毒の生贄を捧げよ
『……話を戻すぞ』
アンソニーは何事も無かったかのような調子に戻る。
『我々も2021年初頭までは静観していたが、さすがに信者と資金が増え過ぎた……なので、その『聖母』について調査した』
『……で、その正体がアネモネだと?』
分かる。
いや、分からない。
だって、アネモネはいつだって一人で、ベッドに横たわっていて。
雪原で息を潜める兎のように感覚を研ぎ澄まして、大気に漂う人々の思念を受け止めて----。
(アネモネはただ受け止めるだけだった……受け止めるだけで、自分から誰かの考えを変えさせようとか、洗脳しようとか、そんな事は……)
でも、
それは私が知っていた頃のアネモネだ。
年月は人を変える。
魔女だって、何百年も生きていれば----変わってしまうのだろうか?
(でも、アネモネはどうしてそんなトゥーレの操り人形のような真似を?)
助けて、と彼女は私にそう言った。
デジタルの世界から、危険を冒してまでこの法王庁の地下に舞い戻って来たのだ。
『ミレニアムは、今祭壇にいる聖母がオリジナルからコピーにすり変わっている事は把握してるの?』
『時間の問題だろうが、今のところは何の動きもないようだ』
本題は、ここからだ。
『貴方達法王と庭園局が刈りたいのは、白い聖母? それともそれに従う憐れな子羊達?』
『両方だ』
法王が即答する。
『お前の働き次第では、刈るのはオリジナルではなくコピーのみになるが』
『それって取引?』
バチカンという国は絶対君主制だ。
よって議会は存在しない。
司教会議という世界各地の上位聖職者がカトリック教会の指針について協議する場はあるが、それもあくまでも形式的なものだ。
法王の一言で、バチカンは動く。
法王の剣が、鞘から引き抜かれる。
『ふん、思い上がるな魔女よ……これは取引などではなく命令だ』
あまりにも予想と違わぬ答えに、私は思わず笑ってしまった。
アンソニーは、今頃は幾つもある秘密通路を使って自室に戻っているのだろうか。
私はまだ、メリッサを抱えて中庭に立ったままだ。
秘匿回線だけが私達を繋げている。
この小さな国で、法王と私は今、二人きりで対峙しているのだ。
法王と、その剣として----。
『で、オリジナルの容態は大丈夫なの?』
『安定してる』
それならいい。
『作戦の開始は?』
『現時刻をもって、だ』
一呼吸置いて、白衣の男達がパラパラと私の前に現れる。
もちろん、『庭師』達も総出でその背後に控えている。
『お前とメリッサはラボまで行き、偽装IDでミレニアムにアクセスしてもらう』
『あの、終わったらちゃんと戻って来られるのよね……?』
戻るも何も、まずアクセスとやらが無事にできるのかが分からないのだが、その辺はラボで上手くやってくれるのだろう。
いや、やってくれないと困るのだが----。
『……全てはお前次第だ』
それっぽい返しだけど、さてはオメー技術的な面はラボに丸投げだな。
『それでは本作戦名をお伝えします』
いきなりカーラβと念話が繋がった。
法王様は秘匿回線を切ってさっさと表の顔に戻ったのだろう。
もうすぐ夜明けが来る。
だけど、私達ストライガは今から出撃する。
『本作戦名は、毒の生贄を捧げよ作戦です……!』
『むしろ伏せておいてくれた方が良かったやつ!』
真っ白なラボ行きの輸送車に乗せられながら、私はうっすらと白みかけた空を見上げた。
メリッサは、まだ寝ている----。




