第68話 悪魔は彼女の孤独を癒せるのか
いつもの部屋のいつものタタミの上、いつもと同じようにコタツに入って本を読んでいる俺。我ながら毎日毎日読書の日々でよく飽きないものだと感心しつつ、一方でこんな生活を続けてていいのかと自問する心もあった。もっと、自分にしか出来ない仕事というのもあるのでは無いだろうか。
「あ、悪魔さん。急なお願いで悪いんだけど、ちょっと悪魔さんにしか出来ないことを頼みたいんだ」
「火山の火口に飛び込むとか?」
「え、出来るの?」
「出来るわけ無いだろ」
疑似人体の機能を駆使すれば可能かもしれないが、そんなことを言ってマグマにダイブさせられるのは勘弁して欲しいので出来ないこととする!
「だよね~」
魔王はそう言いながらタタミに上がり、コタツに足を入れる。どうやら口頭で軽く済ませられないような、面倒くさい頼み事のようだ。
「それで、何をすればいいんだ」
「マナさんに会って欲しいんだ」
「そんだけ?」
「うん。それだけだよ」
魔王が淡々とした調子で言った。ふざけている様子が一片も見えない、そんな表情で。
「俺にしか出来ないということは、それだけマナの状態が悪いということか」
「多分ね。でも本当のところは、ボクたちじゃ分からない」
勇者の断片を持ったマナは、魔力を抑えられた状態で幽閉されている。そのため監視カメラのようなものが無ければ、彼女の実際の様子を知ることは難しいだろう。
「地下室の様子を魔術装置で見たりは出来ないのか?」
「それも考えたんだけど、王妃に却下されたよ。監視するようなことはやめて欲しいってね」
「まぁ、女性の部屋を四六時中見張るなんて悪趣味だからな……」
「孤児院の子どもたちと話すためのテレフォンは渡してあるし、手紙でのやり取りもあるからある程度の様子は分かるんだけどね」
「それで、どうして俺が会いに行かなきゃいけないんだ?」
「手紙の内容からの推察なんだけど、マナさんがとても寂しがっているみたいでね」
地下室での孤独な生活は、そろそろ2か月にもなるだろうか。俺と王妃が面会した以後、恐らくマナは誰とも会っていないだろう。勇者の断片がある限り魔族へ襲い掛かる危険は充分にあり、魔族と共に生きる人間にも敵意が向けられる可能性を考えると、彼女と安全に会うことの出来る者は魔族にも人間にもいない。
それが出来るのはただ一人、俺だけだった。
「俺と……孤児院の子どもたちも一緒に行った方がいいんじゃないか?」
「それはちょっと……無理かな」
「何故だ」
「マナさんの魔力を吸収している魔法陣は、以前と比べてずっと強くなっているんだ。もしも子どもたちが部屋に入ったら、倒れてしまうかもしれないね」
「勇者にしか効果の無い魔法陣はまだ完成していないのか?」
「もう少し時間がかかると思う。それに完成したとしても今ある魔法陣と取り換えるようなことは出来ないから、別の場所に準備する必要があるね」
「どうにかして、マナと子どもたちを会わせる方法は無いのか」
「あるかも知れないけど、とても不自然な形になっちゃうと思うんだ。マナさんをまるで狂暴な獣であるかのように扱う、そういう不自然な形にね」
「今の状態が既に猛獣扱いとも言えるが……そうだな、子どもたちに無用な心配をさせるくらいなら会わない方が良いかもしれないな」
「うん……結局、ボクらには自分たちを守ることしか出来ない」
「だが、それがマナを守っていることにもなっているだろ」
「そう言ってもらえると、少し救われるかな。だけど本当に救いが必要なのは、マナさんなんだよね」
「ああ」
「だから悪魔さん、お願いできる?」
「俺が行ってどうにかなるものじゃ無いとは思うが、やれるだけやってみるさ」
「ありがとね」
「感謝されるようなことじゃない」
「それでも、ありがと」
力無く微笑む魔王の表情は、俺の居心地を悪くするだけだった。
「こんにちは、悪魔さん」
地下室に入ると、椅子に座っていたマナが微笑んで迎えてくれた。顔は少し疲れているように見え、髪は前に会った時より長くなっていた。
「髪、伸びたな」
「自分で切るのは難しいから、伸ばしっぱなしなんです。前髪はちゃんと整えてますけどね」
「オシャレは大事だからな」
「はい。誰とも会わなくても、やっぱり少しは気を使いたいんですよね」
「そうか……少し、安心した」
「どうしてですか?」
「自分を大事にしているみたいだからな」
「そうですね……そうかも知れません」
ほんの少し、マナの表情が陰ったように思えた。俺は何か、言うべきではない言葉を発してしまったのだろうか。
「あの、どうぞこちらの椅子に座ってください。色々とお話もしたいですから」
「そうだな」
俺は遠慮なく椅子に座り、テーブルを挟んでマナと向き合う。無理して笑っているようには見えなかったが、それでも以前と比べるとどこか元気が無い。当然と言えば当然なのであるが、それを直視するのはやはり、気分が良いものではない。
「外では最近、何か愉快なことはありましたか?」
「この前、物凄い速さで池に落ちた」
魔王の運転する暴走魔導車で池に突入! 後ほど話を聞いたマリアが大笑いしてバカにしやがったが、俺や魔王じゃなきゃ死んでたからな!
「大丈夫だったんですか?」
「体は丈夫だからな」
「この季節だと、すごい寒いですよね」
「体が丈夫だから、風邪も引かないんだ」
「なんでそんなことになったんですか?」
「魔王の……」
俺が魔王の名を出した時、僅かにマナの表情が反応を見せた、気がした。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。魔族の人たちのことを考えると、ちょっとだけ、心の中に嫌なものが出てくるのを感じます。だけど、気にしなければ良いだけです」
「無理はするな。嫌になったら、暴れても良い」
「でも、そんなことしたら部屋の中がめちゃくちゃになっちゃいますよ」
「俺が抑える」
マナは目をぱちくりとした後、「ふふっ」と微笑んだ。
「そういうことは、ヒメちゃんに言ってあげてくださいね」
「機会があったら言ってみるさ」
「ぜひ、そうしてください。それで、魔王様がどうかしたんですか」
「ああ」
俺は魔界での魔導車競争についてマナに話す。魔導車のこと、参加した魔族の王たちのこと、競争中に起きたこと。マナの顔色を伺いながら語ったが、彼女は楽しそうに俺の話を聞いてくれた。
勇者の断片は魔族への敵意を植え付ける。だが、彼女からそれを感じることは無い。他の勇者とは数える程しか接触していないが、ここまで敵意を持っていない勇者は彼女だけのように思える。
それは彼女が、魔族と共に暮らしてきたからだろうか。彼女がとても、優しいからだろうか。魔力を吸収する魔法陣が、勇者の断片の影響を抑えているからだろうか。
それとも、無理をしているから、だろうか。
「そっちはどうなんだ? こんな狭い部屋にいると退屈過ぎじゃないか?」
マナは自分の話をするよりも、外の世界で起こっている話を聞きたいのだと思う。だが、俺は彼女が抑え込んでいるものをちゃんと聞かなければならない気がしていた。そこから目を逸らしたら、彼女は本当に孤立してしまいそうだから。
「本はたくさん用意して貰えてますし、退屈では無いと思います」
「どんな本を読んでいるんだ?」
「最近は料理の本が多いですね。手紙に書けば食材も昇降機で届けてもらえますし、色んな料理が試せるんです」
「料理か……」
俺はちらりと、台所の方を見る。調理器具や調味料など、料理に必要なものは結構揃っているようだ。
「この部屋の台所は火じゃなくて、魔力でお鍋を温めるんですよ。最新の魔術装置みたいで、こういうのを使えるのはちょっとだけ、嬉しいです」
コタツやら電気ポットもどきやらを作れるのだから、魔力を熱に変換して調理する魔術装置があっても不思議は無い。むしろ今まで開発してなかったことの方が不自然にも思えるが、魔法を使える奴らは着火にしろ火力の調整にしろ自由自在だから、魔術装置に頼る必要が無かったのだろう。自分の手で出来ちゃうと技術発達は遅れるものなのかねぇ。
「それで、あの、もし……なんですけど」
「なんだ」
「もしよろしければ、夕食を召し上がっていきません……か?」
マナの表情には、少しだけ緊張が伺える。まったく、俺ごときに何を緊張しているのかねぇ。
「わかった。食べてく」
「本当……ですか?」
「誰かと一緒にメシを食うのも久しぶりなんだろう?」
「はい……本当に、本当にひさしぶり、です」
こんな、些細なことなのに。
彼女の左頬を、涙の粒が流れた。
「ご、ごめんなさい」
「謝らなくていい。マナが寂しがっているから、俺が来たんだ。だから、無理しなくていい。我慢しなくて、いい」
「本当に、悪魔さんは優しい人なんですね」
「別に優しくは無いだろ。誰だって、こんなもんだ」
「そうです、よね。みんな、みんな優しいんですよね」
彼女は涙を流す。なんでもないことに対して。泣かなくても良いことに対して。
間違いなく、彼女の中には魔族への敵意が存在する。その一方で魔族への親愛が、感謝が存在している。その狭間において、擦り減って行くものがある。
「それなのに……ごめんなさい……」
俺は泣き続ける彼女を、じっと見守った。涙を拭いはしない。それをしてしまったら、俺はただの悪魔では無く、この世界に生きる、ただの男になってしまいそうだったから。
本当に優しいなら、本当に彼女が大事なら、そうすべきだろう。何も出来ない、知識を与えるだけの役割など捨てて、越権した力で彼女を救う方法を探す方が、どれだけ人間として正しいことか。どれだけ人間として真っ当なことか。
だけど俺には、その勇気が無い。世界を変える勇気が無いからこそ、俺は悪魔なのだ。背負う覚悟が無いからこそ、俺は悪魔なのだ。
『君ほどの悪魔は、なかなかいない』
クリエイターが言った言葉が、不意に思い出された。ああ、そうだ。こんなに意気地が無くて、無力な悪魔なんてなかなかいないだろうさ。こんなにバカな悪魔は、どこにもいないだろうさ。
それでもせめて、信じたいんだ。マナが自分で泣き止むことを。魔王たちが彼女を救う方法を見つけることを。外界から来た悪魔では無く、この世界に生きる人々が未来を切り拓くことを。
どうか、信じさせて欲しい。
「ごちそうさまでした」
「はい。ごちそうさまでした」
俺とマナは、夕食のパンとカレーを残さず平らげた。ってか、カレーうめぇ!! カレー最高!!
「それにしても、まさかカレーが食べられるとはな。確か、この世界には元々無かったはずだよな」
「悪魔さんの世界の本に載っているのを見て、作ってみたくなったんです。そのことを手紙に書いたら、王妃様がカレーを作るための粉と調理方法を書いた紙を送ってくださったんです」
「なるほどな」
この世界にカレーがあるのも、恐らくは王妃が再現したためだろう。あの人がいると、どんな料理も出来ちゃいそうで怖いんだけど。白米が無いのに納豆だけ再現されたら俺は逃げるよ。
「やっぱり、ご飯は誰かと食べた方が美味しいですね」
「泣くなよ」
「大丈夫です。もう十分、泣かせてもらいましたから」
マナは笑顔で返した。少しでもすっきりしたのなら、俺が来た意味もあったのだろう。
「それじゃあ、食器を片付けますね」
「運ぶのは俺がやるから、先に洗う準備をしといてくれ」
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えちゃいますね」
台所にマナが向かい、俺は食器を持ってその後に続いた。流し台に食器を置いた俺は居間に戻り、椅子に座って食器洗いの音を聞く。
「お待たせしました」
食器を洗い終えたマナが、向かいの椅子に座る。
「待ってないけどな。むしろ、もう少し食器を洗う音を聞いていたかった」
「好きなんですか?」
「懐かしい感じがするからな」
「だったら、もう1回洗って来ましょうか?」
「何言ってんだよ」
「そうですよね」
マナは笑って、そして俺を見つめたまま、急に静かになってしまう。
「どうした?」
「あの、悪魔さん。せっかくなので、その、もっとお願いしても……良いでしょうか」
「今度は何だ? 一晩泊まって欲しいとか、そんな感じか」
「……はい」
「……はい?」
聞き返した俺は、マナの顔をじっと見る。その顔が、どんどん赤くなっていくのが分かった。
「えっと、なんだ……はい?」
「はい……」
「……はい」
……はい。
勇者カウンター、残り1789人。




