滅しております」
魔王の問いかけに伝令の1人が答えた。
残り、100人。ということは、1人につき100人分の勇者の断片があると考えていいのか。
「悪魔さん、魔力の様子はどう?」
「今見る」
「金屑の王、右15です!」
「すぐ行く! 見といてね、悪魔さん」
超高速化で魔王が去った後、俺はメガネ型計測装置で魔力を観測した。
「……ん?」
前方に、妙な反応があった。強い魔力反応が2つ。片方は劫火の王であったが、遠くに見えるもう片方は恐らく勇者である。その魔力は、俺の近くにいる勇者の50倍以上あり――
「ちょっと待て、これはマズいんじゃないか」
「何かあったのですか、悪魔さん」
「いや、何でもない」
なんで他国の人まで俺のことを悪魔さんって呼ぶの? 悪魔様じゃないの?
などと、どうでもいいことを気にしている場合じゃない。勇者の断片が1人の勇者に集中しだしている。その魔力の大きさは現在、劫火の王とほぼ同等。そして当然、他の勇者が死ぬことによってさらに強大なものとなる。
もし、そんな勇者の接近を許したら。
違う。絶対に、接近を許してはいけないんだ。あの勇者は魔法のひと薙ぎで数十人の魔族を殺せる。魔王が救った兵士たちも、マリアが助けた兵士たちも、水泡のように容易く消える。
あれは、止めなければならないものだ。
同調加速によって周囲の時間が止まる中、魔王がゆっくりと戻ってきた。そして、超高速化が解除される。
「勇者たちも相当強くなってきたね」
「それどころじゃない。勇者の1人に、恐らく1000個以上の勇者の断片が集中している」
「ちょっと待って。それって、ボクや劫火の王じゃないと相手できない勇者だよね?」
「当たり前だ。他の奴が戦ったら、確実に死ぬ」
「場所は? どの辺りにいるの?」
「まだ遠くだ。何故か知らんが、戦線から離れた位置にいる」
「不幸中の幸いってやつかな……とにかく、劫火の王を呼んでくるね」
そう言って魔王は超高速化を使い、劫火の王が戦っている前方へと走って行く。
同調加速の範囲から魔王が外れると、俺の前方には3つの強大な魔力が観測できた。その内の2つである魔王と劫火の王は、周囲の勇者たちを蹴散らしながらこちらへ向かって来る。そして残る1つは、魔王たちが勇者を倒す度に少しずつ、強くなっていた。
それにしても、何故あの勇者はあんなに遠くにいるのか。どうして仲間たちが死んでいく中、動かずにいられるのか。その理由がわかれば、倒すための方策を立てるヒントになるかもしれない。
「我らと対等の勇者がいるとは本当か、悪魔よ」
魔王と共に戻ってきた劫火の王は、笑みを浮かべながら俺に聞いた。
「ああ。この戦線からは離れた位置にいるが、既に魔王やアンタより魔力が強くなっている」
「潮時か。あの女はどっちにいる?」
劫火の王が伝令たちに尋ねる。あの女、つまりマリアの所在か。
「マリア様でしたら、左方にて戦闘中のことです!」
「そうか。ならば私が左方の勇者を殲滅する。右方は金屑の王、貴様に任せる」
「しかたないね。がんばるよ」
「全隊に撤退命令を出せ。私と金屑の王が残りを片付ける」
命令を伝え終えた劫火の王は、近くで戦っている兵士たちに向かって歩き出す。魔王も同様に、劫火の王と反対の方向へと進む。左の劫火の王は火炎で勇者を消し炭にし、右の魔王は指先から光の弾を発射して勇者の頭部を破壊した。
2人の魔王が左右で勇者を鏖殺し、兵士たちが次々に後方へと下がっていく。俺は伝令隊に見えないよう注意しつつ、異次元収納装置から勇者カウンターを取り出して、数を確認する。
78、77、76……
撤退の喧騒の中、数秒ごとに減っていく数字をじっと見つめる。その数字が、ついに動かなくなった。周囲を見回しても、勇者らしき魔力は遠方にいる1人のみ。
つまり、残り人数は――
同調加速。まったく、嫌なタイミングで帰って来やがって。
「残り、何人になった?」
超高速化を解いた魔王が、勇者カウンターを覗き込む。
「なるほどね……まぁ、そんなに都合よくはいかないよね」
「ああ。この戦いが終わっても、休む時間は無いかもしれないな」
「本当は今すぐにでも魔王城のみんなに連絡したいけど、まずは目の前の勇者を倒してからだよね」
「あれを倒せば状況が変わるかもしれないしな。出来ればさっさと倒したい所だが」
「倒せると思う?」
「相手の魔力はお前や劫火の王の3倍近い。単純な魔力勝負では不利だが、敵を消耗させる戦いならお前の得意分野だろ」
「そうだね。まだ相手がどんな勇者かは分からないけど、手段はあると思う」
そう言って魔王が笑む。その笑いには、強がりが微塵も感じられなかった。勝てると、信じているのだ。
「ほんと、前向きだよお前は」
俺は異次元収納装置に勇者カウンターと、ついでにメガネ型計測装置を放り込む。魔力の見過ぎで、少し目が疲れたからな。
「貴様の方が早かったか」
「聞いてくださいますお二人とも!! ジュリエットったら凄いのですわ男たちが10人以上集まって無様に苦戦している所をイタタタタタタ!!!?」
マリアの首根っこを掴みながら、劫火の王が戻って来た。
「もう勇者は1人しか残って無いみたいだね」
「いよいよ、真の勇者と戦えるわけだな」
「君の3倍くらい強いらしいよ」
「上等だ」
劫火の王に臆する様子は無い。むしろ歓喜しているような、異質な闘志が感じられた。
その視線の先。雲によって和らいでいる陽光の下、遅すぎる歩みでこちらに近づく、漆黒の物体。
勇者の軍勢、最後の1人。
それは黒い全身鎧を纏った、黒鉄の戦士であった。
勇者カウンター、残り4人。




