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円卓の少女達  作者: 山梨明石
第二章・No.03
38/97

2-11

 それから長い長い時をかけて―――とはいかなかった。

 私たちは思った以上に速く森から脱出することに成功したのである。

 ……もっともそれは変態(ユニコーン)どもの主観からの話であって、私の主観ではまるで拷問のような長い時間の末の事だった。


「真に名残惜しいが、ここでそなたとは一時の別れとなるな……」

「そうですか。私はちっとも名残惜しくありませんし、かなり清々しますけどね」


 無駄に渋いユニコーンの声が実に腹立たしい。

 森を抜けた先、崖から下界を見下ろせばそこには本来レッドアイゼンと共に降り立つ筈であった山間の街サクワがあった。

 後はなだらかな弧を描く坂を道なりに下りていけば街にたどり着くだろう。


「熱が……消えていく……処女の熱が……」

「申し訳ない、今ひとたびそなたの香りを臓腑に満ちるまで堪能させてほしい」

「頬ずり、してもよいか……? 処女に頬ずりすると、とても落ち着くのだ……」


 別れを惜しむユニコーン達が悲しげに言う。

 その子供のようなつぶらな瞳だけならまだ許せるのだが、発言内容が110番通報待ったなしレベルに気持ち悪いので本当に勘弁してほしい。


「はい、全員今ここで死んでくださるのであればその後にいくらでもどうぞ。まあ、出来ればの話ですが」

「ありがたう……なんと尊い……」


 涙を流したユニコーン達が私に頬を寄せてくる。質問したくせに答えを聞いていないあたりかなり性質が悪い。

 ぶるるる。と妙に荒い鼻息のユニコーンズが実に気持ち悪く怖気が走る。しかしこれで彼らとは今生の別れだと思えば、まぁ多少の狼藉も許せる―――。


「フンフン、この篭った体温で熟成されし乙女の香り、まさに至極の芳香!」

「左様!」


 ―――わけがなかろうに!


「……ぶち殺されたいのか」

「ふごっ!?」


 最早言葉遣いも荒々しい。

 さりげなく胸元に鼻を突っ込んできた不埒な変態白バカユニコーンに鉄槌を食らわせつつ、彼らのせいで乱れた着衣を整える。


「まったく油断も隙もありゃしない……む?」


 その時、薬師の白衣に何か見慣れない装飾物が付着している事に気がつく。

 見た目はクリーム色をした円錐状の、表面になだらかな螺旋を描く盛り上がりのある謎の物体だ。

 胸元の辺りについているそれは手で払っても取れないし、摘み上げても服から取れずにぴったりと張り付いていた。

 明らかにユニコーンの仕業であるに違いないので、胸倉ならぬ鼻倉を掴みつつ問いただす。


「これ、何ですか。勝手に人の服に変なモノつけないでくれませんか?」

「いた、痛い、痛い! だがそれがいい―――まて、待ってくれ鼻が潰れる真面目に答えるから止めてくれ!」

「とっとと答えろ」

「こ、これは我らがユニコーンの幼角である。それも生物として世に産まれ出でる前、母体の胎の内にて一番初めに生え替わった《原初の幼角》だ!」

「《原初の幼角》……?」


 《ユニコーンの角》ではなく《原初の幼角》とは。

 そのようなアイテムがあったという記憶は残念ながら私にはない。もしかしたらあったのかもしれないが、ゲーム内に存在する全てのアイテム名を網羅していたわけではないのでそれは確かめようが無い事だ。


「……ふむ」


 私の白衣にくっ付いたそれをよく観察してみると、確かに見た目はユニコーンどもの角と似ている。

 ただそのサイズはかなりミニチュアで、軽く力を込めれば簡単に折れてしまいそうなほど頼りない。

 他愛ない細工品のようにも見える。

 ……だが山吹緋色として持つ力が、この物体は何か只者では無いぞと訴えかけていた。


「で、それがどうしたって言うんですか?」

「それは我らが心を込めてそなたに渡す贈り物だ。それを我らの代わりだと思い、生涯肌身離さず、処女でいる間は常に身につけていて欲しい」

「切に望む」

「我らの愛を受け取って欲しい」

「至高の処女よ」

「ちなみに処女でなくなってしまったのならば、山の淵にでも捨てておいてくれ」


 なんだろう。何か理解を拒みたくなるような戯言を畜生四匹共が口から垂れ流していた。

 こいつら本当に神獣なんだろうか。


「…………」


 多分今の私はものすごい顔をしていたと思う。鏡が無くてよかった。


「―――分かりました。後でとんかちで粉々に砕いて、すり鉢で粉末状にしたらあなた方の尻穴にぶち込む座薬として仕上げてのし(・・)つけて返しますね」


 出来る限りの殺意と毒を込めて営業スマイルを浮かべて答える。


「……なんと! しかと聞いたか友よ!? ヤマブキは将来我らの臀部に触れてくれると誓ってくれたのだぞ!? これほど喜ばしい事が他にあろうかいやない!」

「まさしく!」

「否がおうにもいきり立ってしまう!」


 しかしそれの何がよかったのか、畜生共が嘶いて興奮する。すごくきもちわるい。

 ……うん、わかった。あれだ。何を言ってもきっとこいつらは喜ぶんだな。そういう手合いはもう無視するしかないのだ。


「……もう行こ。付き合ってらんない」


 ゴーレム達に指示を飛ばして坂を下らせる。

 職員さんを乗せたゴーレムの肩に飛び乗ると、背後からユニコーン達の渋い声が聞こえてきた。


「また逢おう、ヤマブキよ! 《原初の幼角》ある限り、我らは永遠に別たれぬ絆で結ばれた! 最早これは婚姻と同義! 我らが花嫁として、健やかに処女のまま生涯を全うする事を望む!」

「然らば!」

「次回は丈の短いワンピースを所望する!」

「ルーズソックスも可である!」

「―――は? ちょ、ま、はぁっ!?」


 ちょ、ちょっと待て。何か信じられない聞き捨てなら無い発言があったのだが!

 驚愕のあまり振り返る。しかし。


「微妙にセンスが古っ―――って居ない!?」


 振り向いた先。森の出口にユニコーンどもの姿は既に無く、忽然と消えてしまっていた。

 残されたのは強引に言い渡された婚姻宣言と《原初の幼角》のみ。


「……何なの、あいつら」

「な、なんだったんでしょうねえ」


 一体彼奴らはなんだったのだろう。

 溜息をつくと疲れがどっと沸いてくるようだった。まるで交通事故に遭ってしまったかのような気分である。


「……もういい。今は何も考えたくない。さっさと街に行こう……」


 この際、森の妖精か何かに化かされたとでも思う事にしよう。その方が気が楽だ。

 詳細については後で調べるとして、今は先にすべきことが山積みだし。


「なんだよ婚姻って……頭おかしいんじゃないの……」


 それにしても、実に(頭が)不思議なモンスターだった。

 御剣あたりをけしかけて森から駆逐したいくらいだが、意思疎通が出来るモンスターはある意味貴重だ。

 あまりしたくはないが、今後円卓の議題に上げる事を頭の隅に置いておく。


 ―――それから私達はゴーレム達と共にサクワにたどり着き、住民達から驚愕されつつも歓迎を受けた。

 主に応対してきたのはアトルガム航空サクワ支店の職員たちだ。

 最初は不審そうだった彼らに事情を粗方説明するとその顔色を真っ青にして、こちらの気が悪くなるぐらいの高待遇で迎え入れてくれた。

 何せ安心安全を謳ってきたアトルガム航空至上稀に見る大事故である。彼らが非常に焦るのも無理のない話しであった。

 しかし事故の原因は彼らの不備ではなく、私に寄るものが大きい為彼らを殊更に責めるつもりは無かった。

 『教団』の事をぼかしつつ遠まわしにそう説明すると、彼らはほっと胸をなでおろしたのだった。

 ちなみに、追って私の家に傷害補償やらなんやらが届くとの事らしい。


 そして問題の『教団』の連中だが、彼らは街の警備兵に事情を説明した上で牢屋にぶち込んでもらい、逃走を防ぐ為に全員の足首を砕いておいた。

 残酷に思えるがこれが一番確実な方法である。

 街に常駐している程度の警備兵ではその強さも高が知れているし、彼らに任せていてはいつ逃げられるか分かったものではないからだ。

 だから懇切丁寧に、粉砕しておいた。

 その様子を見ていた警備兵たちはかなりドン引きしていたが、是非もない。

 一応簡単な治療ぐらいはしておいたので死ぬ事はないだろう。怨まれはするだろうが、私を殺しに来た以上こういう目に遭う覚悟ぐらいはしている筈なので、特に気にしない事にする。


 後に彼らは王都に護送され、そこで取調べを受けるだろう。

 その時の努力次第で、今後自由に歩けるようになるかどうかが決まる筈だ。

 何れにせよ、『聖女』とエミル・アークライト二十七世の署名が入った手形を見せた以上、彼らには泣く子も黙る鬼のような取調べが待っているに違いなかった。


 ―――そして最後に非常に腹立たしい事実として。

 畜生共が勝手に渡してきた《原初の幼角》は、ゴーレムに殴らせても砕けず。

 服にハサミを入れて周辺だけ切り取ろうとしても、謎の力が働いて服は切れず。

 どんな手段を講じても、私の薬師の白衣からは絶対に取れなかったのだった。

 お気に入りを穢しやがって、クソったれめ!


 ―――翌日、火曜日の事。

 アトルガム空港職員らの懇切丁寧な見送りと、レッドアイゼンの相棒だった職員からのお礼の言葉を受けて私はサクワを出立した。

 乗り物は飛竜だ。再び飛竜に乗るのは事故に遭った手前いい気はしなかったが、お詫びとして無料で乗せてくれるというものだからついつい乗ってしまったのである。


「ありがとうございます! 絶対に! 確実に! 安全に! 迅速にお客様をお届けいたしますので!」

「あー……そんなに気張らなくていいですからね。…………やっぱ私貧乏性なのかな?」


 最後だけ聞こえないように小さく呟く。

 普通の人間なら、飛行機事故に遭って奇跡的に生還したとしても、無料だからといってまた直ぐに飛行機に乗ろうとは思えない筈である。


「まぁでも、手持ちが少ないのは事実だし、うん」


 ただ、半年間片田舎で稼いできた金が一夜にして消え去ったので、ただ乗りの提案が非常にありがたかったというのもまた事実。

 つまるところ、命とお金とを天秤に置いたらお金の方が少しばかり上回っただけの話だった。


「それに、この様子なら事故に遭う事もないだろうし」


 眼前の職員を見る。

 新たな飛竜―――ブルーストラグルとかいった青いキャリアードラゴン―――の騎手は、血走った眼で辺りを執拗なまでに警戒していた。

 街を飛び立ってからずっとこの様子なので気疲れしないかが少し心配だが、彼の立場を思えば無理もない事だろう。


「……今度こそは平穏でありますように」


 ありふれた願いを‡ゆうすけ‡さんに祈る。

 その祈りは今度こそ通じたのか、王都にたどり着くまでに特に何の問題も無く、平穏にフライト出来たのだった。



「はぁー……やっと解放された」


 事前に伝書鳩で事情は通達済みだったのか、王都にたどり着いた私はアトルガム航空社長以下重役らからの丁重な謝罪を受けた。

 利用客に金持ちが多いだけに、彼らは会社の評判に対して人一倍敏感だ。

 故に私に悪評を流して欲しくない、という本音をオブラートに包みつつ謝罪と共に高額の慰謝料を手渡しに来たのだ。

 慰謝料と言っても、それは契約書で交わされた公的な慰謝料ではない。いわゆる袖の下、ワイロである。

 私としては一度謝ってもらえればそれで十分だし、彼らにゆすりたかりをするつもりも毛頭無かったが、金も無い事だしまぁ貰えるものは貰っておくというモッタイナイ精神でそれを受け取ったのだった。

 それから謝罪を兼ねた食事会だのなんだのと色々と足止めされた挙句、ようやく解放されたのが夜頃となってしまったのである。


「今からでも間に合うかなぁ……うーん……」


 王都を煌々と照らしていた街灯はその数をぽつぽつと減らしており、街中は酔客たちの為の暗く怪しげなムードに包まれている。

 胸ポケットの中に差し込まれていた紙片の内容をもう一度思い出す。


『王都。ヤマアラシ通りの【山盛り(やまさか)】。小兎の香草焼きを持ち帰りで三人分頼んで。ハーブはヨモギだけ』


 (キリ)が指定したその店は案内板によると、割と近いところにある。

 しかし時間が時間だ。こう夜も遅いと、営業しているのは大人向けの店か飲み屋ぐらいしかない。

 山盛りとやらが飲み屋かどうかは知らない為無駄足になるかもしれないが、ひとまず足を運ぶ事にする。


「まあ、駄目なら駄目で出直せばいいし」


 そう呟いて夜の王都を歩む事十数分。

 絡みに来た酔客たちを軽くいなしつつ現場に向かうと、よくある平屋建ての店である山盛りはまだ窓から明かりが射していた。

 店の中から響く楽しそうな笑い声は、店の外に居ても良く聞こえるほど。どうやら相当に繁盛しているらしい。

 玄関の扉を開くと来客を告げるベルの音が鳴り、店の中を忙しなく動く店員達と、幾人かの客の視線が私に集まるのを感じた。

 見知らぬ大勢に注目されるのはあまり好きではない。足早にカウンター席へと進み、しかし席にはつかない。


「……お客さん、ご注文は?」


 カウンターの向かいに立つ、筋骨隆々とした逞しい体を持つ店主らしき男がぶっきらぼうに言った。

 花柄のエプロンがやけにミスマッチだが、そこはあえて問わずに用件だけ伝える。


「小兎の香草焼きを持ち帰りで三人分。ハーブはヨモギだけでお願いします」

「―――代金は先払いだ。出来上がりまで時間がかかるから、座って待ってな」

「わかりました」


 財布から代金を取り出してカウンターに置く。

 男はそれを受け取ると特に顔色を変える事も、意味深な反応もせずに淡々と調理場へ引っ込んでいった。

 言われた通りにカウンター席に腰掛けると、横からすっとグラスが差し出された。


「お冷です」

「ああ、どうもありがとうございます」


 冷たい水を置きに来た店員も同様に、他の客に接するような感じで極自然な態度だった。

 他の客の様子を見ても、不審な態度を取る人物は見受けられない。


「……ふぅ」


 霧が頭領を務める『首狩り(ヴォーパル)』との接触は基本こんな感じである。

 彼らはたとえ末端構成員であろうとも、そうなのだという気配を決して外部には漏らさない。

 自らが『首狩り(ヴォーパル)』であると周囲に知らしめるその時は、標的である対象を暗殺するその瞬間か、あるいは任務に失敗して死ぬ時だけだ。

 だから私には今この場にどれだけ『首狩り(ヴォーパル)』の構成員が居るのか、という判断は残念ながらつかない。

 スキルがどうとかの問題ではなく、どれだけ人を観察する術に長けているかでないと見分けるのは無理だろう。

 もっとも、私が暗殺対象に選ばれているのならばパッシブスキル《ホスティリティ・センス》で探知できる為、話は別だが。


「それにしても……」


 料理を待つ間ちらちらと辺りを見渡すと、どうにも華やかな印象が強い。


「たっぷり野菜のミネストローネお待たせいたしましたー!」

「スカッシュビール四本おまちーっ!」


 可愛らしい制服に身を包んだ女の子達が、元気一杯に働いている。

 その軽やかな足取りと景気の良い働きっぷりを見ていると、こちらまで意味も無く楽しい気分になってくるようだ。

 そんな女の子達を見ていると、店の奥から背の低めの女の子がお盆の上に山盛りになった串焼きを持って現れた。


「豚の串焼き三十本、お待たせいたしましたっ」


 その子の動きは非常に安定していてブレがない。

 まるで武芸者の歩みのようで思わず感心する。ウェイトレスをやっていると体幹が鍛えられるのだろうか?


「おうっ、ありがとな! みーちゃん!」


 料理を受け取った荒くれのような男達が大声で礼を言う。その手が女の子の臀部に伸びた。


「どういたしまして。でもオイタは駄目ですよっ?」

「あ痛っ!」


 しかし目にも止まらぬ素早い手払いで男の手は弾かれる。


「へへへ、みーちゃんは無理だろ。お前諦めが悪ぃなぁ」

「いや、俺はあの子の尻を撫でるまではここに通い続けるぜ」


 なんともまぁ大した助平根性だ。ある意味見習いたいレベルである。

 私にとって彼らのような人達の世界は遠い国の話だ。

 こういう店で働く自分、というイメージが全く想像出来ないし。男たちのようにセクハラをする自分、というイメージも全く想像出来ない。

 でも、もしかしたらそういう機会もあるのかもしれない。

 暇なので想像してみる。私があのみーちゃんとやらと同じ立場になったとしたらどうだろう。


「………………」


 尻に触れてきた手を手首から切り落とした挙句、脳天にクロスボウを突きつける姿が浮かんだ。

 一体どこの鬼人だお前はと言わんばかりである。しかしそれが私なのだから仕方がない。

 ただ……もう少しこう、なんというか、黄色い感じの悲鳴をあげるような、可愛らしさがあってもいいのではないかと、思ったりなんだり、うん。


「……いやいやいやいやいや」


 頭を振る。

 落ち着け。私は元男だろう。そこで可愛さを追求して何とする。

 ……いや確かに? 私は美少女だし? 可愛くあろうとしてもいるけれど? だからと言って完全に男を捨てたというわけでは―――。


「お待ちどう。熱いから気をつけて持って帰れよ」

「―――ああ、ありがとうございます」


 どうやらいつの間にか料理が出来上がっていたらしい。

 薄布の被せられたバスケットを受け取ると、そこからは焼けた肉と脂の良い匂いが立ち昇っていた。

 夕食は済ませているのだが、思わず小腹が空いてしまいそうになる。

 用事も済んだ事だし席を立ち店を後にしようとするが、男が待ったをかけた。


「おっと。一応中身は確認していけよ? 家に帰って確認してみたら別の料理だった、なんて苦情は受け付けないからな」 


 男の言い分も尤もなので言うとおりに薄布を剥いで中身を確認する。

 中には皿の上にのった沢山の兎の肉と、散されたヨモギの葉があった。

 その中心部には一枚の小さなメモもろとも突き刺さったピンが立っており、メモには『店の裏手』とだけ書かれていた。


「たしかに注文どおりです。実においしそうですね」


 営業スマイルで答えると、男はニカッと笑みを浮かべた。


「ああ、うちの自慢の品だからな。またの注文を待ってるぜ」

「機会があれば、是非とも」


 そうして、今度こそ店を後にする。

 それからバスケットを持ったまま、十分程当ても無くあちこちをさ迷い歩いた。

 万が一後を付けている何者かが居た場合に追ってを撒く為だ。

 分かりづらい路地や小道をこそこそと歩き回り、めぐり巡って再び山盛りの前まで戻ってくる。

 そして人目につかないタイミングで店の裏手に回りこむ。

 するとそこには当然と言うべきか―――先客が居た。


「初めまして、お客様」


 闇夜の中。制服の裾を摘んだカーテシーと呼ばれる丁寧な挨拶の元、彼女は名乗った。


「本日貴女様の案内役を勤めさせていただきます、『三番』ことみーちゃんでございます。どうぞお気軽に、みーちゃんとお呼び下さい」


 先ほど店内で働いていた背の低い女の子、みーちゃんがそこに居た。

 なるほど。あの身のこなしはウェイトレス業だけで培ったわけではない、という事らしい。


「……これはどうもご丁寧に。私の名前は山吹緋色です、山吹、と呼んで下されば結構です」

「では山吹様と。早速ですが、ご案内させていただきますね?」


 花の咲くような笑顔と共に、みーちゃんが右手を差し出す。


「ええ、よろしくお願いします」


 その右手と握手を交わしつつ、私も営業スマイルを浮かべる。

 笑顔が実に素敵でいいと思うが、ここで決して気を許してはならない。

 普通の少女のように見えるが、彼女ももしかしたら暗殺大好きキ印軍団『首狩り(ヴォーパル)』の一員なのかもしれないのだ。


「ふふふん、ふふん」


 握手を終えると、みーちゃんは鼻唄混じりに店の裏手にあった木箱を動かし始めた。

 木箱があったその下には一見ではそれと分からないような、地面の石畳に見えるように細工された扉があった。

 みーちゃんは躊躇無くそれを開き、道端においてあったカンテラを持ち火を灯して地下に降りて行く。

 彼女の背に続き同じように降りて行くと、私の頭が完全に地中に隠れてしまうくらいのタイミングで音も無く頭上の扉は閉められて、その上に木箱を動かしたのであろう何かを引きずる音が聞こえて来た。

 つまり、もうこれで後には戻れなくなったわけだ。


「山吹様。足元に気をつけてくださいね、転びやすいですから」

「それはお気遣いどうも」


 じめじめとした湿気に、暗く狭い空間が実に不気味である。

 それにしても、こんな女の子が案内役だとは。

 人は見かけによらないのだなぁと思いつつ、私は黙って彼女の後を歩み続けた。


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