第六十七話 ~「分断して統治せよ」~
<佐渡国 羽茂郡 羽茂城 評定の間>
「この度の多大なるご支援、感謝いたす」
荒法師のように猛々しい姿をした国仲平野一揆の主導者、上山田村の善兵衛が俺の前で頭を垂れた。同じく上山田村の助左衛門、村山村の神職宮岡豊後、畑野村の四郎左衛門も頭を垂れた。
「十数年に渡る雑太本間の圧政から国仲平野の民を救い出していただき、我ら言葉もありませぬ」
「いや、感謝には及ばぬ。我らはほんの少しだけ後押しをしたのみ。悪政を敷いた領主を倒せたのは、そなたらの努力が実を結んだ為ぞ」
俺は一か月以上前から、国仲平野で一揆を起こした民達(一向宗も含めた)の活動を影で支援してきた。目的は勿論、雑太本間を倒すためだ。
武力をもって雑太本間氏を倒すのは、実際はそれほど大きな問題ではなかったろう。兵数も武装力も羽茂本間軍が圧倒していた。力押しすればどうということはなかった。しかし、少なからず被害は出たろうし、一番の問題はその後に待つ、未だにくすぶり続ける国仲平野一揆勢とのタフな交渉だ。ならば、最初から手を組んだ方がいい。
刀や槍などの武器、糧秣、時としては兵を派遣した武力、さらに城攻めではデミ・カルバリン砲。レジスタンスを支援するようなものだ。水を得た魚のように、一揆勢は勢いを増した。あとは後ろをついていけばいいだけだ。
「・・・感謝致す。我ら国仲の民は、羽茂本間照詮様に従いまする」
「嬉しいな。こちらこそよろしく頼む」
俺は、一揆勢の代表者の4名を羽茂本間の居城羽茂城に招き入れていた。本来ならばここで終わりだ。だが、会談の場を相手の所ではなく、自分の本拠地に設けたのはそれなりの理由がある。
「落ち着かぬ所であろうが、早速だがお主らに頼みがある。雑太本間は倒したが、お主らの村の者達にも少なからず痛ましい被害や心の傷を負った者がおろう。悲しい想いをした同じ場所で田畑を耕すことに、心を痛める者もおろう」
「確かに」
俺は身を乗り出して提案する。
「そこでじゃ。我ら羽茂郡では西三川や赤泊など、田畑仕事や漁、製塩などをする者が不足しておる土地がある。世話は十分にしよう。今の土地を離れ、新天地で働く者を募って欲しいのじゃ。多ければ多いほどいい。目標は村の半数ほどじゃ」
「なるほど・・・」
『分割して統治せよ』だ。
同じ民族などを南北や東西に分けて国家を維持させれば、統治者の都合のいいように治められる効果が期待できる。現代でもいくつかあった。片方を優遇するなどして互いに反目させ合うことで、連帯を禁じさせ、反乱などを抑制する手法だ。俺は、どうしても今回の国仲の民を分割しなくてはいけない理由があった。その為、自分の膝元の羽茂城でこの会談の場を設けた。自分のホームでコトをすれば、それだけ有利になる。ホームアドバンテージってやつだ。サッカーで本拠地での勝率がいいのと似たような論理だ。ホームで戦えばそれだけ強くなる。
「・・・我らの新たな反乱を、恐れておいでですかな?」
「・・・はは、まさか。善意でござるよ」
善兵衛と目が合う。視線は互いに一切そらさない。
大体、領主を武力で殺した集団を、そのままにしておく方がおかしい。今はいい。数年は俺の統治を喜んで受け入れてくれよう。だが、五年後は? 十年後は? 民衆の圧倒的支持を受けて政権を担った者が、翌年には殺されていた、なんてのもよく聞く話だ。明日は我が身だ。分散させることが望ましい。
善兵衛達は互いに顔を合わせ、頷きあった。そしてもう一度俺の顔を見た。
「・・・お話次第ですな」
「何も? 特に羽茂郡と変わらぬぞ? 年貢は四公六民。普請役(土木作業の労働)、陣夫役(兵役)への手伝いは希望する者のみ。参加する者には手当を出そう。学舎を建て、子らに読み書きを教えよう。無償じゃ。さらに、不作や病などで年貢が払えぬ者には、税を減免する措置を講じよう」
驚きの表情を見せた四名の指導者。
「・・・何とも好条件ですな」
「まだあるぞ。信教は自由じゃ。一向宗だろうが真言宗だろうが、異国の神を祀ろうが、法を守れるのであればな。ただ、無理強いする者は許さん。さらに、国替えをする者には、支度金として『二百文』を授けよう。住まいも手配するぞ?」
「!!? 何と!?」
笑顔で伝えた。これが普通だ。だが、次のことだけは言わねばならぬ。たとえ一千の民を串刺しにしようとも。
「・・・だが、これだけは言わせていただく。知っての通り、我らの統治する村には『責任』を伴わせていただいておる。年貢を誤魔化した者、法を犯した者は強く罰する。一揆を起こした者、いや、一揆を起こそうとした者は、例外なく晒し首に処す。これは絶対じゃ。」
怯えなくてもいいぞ。俺は既に一つの村を壊滅させている。一つも二つも一緒だ。例外は認めない。
ゴクリ
唾を飲み込む四名。評定の間にいる羽茂本間の家臣達も誰一人として発言しようとしない。
夏の終わり、蝉の声だけが評定の間に無頓着に響く。
「・・・苛烈ですな。文句を言えば死罪とは。それでは従えぬ者もでるかもしれませぬ」
畑野村の四郎左衛門は、声を振り絞った。
「考え違いをしてもらっては困るな。これ以上の待遇は、日本広しと言えども例を見ないはずじゃ。それでも従えぬと言うのであれば、佐渡を離れてもらおう。渡し賃は出すぞ? ・・・でなければ、首と胴を離させてもらうことになる。二つに一つじゃ」
何でも言いなりにはならん。これを受け入れられぬ民ならば、根切りをすることに躊躇いはない。
「・・・意見することも許されぬと申すか?」
助左衛門は掠れるような声で質問した。そうだな、それは考慮しよう。
「中には私腹を肥やす奉行や、悪代官が出るやもしれん。そこで『目安箱』を設けよう。誰でも文を書けば領主に届くという箱じゃ。全てに目を通そう。そして、不正があれば断じよう。それでどうじゃ?」
再び、四名と向かい合う。
最大限の譲歩はした。さぁ、どう出る?
しばらくした後、決意したように善兵衛は目を見開いた。
「・・・一つだけ、よろしゅうございますか?」
「何なりと?」
「・・・土地替えする者への支度金を、『二百文から百文』へと下げて頂きたい」
「何故じゃ?」
ニッと善兵衛は笑った。隙間だらけの歯が見える。
「二百文では、国仲平野から人が一人もいなくなりますでな!」
「フッ・・・ははっ! それは困るのう!!」
ハッハハ!
場が賑やかな笑いに包まれる。どうやら合意形成といったようだ。
そうだな、新しい民と古い民、半々くらいに分かれるのが理想的だ。直江津から入ってきた者をどんどんと国仲平野の田畑に入れよう。
「しばらくは、様子見のため、代官を配置しよう。そうじゃな、三年としようか。村での揉め事のまとめ役じゃ。三年問題がなければ、村ごとに村長を選ばせよう」
「承知いたしました」
四名は頭を下げた。
しばらくは大きな戦はない。ないと思いたい。赤泊で行っている漁を、真野の二見港や、東部の加茂郡の港、現代で言う両津港でも行わせよう。干鰯や魚油、蒲鉾などの製法も伝えよう。佐渡を実り豊かな土地へと発展させるために。
さて。話は終わりだな。
帰り支度を始めた義民の四名達。
「最後に一つだけ、問わせてもらえぬか?」
「ははっ。何なりと。」
「何、簡単な問いじゃ。お主らの一揆に、我ら以外に力を貸した者はおったか?」
途端に凍り付く評定の間。
「・・・さ、さぁ、分かりかねまする・・・」
「そうか。なら、村山村の宮岡豊後に同じ問いを尋ねようか」
俺は豊後を注視する。答え方によっては首と胴が離れる。
・・・誤魔化せないと観念したように、豊後は重い口を開いた。
「分かり申した。二つあり申した」
「教えてもらおうか?」
「・・・一つ目は、越中の瑞泉寺、土山御坊門徒で御座る」
「一向宗だな。もう一つは?」
「・・・長尾家に御座る」
そう、やはりな。
俺は晴れやかな笑顔で豊後に語り掛けた。
「よくぞ正直に言ってくれた。嬉しいぞ。安心せよ、罪には問わん」
今はな。
「今後は必ず、代官や奉行に伝えよ。目安箱で俺に直接伝えてもらって構わん。そうでなくては、他国からの援助を受けていた謀反の罪で、これじゃ」
俺は、使い古されたハンドサインを示す。
「! ・・・ははっ! 必ずや村中の者にお伝えいたします!」
そう言って四名は下がっていった。
なるほど、なるほど。
『分断して統治せよ』。俺だけではないではないか。
いや、『分断して、統治せず』か。何とも便利な策じゃないか。
今後の楽しみが増えたな。
佐渡の国仲平野を一望できる見晴らしのいい丘に、昭和十二年、島民の浄財によって「佐渡一国義民殿」が創建されました。大きく分けて四度あった、義民達の慰霊碑です。
今から二百年ほど前の江戸時代天保9年(1838)。うち続く不作と、奉行所の役人の悪政への怒りから、作中に出てきた善兵衛、助左衛門、豊後、四郎座衛門などが中心となり一揆を起こしました。「天保一国騒動」「天保の一揆」と呼ばれています。結果は、農民の首謀者は牢屋に入れられて獄中死。役人には軽い処分が下されたそうです。(「かくれた佐渡の史跡」(山本修巳著)等より抜粋。)
斎藤のような悪臣は、残念ながら日本各地にいたことでしょう。
「分断して統治せよ」とは統治者にとって都合のいい言葉ではあります。ただ、悪政が無ければ一揆もなかったことでしょう。
いつの世も、よい治世が行われることを願ってやみません。




