山吹無残血風録3
御剣が格子扉に手をかけた。ぎぎ、ぎ。と、経年劣化で錆びついた蝶番が耳障りな音を立てながら開いていく。ひと一人通れるぐらいのスペースを確保すると、御剣は抜き身のアメノハバキリを右手に携えながら先へと進み始めた。
その後に私も続いていく。石畳の階段をかつかつと音を立てながら下り、その合間にアイテムバッグからカンテラを取り出し、魔法で火を灯す。
「《ヒートウェーブ》」
魔法を無詠唱化し、その上で威力を大幅に落とす事で人間マッチの真似事が出来る。魔法とは実に便利な技能だ。
地上の弱弱しい日光が闇に飲み込まれてしまう前に、温かみのある灯りが地下墓を照らし出す。
照らし出された光景は典型的な地下墓のそれ。苔むしていて、空気が淀み、湿気っている。これ見よがしに転がる白骨化した頭蓋骨などが、おどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。
「陰気な場所だ」
御剣が私の意見を代弁するかのように、ぽつりと呟いた。
「……うん」
跳ね上がる心拍を自覚しつつ答える。
……やっぱりだ。
こんなものは怖くもなんともない。と自らを俯瞰し眺めているような感覚がある一方で、恐ろしくて堪らなくて、今にもへたり込んでしまいそうな私がいる。
その相反するかのような感情は矛盾せず私の中に同居している。それがとても気持ち悪い。
「先へ進むぞ」
御剣の先導に従い後に続く。
石畳で丈夫だった地面は階段で途切れており、ここからは土がむき出しだ。湿っていてややぬかるんでいるそれは、一歩進む度に足に纏わりつくような錯覚を覚える。
「……」
警戒は決して怠らない。
私よりもレベルが高く、感知系スキルも豊富で、かつ生物的に勘の鋭い御剣が前衛を務める以上敵の奇襲に遭う可能性は限りなくゼロに近いが、それでも万全を期す。
……レベル150の私がレベル20未満のモンスターに何を臆病な事をしているのか。あまりにも情けなくて、自分でも笑えてくる。
―――でも。
怖いんだよ。
仕方ないでしょう。
どうしてかわからないけれど。
怖くて怖くて。
仕方ないんだ。
だって、私は―――。
「来るぞ!」
御剣が声を張り上げ、暗い地下墓に反響して響いた。脳裏をよぎる身に覚えの無い独白を振り払い、頭の中のスイッチを切り替える。
「骨三つ、霊体二つ! 後方の霊体をやれ!」
「了解っ!」
殆ど無意識にカンテラを放り投げる。普通なら割れるなりするだろうが、このカンテラは"悠久の大地"産アイテムであり、多少の衝撃ではびくともせず、灯りが消える事も無い。
手を空けた私は右手の掌を服の左袖のポーションを象ったパッチに這わせた。すると、手の中に滑り込むようにしてクロスボウ―――暁の弩弓―――が姿を現した。レアー等級の、"悠久の大地"で比較的多く流通していたオーソドックスなタイプのクロスボウだ。
「…………oooooOOOOHHH」
心胆を寒からしめるような叫び声が地下墓の奥から聞こえてくる。次いで、かちかちと硬質な何かをかち合わせたような音を鳴らしながら近づく何者かの気配を感じる。
ここまで来れば私のパッシブスキルである《ホスティリティ・センス》にも反応が現れる。
未だ目視は出来ないが、音を鳴らしながら近づくのはスケルトンの類で、叫び声の主はゴーストないしレイスだろう。
―――そう、冷静に判断出来ているというのに。
「……っ」
恐ろしくないのに恐ろしい。
恐怖で手が震えている。
「このっ、くそっ……!」
おかしいぞ。何を怖がる山吹緋色。相手はたかがレベル10台のザコモンスター。びゅっと撃ってびゅっと倒してそれでお終いだ。まだ相手の位置は遠い。落ち着いて準備をしろ!
震える己が手を意地と根性で抑えつつ、矢立から聖水をたっぷりと含ませた矢を抜きクロスボウにつがえる。
近づいてくる敵を相手にクロスボウを構えるが、細かく震えて安定しない。心拍は更に加速していく。
右手を庇うように左手で支える。それでもやはり安定しないが、多少はマシになった。
これなら、きっと当てられる。
「かかかかかかかか」
次の瞬間、口をカスタネットのように打ち鳴らしながら迫る骸骨のモンスター―――スケルトン三体が光源の中にその姿を晒した。手には粗末なこん棒や何かの鋭利な骨が握られている。
地獄から這い出てきたような恐ろしい風貌の彼らに向かい、御剣が飛び掛かる。
「《旋風剣》!」
敵の懐に飛び込んだ御剣は叫びと共に身体を後方へとねじらせた。力を溜め込む攻撃の予備動作だ。
旋風剣。ブレイドマスターが持つ近接範囲攻撃スキルである旋風剣は、身体を竜巻のように回転させる事で周囲一帯を攻撃し、かつその勢いで生じた衝撃波により周囲にノックバック判定を与え、更に物理的な飛来物を弾き返す特性を持つ。
「はああっ!」
身体のバネを活かして素早く力を溜めた御剣が、その威を開放する。
ぶおん。と、圧を伴うような暴風がその場に吹き荒れた。後方でクロスボウを構えている私にまで衝撃波が届いてくる。
攻撃を受けたスケルトン達の末路は散々な物となった。衝撃波と共に細切れになった骨片が地下墓のあちこちに吹き飛んでいく様を見ればそれで説明は十分だろう。
「ふんっ!」
果たして御剣はその場で一体何回転したのか。軸足のブーツが生じる摩擦熱によって地面にちりちりと燻る赤い線を引きながら、遠心力によってまるで吹っ飛ぶようにして御剣が私の元に戻ってきた。
もう片方の足でブレーキングをかけ、膝立ちの姿勢となって丁度私の左前の位置で見事に停止する。
「やれ」
ぽつりと呟く御剣。答える前に、私のクロスボウの狙いは眼前の敵に照準を定め終わっている。
震えはもう、殆どない。
御剣がすぐ近くに居るからだろうか。
答えは、今の私にはわからなかった。
「一つ」
そう、数を口にしながら矢を放つ。続けざま次の矢を矢立から引き抜き、クロスボウにつがえる。
おっとり刀で飛んできたゴースト達は未だ暗闇の中にあったが、私が放った射撃は狙い違わず、片方のゴーストの眉間を打ち抜いた。
聖属性をエンチャントされたクロスボウの矢がゴーストの不浄を祓う。穢れ、邪悪に染まったゴーストは自らの身に何が起きたのか把握する間もなく消え去り、その場に幽体の残滓である塵の山を残していった。
状況の把握が出来ていないもう一体のゴーストが困惑する気配が、暗闇を通して伝わってきた。
「二つ」
機は逃さない。御剣の教えだ。装填を終えたクロスボウは既にゴーストにぴたりと狙いを定めている。躊躇なく引き金を引く。
ぱしゅっ。と放たれた矢がゴーストの胴体に命中。続くもう一体も、もう片方と同じ末路を辿った。
「……」
「……」
そして、残心。
《ホスティリティ・センス》にも反応なし。
御剣の反応もなし。
「…………ふぅ」
続く襲撃が無い事を確かめた所で、一息つく。
未だ高ビートを刻み続ける私の心拍だが、今や恐怖心は微かに燻る程度に落ち着いていた。
「なんだ、存外に問題ないではないか」
立ち上がった御剣が膝のあたりを手で払いながら言う。
「うん……。そうだね、大丈夫。一応、何とかなった。……あれだね、もしかしたら墓場って場所に対してちょっとナーバスになってただけなのかもしれないね」
「ふむ。まぁそもそもこの身体は私達が持つ本来の身体では無いからな、そういう事もあるのかもしれん」
「違う性別の身体で過ごしてるわけだし、可能性としては十分あるんじゃない?」
「恐らくな。……まだせいぜい二か月やそこらしか経験していないんだ、私達が知らない事なぞ、幾らでもあるだろうさ」
「そうだね。どんどん色んな事を知っていかないと、次また同じような事が起きるかもしれないし」
「うむ」
この世界に転生して、性別が変わってしまって早二か月近く。随分この身体に慣れたとはいえ、未知の部分も多い。調べなければならない事は山積みだ。
知る事とはつまり力だ。と御剣はよく語る。
「……ともあれ、戦利品を回収するぞ。山吹、カンテラで辺りを照らしてくれ」
「うん、わかった」
今回冒険者ギルドから受けた依頼のような単純なモンスターハントでは、そのモンスターの身体の特定部位やドロップアイテムが討伐証替わりとなる。
今で言えば、スケルトンは骨片でゴーストは幽体の塵がそれに該当する。
アイテム作成の素材等にも使えなくもないそれらだが、私達にとっては今更欲しがる程の物でもない為、手に入った物は全てギルドに納品する。
「……こっちのほうがよさそうか? いや、それよりもこっちか?」
御剣はしゃがみこみ、辺りに散らばる骨片の中から比較的ましな形状を残した骨片を探る。私はその作業がスムーズに進むよう、カンテラで先を照らす。
その最中、私は先ほどの戦闘の前に一瞬脳裏をよぎった奇妙な独白について思いを巡らせた。
「(……さっきのアレは一体何だったんだろう)」
私が考え、私が思案して、故に独白がある。その筈なのに、自分が考えもしなかった言葉が、勝手に脳内で滑り出て来たような、奇妙な違和感があった。
まるでそう考えるのが本当の私とでも言うような。
―――馬鹿馬鹿しい話だ。
"我思う故に我あり"だ。私の気持ち、考え、思いは私が決める物だ。それが私になる。
だって、私は▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆で▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆だから▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆である事は当然だ。▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆ではない以上▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆なんて考えは、▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆だからあまりに無益だ。―――だから、私は▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆で、▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆である事は、疑う余地も無い。
「――――――山吹、もう少し右を照らしてくれ、見えづらい」
「……ん。おっけ」
御剣に言われる通りカンテラを動かす。
いやはや。それにしても一時はどうなる事かと思われたが、この分ならこの先もなんとかなりそうだ。
まだほんの僅かに恐怖心が残っているが、いい機会だ。この機に乗じて恐怖を乗り越えられるように訓練しよう。
かつて日本で培った恐怖耐性が万全に働かないと知った今と前では、今後の展望も異なるというもの。
御剣と共に訓練を重ね、対モンスター、対人においてそれなりの立ち回りが出来るようになった私だが、幽霊系モンスターが怖くて動けません、ではせっかく耐え抜いた地獄のような訓練もその成果を生かせずお話にもならない。
「(……よし、がんばるぞ、私!)」
なので、私は心中で意気込みも新たに気合を入れなおすのだった。




