第九十四話 ~「かの者」~
<天文七年(1538年)九月 甲斐国 躑躅ヶ崎館 武田晴信 私室>
「若」
甘利が呼んだ。
「何だ?」
「佐渡守殿が、出羽国の統治を着々と進めておいでですな」
「うむ。流石じゃな」
分かりきったこと。
かの者は、到底佐渡国のみで収まる器ではない。瞬く間に出羽国南部の大宝寺家を倒し、宇佐美駿河守定満を抑えとして置き、縦横無尽に差配させていると聞く。出羽国東部の最上家、中部の由利衆、小野寺家、戸沢家などでは相手にもならぬだろう。土崎湊を有する安東家が辛うじて対抗できるだろうか。だが、長くとも再来年までじゃろう。
「気になる北条家の氏綱は、今川家領地の駿河国東部を侵食しております」
「今川の義元殿も大変よな。兄の玄広恵探殿を誅し駿河遠江(現在の静岡県付近)を統一したものの、西に松平、東に北条、そして北に我等じゃ」
「故に、若の姉君於豊様を娶られ、我等と血続きとなり申した」
「今年生まれた龍王丸(後の今川氏真)は儂の甥にあたる、か」
血縁と同盟が組まれたことで、我等は南に攻め入ることは出来なくなった。故に北の諏訪家、海野家、西の小笠原家、東の北条家がねらいじゃ。海が欲しい。狙うなら小田原か。
「…… あれは、いつに為さいますか?」
「…… 焦るな」
父からの儂への罵倒は度を増して酷くなってきておる。年の頃もあり「癇癪が止まらぬ病」との噂もある。潮目は見えている。
「佐渡守殿は、儂を信頼してくれておる」
「若っ!!」
「遅くとも、再来年。早ければ来年」
「おおっ!」
盟約を守らねば、「その程度の男か」と、かの者に笑われる。それだけは避けねばならぬ。
忠言のおかげで、今では三条(晴信の妻。三条の方)とも睦まじく過ごせておる。突っ慳貪な女と思うておったが、見方を変えれば愛い奴よ。口喧嘩などは絶えぬが、「雨降って地固まる」とはこのことじゃ。
「子が生まれる兆しもある。男であれば嫡男、儂の後を継ぐ跡取りじゃ」
「憂いはありませぬな」
若虎でも虎は虎。悟られぬよう、少しずつ忍び寄る。音もなく忍び寄るのは得意じゃ。今は吠えておれ、老虎よ。
「武田菱」を大きくするのは、儂しかおらぬ!!
隙を見せたその時が、我が牙が襲う時ぞ!
<天文七年(1538年)十二月 陸奥国 桑折西山城 城主私室>
「気に入らぬな」
「…… 仰る通りで御座います!」
(従四位下伊達左京大夫稙宗様。齢五十を迎えてなお盛ん。今年も二人御子が生まれた。男子と女子。養子へ出し、嫁に出し、陸奥国や出羽国を縦横無尽に支配されておる御方。)
稙宗を崇拝する小梁川宗朝は、白髪頭を米搗飛蝗のように頷き諂った。
小梁川家は伊達家一門。宗朝自身も伊達家第11代当主伊達持宗の孫にあたる。
「羽茂本間佐渡守照詮。儂の十男ほどの小童でありながら、佐渡から足を延ばし出羽国まで出張りおって…… 出羽も陸奥も、儂の息のかかった者以外許しはせぬ! 大崎家や最上家のようにな!」
「誠に! けしからぬ者で御座います!」
「目をかけてやろうと、『五女を嫁に充てがってやろう』と使いを出せば、『本妻はいるし、側室は長尾からもらう』だと!? 抜かしよるわ!」
「かの者の増長、目に余ります!」
「婿となり見込みがあれば、領地を切り分けてやることすら造作もないものを。相馬の顕胤などはよい婿じゃ。奴には我が伊達家の領地を割譲することにするぞ!」
「も、もちろんで御座います!」
(……儂は知っておる。
確かに、相馬の坊主は身の丈六尺(180cm)余りと大柄で、見目麗しく弁が立つ。だが、中身はすっからかんじゃ。そんな者に家臣へ相談もなく伊達の領地を切り分けたことを、家中の皆から反発されておることを。
特に御嫡男の晴宗様は強硬派じゃ。「ご当主は耄碌された。隠居を!」と公言して憚らぬ……
だが! 稙宗様のお考えは絶対! 従わぬことなどあり得ぬ!)
「安東家、南部家、葛西家、蘆名家に声をかけておけ! かの者を包囲し、殲滅するとな!!」
「ははっ!!」
躍進する羽茂本間家を心好く思わぬ者が、暗躍を始めていた……
<天文八年(1539年)三月 山城国 京都 御所 ???>
「お上。こんな噂を聞き及んでおられますかな?」
「ほほ、なんでごじゃろう?」
「『菊』の紋を継ぐ龍の子が、北の海で暴れておる』ということを」
(公務の最中、正二位三条西公条が問いかけてきた。相変わらず迂遠な喩えを使う者じゃ)
「知っておるも何も。尊忠兄の甥の『佐渡守』の事でおじゃろう? 言うなれば麿の義弟でおじゃる」
「何と!? 順徳院(佐渡に流された順徳天皇)御血筋の、岩倉宮の!?」
「ま、誠であらしゃいますか!?」
ざわつく御所。
(武家の台頭により、御所や公家は有体に言えば「役立たず」扱い。即位の金すらままならぬ有様。じゃが……)
「『出羽国の統治を認めて欲しい』と懇願してきた故に、一筆力添えしたまでのこと」
「おぉ!」
「さすがはお上であらしゃいます!!」
「『前途洋々』の言の葉がぴたりと当てはまりますなあ」
「是非に京へ招き入れ、我等の守護を!」
(尊忠兄からは「そっとしてくれ」と言われておるが。そうはいかぬな。)
(……将棋の「飛車」と見込んでおる者。それがかの者じゃ。
「醉象」では、ない。「醉象」が成って「太子」と為れば、盤に「王」が二つになる。どちらも取られなければ「負け」にはならぬ・・・ それは避けねば……
……いや、それは寧ろ「有り」か……?
「小将棋」から「醉象」の駒を廃して今の「将棋」の形を作ったと言われる帝。古来より引き継がれる伝統を継ぐか、変えるか……?)
「…… 公達への忠義が篤い者でな。度々に特産品やら金子やらを付け届けをしてくれておる」
「孝心の篤い者。大いに結構ですな」
公家達の話は続く。
「御幾つで御座らっしゃいますか?」
「まだ九つと聞いておるぞ」
「ほほっ! 『白檀は若葉より芳し』と申しますが、かの者は特に出色の者でごじゃりまするな!」
(かの者は、乱れた日ノ本を救う為の、決め手と為り得る者か?
だが、違うその時は……)
青鳩色の袍を纏った帝は、雅な扇子をぱちりと閉じた。
<天文八年(1539年)六月 上野国 箕輪城 郊外>
「山内上杉家。 ……もたぬか」
男は、立ち尽くしていた。
「上州の黄班(虎)」と呼ばれ、知勇兼備の将として名高い長野業正。年の頃は四十八。史実では武田信玄の猛攻を六度も退けた名将中の名将。脂の乗りきった武将である。
だが、主君である山内上杉家は、長尾為景率いる越後軍の精強さに押され、遂には上野国のほとんどを占拠されてしまっていた。
先月、主君山内上杉家当主関東管領上杉憲政が命欲しさに結んだ和平の条件は「上野国の中央部から北の割譲」。ここ箕輪城をも明け渡さねばならなくなった。
(何という愚策。この城を枕にすれば、まだまだ持ちこたえられるものを……
箕輪城を奪われ、領地は召し上げられた。
長尾家からは誘いの言葉をもらった。だが、従う気はさらさらなかった。腹を切ることも考えた。この年から他所へ仕官するなど武士の恥じゃ、「武運が尽きたなら潔く討ち死にせよ」が我が家の家訓じゃ。)
ゆるゆると死出の準備をしようとしていた所へ、当代随一と呼ばれる剣豪が近寄ってきた。
「業正殿。いかがなされるかな」
……上泉信綱。
「陰流」「神道流」「念流」の剣術を修め、戦場での無類の強さは各地に伝わっていた。「剣を振るえば十人が倒れ、槍を振るえば百人が斃れる」とまで謳われる本物の「剣聖」である。軍学にも精通した戦国乱世の「武」を体現するような男だった。
「…… そう言う信綱殿こそ、どうされますかな?」
「はは、某は領地なぞ重荷と思っておった所。どこぞで剣術の道場を開き、剣の道のみに生きることを考えておりました」
「なるほど。信綱殿が師範となれば、門弟は各地から集まりましょう」
武術の強さのみではなく、教えることも神懸っていた信綱。稽古の厳しさは他の追随を許さなかったが、剣で相手を傷つけぬよう「袋竹刀」という刀を開発し、門弟の技量向上に努めていた。
「…… 業正殿。まさか、腹でも切るおつもりか?」
「…… はは。まさか」
そう言った業正。だが、心の底を見透かされていた。
(己の心は完全に折れた。しかし、一族郎党はまだ五十名ほども残っている。ここで死を選んでしまっては、幼い我が子や皆にも同じことを強いることになる。)
剣豪は、ふっと笑った後、
「よい仕官先を知っております。一緒に行きませぬか?」
そう言って空を見上げた。
しかし、業正は大きく頭を振った。
「長尾は断り申した。武田は信虎からの侵攻に悩まされた故に候補にも入らぬ。新進気鋭の北条も敵同士だった故にあり得ぬ。他は小さい所ばかり、よい仕官先など・・・」
「…… 佐渡がありますぞ」
「!? 佐渡か!?」
(羽茂本間照詮。
かの者は瞬く間に佐渡を統一。出羽国南部を併合。今は出羽国北部の安東家を攻略中と聞く、齢は十ほどと聞くが極めて鋭才。家柄や見た目、身分にとらわれず人の能を用いて国を富ましていると聞く。噂によれば「皇族の血を引く」とも。民にも優しいが、一度でも逆らえば老若男女問わずに地獄の鬼と化すと聞く。)
「なるほど。よい仕官先だ」
そう言った後、上野の虎は虚し気に俯いた。
「だが、伝手がない。縁のある者もおらぬ。それに、儂なぞ知っておるはずもなかろう、門前払いされるだけじゃ」
「ですかな?」
剣聖は意味あり気に再び笑った。そして、小高い丘を指さした。
何気なく指さす方角を見る。
(……人影?)
「迎えが来ておりますぞ」
「何?」
「羽茂本間佐渡守照詮殿、ご本人が」
「なっっ!?!?!?」
(馬鹿なっ!?
出羽国侵攻中だったはずではないかっ!?)
「我等を召し抱えに、出羽国侵攻を中断してまでに」
「…… なんと……」
絶句した長野業正。
風は春から夏に変わろうとしていた。
一年ほどの時間の経過を、オムニバス形式で伝えております。
御奈良天皇は、「小将棋」(今の将棋の形から王の上に「醉象」があり、取った駒は使えないルール)から「醉象」を取り除き、取った駒を使えるようにして、現在藤井壮太七段の活躍に沸く将棋の原型を作った、とされております。
「白檀は若葉より芳し」は「栴檀は双葉より芳し」とも言われ、「香り高い白檀は、若葉や双葉の頃よりいい香りがする」が転じて、「大成する人は幼い頃から優れていることのたとえ」です。
でも、実際は若葉の頃はいい匂いがしないとかゲフンゲフン。
長野業正、上泉信綱は、ゲームではお馴染みの超優秀武将です。
在野武将になると聞いたら、戦争をほっぽり出してでも召し抱えたいはずです。
上泉信綱は「かみいずみ」とも「こういずみ」とも呼ばれております。岩明均先生の短編「剣の舞」で敵を撹拌する「かみいずみ」も印象深いのですが、筆者の思う所は太閤〇志伝の「転」を振るう鬼のような剣豪の呼び名なので、「こういずみ」と記述させていただきます。
次回から新章に入ります(*'ω'*)




