第57話 魔王は魂の実験を開始するのか
魔王城の北、関所の門の上。俺は冬の空気に凍えていた。周囲の魔族たちも寒そうにしており、この後に始まる戦いは少々辛いものになることが予感された。
だが、戦闘を避けることなど出来ない。ここに向かっている軍勢は季節の齎す苦痛の中、幾つもの罠や不十分な備えにも負けず、魔王を倒そうという意志を決して揺るがさなかった真の勇者たちなのだ。
全霊を持って、応じなければならない。
「やって来たね。それじゃあみんな、準備して」
魔王の言葉に部下の魔族たちは素早く武器を構え、整列する。これで3度目の戦い。油断をしてしまえば、城内や城下町で平和に暮らす人々の生活が失われる。きっと彼らも、言葉や動作に出さずともその重責を感じていることだろう。
勇者の軍勢がゆっくりと道を進むのが見える。ここまでの道程で疲労困憊であろうに、歩きながら戦闘の体勢を整える姿には力強さを感じた。植え付けられたものとはいえ、その意志の力はあまりに強固であった。
「それじゃあ、攻撃開始!」
激突が、始まる。
30分後、そこにはさっきまで相手だったものが辺り一面に転がる風景が!
「いや~、今回も上手く行って良かったよ~」
勇者軍のど真ん中で麻痺を引き起こす範囲攻撃を連発した魔王が、倒れた勇者たちに手枷や足枷を付けながら言った。他の魔族たちも同様に勇者を拘束しては、せっせと馬車や荷車に積み込んでいる。
…………正直さ、この勇者たちもう冷静な判断力も無いし、国に返しても屈辱と非難で大変だろうから、ここで殺してあげた方が良いんじゃない?
「どうしたの、悪魔さん?」
「もう可哀相だから殺してやる、って選択肢は無いのか?」
「何言ってるの悪魔さん!? 生きていたら良いことあるかも知れないのに、殺したらかわいそうでしょ!」
そりゃ普通の人間はそうなんだろうけど、勇者の断片に思考を捻じ曲げられて自分を粗末にしている姿は見てて痛々しいんすよ! 楽にしてやれよ!
「戦争でも決まりはちゃんと守らないとダメだしね。捕虜は可能な限り返さないと、他の国の人に嫌われちゃうし」
「その通りだが……まぁ、俺が口出すことでも無いか」
長期的に見て、勇者を可能な限り捕虜として国に返すという魔王の方針は正しいと言える。だが勇者たちにとっては、負の感情が積み重なる一方なのではないか。それが後々、何か悪い事態を引き起こさなければ良いのだが。
「まぁ、もしかしたら風向きが変わるかもしれないしね」
ぽつりと魔王が言ったその言葉が、少しだけ気になった。
翌日。いつもの部屋のコタツでのんびりしていると、魔王が部屋に入ってきた。
「いやー、昨日はお疲れ様だったよね、ボク」
肉体労働を手伝わなかった俺への嫌味を言いに来たようだぞ!
「毎度のことながら大変だな」
「悪魔さんが手伝ってくれたら気分的には楽なんだけどね~」
「その分は知識の提供で補ってると思ってくれ」
「それじゃあ、その知識の提供について聞きたいんだけど」
「ん?」
魔王はタタミに上がってコタツに入り、じーっと俺の顔を見た。
「ボクたちに渡してない魔法書や魔術書ってまだあるのかな?」
「無い。俺が持っている分は全部渡した」
事実である。魔法書やら魔術書についてはその記述をすべて電子化して保存しているため、何かしらの魔術的細工などが施されていない限り本自体にはあまり価値が無い。そのため魔王たちに貸したそれらの書物が失われたとしても問題は無く、出し惜しみする理由も無かった。
「……本当みたいだね」
「ああ。何か研究したい魔法でもあるのか?」
「もちろんあるよ。それが出来ないと、王妃やヒメに嫌われちゃうかもしれないやつがね」
魔王は突っ伏すように、コタツの天板へ両腕と顔を乗せた。あの2人が重要視するような魔法と言えば、即ち――
「魂の分離か」
「うん。勇者の断片を元々の魂から引き離す魔法は、絶対に必要だからね」
地下に軟禁されている人間の少女、マナ。彼女を解放するためには勇者の断片を引き離す必要がある。その方法を探すことは、もしかしたら勇者の襲撃を退けることよりもずっと大切なことかもしれない。
「今のところ、成果はあるのか?」
「効き目がありそうな魔法や魔術はいくつか見つかったんだけど、試してみないとわからないね。ダメだった場合に別の方法も考えないとだし、本は何冊あっても足りないかもしれない」
「実験の結果次第か……実験はマナを使ってやるのか?」
「それは流石に危険すぎるよ。もしかしたら変な感じに魂が肉体から離れて、そのまま死んじゃうかもしれないし」
言われてみればそうである。異世界の住人は肉体だけでなく、それを制御し力を与える魂という機構が必要不可欠である。無闇に触れることは心臓や脳に指を突き入れるくらいリスクの高いことなのだろう。
「そうなると、誰で実験……」
ああ、いい被験体がいたわ。
「今回捕らえた勇者たちで実験するのか」
「うん。捕まえた勇者たちから10人くらい、人間たちの国に返さず実験に協力してもらうつもりだよ」
それ協力じゃなくて強制だよね!? 命に関わる人体実験を同意無しで行うって、悪の帝国かよ! だいたいそんな国だけどさ!
「他の勇者は返すんだよな。そうなると、怪しまれないか?」
「伝染病にかかっている恐れがあるから帰還を後回しにする、みたいなことを伝えれば大丈夫でしょ」
「適当だな。信じてくれると思うのか?」
「信じてくれなくてもいいんだけどね。次に勇者の軍勢が攻めてきた時に他の勇者たちと一緒に返せば、疑いも晴れると思うし」
妙な魔法をかけられまくったと報告されて余計に疑惑の目で見られると思うんだが……いや、それどころか魔族によって周囲の人間を殺すような魔術が施されていると被験者たちが勘違いされて、帰国後即処刑って可能性もあるな。それを考えると人体実験マジ非道である。
「こりゃもう、完全に悪役だな……」
「でも、もしこれで勇者たちから勇者の断片を引き離すことが出来たら、もう戦わなくてもいいんだよ。そうなれば大勢の命を助けられるでしょ」
「そりゃ、上手く行けばそうなるが……」
「上手く行くように頑張るから、大丈夫だよ」
魔王はニコニコしながら言ったが、果たして上手く行くのだろうか。勇者たちは別の魂が肉体に侵入しているのではなく、魂に別の何かが融合した異常な状態にある。そんな前例の無い状態を、既存の魔法や魔術で解消することなど出来るのだろうか。
「浮かない顔をしているね、悪魔さん」
「あまり期待してないからな。他の世界の魔法でも、勇者から断片を引き離すのは無理だと思う」
「それなら、どうすればいいかな?」
「考えられるとしたら……やっぱり、新しい魔法を考えるしか無いだろうな」
この世界を創造したやつが施した術式を解除するわけだから、相当に困難なことだろう。だが、それしか道は無い気がする。
「新しいものを考えるのは得意じゃないんだけどね」
超知ってる! お前パクってばかりだしな!
「でも、やらないとだよね。新しいものが作れないわけじゃないし」
「ああ。そのためにも色々と試す必要があるな」
「まずは悪魔さんが持ってきてくれた本、あとこの世界に元々あった本から魂を引き離すような魔法や魔術を調べて、それを試してみるところからだね」
「どの魔法にも効果がなかったらどうする?」
「どうしよう」
無能か!
「魔法を使えば勇者に何かしらの反応はあると思うから、それを見てからだね」
「反応の違いか……どんな魔法かによって違いは出るかもしれないな」
「その上でそれぞれの魔法にちょっとずつ手を加えて、反応がどう変化するかも調べたいね」
例えるならラーメンのスープに使う具材を試行錯誤するようなものか。ラーメン屋の親父と化した魔王。
「それと出来れば、ボクら魔族と人間たちの魂にどんな違いがあるかもわかるといいね」
「違いか……」
魂というのは基本的な構造は統一されているのだが、確かに種族などで多少の違いはある。この世界の人間が鍛錬によって魔力を高めやすいという特性を持っていたり、魔族が長い寿命を持っていたりするのも魂に刻まれた情報によるものだろう。なんか格好良いな魂に刻まれたって表現!
そしてその違いが分かれば、それを利用して人間にしか効かない魔術装置なども作れるかもしれない。人間だけを殺す装置とか凄い怖いけどな。
「魂の違いを見分ける魔法に何か心当たりはあるのか?」
「そういう魔法は知らないけど、もしかしたら魔力からわかるかなって」
「魔力から?」
「前に悪魔さんが言ってたでしょ? 魔力って、いくつかの属性があるって」
結構前に言ったような気もするが、よく覚えてるなコイツ。
「確かに魔力には属性がある。大別して8属性という説が悪魔の間では支持されているな」
ちなみに水・金・風・火・木・土・光・闇である。「すいきんふかもくどっひーかりやみ」と俺は覚えていない。
「ボクたち魔族は大魔王様の眷属だから、当然闇とかの属性が強いはずだよね」
「だろうな。人間たちは女神から生まれたから、恐らく光の属性が強い」
逆って可能性もあるかも知れないが、そういう実は善悪が逆でしたみたいなことは今さらどうでもいい。だって魔王のヤツはとっくに大悪党だしね!
「そうなると、身体から出てる魔力の違いを調べればどっちの魂かは区別できるはずだよね」
「魔力の属性を判別できるのか?」
「光の属性が強い魔力なら光を放つ魔法の効果が強くなるはずだし、闇の属性が強い魔力なら辺りを暗くする魔法の効果が強くなるはずだよね」
「単純に考えればそうなるな。その仕組みを利用した魔術装置を作れば判定も出来るか」
「やってみないとわからないけどね。でもそんな魔術装置が作れれば、人間の魔力だけを吸収する結界とかも作れるはずだよね。大魔王様も女神だけを封印する結界を作ってたわけだし、ボクたちにも出来ると思う」
そういえば女神を封印してた結界は魔王に効果を及ぼして無かったな。大魔王がそのような魔法を使えたのなら、魔王が同じような魔法を使える可能性は十分にある。
「もし人間と魔族の魂を判別できたのなら、その次は人間の魂と勇者の魂を判別するのか?」
「そうなるね。それが出来れば勇者の断片だけに効果がある魔法も生み出せるかもしれない」
「上手く行けば勇者の断片だけを消滅させることも出来る……のか?」
「消滅は難しくても、力を弱めることくらいは出来るかもね。前の勇者くらい強い人がこれから現れるかも知れないし、そういう魔法は必要だと思うよ」
「その可能性もあったな。強力な勇者が複数の場所に現れる危険を考えると、時間稼ぎに使える拘束系の魔法なんかは確かに欲しい所だな」
「出来れば誰でも使えるように魔術装置として作りたいところだよね」
「そうだな。だがまずは、判別用の魔術装置を作らないとな」
「うん。とりあえず勇者の捕虜で魂を分離する魔法の実験をしつつ、吸収した魔力を使って判別用の魔術装置の開発も行う事にするよ」
「人手が不安な気もするが、時間も惜しいしな」
ってか、なんで今までこの実験しなかったんだろうな。実験が出来るほど魂に関する魔法の研究が進んでなかったことが大きな要因として考えられるが、魔王にとって勇者の生死などどうでも良かったということがそれ以上の問題だったように思える。
「頑張らないとね、王妃やヒメ、マナさんのためにも」
それが変わったのは、群体ではなく1人の人間として見るべき勇者が現れたからだろう。そう考えると、1万人の勇者の中で最も魔王の難敵となっているのはマナなのかもしれない。
娘の友人であり、守るべき民であり、勇者としての行動を否定している優しい少女。しかし、戦わねばならない敵。戦いたくない敵。
不死身の勇者よりもずっと厄介で、乗り越えることの難しいもの。
不条理。
それこそが、俺と魔王の敵なのだ。
勇者カウンター、残り4771人。




