第55話 王妃は彼女を支えるのか
城下町から少し離れた林近くに建つ、小屋のような家。大学校の実験場よりも市街から離れているその建物は、人との関わりを避ける者が住むためのものに見えた。そんな家に向かって、俺と王妃はゆっくりと歩いて行く。
「あそこにいるんだよな」
なんか硬いものが大量に入った麻袋を背負いながら、俺は王妃に尋ねた。王妃は歩みを止めることなく、無言で頷いた。
家の前に着くと、王妃が扉を開けた。中は2つの部屋に分かれており、入口の方の部屋には食器や雑貨が並んだ棚や、中が見えない戸棚、テーブルなどがあった。奥の部屋には小さな昇降機、そして床には地下室への扉らしきものが見えた。
「あの下に閉じ込められているわけか……」
王妃が苦々しい表情で頷く。思えば、王妃も地下の牢獄に監禁されていた時期があるのだった。そんな彼女にとって、今のあの子の境遇と向き合うことは辛いことなのではないか。いや、そんな弱い女じゃなかったな、王妃は。
王妃は閂を抜いて、鉄の扉を開ける。意外と力持ちである。扉の下には人が1人どうにか通れるくらいの階段があり、それが地下深くまで続いている。慎重に行かないと頭をぶつけそうだな。
階段をゆっくりと下る王妃の後を、俺もゆっくりと追う。荷物が邪魔でかなり進みづらく、こんな構造にした奴マジ許さねぇ。だが、この階段に手間をかけるよりももっと力を入れるべき箇所が数多くあることも分かっている。我慢して、袋の中身が傷付かないように進むとしよう。
一番下に辿り着くと、何も無い小さな部屋と鉄の扉があった。天井に照明があるが、どうにも陰鬱な雰囲気だ。鉄の扉の奥も、まさかこんな感じじゃ無かろうな。ちょっと不安だぞ。
王妃が3回、扉を叩く。すると扉の奥から「どうぞ」という若い女性の声が聞こえた。どうやらまだ元気なようで、少しだけ安心する。
扉を開けて、俺と王妃はその奥へと立ち入る。明るい照明の下で、テーブルやベッド、本棚、レイゾーコ、ぬいぐるみ、様々な生活用品に囲まれながら、彼女は椅子に座って微笑んでいた。
マナ。王女であるヒメの友人にして、孤児院で暮らす人間の娘。そして、勇者。創造者の悪辣をその魂に受けた、不条理の被害者。
彼女はもはや、魔族と共に過ごすことが出来なくなっているのだ。
『調子はどうですか?』
王妃は俺に見えるようにしながら手帳に文字を書き、それをマナに見せる。
「落ち着いていると思います。ごめんなさい、私なんかのために王妃様が来てくださるなんて……」
マナは椅子に座ったまま、委縮した様子を見せる。立ち上がって頭を下げるようなことをしない辺り、王妃という人間のことを分かっているような気がする。もしかしたらヒメから王妃の話を聞かされていたのかもしれない。魔王を膝枕するのが大好きだとか。
『私なんか、などと言ってはダメですよ』
王妃が諭すような言葉をマナに見せる。
「ですが、今の私は」
マナの言葉を手で遮り、王妃は手帳に言葉をつづる。見た目としてはマナの方が年上なのに、その所作は王妃の歩んできた人生の長さを感じさせた。つまりロリババアだ。ロリってほどの外見年齢では無いけどな。
『貴女のことを大切に思っているからこそ、孤児院の方々も私の夫も頑張っているのです。自分を卑下してはなりません』
「はい……」
『弱気になっているのは分かりますから、ちょっとは良いですけどね』
王妃は悪戯めいた微笑みを浮かべ、マナもそれにつられて微笑む。
『それで、本当に大丈夫なんですね?』
改めて王妃がマナに問う。多少緊張が解れたのか、彼女はしっかりと頷いた。
「体調は大丈夫です。変ですよね、学校のみんなといる時より元気だなんて」
『そういう呪いです。どうか、気に病まないで』
マナがこの場所に移されたのは、その体調が悪化したからである。魔王たちの見立てによると、勇者の断片によって魔族への敵意が増幅する一方で、マナ自身はそれを抑えようと無意識に魔力を使っているらしい。それによって眩暈や疲労感などの症状が現れ、学校に通うことも難しくなっていた。
このまま放置すれば失神や、そこから勇者の断片による身体の乗っ取りすら考えられた。魔族から引き離し、少しでも敵意の発露を抑えなければならない危険な状態に、彼女は陥っているのだ。
だがそのような事情があろうとも、まだ20歳にもなっていない罪無き乙女を地下室に監禁するのは気分が悪くなる所業であった。それが最善の方法だとしても、快く納得など出来やしない。
『この部屋はどうですか? 窮屈ではありませんか?』
「窓が無いのは残念ですけど、孤児院の部屋より立派なくらいです」
部屋は床も壁も木製で、この部屋の他にもいくつか部屋があるようだった。台所も見えるし、住み心地自体はマンションの一室と変わらないのかもしれない。っていうか、あの階段でどうやってこんなに家具を搬入したんだよ。もしやあの階段、後付けなのか? もっと広い階段にしろよ、孤児院の子どもたちが遊びに来づらいだろ。それとも、来ちゃダメなのか? 王妃ですら念のために俺が一緒に来たわけだし、十分にあり得るわ~。
クソが。
「悪魔さん……ご機嫌が悪いんですか?」
マナと王妃が俺の顔を見て、困ったような表情をしている。いかんいかん、俺がイラついてもマナを不安にさせるだけだ。冷静になろう。
「マナがこんな所に閉じ込められているのが、気に入らないだけだ」
「仕方ないですよ。むしろ、こんなに良い部屋を作って頂いてありがたいです」
良い子! この子はきっと、この部屋に魔力を吸収する魔法陣が仕掛けられていることも知らないのだろう。何も知らず、本当に可哀想な娘である。
「私から魔力を吸収することで他の人を襲うことが無いよう工夫しているそうですし、私には勿体ないくらい設備が整っていると思います。隣の部屋にある昇降機で食料を貰ったり手紙のやりとりをしたりも出来ますし、お昼寝も邪魔されないので快適なんです」
めっちゃ知ってるじゃん。しかもこの状況を楽しんでいるようにも見えますぞ。やっぱこの子、魔族と一緒にいすぎて性格がおかしくなったのかな?
「だが、ずっと部屋にいたら退屈だろ?」
「そうですね……本は沢山用意して貰ったんですけど、全部読み終わるまでに呪いが消えてくるか、ちょっと不安ですね」
『大丈夫です』
王妃は手帳に書いた文字を見せた後、俺が床に置いた麻袋を漁った。そして取り出した本を、マナの前にあるテーブルの上に置いた。
『これは悪魔さんの世界のマンガです。全部で52巻まであります』
「多い……ですね」
『そしてこれは別のマンガです。こっちは81巻です』
「多い……ですね」
『こっちは97巻です』
「多すぎませんか……?」
次々に麻袋から取り出したマンガ本をテーブルに置いてく王妃。この袋の中身、全部マンガっすか! しかも俺の世界の本ってことは、つまり俺の所有物じゃねぇか! 貸したものを別の人に貸すのってマナー悪いからな!
『今日は一部しか持ってきていないので、続きが読みたくなったら知らせてください』
「は、はい……でも、私、悪魔さんの世界の言葉は……」
王妃は服のポケットから、指輪を1つ取り出してマナの指にはめる。俺が持って来た指輪型翻訳機。魔王や王妃、城の研究者くらいにしか渡されていない貴重な物品が、彼女の指で光った。
『それは悪魔さんが持って来てくださった、他の世界の言葉が分かるようになる指輪です。大事にしてくださいね』
「そんな貴重なもの、受け取るわけには……」
王妃は手でマナの言葉を制し、手帳に言葉をつづる。
『貴女がここにいるのは、夫の力が足りなかったからです。貴女の呪いを夫や城の者が解くことさえ出来ていれば、貴女は閉じ込められることも無かった。だから、遠慮はしないで下さい』
「……はい」
マナは指輪が付けられた指を、反対の手でそっと包む。
『私の夫は残酷な人です。もしも貴女に助ける価値が無ければ、きっと容赦無く殺していたでしょう。ですが貴女は私の娘や孤児院の方々、町や学校の人々と善い関係を築いてきました。みんなが望んだから、貴女は生きているんです』
「そう……ですね」
『だから貴女も、諦めないで下さい。貴女に生きていて欲しいと願う人たちと、また笑える日まで。どうか、自分を大切にしてください』
「……わかり、ました」
少し涙目になりながら、マナが力強く答える。
『私にも地下室に閉じ込められていた頃がありました。ですが、夫が私を助けてくれたのです』
「王妃様が……!?」
マナが驚きの声を上げる。そりゃそうだわ。だって地下室に閉じ込められてたのに魔王の妻になってマンガ家になるって、一体どんな人生だよ。いつ考えても波乱万丈だろ。
『夫はきっと、貴女のことも救ってくれます。私は救ってもらいましたから、それを信じているのです』
「はい……ちょっと、羨ましいです」
『貴女にもいつか、王子様が現れますよ』
ちらりと、王妃が俺を見る。いやいやいや俺はヒメの許嫁だしこの子に見合うほど立派な男じゃ無いしってヒメの許嫁ってことになってるけど別に結婚する気は無いしどういうつもりだよ王妃ぃ!
「出来れば、格好いい人が良いですね」
マナが笑う。はい、俺失格! 顔が冴えないから失格!
『私の王子様は顔も良いし、子どもっぽい所もあって素晴らしいですよ』
惚気るんじゃない、王妃!
マナとの談笑が終わり、俺と王妃は小屋を出る。すると、遠くの茂みに人の気配がした。
「誰かいるのか?」
俺が声をかけると、王妃が服を引っ張って来た。
「どうした?」
『娘です』
「……ヒメッ!!」
「ひゃう!?」
可愛く驚いた声が聞こえ、茂みに隠れていたヒメが立ち上がる。
「何やってんだ?」
「えっと……悪魔殿と母上がマナに会いに行ったと聞いてのう……」
「……そうか」
ヒメもマナのことを心配しているのだろう。だが、ヒメは魔族である。マナと会えば、彼女の中にある勇者の断片を刺激し、お互いにとって危険なことになる。だから小屋の近くで、俺たちが出て来るのを待っていたのだろう。
「マナは……元気じゃったか?」
「大丈夫だ。思ってたよりもずっと元気だ」
「そうか……それなら、良かったのじゃ」
全然良く無さそうな声で、ヒメは答えた。それを見かねてか、王妃がヒメの元へ歩み寄る。
「母上……?」
俺もその後を追い、ヒメの前に立つ。王妃は手帳に文字を書き、ヒメに見せた。
『心配ですか?』
「もちろん、心配なのじゃ……マナはしっかりしているから、きっと無理をしてしまうのじゃ」
『貴女が友達を想う気持ちは分かります。だからこそ、笑ってください』
「笑う……?」
ヒメは不思議そうに、母親の顔を見つめた。王妃は、優しく微笑む。
「でも、マナがつらいのに笑うなんて、難しい……のじゃ」
『あの子は自分が可哀想だなんて思っていません。それなのに貴女が悲しい顔をしていては、台無しじゃないですか』
「それでも、心配なのはどうしようも無いのじゃ……」
『貴女の父、城の皆、それに悪魔さんもあの子を助けるために頑張っています。きっと、あの子を助けてくれます。それなのに貴女は心配なんですか?』
「分かっておるのじゃ……それでも、それでも不安なのじゃ」
『信じて下さい。貴女の周りにいるのは、絶対に出来ないと言われたことも出来るようにする、そんな人たちです。世界がどんなに酷くても変えることの出来る、そんな人たちです』
ちょっと買い被りすぎな気がします!
『それでも怖いのが消えないなら、貴女も一緒に考えましょう』
「一緒に……?」
『あの子を助けるために何が出来るか、あの子が頑張れるために何が出来るか、皆と一緒に考えましょう』
「それなら……頑張れそうなのじゃ」
『泣きながら何もしないより、笑いながら頑張った方が良いはずです。あの子のような優しい子が笑顔でいるためには、まず貴女が笑顔にならないとダメでしょうし』
「……そうじゃな。マナは一緒に笑ってくれるし、一緒に悲しんでくれる友達なのじゃ。だから私は、笑ってなきゃダメなんじゃな」
『寂しい時は、私を頼ってください。悪魔さんでもいいですよ』
「うむ。さみしい時は、悪魔殿に抱き着いて泣くのじゃ」
「やめてくれ」
回避不能攻撃だよそれは。
『では、帰りましょう。外は寒いですし』
「風邪を引いては大変じゃからな」
「引くの?」
「引いたことは無いのじゃが、引くかもしれないのじゃ」
俺、魔王とヒメは風邪引かないと思うな! あとマリアも!
「……悪魔殿」
「なんだ」
「信じて、いいんじゃな?」
「さあな。出来る限りのことはするし……俺も助けたいとは思っているが」
「煮え切らない返事じゃな。でも、悪魔殿らしいのじゃ」
「そういう男だからな。我ながら、格好悪い」
「でも、そっちの方が信用できるのじゃ」
ヒメが笑って、城への道を歩き出す。王妃はその隣に並び、俺は2人の後ろに続いた。
俺や魔王がマナを助けられるかは、まだ分からない。だが可能性は存在し、諦めなければそれを手にすることが出来るかもしれない。今までもこれからも、俺と魔王はそうやって難題と戦ってきた。今回も同じことだ。
俺と魔王がやるべきことは、少女の、乙女の、母親の笑顔を守ること。それは数千人の勇者の命などよりもずっと、俺にとっては重要で難しい問題だ。それでも、やり切らないといけないんだよな。
まったく、厄介なもんだよ。
女って、やつは。
勇者カウンター、残り5557人。




