第59話 魔王は本心と向き合うことができるか
いつもの部屋のいつものタタミの上、コタツに入ってのんびり本を読んでいるいつもの俺。こういう何でもないような日が幸せだとか掛け替えないとかいう文言はよく目にするのであるが、後で思い出してそういうことが言えちゃう日は何でもないような日とは言えないのでは無いか。
本当に何でもない日は後から思い出せないくらい、何も無い。そういう無駄な時間を過ごしながら生きるのも、怠惰な悪魔としては良いんじゃないかね。
「あ~、困った困った」
そういう何でもない日を何かあった日にする困ったさんが部屋に侵入してきた。俺は人生の10%以上を働く時間に当てると死ぬんだけど!
「ちょっと困ったことになったよ、悪魔さん」
タタミに上がってコタツに入りながら、魔王は本当に困っている様子で言った。どうやら、相当に面倒な事態と直面しているようだ。
「何があった」
本を置いて、俺は魔王に向き合う。魔王はコタツの天板の上で手を組みながら、「う~ん……」と声を出した。
「説明しないと何も言えんぞ」
「うん……そうだね。実は、勇者たちと商人さんたちの間でちょっとケンカが起きちゃってね」
「なんでだよ」
本当になんでだよ、である。魔族と勇者ならともかく、同じ人間同士で険悪になっているということは勇者たちが何かいらんことをしたのだろう。商人たちが金にならないケンカをするとは思えないし。
「えっとね、勇者たちを人間たちの国に返すために船へ乗せたんだけど、出港直前に問題が起きてね」
「問題?」
「嵐が北上しているって情報が海に住む魔族から入ってね。勇者たちの乗る船を今出港させると、その嵐に巻き込まれる可能性が高いんだ」
「そうか。出港させろ」
手を下さずに自然現象で勇者が大量に倒せる! 楽!
「何言ってるの悪魔さん、そんなことしたら勇者がいっぱい死んじゃうよ!」
「いや、今更だろ……お前、今までに相当な人数を殺してるぞ?」
「そうなんだけどさ、一度にたくさん死んじゃうとやっぱり問題になるし……」
「でも嵐に巻き込まれるのはただの不運だし、お前の責任じゃ無いだろ?」
「船を出した責任は取る必要があるでしょ? だから船を出港させるわけにはいかないよ」
「そういうもんか……」
嵐が来てるって情報が入ってこなかったことにすればいいんじゃない?
「それで嵐が来ることを商人さんたちに伝えたら、船を出港させる日を延期することになったんだけど」
「うむ」
「勇者たちにも伝えたら、早く船を出せって大声で騒ぎだして……」
「…………」
え、バカなの? 死ぬの?
「彼らが言うには、船を出さないのは魔族の策略だって……」
「そういう風に言われるのは仕方のない所だが、商人たちの力で説得できないのか?」
「ボクもそう思って商人さんたちに説得をお願いしたら、勇者たちが商人さんたちに酷いことを言い出してね。人間の裏切り者だとか、お金儲けのことしか考えてない豚だとか」
「あー、そりゃムカつくな」
「商人さんたちは勇者たちが死なないように説得しようとしたのに、勇者たちはそれを拒んだんだよね。そのせいで商人さんたちが、勇者たちの船を出港させるべきだって言いだして」
「そうか。出港させろ」
「だからダメだって……」
「勇者たちがそれを望んでいて、人間である商人たちもそれを承知しているんだろ? 船を出してもお前の責任じゃ全然無い」
「そうかも知れないけど、やっぱり悪い噂になると怖いし……」
いやだから今更だっての!! 何を躊躇してるんだよこの魔王様は!
「何か勇者たちを嵐に巻き込ませたくない理由でもあるのか?」
「どうなんだろう……あるような気もするけど、よく分からないんだよね」
「ふわっとしてるな」
「なんかかわいいね、ふわっとしてるって」
何ちょっと笑顔になってるんだよ、全然可愛くないというか話を逸らすな!
「漠然とした理由で勇者を殺す機会を逃すのか? それで何が起こるか、予想できるよな」
「もしかしたら、勇者たちがこの城じゃなくて他の場所を狙うかもしれない……そうなったら、地上で暮らす魔族や魔物が殺されちゃうかもしれない」
「分かっているじゃないか」
「でも、もしかしたら勇者の断片を引き離す方法が見つかって、殺さずに済むかもしれない」
「お前はその可能性に賭けて、守るべき民の命を危険にさらすのか?」
「……そうなんだよね。どっちが大事かっていえば、ボクは魔族の方を守りたいんだよね」
「それでも勇者を殺したくないのか」
「……どうなんだろうね。ボクにもよく分からないよ」
「お前は人間の可能性には期待しているが、人間の命自体にはそこまで興味が無いはずだろ。あの勇者たちにどんな可能性があると思う?」
「それを言われると……本当なら、魔族のみんなに危害が及ぶ前に倒すべきだよね」
「なら、どうして決断できない」
「分からないんだよね、本当に」
う~む。どうも勇者と商人よりも、コイツの感情の方が問題だな。今まで適当にやってきたが、この魔王はもっと勇者との戦いに覚悟を持って挑むべきなのだろう。
「お前が問題視しているのは、人数か?」
「そうかもしれないね……もし嵐に巻き込まれて船が全部沈没したら、3000人以上が死んじゃうことになる」
「だが、お前や他の魔族が倒してきた勇者や聖獣の数は6000近いぞ」
「え、もうそんなに殺してたっけ?」
「正確な数は分からないが、暴風の王が倒したのが2000以上、誰が倒したのかよく分からないのが1000以上。残りの2000近くはお前のせいで死んでるっぽいぞ」
「そんなに殺しちゃった記憶ないけどねぇ」
「罠や呪いの分が多いからな。記憶に無くて当然だ」
「そっか。ボクも結構スゴイんだね」
「…………」
お前、勇者を倒したいの? 倒したくないの? どっち?
「それで、船を出港させて無事沈没してくれれば、お前だけで5000は殺したことになるな」
「半分をボクが殺したことになるのか……でも、う~ん……」
「何が納得いかないんだ?」
「嵐で死んじゃう姿を想像するとさ……ちょっとかわいそうだな、って」
「いやいやいやいや。お前の仕掛けた罠や呪いで死ぬのも同じだって」
「それはなんて言うか、勇者だからしょうがないことでしょ。でも他の人を怒らせたせいで嵐の海に向かわされるのは、ちょっと違うと思うんだ」
「出港を望んでいるのは勇者たちだろ。自己責任で死んでも仕方ない」
「それでも、防げる不幸を防がないのは何て言うか、負けた気がして……」
コイツはなんだ、勇者の命を管理しているつもりなのか? その考え方は少し傲慢なんじゃないか。
命がいつ失われるかは、決して制御できるものではない。人の手で奪うことは出来ても、人の手で生かし続けられるとは限らない。いくらコイツが勇者を可能な限り生かしたいと考えていても、それが思い通り行くわけでは……
…………ん? もしかして、それがちょっと違うのか?
「なぁ、勇者が死ぬとして、どんな死に方が良いと思う?」
「どんな死に方って……難しいなぁ」
「たとえば、人間同士で争って死ぬのはどうだ?」
「それはあんまり気分が良くないね……人間同士で仲が悪くなることもあるだろうけど、殺し合うようになるのはちょっと悲しいものがあるからね」
「それじゃあ、事故や災害で死ぬのは?」
「運が悪くて死ぬのも、虚しいものがあるよ。そういうのは勇者たちがやったこととは無関係な死に方だしね」
不運と事故るのはお気に召さないのか。罪悪感も薄いはずなのに。
「なら、魔族や魔物に殺されるのは?」
「それは仕方ない気がするね……勇者たちが魔族や魔物を殺そうとしている以上、殺されてもお互い様って言うか……」
「つまり勇者は人間でも不運でも無く、魔族に殺されるべきだとお前は考えているんだな」
「…………んん!?」
思いがけないことに気付いてしまったのだろう。魔王が驚きの表情を浮かべる。
「あれ!? もしかして、ボク、そうなの?」
「そうなんじゃね?」
今まで散々、勇者たちを嵐で死なせたくないと言っていたが、その理由は勇者たちを助けたいからじゃない。
自分たちの手で、勇者たちを殺したいからだ。
「お前は魔族の力で勇者を倒したいんだよ」
「あー……言われてみると、確かにそれが一番しっくりくるかも……」
「魔王を倒すのが勇者の使命だとして、同じように勇者を倒すのが魔王の使命とも言えるだろ。その使命を運任せの自然現象に託すなんて、お前の誇りが許さないんだろう」
「そうかもしれないね。ボクは魔王として、自分自身の力で民を守りたいし」
「それで、どうする」
「うーん。勇者たちを出港させればたくさん死んじゃうと思うんだけど、運任せになっちゃうよね……」
魔王が真剣な表情で考え込む。自分の本性に気付いた今、この男はどのような結論を出すのか。
「えっとね、いつもなら勇者たちの船には商人さんたちの所の船乗りさんも一緒に乗るのね。でも今回はケンカしちゃったせいで、そうならないみたいなんだ」
「ふむ」
「だから、全部沈めちゃってもいいかな?」
皆殺しモードに入るとはこの悪魔の目をもってしても見抜けなかったわ! 透視力があると思ってたのに!
「ビィィィムを使って、嵐の時に船内へ水が入るような穴を開けるのがいいかも」
指から光線を出すビィィィムの魔法なら、ちょうど良い位置に穴を開けられそうである。でもさ、さっきまで勇者たちを死なせたくないって言ってた奴の行動じゃねぇよそれは!!
「どうかな?」
「どうかなって……その、なんだ、生き生きしてるな」
引くわー。悪魔の俺でも引くわー。
「なんだかね、勇者たちが嵐に巻き込まれて運悪く死ぬんじゃなくて、ボクが嵐を利用して勇者たちを一気に倒すって考えたら、そんなに悪い気がしなくなったんだよね。やっぱりボクは、自分たちの力で勇者を倒したかったみたい」
「お、おう……」
覚悟を完了させてしまったというか、変なスイッチ入れちゃったかな……
「悪魔さんは、気に入らない?」
「気に入らないというわけじゃ無いが、お前が怖いわ」
「でも、ボクはもう2000人くらい殺しちゃってるんでしょ? 今更だよ」
確かに俺そう言ったけどさ! でもさ、躊躇なく殺すのもそれはそれで問題な気がするんだよ!
「罪悪感とかは無いのか?」
「悪い気はするけど、やっぱり勇者たちも魔族を殺そうとしてるわけだし、恨みっこなしだよね」
「迷いが無くなると危険だな、お前は……」
「悪魔さんは嫌なの?」
「うーむ……」
いつの間にか魔王じゃなくて俺が悩む側になってるな……倫理的に考えると、勇者たちを殺すのは褒められた行為では無いが……
「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ、ってやつだな」
「なにそれ?」
「俺の世界の有名な言葉だ。恥を忍んで生きるか、名誉の死を遂げるか。どっちが勇者にとって良いんだろうな」
「生きてた方が良いに決まってるよ。でも、勇者たちが生きるよりも魔族が生きる方が、ボクにとっては良いよね」
「勇者にとってはむしろ……いや、難しいことはいいか」
勇者たちの感情など、理解できない。話し合う余地も無い。ならば、こちらの事情を突き通すしか無いのだ。
「そもそも俺がけしかけたようなもんだしな。お前の言う通り、船に細工をして嵐で沈没してもらうのが良いんだろう」
「うん。じゃあ早速港に行って……」
「魔王様! 大変なことがっ!!」
突然、伝令である通称ぞんざいさんが部屋に駆け込んできた。
「どうしたの? 何かあったの?」
「勇者たちが!」
「勇者が?」
「船を!」
「船を?」
あ、いつも魔王が話を最後まで聞いてくれないから今回は情報を小出しにする戦法で来たわけだな。ぞんざいさん、がんばれ。
「勝手に!」
「出港させたの!?」
「はい!!」
惜しい! でもよく頑張ったよ、ぞんざいさん!
……で、勇者が船を勝手に出港させたって?
「おい魔王、どうなってる」
「勇者たちは両手足を枷で拘束してるから、船の錨を上げたり帆を動かしたりは出来ないと思ってたんだけど……」
「それをやった、ってわけか」
「出港したのはどの船?」
「全部です!」
「…………今から止められるかな?」
「船の準備を考えると、現実的では無いかと!」
「……」
「諦めろ魔王。お前の負けだ」
「……うーん」
魔王はコタツに突っ伏し、呻き始める。
「お疲れ様だ、ぞんざいさん。港の方には勇者たちの船は放っておけと伝えといてくれ」
「は、はい! 伝えておきます!」
ぞんざいさんが走り去り、部屋には俺と魔王の2人だけが残る。
「ボクが倒したかったのになぁ……」
敵を己の手で倒したい。それは幼稚な感情だと言えるのだろう。獲物を取られたくないというゲーム的な感情。遊びの感情。それ故に、純粋に残酷でもある。
「まぁ、お前の思い通りに何もかもが動くわけじゃ無いってことだ」
「そうだけどさ……」
「それに、勇者たちの運が良ければ生き残るさ。そうしたら改めて倒せばいい」
「運任せって好きじゃないんだけど、ボクが悩んでたせいでこうなったんだから受け入れないとダメだよね……」
「ああ。お前も大人なんだから、上手く行かないことをちゃんと受け入れろ」
「受け入れたくないから、毎日頑張ってるんだけどね……」
「じゃあ、もっと頑張れ。それでも上手く行かないことはあるだろうが、減らすことは出来る」
「うん……そうだね」
納得したようには見えないが、それはそれで良いのかもしれない。上手く行かないからこそ、人はより良い世界を追い求める。この経験で魔王が成長することを考えれば、それも悪く無いだろう。
勇者たちを倒すのが魔王の使命では無く、守るべきものを守るのが魔王の使命なのだ。そのための力を、魔王はもっと身に付けるべきである。
「悪魔さんも手伝ってくれるよね?」
「知識の提供だけだからな」
「わかってるよ」
やれやれ。このバカは本当に、手がかかる。
数日後、俺は日課である勇者カウンターの確認を行い、数値を手帳に書き込んだ。
勇者カウンター、残り2897人。




