第40話 祖父と孫娘は心を通わせるのか
いつもの部屋のいつものタタミの上から遠く離れた、地上の平原。魔族の領土と地上生物の領域との境界で、俺と荒土の王はそよ風に吹かれていた。部屋の中では決して味わえないその心地良さは、馬車に数時間乗せられたことを忘れるほどの……いややっぱ帰りのことを考えると割に合わないわ!!
昼寝をしたくなるくらいの、穏やかな陽気。隣に荒土の王がいるけど、疲れたからもう寝ちゃおうかなとか思ったその時。獣の雄叫びのようなものが、遠く森の方から聞こえて来た。
「来たか……」
荒土の王がいつの間にか金属の棒を手に持っていた。テレフォン。魔王が開発した音声を送受信する魔術装置。それを顔に当て、荒土の王はどこかと連絡を始めた。
「金屑の王にも連絡が行った。まもなくこちらに来るだろう」
通話が終わり、荒土の王が告げた。
「何が始まるんだ?」
「防衛戦だ」
防衛戦。魔族の領土を襲う存在と言えば、ただ一つ。
「さっきの雄叫びは聖獣、つまり勇者の鳴き声か」
「以前から時折、この付近に現れては羊を任されている魔族を襲撃している。私がいる時に来てくれるのは好都合であるな」
「そうだな」
霊木の王の農業試験場でも勇者の襲撃があったし、なんで俺がいる時に襲ってくるんだ勇者。もしやクリエイターの嫌がらせか?
……いや、俺がいる時というのは自分を特別視しすぎだ。勇者にとって重要なのはそこに魔族がいること。そして最も倒すべき魔族は、魔族の王である。ならば勇者が大規模な攻撃を行うタイミングは……
「何か考え事かな、悪魔よ」
「まだ確証は無い。だが、かなり多くの聖獣が襲ってくる可能性がある」
「楽しみだ」
荒土の王が口元に笑みを浮かべる。冷静な男だとは思うのだが、劫火の王と同様に戦いを好む側面がどこかにあるのかもしれない。強大な魔族が魔力による破壊を楽しむことに、何の不思議も無いのだから。
――突如、世界が動きを止める。同調加速。魔王が超高速化の魔法を使ったのだろう。ゆっくりと首を回すと、のんびりとした足取りで魔王がこちらに向かっているのが見えた。急ぐのか急がないのかどっちかにしろ!! 魔力の無駄遣いだ!!
魔王が荒土の王の横に並び、世界が動き出す。荒土の王は突然横に現れた魔王を見て、感心した様子で「ほほう」と言った。
「直に見るのは初めてだが、それが君の高速化魔法かな」
「はい。超高速化と呼んでいます」
「高速化と言うよりは時間を止めているようにも思えるな。劫火の王の兄たちが一瞬で倒されたのも頷ける」
「悪魔の知識が与えてくれたものです。とても感謝していますよ」
微妙に剣呑な雰囲気がするが、荒土の王は驚いた様子も無く魔王と言葉を交わす。だけどごめんなさい、急に現れた魔王を見た時に荒土の王が一瞬だけ全身をビクッ、って反応させたの見ちゃったの。即座に落ち着きを取り戻すのは凄いんだが、内心は心臓をバクバクさせているんじゃないかと想像するとちょっと面白い!
「それで、聖獣ですか」
「うむ。悪魔の推測では、相当な数が来るらしい」
「そうなの悪魔さん?」
「まだ分からん」
俺にも敬語使ってくれないかな……いやいや、それはそれで気持ち悪いぞ。
2人の王と俺は、森の方を注視する。雄叫びは何度も聞こえるが姿は見えない。恐らく群れを形成しているのだろう。
「す、すみませ」
メアリが転倒しつつ、俺たちの所にやってきた。何しに来たの?
「あれ? 来たの?」
魔王が結構ひどい事を言う。まぁ、俺も同じようなことを考えてたから何も言えないけど!
「は、はい。少しでもお手伝いしたくて……」
「危険だ。戻れ」
荒土の王が冷たく言い放った。視線は森に向け、メアリの方を見ようともしない。
「だ、黙って、何もせず待っているなんて、出来ません」
「足手まといだ」
「決して、その、邪魔なんてしません、自分の身は自分の身で守ります」
「だが」
「ちょっと待ってください、荒土の王。メアリは優秀な従者です。戦力として数えられる力を十分に持っています」
「……金屑の王が言うのならば、認めよう」
「あ、ありがとうございます!」
メアリが心底嬉しそうに感謝の言葉を述べる。戦いが好きそうには見えないが、それでもここに来たのは祖父である荒土の王を助けるためか。魔王が何かそそのかすような事を言った可能性も想像出来るけどな!
「これはこれは……」
荒土の王が感嘆の声を上げる。その視線の先を見ると、土埃を上げながら何かの大群がこちらに向かっているのが見えた。っていうか数が多すぎない!? このままだと後ろにいる羊さんたちどころか穀物畑も踏み荒らされて大変なことになるぞ!?
「100、いや200匹以上でしょうか」
「普段は数匹で現れると聞いている。余程、特別な何かがあったのだろう」
「何か心当たりないかな、悪魔さん」
「……勇者は魔族を襲う。そして、魔族とそうでないものの区別がつく」
「それは知ってるよ」
「だったら、強い魔族の気配を感じ取って大規模な攻撃を仕掛けてきてもおかしくは無い」
「なるほど。私と金屑の王に反応したということかな」
「ああ」
「そういうことね。確かにボクや荒土の王は魔族としての気配が強いかもね」
そう言いながら、魔王は前へと出る。
「荒土の王、まずは私が数を減らします」
「出来るのかね。広範囲の攻撃は私の方が得意だと思うのだが」
「試してみたい魔法があるのです」
魔王は深く深呼吸をした後、右手を身体の左前へと伸ばす。まるで群れを左から右に薙ぎ払うかのような姿勢……あっ、まさか。
「ハァァァ…………ビィィィィィィィィム!!!!」
魔王の右手の先から、光の線が聖獣の大群へと発射された。手から光弾を放つ魔法、ビィィィム。命中率の高い単体攻撃魔法なのだが、どうやら相当の魔力を込めて威力と範囲を上げたらしい。大群を薙ぎ払う魔王の光線によって最前列を走っていた聖獣の大半が溶けて燃え出し、それらと衝突した後方の聖獣が反動で宙へと舞う。やっべ、かなり面白い光景だわ! 俺も薙ぎ払いビーム撃ってみたい!!
「なかなか豪快な魔法であるな。素晴らしい」
「ありがとうございます。かなりの魔力を消費するのが難点なのですが」
「あの威力では仕方無いだろう。ただ、奴らを殲滅するには至らなかったようだがね」
魔王によって最前列付近の聖獣は倒されたようだが、まだまだ大群は健在であった。近付いて来るにつれ鮮明になるその姿は、たてがみのある子熊といった感じである。4つの足は太く短く、しかし力強く大地を駆けている。猫科の動物のようなしなやかさは無さそうだが、筋肉量や体重を考えると突撃された時の威力は相当のものだろう。勇者となって凶暴化していることも考えると、接近する前にもっと数を減らさないとマズいかもしれない。
「やはり、私がやるべきかな」
「お願いします。大地を駆ける者にとって、貴方の魔法こそ真に恐ろしいものでしょう」
荒土の王が目を閉じ、呼吸を整えて集中を開始した。そしてゆっくりと目を開き、右腕を前に伸ばす。
「隆起せよ」
手のひらを大群に向け、荒土の王が言った。その直後、大群が足で踏み荒らそうとした地面が急速に盛り上がり、長大な土の壁となった。聖獣たちの突進を防いだその壁はただの足止めに留まらず、大群の方向へと勢い良く動き出した。まるで波のように、土の壁が聖獣たちを押し流して行く。
「次は串刺しが妥当な所か」
何体かの聖獣が壁を乗り越え、草原へ降りようとする。だが地面に着地する前に、その体は大地から生えた鋭く大きな棘に貫かれた。
「これで済めば楽なのだがね」
土の壁を越えた聖獣たちが、重力に従ってことごとく串刺しになる。土で出来ているとは思えない強度と貫通力を持つ棘だが、魔族の王であれば容易いことなのだろう。霊木の王もそうだったが、自然に存在するものを武器として使うことは世界そのものを武器として使うことに等しい。荒土の王を前にして、大地を自由に歩くことなど不可能なのだ。
だが、相手も勇者の断片を持つ聖獣である。一部は荒土の王が造り上げた土壁に突進で穴を開け、そのままの勢いでこちらに向かってくる。
「ふむ」
聖獣と俺たちの間にある地面から、突然岩が浮かび上がった。人の背丈と同じくらいの大きさを持つそれが、聖獣たちに向けて発射される。直撃を受けた聖獣は倒れるものの、他の聖獣は健在だった。
「大きすぎたかな」
聖獣との衝突によって数個に分かれた岩がそれぞれ浮き上がり、聖獣たちの頭部を目掛けて再び発射された。岩はさらに細かくなり、三度聖獣たちを襲う。多くの聖獣が岩に頭部を撃ち抜かれ、動きを止めた。
「お見事です、荒土の王」
「す、凄いです、流石です!」
魔王とメアリが荒土の王を褒め称える言葉を発するが、魔王の方はどうせ心の中で「ボクも同じくらいのこと出来るけど」とか思っているんだろうな!! そういう目をしてる!!
「しかし、この程度で倒し切れる敵では無いようだな」
荒土の王の攻撃をかわした聖獣たちが何体か目前に迫っていた。密集はしていないものの、後方でもまだ数十体は生き延びているようだった。
「ここからは近接戦闘になるかな」
「そのようですね。確実に倒すためには致し方無いかと存じます」
「ならばお互い、ある程度距離は取っておいた方が良いだろう。巻き込むのを気にせずに済む」
「そうですね。では、ご武運を」
魔王は聖獣を視界に入れながら、荒土の王から離れる。迫って来ていた聖獣はその動きにつられてか、魔王の方へと向かった。
「え!? こっち!?」
魔王がすっとんきょうな声を上げたが、指から発射した光弾で聖獣を1匹ずつ仕留めていた。どこが近接戦闘だよ、一方的な銃撃じゃねぇか。
「こちらにも来るか」
荒土の王にも聖獣たちが迫る。数は3匹、しかしその内の1匹は地面から勢い良く吹き上げられた無数の石によって、穴だらけとなった。残る2匹はその攻撃を回避するも、空から落下した石の雨に頭部を打たれて地面に崩れ落ちた。こちらも近接戦闘というよりは射撃であり、何ていうか汚いな、流石魔王汚い。
「ほう、散開するのか……」
聖獣たちは単純な突進をやめ、左右に分かれて迂回し始めた。数では向こうが勝るため、囲まれると少し厄介か。
「えい、あっ、惜しい! えいっ、えいっ!」
魔王は指から光の弾を放ちながらなんか言ってる。さてはお前、この状況を楽しんでるだろ!! 動物を撃って楽しむなんて、野蛮な男だな! 王妃に嫌われても知らないもん!
一方の荒土の王は冷静に聖獣を撃退していた。やってることは同じなのに、どうしてこう印象が違うのだろう。やはり魔王が喋りすぎなのが原因か? でもアイツは静かにしてても表情に出るし、根本的に威厳を出せない性格なのだろう。あきらめよう。
そのようなどうでもいいことを考えていたら、聖獣の1匹がついに荒土の王へと飛び掛かった。いつの間にか距離は相当詰まっていたようだ。
「おじい様!!」
メアリが叫ぶ。だが荒土の王は地面から石を発射させ、難なく聖獣の頭を破壊した。
「叫ぶな。気が散る」
「す、すみません……」
委縮するメアリ。おじいちゃん、もっとお孫さんには優しくして上げてくださいよ。
そして三方から迫る、聖獣たち。荒土の王もメアリも、地面の土や石を魔法で操って聖獣たちを倒していく。2人の戦いのスタイルは似ているが、これは土の魔法を使う者の基本的な戦い方なのだろうか。それとも、メアリが荒土の王の戦い方を真似ているのだろうか。
「ふん」
素手の一撃で聖獣の頭を吹き飛ばす荒土の王。まさか、この人もゴリラなのか!? 魔王も人体を素手で貫いてたことあったし、魔族は全員ゴリラなのか!? 魔界、その名はゴリランド!!
飛び掛かる聖獣を拳で殺し、少し離れた聖獣を石で撃ち抜く。荒土の王の周囲には既に20匹近い聖獣の死骸が転がっていた。聖獣たちは俺には目もくれず、またメアリよりも荒土の王を優先して狙っていた。やはり、より強い魔族に反応しているようだ。これを上手く使えば、勇者を引き寄せることも出来るか……?
前方にいる2匹の聖獣を倒し、荒土の王が振り返る。
聖獣の牙が、彼の眼前まで来ていた。
直接攻撃も魔法攻撃も間に合わない。傷を負わされるのが確実な距離。だが、彼は傷付くことが無かった。地面から突然生えた土の棘が、聖獣を串刺してその動きを止めたから。
メアリが、彼を助けたから。
「……」
「おじい、さま、あの……」
「……気を抜くな」
「……はい」
そして荒土の王とメアリはお互いに背を向け合い、残りの聖獣を撃破した。そして魔王の方も、どうにか全ての聖獣を倒したようだった。同調加速が発動しなかったことから、超高速化は使わなかったようだ。あれを使えば一瞬で片が付くのに、何で使わないんだか。やはりあれか、動物を撃つのが楽しいおちゃらけクソ野郎だからか。
「いやー、お疲れ様だよ、悪魔さん」
魔王が達成感を顔ににじませながら、俺のそばに寄って来た。
「お前、聖獣を撃つの楽しんでただろ」
「いくらボクでも動物を殺して楽しむほど悪趣味じゃないよ! でも、ビィィィムで動く的を撃つのは楽しいね」
やっぱクソ野郎じゃん!
「ご苦労だった、金屑の王」
荒土の王が聖獣の死体を避けながら魔王に歩み寄る。
「勇者を倒すのは私に与えられた使命ですから」
「そうだったな。だが、責務であっても戦果は認められるべきだ」
「ならば荒土の王、その言葉をもっと相応しい相手にかけるべきです」
「もっと相応しい相手……」
荒土の王が、縮こまっているメアリを見た。
「言うようになったな、金屑の王」
「たまには素直になっても良いのでは無いでしょうか。私も家族の前では、王である以前に父や夫であるのですから」
お前は家族の前以外でも王っぽいことしてねぇじゃん。
「……分かった」
諦めたように溜息を吐いて、荒土の王がメアリに近付く。そして顔を上げたメアリの頭を、優しく撫でた。
「あ……」
「ありがとう、我が孫娘よ」
「あ、あの、あ……」
顔をひどく赤らめ、動揺するメアリ。俺に頭を撫でられた時も挙動不審になったが、やはりメアリは頭をよしよしされるのに弱いのか。もしかしたら男性に褒められることが、彼女にとってはとても恥ずかしいことなのかもしれない。
「まったく、大きくなったものだ。最後にちゃんと会った頃と比べて、本当に立派になった」
「あの……あの!」
泣きそうな声で、メアリが祖父へ呼び掛ける。
「私はずっと、ずっとおじい様の役に立ちたかった、おじい様に恩を返したかったんです」
「そうか」
「もっともっと、おじい様を助けたい、支えになりたい、だから」
「だから、何だ?」
「おじい様の、そばに――」
髪の毛がくしゃくしゃになるくらい、荒土の王がメアリの頭を強く撫でる。
「い、痛いです、おじい様」
「お前の今の主は、誰だ」
「それは……」
メアリがちらりと、魔王を見た。一応お前も主人扱いされてるのね。王妃だけかと思ってたよ!
「私に恩を返したければ、己の務めを果たせ。お前が元気でいること、自分の力で見つけた大切なものの為に力を尽くしていること。それこそが私にとって至上の喜びなのだ」
「でも……それでも私は、おじい様のそばに……」
「私は王だ。これからも王道を進む故、多くの敵が待ち受けているだろう。私は、そんな戦いに二度と家族を巻き込みたくはない。家族にはどうか私の戦いとは無縁な場所で、安らかに過ごして欲しいのだ」
「……分かりました。けど、私はいつだっておじい様のことを思っています。思って、いますから」
「どんな時も忘れない。絶対に、忘れない」
そして荒土の王はメアリの頭から手を離し、魔王の方を見た。
「金屑の王」
「はい」
「孫娘を頼んだぞ」
「もちろんです。むしろ、助けられているのは私の方かも知れませんけどね」
魔王がにこやかに答える。だが俺は分かるぞ、そんなこと微塵も思って無いってね!!
「もし孫娘に何かあったら、どうしようかね」
荒土の王が悪戯めいた笑みを浮かべた。
「勘弁してください。国を守るのは、貴方より苦手なのだから」
「承知しているよ」
微笑む荒土の王と、メアリ。祖父と孫娘は、たとえ悲劇や立場が2人を隔てていたとしても、一緒に笑うことが出来た。
それはとても、素晴らしいことなのだと思う。聖獣の死体に囲まれた今の状況であっても、そこにある互いを思いやる気持ちは温かいものなのだ。
何故だかそれこそが、勇者との戦いにおいて最も大切なことのような気がした。
帰りの馬車で数時間揺さぶられ、そんなことはどうでも良くなったけどな!!
勇者カウンター、残り9110人。




