第二百四十六話 ~神後宗治~
長らくお待たせしました(´;ω;`)
<天文十七年(1548年)九月 上野国 邑楽郡 金山城 城内>
『斬った!!!』
神後宗治は感じた。
上体が傾いた『剣神』上泉信綱。生ける伝説を低い姿勢から逆袈裟掛けで斬り上げた! これまで幾人もの肉を断った必殺の剣! かつての師上泉信綱のほんの僅かな隙を見逃さなかったと宗治は歓喜した!!
『勝った!!!』
その時だった!
……剣聖の体が、
『 幻のように消え た 』
剣聖の体は瞬時に鞭のようにしなり宗治の斬撃をまるで知っていたかのように紙一重で躱した。
「!?」
次の瞬間!
ジャキンッ!!
神後宗治の左肘を強烈な一撃が襲った!!
剣聖の流星の如き剣筋が煌めき神後宗治の利き腕の肘を切り裂いたのだった!
「グッ、グアあああああああああぁぁアッ!!」
火傷のような痛みが宗治の全身を駆け巡った。鋭敏に研ぎ澄まされた宗治の体は痛みを数倍、数十倍に増して体中に知らせた。
「くっ! グウうぅッ!!!」
宗治は耐えた。堪えた。歯を食いしばり昏倒しそうな痛みに。
だが、それは、既に二人の戦いが決着したことを意味していた。
スゥーッ チャキンッ
剣聖上泉信綱は愛刀を鞘に納めた。
その後、ふうっと深く息を整えた。
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新田金山城の城内は、荒ぶる野獣の胃の腑の中の如く騒乱に充ちていた。
血の味、肉の味、骨の味。悪鬼共は歓びながらそれを味わっていたことだろう。
だが、その騒めきも頂を越したようだった。
「ガアッァッ! ヌグぅ! ゴアアッ!!!」
野獣のように怒気を放つ宗治は身悶え声を荒げた。
「殺せッ! モウ刀は握れヌッ!」
「……」
剣聖は、すぐには応えず、ただ腕を組みゆっくりと目を閉じた。
「……宗治。もうその芝居は止めろ」
「!?」
剣聖の言葉に神後宗治は目を皿のように見開いた。
「お主、怪しげな秘薬を『飲んでおらぬ』であろう?」
……
「ふ、フふ」
すると、宗治の目が元の澄んだ瞳へと戻り始めた。
先ほどまで野獣のように威っていた武士が、見る見るうちに平静な様相へと姿を変えた。
そして、無垢に笑った。
「はは。虚見ましたか。先生には敵わないなあ」
「何故、怪しげな薬を飲まなんだ? もし飲んでおれば……」
「もっと早く勝負はついた、でしょうね」
左腕をだらりと下げた男は平然と言った。
「あんな『心を壊す粉』なんて、飲むもんじゃないですよ。一舐めして『あ、駄目だ』って分かりましたよ」
「……であろうな」
「ただ『心を威る』やり方は覚えたので。それを『粉を舐めることで切り替える』と暗示をかけたんです。あ、粉は単なる麦粉(小麦粉)です」
「フッ、そうか」
剣聖は微かに笑った。関東に足を踏み入れてから初めて笑った。
「10年後であれば、結果は逆であったろうな」
「そうだといいんですけど、ね」
今度は宗治がにんまりと笑った。死闘を経て、二人の師弟は再び心を通い合わせることができたのだった。
「でも、おかしいなあ? なぜ『鴉片』を飲んでいないと気づいたのですか? 先生?」
「……剣に、『邪気が無かった』。ただそれだけのことだ」
「邪気、かあ。そんなの見える訳ないですよ。やっぱり先生には敵わないや」
すっかりと諦めた為か、神後宗治の顔は憑き物が抜けたようにすっきりと爽やかに整った。それは、戦いを知らぬただの一人の青年に見える程だった。
「では、逝きますね。最期は楽しかったです」
「! 宗治!?」
「……剣を握って、死ねる。しかも先生と戦って。こんなに幸せなことはありません」
神後宗治に悔いは無かった。
多くの命を冥府へと追い込んだ。あとは喉を刀に突き刺し自分も逝くだけ……
「待て! 宗治ッ!!!」
そこに!
ドドドドドッ!
ガン! ガガガガッ!!
「むっ!」
城の上部から瓦礫や土砂ががらがらと音を立てて落ちてきたのだった!
そして、そこにはいくつか樽もあった。樽は、毒素をまとう、牧草に似た臭気を含んだ霧を放ちながら……
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「イヒヒヒィ! 落ちる! 城が落ちるぅ!!」
狂気に充ちた表情の男。樽を蹴落としながら下卑た笑いを響かせていた。
「ならば落ちよ! 共に落ちよ!! この樽に入っている『ほすげん』を吸ってなぁ!」
「さ、定憲殿! もはやここまで! 早くお逃げくだされ!!」
「あぁン?! 小ざかしいわっ!」
ドンッ!
狂気の男は忠言に入った男を樽諸共蹴落とした!
「この上条定憲がぁ! 小僧を殺すために守っていた城を明け渡さねばならん無念をお主は分かるかぁ?!!」
「あああぁあああっ!!」
哀れな下野武士は落ちた衝撃と、その後に吸ったホスゲンの症状で猛烈な喉の痛み、吐き気、めまいに襲われ、呼吸困難となり帰らぬ人となった……
狂った男。それは元越後国城主で、先に起きた越後の天下を決める「三分一ヶ原合戦」の首謀者上条定憲だった。顎鬚は毟られ禿山であるが、冷徹な瞳はその輝きを一層増していた。
「死ねっ! シネッ!! 神後宗治の役立たずがっ!」
定憲は剣聖と神後宗治の死闘を高みの見物をしていた。そして勝敗が分かれた後に二人が談笑する姿に怒りの袋が弾け飛んだのだった。
そしてその怒りの矛先は、元顎鬚が蛇蝎のように忌み嫌う羽茂本間照詮へと向かった!
「忌々しい佐渡の小僧めっ!! 何故儂の邪魔をする!? 儂の足元にも及ばぬ下賤で無能の者のクセにっ!!!」
定憲は最後の樽を蹴落とした。主君から譲り受けた毒霧「ほすげん」は秘中の秘だったが、ここで使い切ることが得策とみたのだった。
「マダだっ! 儂の命運は切れておらん!」
定憲は常用している鴉片の粉を懐から取り出すとガバガバと飲み込んだ。そして更に狂ったように走り出した!
「雑魚共! 道を開けろ!! 上条定憲が通るぞ!! 聞こえぬかっ?! ミチヲアケロッ!!!!」
作中にある「ばれる」には正しい漢字はないようです。
今回は意味を踏まえて虚見ると当て字しております。
ホスゲンは第一次世界大戦で用いられた猛毒(一酸化炭素と塩素とを活性炭触媒を利用して反応させて作られる)です。第一次世界大戦における化学兵器による死傷者は130万人に上り、そのうち死者の80%はホスゲンによるものだったと言われています。この物語の時代にあるべきものではありません。
ようやく書く力が戻ってきました。
少しずつ進めていきたいと思っております(*'ω'*)




