56 一夜で王城を落とした竜王のおはなし
キリが悪いので連続投稿しておきます。明日の朝は更新しません。
長くて、重い話になります。残酷な表現も出てくるので苦手な方は注意してください。
美雨から渡されたキンキンに冷えたレモネードを受け取ると、竜王は礼を言って口を付けて少し微笑んだ。
「人間の娘。これは、昔から作っているものか?」
「うん。そうだよ。私の母がよく作ってくれてね、はちみつが溶けきらないで浮いているのがポイント」
竜王は、そうかと呟き、じっとレモネードのグラスを見つめていた。
「お話、辛かったら続けなくてもいいんだよ? 竜王さん、大丈夫?」
美雨の気遣う声に竜王は首を横に振った。
「全て、お前に聞いてほしい。聞いてくれるか?」
否などあるはずもない。夜はまだまだ長いのだから。
美雨の肯定を受け取り、竜王はまたゆっくりと語り始めた。
***
竜王となった白銀の竜と彼女が暮らす巣は滝の内側にあった。
常に流れる水は、時々減ったり増えたりする。
天気が良い日は虹を見せてくれたりもして、まるで雨の中にいるみたいと彼女は喜んだものだった。
人間が竜族の子どもを宿したのは前代未聞だった。他の竜たちはとても心配し、毎日のように彼らの巣に訪れた。現竜王である前に家族である白銀の竜が選んだ相手だ。そして、物怖じせずハキハキとしゃべる彼女は竜たちにもすっかり人気者となっていたのだ。
通常の妊娠と同じように月は進んだ。つわりが収まり、安定期に入り、彼女が胎動を確認した。どうやら卵ではなく、人間と同じように生まれてくるらしい。
人間のお産について無知だった竜たちは慌てた。里を出たことのない竜が何匹も外界へ出て知識を仕入れてきた。また、ある者は人間の赤子用の産着だったり、おくるみだったりを仕入れてきたりした。
竜たちのあまりの変わり様に白銀の竜は彼女と共に笑った。
最初に生まれた子どもは女児だった。彼女の見た目を受け継ぎ、黒髪黒目。見た目は完璧に人間だったが、女児を見た仲間たちは大喜びをした。
「かわいい! かわいい卵が産まれた!」
彼女は驚いた。どこからどう見ても人間の姿をしているのに卵と竜たちは大騒ぎをしている。
しかし、人型になって赤子を恐る恐る抱っこする様子は卵に対するものではない。明らかに赤子に対するもので混乱した。
「ねえ、卵ってどういうこと?」
彼女は幸せそうに微笑んでいる夫に尋ねた。夫は不思議そうな表情をしたが、すぐに言いたいことを察したらしい。
「あの子は、見た目は人間の姿だが、竜としては卵の殻をかぶっている。魔力はあるけど、使えない。おそらく寿命だって人間と同じだろう」
人間の彼女から生まれたのだ。母体に負担を掛けない様にしたのか、あるいはそういう生き物なのかは誰にも分からなかった。
「いつかは、卵が割れて竜になってしまうの?」
どこからどう見ても人間の赤子なのに、翼が生えたり牙が生えたり、素敵な尻尾が生えたりするのだろうか。彼女の疑問は最もなところだった。
「どうかな。卵の殻は割れるかもしれないし、割れないかもしれない。あの子の生きたい様に生きれば良いのではないかな」
白銀の竜らしい言葉に彼女は苦笑いを浮かべた。前例のないことなのだから仕方ない。願わくば、人間である彼女が生きているうちに成長した姿を見てみたいなと思った。
「貴方の子どもをたくさん産みたい。どれか一つは、卵が割れるといいね」
「何故だ?」
「だって、私はあなたより先に死んでしまうから。子どもが生きていたら寂しくないでしょう」
そんなことを言うなと白銀の竜王が涙を浮かべると、彼女は優しく彼を撫でて。
「私の生まれた世界には輪廻転生という言葉があるんだよ。私が死んでも、きっと見つけだしてね」
白銀の竜王は、涙でぐしょぐしょになった顔で頷いて約束をしたのだ。彼女がどんなに違う姿をしていても、自分のことを忘れてしまっていても必ず探し出すと。
無事に出産を終えた後に、彼女は二人目の子どもを授かった。先に生まれた女児も、問題なく人間のペースで成長しているように思える。
竜たちはまた大騒ぎをして喜んだ。お腹に新しい子どものいる彼女に無理をさせてはいけないと、まだ一歳を過ぎたばかりの赤子の世話を率先して皆がやりたがった。
赤子は愛想よく、人見知りもしなかった。抱きかかえられれば笑顔をふりまき、試しに竜の姿を見せてやれば大喜びでウロコを引っ張り、角を口に入れようとした。ヨダレまみれになっても全然構わない竜たちに彼女は少し呆れ気味だった。
確かに、竜はあまり子が生まれない種族ではある。だが、あまりにもひどすぎではないだろうか。世間一般のプライドが高く、怒りを買えば殺されても文句は言えない。そんな畏敬の存在が赤子のよだれまみれになって喜んでいるなんて。
そんなことを思いながらも彼女も竜たちを愛していたので、何も言わなかった。
穏やかな日々はこれからも続いていく。里の誰もが皆そう思っていたのだ。
二人目の赤子は男児だった。竜たちは『また卵が産まれた! 今度は前の卵よりずっと大きな卵だね!』と大喜びをしてくれた。
無事に二度目の大仕事を終えた彼女に、白銀の竜はありがとうと礼を言って労わってくれた。
男児が生まれて、一週間後の赤新月の夜だった。竜の谷で現れるはずのない魔物が大量に現れたのは。
夫である白銀の竜は一番最初に飛び、魔物たちを倒しに行った。長であり、この島で一番力がつよい竜なのだから当然だ。
戦い慣れない竜たちは散り散りになり、彼女はぐっすりと眠っている二人の我が子を抱きしめて竜王の巣、滝の裏側でじっと身を潜めていた。近くには仲の良い雌竜が居てくれた。
滝の向こうに、複数の影が見えた。最初、彼女は夫が帰ってきたのかと思ったがすぐに顔をこわばらせた。
現れたのは、魔獣に騎乗した人間だった。ギラついた瞳で敷き詰められた柔らかな干し草をひっくり返していく。
「探せ! 白銀の竜は竜王となり、人と子を成したという。きっといるはずだ!」
彼女と雌竜の血の気が引いた。
人間たちが狙っているのは竜の心臓や牙、角ではない。この生まれたばかりの幼子たちを狙っているのだ。
このままでは、時間の問題だ。雌竜が彼女に目で合図した。彼女は危ないから、やめてと言おうとしたが、その前に彼女は飛び出し、人間に襲い掛かった。不意を突かれた彼らの陣形が崩れたので、急いで奥に広がる居住スペースのさらに奥に隠されている、険しい崖にある抜け道の方へ足を伸ばしたが、産後と赤子の世話で思いの外体力が落ちていた。足を滑らせ…彼女の姿はそのまま掻き消えてしまった。
魔物をあらかた片づけ、急いで戻った白銀の竜王が見た棲家は凄惨な状態だった。動かぬ人間と魔獣がいくつかと、荒らされた様子。そして攻撃を受けてボロボロになった雌竜が狂ったように泣き叫んでいる姿だけだった。
竜王の愛する彼女とその卵たちは失われてしまった。
動かぬ人間の独特な服装を見て、白銀の竜王はすぐに理解した。
彼女と旅をしていた時に妙な教団を抱えている国があった。人間は悪だ。竜を至高とし、人間を減らすために闇を注入し、魔物を人工的に作る。誇り高く気高くあれば、自分たちはいつか竜になれる。
そんな愚かな人間たち。あんなに数が少なかったのに、こんなことができるようにまで力が膨れ上がってしまっていたのか。何故、あの時に根絶やしにしなかったのかと、白銀の竜王は雄叫びを上げて巣を後にした。
彼の本来の速度ではありえない速さで飛んだ。教団にすっかり取り込まれてしまった王城へと降り立つと愚かな教主が感激にうち震えながら現れた。
彼の言う言葉は覚えていない。
ただ、妻と子どもらを返せとだけ告げたが、知らぬと言われ逆上した。
気が付くと、王城は彼の吐息で凍り付いており、目の前の教祖も氷の中に居た。
ここを探しても無意味だったのだと白銀の竜王は悟り、その爪を一閃させ、氷漬けの城を真っ二つに割り、立ち去ったのだ。
彼の嘆きの深さは、彼にしかわかりません。
次話、現在に戻ります。




