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佐渡ヶ島から始まる戦国乱世  作者: たらい舟
幕間「四」

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第九十二話 ~西方見聞録「序」~

幕間「西方見聞録」


時は少し遡ります。

<1537年3月16日 佐渡国 小木港>



御殿(おんとの)、羽茂本間対馬守(つしまのかみ)照詮様の命により、佐渡国小木港からぽるとがる国りすぼんまでの道のりの中で見聞きしたことを、羽茂本間家教学奉行長谷川海太郎(うみたろう)が嫡男、長谷川海之進(うみのしん)が記す。


日出ずる(あずま)()日本より、遥か西方にあると言われる「よーろっぱ」の国々のことを書き示すものなり。


故にこれを「西方見聞録(せいほうけんぶんろく)」と名付ける】



「1537年」というものは「西暦」と呼ばれるものらしい。聞けば「きりすと?と呼ばれる者が生まれた年から数えての年」と、ポルトガル国のレイリッタから知らされた。きりすとは、よーろっぱの人々からすれば、釈迦のような存在らしい。「西暦」は広く西方の国々で用いられているようなので、こちらを元に年月を記す。




<1537年3月22日 博多沖>



船揺れが激しい。

同行する羽茂本間家家老椎名則秋(しいなのりあき)が嫡男、椎名照秋(てるあき)は慣れぬ船の旅で、胃の中の物を全部吐き出してしまった。某自身もかなりの船酔いだ。

ポルトガル人や随行する柏崎水軍の海賊達には鼻で笑われてしまった。彼らに言わせれば、まるで揺れていないらしい。


船乗りの初歩の初歩だが、引き続き教わることにしたい。

これから数か月間は船の旅が続くかと思うと、気が滅入(めい)る。




<1537年4月6日 明国 澳門(まかお)



始めての異国の地に降り立った。

澳門は、明王朝と海外の出入り口である港だ。四方を海に囲まれた、山葡萄の房のような形をしている。


レイリッタによれば、明がポルトガル人にこの港を開いたのは1513年辺りらしい。印度(いんど)や香料諸島の物がここに集まり、明国全土に運ばれる。さらに、明国からの絹や陶磁器、水墨画などが輸出される。故に、見たこともないくらいの人や物であふれかえっている。直江津の港の賑やかさには度肝を抜かれたが、ここはそれを上回る規模だ。


ここで佐渡の特産品である「干し海鼠(なまこ)」と「干し(あわび)」を、レイリッタと新人が商家に持ち込んだ。店主は胡散(うさん)臭そうに対応したが、まず物を見て驚き、次に恐る恐る一(かじ)りすると飛び上がらんほどに驚いた。そこからはとんとん拍子に最大手の商家まで連れていかれ、途方もないくらいのもてなしを受けた。どうやら、持ち込んだ品はここ澳門では非常に貴重な品だったようだ。


次の日、柏崎水軍の新人達は、硝石、生糸、銅銭、仏教の経典などを新たに譲ってもらった二艘の船に乗りきらないくらいに乗せて佐渡へ帰っていった。「必ずまた来てほしい」と念を押され、密貿易だが定期的な継続の手続きまで済ませたようだ。

某が乗ったレイリッタ達の船「すれいぷにいる号」にも、空いた船倉に明の産物を載せ、さらに水夫を雇い入れてまらっか、その先にある印度を目指して出発した。




<1537年 4月25日 馬六甲(まらっか)海峡>




暑い。


まだ春の暦というのに、真夏並に暑い。灼熱の日差しが厳しい。

理由を聞けば「そういう所だ」ということだった。太陽が真上から通っていると聞いた。まだまだ分からないことが多すぎる。


昨日寄った「まらっか」の港は、1511年からポルトガル国が抑えているそうだ。港から印度へ抜ける先は、地図によれば極めて細い海峡となっているらしい。その為海賊が数多(あまた)いるらしく、見張りを含め船員全員が極めて厳重に警戒態勢に入った。緊張した若い(と言っても某とそれほど変わらぬ年)の船員が、鰐を海賊の小舟と間違えて向けて大砲を撃ったほどだった。

大砲を撃った船員はマレー人で、「ウスマーン」という名らしい。程なく、某と知己となった。


ここからさらに東へ二十日ほど行けば、「香料諸島」と呼ばれる香料を産出する「あんぼいな」「てるなーて」などの港がある地域らしい。だが、今は日本からの産物の方が貴重ということで、寄りはしなかった。


幸いなことに、海賊の襲撃には遭わなかった。だが、すれ違う船はどれも重武装をしていた。危険な海域であることは間違いなさそうだ。



<1537年 6月1日 インド ゴア>



レイリッタはゴアに着くなり涙を流して喜んだ。どうやらゴアはインドにおけるポルトガル人の母港と言える所のようだ。泣き崩れるレイリッタの姿を見るや、近くにいた同族らしき人々が集まってきた。商人仲間といった所か。


皆は、レイリッタの話を聞き、某と照秋の姿を見るや、目を丸くして驚いた。

その後、彼女に向けて万来の拍手が巻き起こった! 

彼女等が日本との交易の道筋を拓いたことは、想像を絶するほどに価値のあることのようだ!


それからは、某のこと、日本のこと、佐渡の産物のことなど、矢継ぎ早に質問された。船上でのやり取りのおかげでポルトガル語はだいぶ上達していたが、あまりに早口過ぎて聞き取るのがやっとだった。皆の目は、奇異の目と言うよりは、純粋な好奇心といったような感じを受けた。特に小太り気味の男には小木の港の位置をしつこいくらいに詳しく聞かれた。やけに日本に詳しかったことが印象的だった。


レイリッタからの日本の交易話を聞き、「折りを見て小木の港を目指したい!」と言う商人も数名見られた。だが、多くの者は「余りにも危険」ということで二の足を踏んでいた。命あっての物種だ。中には眉唾物と感じている者もいそうだ。

意見は割れたが、中心人物らしき商人が「インド商人団としては、国王からの正式な許可を得てからにしよう」と、話をまとめていた。


ゴアは「紅玉(るびい)」という宝石や「耶悉茗(じゃすみん)」という花から採れる香料、「貝紫(かいむらさき)」という貝から採れる貴重な紫色の染料などを産出する一大交易港のようだ。レイリッタは、特にその「貝紫」の交易に長けていて、日本へ向かう財を為したらしい。


「大砲」と呼ばれる炎を吹き出す筒も、ここで多く作られているようだ。火薬の材料の硝石も、明国よりも安価に大量に手に入るらしい。



<1537年 6月20日 インド洋>



穏やかな波。順風。何事もなく、平穏。




<1537年 7月8日 インド洋>



悲しいことが起きた。


船上で原因不明の熱病?か奇病?が流行して、死者が幾人も出たのだ。

初めに倒れたのは、陽気な老船員だった。前日までは皆と共に話していたほどなのに、今朝には冷たくなっていた。信じられなかった。それからはばたばたと人が倒れ、仲良くなっていたマレー人の船員ウスマーンも、死んだ。まだ十六だった。


普段だらしない様相のロブロイが、この時ばかりは神妙な面持ちをして、何事か祈りの言葉を捧げていた。多分、念仏か経のようなものなのだろう。宗教家だったようだ。


だが、皆はあっけらかんとしている。

「俺達から言わせてもらえば、海の上で死ねるなら本望だ」

ということらしい。


船乗りたちは歌を歌い、らむ酒という酒を飲み、亡くなった者達の亡骸にかけ、その後海へと沈めてた。


佐渡から運んできた「あんぽ柿」を食べているせいか、某の体に病魔は入ってこなかった。

某は、できれば日本の土に還りたいものだ。




<1537年 8月4日 喜望峰>



「あふりか」という途方もなく大きな陸地の南の港に着いた。


ここ喜望峰は、「ばるとろめう・であす」という者が1488年にヨーロッパ人として初めて到達したらしい。

ヨーロッパとインドを繋ぐ地点らしく、東からの香辛料、あふりかの金、西からのワインや砂糖など、交易話の花が咲いている。とても栄えた港だ。白い人、黒い人が入り混じっているが、皆和やかに暮らしているように見える。


これまでは南西に進んできたが、ここからは北西に進むらしい。




<1537年 9月11日 カーボヴェルデ沖>



狂ったような凄まじい嵐に見舞われた!

嵐荒れ狂う場所とは聞いていたが、これ程までとは!!


帆は吹き飛び船体は(きし)み雨風で一寸先も見通すことができない! 無数の大波が鯨のように船へとぶつかる音が聞こえる! 

八百万(やおよろず)の神よ! 摩利支天(まりしてん)よ! 助けたまえ!! 船をお護りくだされ!!

「第五十三話 ~世界への扉~」から、ポルトガルに向かった長谷川海之進、椎名照秋の道中の手記を書き記します。故に、「佐渡守」ではなく「対馬守」という表記になっています。


ポルトガル行きの船団は、佐渡~中国~マラッカ海峡~インド~喜望峰~西アフリカと進みました。

目的のリスボンまではあと少しなのですが。



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― 新着の感想 ―
[一言] あの病対策教えてなかったのか…… まあ佐渡にはないからしょうもないと言えばそうなのだが
[一言] 西方見聞録、この二人がどんな物語を綴るか見物です。
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