73 それぞれの帰る場所
戻って来たアルフレドは、氷をロゼリオにぶら下げて持って帰ってきた。美雨はとても驚いたが、これだけあれば明日の朝も昼も、出発の寸前も作ってやれるだろう。と言ったアルフレドの言葉に笑った。
皆で夕食を取り、その夜のうちに念のためにロゼリオだけ先に山を越えることにした。早く越えられたのならば待っていてもらうことになるが、空で三人で待つよりもそちらのほうが確実だ。
『だいじょうぶ。おいしい木の実を見つけたから、それを食べてる』
初日、もっと早く来れたらしいが彼はたくさん寄り道をしてからやってきたらしい。そんなロゼリオに気を付けてと送り出して最後の夜を迎えることとなった。美雨はあれから倒れたりもすることなく普段通り過ごしていた。
それに、卵の殻は自分で割ろうとしなければ割れることはないほど強固なものだと、大輝に聞いた。割った本人がそう言うのだから間違いないだろう。しかし、油断は禁物だとアルフレドは胸に留め置いておくことにする。
夜、割り当てられた部屋での干し草の上で、二人は身を寄せ合って横になっていた。
「結局、お母さんの大好きな景色は見れなかったね」
「そうだな。居れる時間が短いのだから仕方ない。また来た時にチャンスはあるかもしれないぞ」
「ふふ、連れてきてくれるの?」
「家族サービスもせねばな」
大真面目な様子で頷くアルフレド。魔獣ではこの山を越えることはできないし、何より遠すぎる。ここに来ることは難しいのはよく分かっているが、そういってくれる気持ちが嬉しい。美雨は彼の体のほうへと向きを変え、深い菫色の瞳を覗き込んだ。
「春には、アルフのご家族にもやっと会えるね」
「ああ。引き合わせるのが遅くなってしまってすまない」
「ううん。お父さんとお兄さんたちの仕事の都合だもん」
彼の家族には結局会えることができなかった。彼の実家は二人の家より遥か西方の辺境に位置する、国境を治める領主なのだという。領主とは言っても、儲かっている商人のほうがよほど豊かな暮らしをしているそうで、彼は兄たちのお下がりを着て、兄弟たちとお菓子の取り合いをしながら大きくなったのだという。
その兄たちも父の手伝いをしており、秋は冬への備えで忙しくて出てこれず、こちらから出向かうにも雪深い季節になる為、春の結婚式の前に会おうということになっていたのだ。
美雨は挨拶からしたかったが、あちらの申し出ということ、女神が鐘を鳴らせば何人たりともその二人を引き裂くことはできないし、何より喜んでくれている。ということだったので、春まで待つことになったのだ。
「ふふ、どんな人たちかな。楽しみ」
「ああ、なかなか強烈な面々だが…まあ、ミュウならすぐに気に入られると思う」
「そうだといいんだけど…なんか緊張しちゃうね」
「大丈夫。母が一番気に入りそうだから、強力なライバルになりそうだな…」
言いながらアルフレドはぎゅっと美雨を抱きしめる。柔らかい、小さな体は腕の中にすっぽりと納まって心地良い。あちらの世界で小さな姿の時に、美雨が優しく両手で包み込んでくれた時も居心地が良かったが、こちらのほうが断然良いなと思う。
色々出かけて疲れたのだろう。自身の腕を枕に、健やかな寝息を立て始めた美雨の前髪をそっと撫でてやる。随分と髪が伸びた。出会った時は茶色でふわふわとしていた髪の毛は、今は漆黒の絹糸のよう。毛先はまだふわふわと遊んではいるが、段々と彼女本来の真っ直ぐな髪質に戻りつつある。しばらく美雨の髪を弄んでいたが、一房を手に取ってそっと口づけた。
「おやすみ、ミュウ。いい夢を」
***
翌日の昼過ぎ、出発の準備をする三人を見ながら、のんびりとレモネードを飲んでいた竜王は驚きの一言を放ったのだった。
「私も、一緒に行こう」
美雨はぽかんと口を開き、アルフレドは荷物をボトリ、と落とし…大輝は溜息を吐いた。
その様子を見て、何か勘違いがあったことを竜王は悟り、慌てて手を振った。
「違う違う。ええと、私はまだ、世界を巡らねばならないから」
「ああ、お母さんを探しているんだっけ」
「そう。約束したからな。必ず見つけ出すと。またその旅に出ようと思う」
旅の途中に、また寄ってもいいかと問われ、美雨は笑って頷いた。嫌なはずがない。
「いいけど、竜の姿で入ってくんなよな。まだあの教団は潰しきってないんだから」
「ああ。本当に、あちらこちらに散らばって蠢く虫ケラどもが」
いつもは穏やかな緑の瞳が剣呑に細められると、竜の時の大輝の瞳に似ている。いや、大輝が彼に似ているのか。血は争えないものだ。
やれやれと、アルフレドが荷物を拾い上げてドアを開き、滝のある一番広い部屋へと出て行ったがすぐに戻ってきた。珍しく満面の笑みを浮かべている。
「ミュウ! 虹が出ている!」
「え! うそ、さっきは出ていなかったよ」
「太陽が傾いてきたのだろう。ほら、急げ」
荷物を放り投げてきたのだろう。彼の手には何も握られてはいなかった。代わりに美雨の手を掴み、急いで滝のほうへと連れて行く。
「わあ…! 本当だ。本当に、綺麗…」
いつも通り、すごい勢いで流れ落ちる滝。そのしぶきの間に小さな虹がかかっていた。美雨の母の、世界中で一番好きな景色だ。掴まれたままのアルフレドの手に自分の手を重ねぎゅっと握りしめる。
「私は、ここで生まれて…気が付いたら帰って来たんだね」
強く強く呼んでいてくれていた声は、父や竜たち、そしてそれを代表した世界そのものだったのかもしれない。でも、それには気付かず、美雨が選んだのは二番目に強く輝く光。アルフレドだった。小さな彼を拾ったその日から、少しずつこの世界へと近づいていたのだと思うと不思議な気持ちだった。
「ああ。そして、今度はこの世界で共に生きよう。オレと、みんなで」
アルフレドの言葉に美雨が頷く。振り返ると、虹を見に来たのだろう。父と弟が扉をくぐっている所だった。
美雨は戻る、愛する人と暮らす居場所へと。
大輝も戻る、彼の大切な少年王の元へと。
そして、竜王はまた空を飛び、山を越え、海を越え、世界の隅々を探すのだ。彼の大切な人を。
あ、告白忘れてました。次でします。
次話、終幕と再生。




