第七十二話 ~三顧の礼~
<越後国 頸城郡 直江津郊外 屋敷>
寒風舞う直江津郊外。
山林の中に、その屋敷はぽつんと建てられていた。
粗末とは言えぬが、豪奢とも言えぬ。入口には松の木が一本だけ、寂し気に佇んでいた。
「ここか…… 」
「はっ」
俺の問いに、案内役となった本庄実乃の忘れ形見、本庄秀綱が答えた。
この屋敷の中に、俺が望んだ男、宇佐美定満がいる。約束の三顧の礼を尽くす時がやってきた。まさか断りはせんだろう。
春日山城から出るときには林泉寺に立ち寄り、虎千代様(恐らく後の上杉謙信)と話をしてきた。「綾姫と婚儀を交わした」と伝えると「それでは儂の義兄ではないか!」と驚き半分、喜び半分といった感じだった。年下の兄となるが、その辺は許してもらおうか。「城郭落としを!」とせがまれたが、「用事がある」と言って断ってきた。宇佐美定満を配下に加えられるのだ。一日でも早い方がいい。
天室光育和尚には、簡素ながらも礼を尽くしてきた。「お布施をさせて頂きます」と言ったら「十年早い!」と怒られた。なら十年後払いにくるとしよう。でもまあ、佐渡統一については喜んでくれた。
「駿河守様、本庄秀綱で御座います。おられますか?」
「……」
戸口から声をかける秀綱。しかし、返事はない。
横山三国志なら、寝ていて戸口で数時間待たされるやつだ。三度目だからちょうどいいな。
だが、理由は寝ていたからではなかった。
「誰にも会いとうない。下がられよ」
どうやら、定満は鬱状態のようだ。気落ちして、まともな受け答えができるか危うい。
それもそうか。
三分一原の戦において主家の上条側にて参戦したが、家中の者と共に景家の格好の的にされた。死兵となって柿崎軍に被害を与えたが、定満以外の者は数名を残してほぼ死に絶えたと聞いた。気を失いながらも家臣に支えられて、命からがら上条城まで運ばれたが、着の身着のまま為景側に引き渡された。長年に渡って仕えてきた主君から、手ひどい離別状を突き付けられたのだ。「生きている意味は何だったのだ?」と呆然自失となっても致し方ない。
定満は不犯を貫いており、妻も子もいない。鬱々としたまま、一人この屋敷で過ごしていたか。どれ、俺が励ましてやるとするか。
「俺が来た、としてもか? 焙烙頭巾よ」
「…… 小僧か?」
「ああ、俺だ」
「…… 合わせる顔がない。お主の欲しがっておった宇佐美定満は死んだ。ここにいるのは何も持たぬ、抜け殻の夢破れた年寄りじゃ」
これは相当重症だ。
だが「頑張れ」と励ますことはできん。鬱の者に「頑張れ」は、「死ね」と言っているようなものだ。少しずつ、氷を溶かすが如くいくべきか。
「まあ、しばし俺の話し相手になってはくれぬか?」
「…… 何の妙案も出せぬぞ。儂には何もできん」
半ハゲ頭をいじって励ましたいが、そこをグッと我慢した。
「じゃあ、俺の独り言を聞いてくれ」
俺は定満がいるであろう部屋の外にある縁側に腰かけると、ゆっくりと独り言を始めた。
「俺は…… この戦国の世を変えたい」
「……」
常々思っていることだ。転生して一年ほど経った今でもそう思う。いや、日を増すごとにその思いは強くなっている。
「この世は狂っている。人を殺して当たり前。人の命を何とも思わん世界だ」
「……」
「弱者への恫喝、強者の横暴が許されておる。血の尊さ、身分の高さで優劣が決まる、そんな世に嫌気がさしておる。そのような世の不公平、世の不条理、それらを無くす。・・・いや、全てを無くすことはできんじゃろう。だが、少しでもそれらのない世界に作り変えたい。そう思っておる」
「……」
「じゃが、道は果てしなく険しい。人の手も足りん。途方に暮れておる訳よ」
死を待つ廃人のように部屋に横たわっていた宇佐美定満。無言を貫いていたものの、耳と心は羽茂本間照詮の言葉の一言一言を吟味していた。まるで懺悔を聞く神父のように。しばらく黙って聞いていた宇佐美定満。しかし、暗い部屋の中でおもむろにゆるゆると身を起こすと、木戸に向かって正座し口を開いた。
「…… 不思議な御方ですな、照詮様は」
「そうか?」
「ですな。初めて会うた時から、修羅か仏かと感じ申した。まるで、この世ではない世を知っているかのような御方です」
……気づかれたか? 俺が転生者であることを。
いや、それはなかろう。転生などという驚天動地な事が起こるはずもない。不思議な子どもと見るのが関の山のはずだ。それに、本当に思っていたのだとしたら、口外はしないだろう。
「ふふ、まさかな。だが、そうかもしれぬぞ?」
「はは、戯言です。……そうですな。儂も独り言を言いたくなり申した」
「ほう? なら俺は黙るとするか」
面白い話を聞けそうだ。
寂し気な一本松を見ながら縁側で待っていると、スーッと背後から古びた木戸が開く気配を感じた。
俺は振り返り、暗い部屋の中を見た。
するとそこには、酷くやつれた壮年の男が正座していた。俺の望む男、宇佐美定満だ。厚みのあった体を薄くし、光を久方ぶりに見た為か目を細めているものの、背筋をしゃんと伸ばし、思慮深さを感じる深く鋭い瞳で俺を真直ぐに見つめている。
「世を変える方法。それは、大きく分けて三つある」
「ほう」
右手の人差し指をピンと立てて、宇佐美定満は語り出した。
「一つは、釈迦のように悟りを開くこと。かの御仁の御思想は数百年の時を超え、今も世に大きな影響を及ぼしておいでです。これはこの先の何百年、何千年も同じことでしょう」
「その通りだな。世の考え方を変えるには、実に的確な方法だ。しかし俺のような不信心者には及びもつかんな」
次は中指も立てた。まるでピースサインだ。ピース=平和、だった、な。これも一つの方法っちゃ方法ではあるが。いや、方法というよりも目指すべき到着点と言うべきか……
「二つは、南宋にいたと言われる朱熹のように、九つにして論語を読破し、朱子学のような思想の祖となり、書を認め、政を司ること」
「天才政治家か。しかし、世が定まっておらんし、不勉強な俺には到底無理だな」
最後は薬指も立てた。三つ目だ。
「三つは、秦の始皇帝のように、武をもって国を治めること」
「なるほどな」
これが結局のところ、一番の近道か。
「しかし、『目的』と『手段』を取り違えてはならぬ。『天下統一』が目的であっては意味を為さぬ。目的が『世を変えること』で、その手段として天下統一があるのであれば事は成りましょう。逆であれば道半ばにして斃れましょう」
「ほう? 『力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制である』と聞いたことがあるな。それに似ているかもしれん」
パスカルだったかな?
「世の解放を望む者であれば、確かな信念に加えて、『力』が必要。微風が吹こうとも、大嵐が来ようとも、僅かに揺らぎもしないような、大きな力が」
「そうだな。非力は罪だ」
俺は力無き農民だった。だが、金塊を使って力を手にした。力を手にすることで、願いを果たした。願いを果たすためには、力を付けねばならん。だが、俺の大望を叶えるための力は、佐渡一国では足りな過ぎる。どうやって付けていけばよいか……
「思い出し申した。諸葛孔明は『三顧の礼』において『天下三分の計』を劉玄徳に説いたと言われております。ならば儂から照詮殿にも同様に、『天下三分の計』を説かせていただきます」
「おお!?」
次話にて方針を決めます。
R6.8.30 加筆修正しました。




