第八十八話 ~尾浦城~
<天文七年(1538年)三月 出羽国 田川郡 尾浦城 郊外>
風が東から西へ強く吹いている。
敗走する大宝寺軍を追って俺達の軍は尾浦城まで十町(一kmほど)の距離まで進軍していた。殿軍の土佐林軍必死の抵抗で大宝寺晴時の首を獲るまであと一歩及ばずといった所だったが大勝利と言っていい。
大宝寺軍の主力は、主城の尾浦城に逃げ込んでいる。
自然の地形を生かした堅い山城だ。相当に骨が折れるだろうな。普通に戦えば。
城に逃げ込んだ兵の数はおよそ三百名と聞くが、大宝寺が城へ逃げ込む道中の村は悲惨な有様だった。
俺達が攻めてくるということで、「敵に獲られるくらいなら自分達で獲ってしまえ」とばかりに略奪されていた。焼かれた家、斬殺された死骸、滅茶苦茶にされた田畑。だいぶ戦国のやり方に慣れては来たが、凄惨な村の様子に俺は「南無大師遍照金剛」と経を唱えずにはいられなかった。向こうから言わせれば「本間の小僧が攻めてきたから」と言うのだろうが、自国領民を斬殺するのに躊躇いなしとは恐れ入る。
「日も暮れて参りました。尾浦城を攻めるにしても明日になりますな」
勘助が空の様子を見上げて俺に話しかけてきた、春に入りだいぶ日は長くなったとは言え日が落ちるのは早い、鴉も鳴いている、今日はここまでか。
「夜営か」
「ですな」
一km離れたこの地なら夜襲は来ぬであろう。だが窮鼠猫を噛むのたとえ話もある。篝火を絶やさぬように燃やし、見張りを立て、用心を怠らぬようにする必要がある。
今日は新月。闇は深い。アレを試すために白狼達忍者に活躍してもらおう。
「そう言えば、示し合わせた砂越軍、清水軍が来ておらぬな」
不審に思った俺は宇佐美定満に問いかけた。
「日和見でしょうな。我が軍が大宝寺を蹂躙したと聞き、明日は慌ててこちらへ顔を出すはずでござろう」
「蝙蝠のようなものだな」
呆れた俺に定満は厳しい顔をした。
「戦国の習い故、致し方ないことかと。ですが、一喝なさいませ」
「ほほう?」
「非をお示しになり、逆らわぬようにすることも肝要かと」
「なるほどな」
理路整然と話せば伝わることもあろう。やっていることは893と変わらんが。
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翌朝。
敵方の夜襲はなかった。
だが、夜陰に紛れて尾浦城から各地へ馬が走ったようだ。北の安東氏か、東の伊達稙宗か。それとも酒田湊か。ぼやぼやしていると城攻めしてガラ空きの背中を討たれるやもしれん。早急にカタを付けるか。
朝の支度をしていると、
「佐渡守様! 砂越氏の砂越氏維、出羽清水氏の清水義高、寒河江広種が参陣の挨拶に来ております!」
本庄秀綱が報告してきた。大名とは言うには力が足りぬが、地に名の聞こえた領主達だ。今後の出羽国統治のため、ここは強く出ておこう。
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・・・これが羽茂本間佐渡守照詮・・・
目に炎を滾らせたような鋭い眼光。将軍家と天皇家と長尾家の家紋が入った「三紋の御旗」を掲げ、国主にしか許されぬ「毛氈鞍覆」を事無さげに飾り立てておる。陣幕には気色ばんだ豪壮な家臣達。味方しに来たのだからよもや討たれるようなことはないと思うが、物々しい出迎えじゃ。
いくつかの支城を束ねる寒河江城主寒河江広種は身震いした。幼い身形に騙されてはいかん。まるで鬼か邪じゃ。
「砂越氏維、清水義高、寒河江広種・・・ 参陣が遅くないか?」
氷のように冷たい言葉だった。どこから声を出した?
「も、申し訳ありませぬ! 大宝寺の手の者が・・・」
「嘘偽りは要らぬ。真実のみを聞きたい」
清水殿の言葉を一蹴した。何たる者か。これは建前だけでは立ち行かぬ。
「・・・有体に申し上げます。寒河江の家中で意見が割れ申した。『本当に佐渡守様に従ってよいか』『出羽の者でない者を信じてよいか』と疑う者が複数おりました。ですが! 某は家中の戸惑いの声を佐渡守様の『軍神』のごとき強さを伝えることによって説き伏せ、ようやく兵をまとめてここに参った所存に御座います」
頭を垂れる。この者は違う。幼くは見えるがほぼ全てを見通しておる。儂にはそう見える。
「寒河江広種・・・ 環俗して家を継いだと聞いた。元が僧だけに言葉が上手い、だが偽りはないようだな」
「・・・色々とご存知のようで」
ただの勢いだけの小僧ではないようだ。
「味方になる者がどんな者であるか調べておかねばならん。 ・・・最上家を憎んでおることもな」
「!! まさしく!」
それを知っておるなら話は早い!
「我が寒河江家にとって最上家は蛇蝎のような存在! 事あるごとに対立して参りました! 伊達家の侵攻の際に力を貸したこともありましたが、恩を仇で返すような輩! 最上家に与する大宝寺家を斃すことができるならばと喜んで参陣仕った所存に御座ります!」
儂の声に砂越氏維殿も声を合わせる。
「某もでござる! 砂越家と大宝寺家は庄内平野で骨肉の争いをしております! 晴時の命日が近いと思うと心躍っております!」
「・・・だが、遅いッ!!」
ビクッ
佐渡守殿が怒気を露わにした!
「敵がいるなら倒そうとして当然! だが、見誤るなッ! 何が正で何が偽か見極める目を持ち謀を為せ! そして機を見て一気呵成に行動せよ! 迷っておっては機を逃す! お主らにはそれが足らぬ!」
「・・・ッ 誠に!」
「申し訳ござりませぬっ!!」
「恥じ入るばかりでございますッ!」
何たることだ。こんな年端もゆかぬ子どもに悟らされるとは。
確かに我等の決断は鈍かった。目が曇っておった。これでは確かに危うい。
「遅かった。だが遅すぎはしなかった。お主らの決断、『間に合った』ということにしよう。庄内の未来を決める此度の城攻め。奮闘を期待しておる!」
「「「はっっ!!」」」
これは格が違うわ。
広種は瞬く間に佐渡を平定した眼前の人物の聡明さに舌を巻いた。
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<天文七年(1538年)三月 出羽国 田川郡 尾浦城>
尾浦城。
東西に長い独立丘陵の上に曲輪を連ね、長軸が40mほどの本丸。西に70mほどの二の丸。本丸の南には切り立った出丸。攻め入るには二の丸の西方からしか入れないために、側面を向けながらの行軍になる。力攻めではかなりの被害が出るだろう。なるほど堅固な城だ。
「定満。この城、普通に戦えば何日かかるか?」
「そうですな。ざっと半年はかかりましょうな」
勘助も頷いた。軍略方見習いの赤塚直宗は一言も逃すまいと必死にメモしている。
「切り立った南出丸が厄介です。矢や岩など多数用意してあることでしょう、あそこを落とさぬ限り二の丸、主郭には辿り着けますまい」
「そして、攻めようにも高所であるから梯子も届かぬ、か」
「左様ですな。『土竜攻め』をしようにもこう厚く大きな出丸を落とすには数か月かかりましょう」
勘助は坑道を掘って城の一部を倒壊させる土竜攻めも考えにあるのか、流石は縄張り上手だ、ステータスに城攻め◎と付けておきたい。
「樹木も生茂り天然の鎧のような働きをしております。かと言って東は険しい崖、北は大池、唯一の攻め処は西ですが道は細く大きく迂回せねばなりませぬ」
「なるほどな」
本城の大宝寺城を落とされて移転してきただけあって、堅い城だ。
「で、ではいかがいたしましょう!? 攻めあぐねていては安東家や伊達家が援軍に来るやもしれませぬ!」
慌てた様子の直宗、確かに攻めている途中に敵の援軍が到着したら挟撃されて危険すぎる。
「大丈夫だ、夜陰に紛れて備えをしてきた。白狼!」
俺は自慢の忍びの名を呼んだ。
すると、傍に控えていた忍びの白狼はヘヘッっと笑って答えた。
「持ってきた瓶の中身、全てぶちまけてきました。盛大にいけますぜ」
「中甕十本、全てか!?」
「へっ、その倍でも余裕でしたぜ。印の白紐も結わえてありやす」
「頼もしいな、次からも頼む」
白狼が言うのだ。ぬかりはなかろう。準備は万端だ。
「一日で落とす。一日だ! 皆の者! 奮起せよ!」
「「応っ!!」」
「尾浦城」に関しては、「秋田の中世を歩く」様のサイトを参照させていただきました。
http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/turuoka/oura.html
実際に行くことはなかなかできないので、資料があるのはありがたいです。
史実では天正十五年(1587年)の「十五里ヶ原の戦い」において大宝寺軍と最上軍が戦った末に落城したようです。
週2本上げられるように頑張ります(*´ω`)!




