第二百四十七話 ~上条定憲~
上条定憲は、若輩の頃より才気張った男だった。
名家に生まれもてはやされながら育てられ、強く否定されることもなく成人。弁が立つ上に上背も高く、他者を圧倒する術に長けていた。故に己を過信し、傲慢で他者を疎んじる性根に生まれ育った。
顎鬚を生やした際は、叔父である上杉定実から、
「おお、よく似合うておるのう」
と褒められ、鼻を高々と擡げた……
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<天文十七年(1548年)九月 上野国 邑楽郡 金山城 城内>
「その儂が! ナぜジャアアァァぁ!!」
丸禿げ丸坊主の男は城の中を走っていた。城内に隠された曲がりくねった抜け道を使って一人、大挙する敵から遠ざかろうとしていたのだった。
「佐渡の小童めガッ! 怪しげな煙筒など持ってきおって!! それに神後宗治! 『俺が喰い止める』とか、口程にもないワっ! 多少は敵を抑えてたかと思えばたった一人に抑え込められるトハッ!!」
定憲は他責の男だった。自分は常に正しく、他者は間違っている。自分は成功しかせず、失敗を齎すのは全て他者。それを諫める者もなく、全てを「他者の責」として数十年間も生きてきてしまった。
「他には、他ニハ…… !! そうじゃ! あ奴が居ッタッ!!」
定憲は閃いた!
「宇佐美定満! あ奴が佐渡の小童の傍にいると聞くぞ! 儂の深謀を恐れて良からぬことを吹き込んだに違いない!! 主君を蔑ろにするトハッ!! ヤハリ殺しておけばよかっタワッ!!」
三分一ヶ原の戦い。定憲は部下であった宇佐美定満の策を受け入れず大敗。定満は主君の名に従い寡兵を率い、猛将柿崎景家の突撃を受けて生き死にを彷徨った。
「小僧がっ! 神後宗治ガッ!! 定満ガッ!!!」
定憲は暗い道を歪んだ笑顔を綻ばせながら走った…… が、
ドガッ!
ドタッ!!
暗い道の途中、出張った岩に足を取られて定憲は転んでしまった。
「…… クソッ! こんな岩があるカラッ!!!」
定憲は岩を蹴飛ばした。しかし岩は堅く動かず、定憲は足を痛めただけだった。
「誰ジャ! こんな岩を置いたのハ! 普請奉行はダレジャっ!!!」
定憲は顔を赤らめながらも悔しまぎれに岩に怒鳴りつけて唾を吐きかけた。それは定憲の精一杯の強がりだった。
そして、他責の男はまた、暗闇の中を独りで駆け出した……
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<天文十七年(1548年)九月 上野国 邑楽郡 金山城外 佐渡軍本陣>
「我が軍は優勢! 優勢にござるっ!」
「おおっっ!!」
背に長旗を背負った使番(伝令・監査役)の斎藤朝信がはっきりと俺達に戦況を伝えた。
「如何にあるかっ?!」
「兵は城内に入り我らが圧倒ッ! 敵将神後宗治は師範殿が食い止めたとのこと!!」
「うむ!!」
俺はその言葉を聞いて大きく頷いた。数か月かかった城が落とせる。その安堵感は何物にも代えがたい。
だが、使番の朝信の言葉はそれで終わりではなかった。
「ですが……ッ!」
「む?!」
「城内から『怪しげな霧』が流れているとのことにござる! 吸った者は敵味方問わず息が苦しくなり吐き気が止まらなくなる模様ッ!! 我が軍の勢いを挫かれて御座います!!」
「…… 怪しげな…… ?」
「霧……!?」
「不無、まやかしの術か何かか……?!」
皆が怪訝な表情を浮かべた。霧に当たって息が苦しくなると聞けば、怪しげでまやかしの術か何かかとと思うのも当然だ。
しかし、俺と定満だけは違った。
「…… 殿、やはり……っ!」
「うむ。『毒ガス』だろう」
「「『どくがす』……?」」
本陣の皆が俺の顔を見つめた。
「吸い込むと息が苦しくなり、吐き気が止まらなくなり、目が見えなくなったり喉が潰れたり、最悪死に至る『霧』のようなものだ。…… 以前、何かの本に書いてあった」
「何とッ!」
「だが、既に手は用意してあるッ! 朝信ッ!!」
「ははっ!!」
「(椎名)越中守に『目出し頭巾隊』を投入せよと伝えよっ!!」
「『目出し頭巾隊』、ですな?! 承知仕りました!!!」
聞き慣れない言葉を胸に刻み、若き勇将は颯爽と前線へと駆けていった。
「流石は殿で御座りますな!!」
「次の手を用意しておるとは、不無不無」
皆が俺に感心している。が、俺は一つだけ嘘をついていた。
この現世に毒ガスのことなど書いてある本はない。毒ガスを知ったのは前世の知識だ。前世の悍ましき大戦において用いられた化学兵器だ。
先日、平井城を落とした際に宇佐美定満が偶然拾った『目の部分だけやけに大きく口の辺りが膨らんだ変な形の仮面のような頭巾』。それは明らかに「防毒マスク」「ガスマスク」と言われる代物だった。
それを見て毒ガスの可能性に気がついたのだ。自分達が毒ガスを取り扱う為に用いたのだと。
「勝利は目の前だ! 責は俺が一切引き受ける!! 一気に金山城を落とし、上条定憲の首を獲るぞ!!」
「「応ッ!!」」
皆が戦意を増した中、上条定憲の名を聞いて俺の軍師宇佐美定満はピクリと瞼を動かした。俺しか気づかなかっただろう。
「…… 思う所はあるか?」
「……」
定満は押し黙ったままだった。
…… 上条定憲。
「愚かな男」だ、と俺は思っている。
名家に生まれ、弁が立ち、揚北衆や宇佐美定満のような優秀な味方を持ちながら、力の使い道を誤った。そしてその誤りに気づかない。俺は七年前の「佐越の戦い」の際、やはり髭だけでなく首を斬っておけばよかったと後悔している。
定満は何気なく言葉を発した。
「…… 『君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む』」
「…… ン? 何だったかな、それ」
「…… 良い主君に出会えた。ということに御座いますよ」
意味あり気に定満は俺をまじまじと見て、皺の寄る目を細めた。
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<天文十七年(1548年)九月 上野国 邑楽郡 金山城 城外>
「雑魚共! 道を開けろ!! ミチヲアケロッ!!」
暗闇の道を抜けた上条定憲は薬で上機嫌になった体を出鱈目に動かし進んでいた。
既に戦の趨勢は明らかとなっていた。
佐渡軍優勢。その佐渡軍を足止める為に用いられた奇怪な霧「ほすげん」。
だが、それを諸共しない頭巾を被った佐渡軍の兵の猛攻により、守勢一辺倒の宇都宮軍は堪え切れず敗走。我先にと城外へと逃げ出し始めていた。
「体がカルイっ! 気も明るイッ!」
部下達を押しのけて大手虎口を抜け、一目散に北へと逃げる上条定憲。彼は、自分にはまだまだ使い道があると確信した。
「儂が居るから金山城は持ちこたえタッ! 今回は落ちたが神後宗治タチのせいジャッ! まだマダ……」
その認識も間違っていた。
実際に金山城を守っていたのは宇都宮軍の芳賀高定らだった。佐渡軍を数か月も足止めしていると聞いた上条定憲は手柄を横取りするために自ら進んでこの城に来たのだった。
「ムッ! 進めッ! 誰が儂の足止めをしてオルッ! 進めッ! ススメエ~~!」
定憲は癇癪を爆発させた。
我先にと逃げ出す宇都宮軍であったが、入り組んだ山道は僅かな人員ずつしか進むことができない仕様。当然、敗残兵が大量に流入すれば人の海で道が詰まる。そんな当たり前のことも定憲には我慢がならなかった。
「進めェ! あと、儂の後ろにいる者ハ、戻れエ!! 儂の退路をマモレエェ!」
進め、戻れ、と金切り声を上げる上条定憲。だが、もうそんな男の声に耳を貸す者はいなかった。
ドンッ!
グシャッ!!
逃げる兵士に肩を押され、上条定憲は尻餅をついた。
「グヌッ! オマエ! 儂をダレだと……!」
「知るかよ! 退けっ」
「邪魔するな!!」
「グエッ!!」
バシッ!
ドンッ!!
逃げる宇都宮兵の数名に顔を殴られ、上条定憲はもんどりうって倒れた。
「ぐぬ…… 儂は、儂ハ……ッ」
そこへ、そんな定憲に手を差し伸べる者がいた。
「定憲殿」
「オオッ! 忠義の者がオッタ…… ゲェッ!?」
涼し気な笑みを浮かべた童顔の青年。それは先ほどまで剣神上泉信綱と命を賭して刃を交えていた空前絶後の剣士神後宗治だった。
「オ、お主、よく…… いや! 何故ココニオル! 戦エ! 戦ってコイ!」
「うるさいなあ」
ズボッ!!
宗治の刀が定憲の胸を深々と突き破った。
「ゴ、ゴホッ?!」
定憲は目を見開いた。
「何故だっ? 何故儂ヲ……?」
「酷いことするじゃないですか、定憲さん? 僕はさっき死んでた筈なんですよ。先生と刃を交えて、敗れて。最高に幸せな死に方で、ね。それをあなたは」
「お、オイッ! や、ヤメテッ」
「消えてください」
「ひ、ヒィイ、ひ、ヒッ、ひぇええええええぇ!!」
ズバッ! ドビュッ!! ズバアーッ!!
血が吹き飛んだ。肉も、骨も、華麗な花のように四散した。
「利き手じゃないと、こんなものか。 …… さて、と」
一部始終を見ていた宇都宮兵達は固まっていた。「味方殺し」を咎めようと声をあげようとした者もいた。
だが、思いとどまった。
神後宗治の姿に。恐ろしい程の眼光の鋭さに。
「君、何か言いたいこと、ある?」
「めめめめめ、めっそうもねえ!!!」
問われた兵は頬肉が飛ぶくらいの勢いで頭を振り、一目散に逃げ出した。
「嫌な邪魔が入ったなあ。 …… 今日じゃなかったみたいですね。じゃ、また今度。先生」
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「不落の城」と謳われた上野、下野、武蔵の三国を結ぶ要所、新田金山城は佐渡軍のものとなった。
これは、関東の覇者宇都宮軍の喉元に刀が据えられたことに等しかった。
「君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む」
「よい上司は、諸々の責任を自分で取る。よくない者は、責任を他者になすりつけるのような意味」でしょうか。
論語は現在読みふけっているところです。何というか「生き方」「上に立つ者の心構え」について深く学べる古典ですね。意外でした。「徳や礼」を説く論語に対して、儒学は「権力と社会秩序を正当化する」ものとして全く別物でした。「上位下達」「君君臣臣父父子子」「長幼の序」(孟子)も元々の意味は全然別です。
顎鬚死亡。金山城落城。次は……




